【社会福祉士】ソーシャルワーカーに学ぶ人間関係の考え方

社会福祉士の国家試験に向けて専門学校で勉強中です。

通信制の専門学校に入学し、土日にスクーリングを受けたりレポート提出したりしています。 個人情報保護の観点から書けないことのほうが多いのですが、勉強になったことで一般化できそうなことは書いていきたいな、と思っています。

ソーシャルワーカーって、何するひと?

ソーシャルワークとは、グローバル定義において以下のように定義されています。

ソーシャルワークは、社会変革と社会開発、社会的結束、および人々のエン パワメントと解放を促進する、実践に基づいた専門職であり学問である。 社会正義、人権、集団的責任、および多様性尊重の諸原理は、ソーシャ ルワークの中核をなす。 ソーシャルワークの理論、社会科学、人文学および地域・民族固有の知を 基盤として、ソーシャルワークは、生活課題に取り組みウェルビーイングを高め るよう、人々やさまざまな構造に働きかける。 この定義は、各国および世界の各地域で展開してもよい。 日本ソーシャルワーカー連盟(JFSW)公式WEBサイト より

つまり、ソーシャルワーカーとは、社会において様々な状況に置かれている人々が、本来持っている強み(ストレングス)を自覚し、必要なサポートなどを活用して、「自立して生きる」ことをサポートする人を指します。

例えば、ケースワーカー・生活相談員・児童相談員・成年後見人などの職業があてはまります。少し前にドラマで放映された「健康で文化的な最低限度の生活」で主人公たちがやっていた仕事といえば、わかりやすいかもしれません。先生方によれば、あれはとても分かりやすく教材にしたいくらい出来がいいドラマだそうです。ソーシャルワーカーを目指す人は全部見たほうがいい、と大変高評価でした。

どんな人にも偏見なく、という難しさ

非常に難しいのは、「偏見を持つことなく、その人そのままを見て話をして、本人の『自己決定』を支援する」というところです。

現在南青山に建設予定の児童相談所を含む複合児童施設を巡って港区と区民の間で対立が起こっていることが、ニュースになっていますね。なかなか理解は得られにくいのが世の常だと思いますが、とても胸が痛みますね。

生活保護を受けている人、障害をもっている人、DVやネグレクトを受けて保護された児童などに対して、どうしても接したことのない人は、想像で先入観を持ってしまいます。それは、ある種しかたのないことです。経験しなくては、人は想像することができないからです。

その結果、先入観や偏った価値観だけでイメージを作り上げてしまい、その人そのものを知らないまま、差別意識を持ってしまうという悲しいことが起こります。

「青山のブランドイメージが落ちる」と主張する人々の潜在意識には何があるかといえば、「我々はハイレベルな生活を手に入れた成功者である」という自尊心と、「児童相談所や社会福祉の補助を受けるような人は社会的地位が下で私たちとは違う存在である」という差別意識なのではないか、私には感じられてしまいます。また良くないことに、今回の反対運動を煽るように仕向けた不動産業者も、実は影に存在します。複合施設が建つ場所で商売をしようとしていた不動産業者です。

背景や金銭的思惑はあれども、本当にハイレベルな人々であれば、高い倫理観と社会的知識を持っているので、こうした困難に立ち向かっている人々も自分たちも「みな同じ」であること、一歩違えば逆の立場になる可能性について認識するのは、そう難しくないでしょう。

そのような人々からは、「青山のブランドイメージが落ちる」とか「物価の高さや華やかな生活に馴染めないのではないか」などという見当違いな反対意見は生まれないのではないでしょうか。

ましてや、同じ港区内で起きている児童虐待問題に対処するために企画されているのです。平成27年度の港区における児童虐待件数は478件で平成24年度の3倍です。新規受理件数は926件と過去最多。重篤化も進んでいるため、今回の施設建設が検討され始めたことすら、頭にないのかもしれません。

しかし、正論は言うに易く、行うは難し。現実にはとても難しいことです。誰しも今までの人生で培った経験や文化を背景にして「色眼鏡」をかけているものです。その「色眼鏡」は、かけていることすら気づくことが難しいからこそ、自分の判断や価値観が常に偏りがないか意識し続けなくてはいけません。

ソーシャルワーカーは、南青山の本来知識レベルや品行方正か素晴らしいはずの人々ですら獲得しえなかった「どんな人にも偏見なく公正で平等な視座」を獲得していることがプロとして前提条件となります。

「偏見」には「自分」が隠れている

ソーシャルワーカーは、「汚いな」「醜いな」「嫌いだな」「しんどいな」というマイナスの感情を感じたとき、その感情を否定せず、まずは素直に受け止めます。

そのあと、なぜ、自分はそういう受け止め方をしたのか?を考えます。

たとえば、私はアルコール依存症になる前、依存症患者に対して「だらしない人の病気」「自制心の無さからくる病気で自業自得」「もう依存症になったら人生の終わり」などとマイナスなイメージを持っていました。

なぜ、そういう受け止め方をしたのか?それは、『他人にそう思われたくない』という私の願望が背景にありました。

だらしない、自制心がない、何かに依存する弱い人間。

そんな風に思われたくない、という私自身の願望が、依存症患者を通して顕れていたのです。

実際、アルコール依存症は「真面目なひとがなる病気」で「アルコールは自制心とは関係なく飲まずにはいられなくさせる物質」であり、「依存症になったとしても人生が終わるわけではない」のです。治療に繋がり専門家から学んだ事実は、私が色眼鏡で見ていた患者像とは正反対の姿でした。

まとめ:人間関係のカギは、素直さにある

「あの人嫌いだな」「なんだかあの人疲れるな」

それはそれとして事実なので、まずは素直に受け止めましょう。注意してほしいのは、無理に仲良くしようとする必要はないし、合わない人はいても当然だということです。

誰にも嫌われない、みんなに好かれる、などということは不可能です。あなたは、あなたらしく生きる権利があり、あなたがあなたらしく生きていれば、人と違った価値観をもつことを恐れる必要はありません。

もし、あなたが「いろいろな人の価値観を認めて人間関係を広げてみたいな」と自ら願って行動するときは、なぜ嫌いだと思うのか?なぜあの人といると疲れるのか?を素直に考えてみましょう。

その背景には、あなたが「こう思われたい」とか「こう思われたくない」とか「こうあるべき」という、今までの人生や経験で培われた価値観や偏りが見つかるはずです。それ自体がいいわけでも悪いわけでもなく、「ああ、自分はそう思っているんだな」と思うことが重要です。

自分の偏りを傍らにおいて、改めて苦手意識のある人を見てみると、また違った見え方をしてくることが体験できると思います。

私もまだまだ学んでいる途中ですが、私が人生の課題だと感じている「人間関係」の考え方に一石を投じる考え方だと思ったので、記事にしてみました。

では、また!

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