【出産】転勤族の永遠の悩み「里不帰出産」vs「里帰り出産」のメリット・デメリットまとめ

こんにちは、 ちあき です。

転勤族は自宅から遠く離れて勤務している人が大半です。 そこで必ず問題になるのが、「出産をどこでするか?」です。

正直、結論から申し上げれば、どちらがいい、ということは言えません。

最も重要視すべきことは、妻がどちらが安心してお産に臨めるか、という一点だけです。あとはすべてオプションです。

人生において選択は、「損得」ではなく「納得」です。どちらの道にも、良い面と悪い面が半分ずつあり、いばらの道であることには変わりなく、どちらの道なら苦しみに「納得」できるか、という2択であると言っても過言ではないでしょう。

では、私たちが最終的に「里不帰(さとがえらず)出産」と「里帰り(さとがえり)出産」をどういった点で吟味して最終的に決定し、結果どうだったか、を振り返ってみましょう。

夫婦の譲れない条件を話し合う

まずは、妻と、よく話し合います。どんな出産をしたいか、は「夫婦で」決めましょう。私たちの譲れない条件は、下記の通りでした。

  • 安心して出産できる産院がある場所で産みたい
  • 立会い出産したい・してほしい
  • アルコール依存症の夫(私)が再飲酒しにくい状況にしたい
  • 産前産後の大変な時期に妻を姑にできるだけ近づかせたくない
  • ひとりでは心配で洗濯や炊事などを任せられるサポートを受けたい

この5つを満たす状況をつくるために、最終的には「里不帰出産」を選びました。

妻の実家付近は冬は積雪がひどく、すぐに産院に移動できない可能性がありました。また、充分なスタッフと設備を兼ね備えており安心して出産できる病院が県立中央病院くらいで、飛行機で国内乗り継ぎしなくては私も駆け付けられない距離であり、1番目・2番目の条件に里帰り出産が適合しませんでした。

また、私は以前妻が実家に帰省したタイミングでスリップ(再飲酒)した前科があり、安心して里帰り出産できない、という妻の私に対する不信・心配もありました。

4番目・5番目を満たすためには、産前産後にサポートを頼むとすれば選択肢はひとつ、「義母の旅費を負担して私たちの自宅にお越しいただく」でした。

このように選択すれば、両者にとって納得感のある決定ができます。無論、私にとっては1ヶ月以上他人である義母が家にいるわけですから、強いストレスがかかる状況ではありますが、妻にとって最もConfortableであることが最優先なので、今振り返ってもこれで最適解でした。

「里不帰出産」のメリット・デメリット

メリット

  • 夫がほぼ確実に出産に立ち会える
  • 妻が心細いとき、夫がいつもそばで支えられる
  • 夫が新生児の我が子のケアに関われる
  • 出産という命を懸けた一大イベントを夫婦で乗り越えることで、夫婦間の絆が深まり、夫は父親になったという実感を持ちやすい
  • 義母がきてくれれば、生活もろもろのサポートをしてくれるので、家事の負担が激減し、妻は産前産後リラックスすべきときにリラックスできる。
  • 出生届や行政での手続きなど夫に依頼すればタイムリーに実施できる。
  • 夫がおむつ替え、沐浴、ミルクを作る、着替え、あやす、など一通りの技術を一緒のタイミングで学び習得できるので、その後夫に子供を任せて外出するなど産後比較的フレキシブルな対応が可能になる。

デメリット

  • お金がかかる。(帰れないほどの距離の旅費を往復分負担するのは結構痛手)
  • 生活リズムが乱れる。
  • 夫の仕事のパフォーマンスを下げ、支障をきたす。
  • 産後クライシスに陥る可能性がある。(妻はホルモンバランスの変化により感情的かつうつ傾向になりやすく、夫も育児参加をしていればいるほど負荷がかかりストレスをため込みやすくなるため)
  • 出産後、新生児の世話について、四半世紀前の知識で義母から口を出される。往々にして祖父母というものは自分の子供の教育と異なり、より過保護で神経質になりやすい。
  • 手伝いにきた人に対して、孫可愛さにだっこしたがる割には下の世話など汚れ仕事はせず、その都合のよさにイライラする可能性あり。
  • 長期間になると夫の精神が崩壊する可能性がある。(義母を含む他人との共同生活に強い耐性が有れば、あまり問題なし)
  • 夫がアルコール依存症の場合、義母が飲酒者だと地獄(これはかなり特殊)

旦那さんのデメリットが目立ちますが、覚悟するしかありません。私は覚悟してお呼びしたし義母のことはそれまでそんなに嫌いではなくむしろ好きなほうでしたが、今回の出産を機に死ぬほど大嫌いになりました。

一緒に生活をともにすれば、今まで見えていなかった部分が見えてきます。口を開けて食べるクチャラーだということとか、何度お願いしてもすぐ忘れるアホだということとか、「私はこういう性格だから慣れてください」と言ってしまうマイペース&気遣いができない図々しい性格だということとか。それらもろもろのストレスが積み重なると、本来お互いに喜ばしいはずの出産というイベントを経て関係が変化してしまう可能性があります。奥様は、万が一、私のように夫と自分の母親の関係が著しく悪化する可能性があることを、覚悟する必要があるかと思います。

「里帰り出産」のメリット・デメリット

メリット

  • 妻は自分の実家なので、勝手知ったる我が家であり、精神的に楽。
  • 妻は食事や洗濯などの家事を任せておけるので、肉体的にも楽。
  • 夫はいつも通り仕事ができる。(睡眠時間の確保・精神的負荷の軽減)
  • 第2子の場合、2番目の子の面倒も見てもらえることがある。
  • 産後のメンタルの不調により泣いて当たったりしても親なら多少大丈夫。

デメリット

  • 夫に家事を仕込んでから出発しないと帰ってみたら家がゴミ屋敷になっていることがある。
  • 飛行機に乗れるのは最低でも生後1ヶ月健診が終わってからなので、通算約3ヶ月近く夫と離れ離れになり、その間コミュニケーションがとりづらくなる。
  • 妻が里帰り先に移動する際、往路は身重で、復路は幼子を連れて、長時間の移動が必要になるので、大変。
  • 初産の場合、出産の大変さや新生児の夜泣きを経験できないため、父としての実感がわかない・実感を感じるのが遅くなる。
  • 夫がおむつ替えや沐浴などのやり方を全く知らないので、役に立たない。一から教えてもうまくいかず、育児スキルの向上に時間がかかるか、あきらめざるを得なくなる。
  • 夫が不摂生をしている場合、体調を崩す。
  • 妻は実家とはいえしばらく離れていた家であり、人によっては長期滞在するとそれなりにストレスが溜まり、お金の面で気がとがめることがある。

実は、転勤族の女性は里帰り出産をする人の割合のほうが高く、知り合いもおらず慣れない転勤先よりも、なじみのある地元に帰って出産することが多いようです。

転勤族の妻たちは、いきなり1か月前に通達される夫の辞令に振り回されて、転勤先で鬱になる人も少なくありません。同僚にヒアリングしたところ、転勤先での仲間のいない子育てや出産で鬱状態になり、夫との関係を悪くした、という事例は数多く確認できました。これまでに築き上げてきた友人とのコミュニティーから引きがはされ、単独で知り合いのいないエリアにぶち込まれる辛さは想像するに余りあります。しかも、子供を初めて出産する、となればなおのこと不安ですし、夫にあたりたくもなります。

奥様のタイプがもし、ナイーブで人付き合いが上手ではなく内気な性格であれば、里帰り出産がベストだと思います。

まとめ:妻と子供にとって何が最も快適か、がカギ

結局、妻と子供が健やかに安心して過ごせる環境を創るにはどうすればいいのか?だけが、選択する唯一の基準になります。夫はどちらを選んだとしても違う問題に苦しみます。奥様もどちらを選んだとしても違う問題に苦しみます。

私はいまとても苦しいです。しかし「里帰り出産にすべきだったか?」と聞かれれば、「そうではない、やはり選択は正しかった」と考えます。

夫や妻が、自分のことだけ考えてConfortableな選択肢に誘導し、それが叶ったとしても、いずれしっぺ返しを食らうことになります。ひずみは確実に夫婦関係やお互いの実家への人間関係に残ります。それは自然なことであり、仕方のないことです。

だから、私は妻を最優先する選択肢を選ぶことに「納得」して選択したので、想定外のきつさではありますが、なんとか耐えていられます。

これから一緒に一生を過ごしていくのは、それぞれの父母ではありません。妻であり、夫です。夫婦で育てていくのです。夫婦で家族を創り生きていくのです。それをはき違えて、形式に囚われたり、他人(親含む)の意見に翻弄されて、よく考え二人で話し合わないまま決定すると、後で必ず後悔することだけは間違いありません。

夫婦二人で、この難局を乗り切り、喜ばしい我が子の誕生を素直に祝福できるよう願っています。

では、また!

【出産】妻の壮絶出産レポ② 本陣痛から出産を迎えるまで~無力な夫には何ができるのか~

こんにちは、ちあき です。

出産から早いもので8日が経ちました。妻の体調は落ち着き、脱腸していた肛門も治癒して切開した会陰も出血が止まりつつあります。食欲も戻ってきて、一安心です。

さて、前回、前駆陣痛で妻がどれだけの痛みを味わったかを時系列でまとめさせていただきましたが、今回は本陣痛から出産までの戦いについてまとめてみたいと思います。

12/24の朝9時、妻、ついに入院

本陣痛の70%くらいの痛みが10分ごとに襲ってくる悪夢のような一夜が明け、「もっと痛くなってきた、耐えられそうにない」と妻が言い始めました。

トイレに行くと、お印(出血)が確認できました。出血するか破水した場合は速やかに病院に連絡するように、と前回の電話で告げられていた妻は、「電話できる!」と携帯を秒で手に取りました。

妻本人が電話しないといけないので、息も絶え絶えになりながら病院に電話をかける妻。

「急いで病院に来てください!」

おいおい、さっき追い返しといて急げなどとよく言えたもんだぜ、と思いながら、車を走らせました。

妻はすぐに内診にまわされ、子宮口は40%くらい開いているとのこと。

「100%まで開かないとダメですからね、でもこの分なら早そうなので、分娩台で待機していてください。旦那さんもそばについていてあげてくださいね!」

おお!いよいよか!妻とそう話しながら分娩室に待機する私たち。

分娩室にて、12時間経過

朝9時にきて、夜9時。あれー?早そうってのはどうなったんだ?

その間もずっと10分おきに本陣痛の80%くらいの痛みが訪れます。この頃「お尻のあたりを押すほうが腰をさするよりも楽になるから頼む」と言われて、ひたすら10分おきに肛門と尾てい骨の間を押し続けました。

分娩室に通されてから、赤ちゃんの心拍と陣痛の強さを測定する医療機器をおなかに巻いている妻。別室でもモニタリングできる機器のようで、ナースステーションに実況中継されているようなのですが、この機械、ちょっと寝がえりを打つとすぐズレる。あまり様子を見に来ないくせにナースがその機械がずれて測定できなくなった時だけ現われて「あまり動かないで」という無理な注文を言い残して去っていくのでした。

ネットには楽な体勢で本陣痛を待つように書いてあるにもかかわらず、横向きに寝ることを強要されながら固い分娩台で痛みに耐え続けて、夜9時の段階で妻はもうすでに虫の息でした。

夜になってからは肛門付近のいきみ逃しよりも、背中の痛みが強く、しばらくさすっていましたが、最後のほうは両手を握って一緒に息を吐いては吸っての繰り返し。

そんな妻に「生まれるのは明け方かなー」などと死刑宣告に近い内容を笑顔で言い、全く気遣うそぶりもないナースに殺意を覚えました。

間隔を置かない本陣痛到来!

11:20頃、「ずっと痛い、もうヤダ、もう無理!」と叫びだしました。

この痛がり方は今までと違う、と思い、すぐさまナースコール。

のんきで空気の読めないナースがやってきて、「痛みの感じ方は人それぞれ」などとパブロンのCMみたいなどうでもいい話をしようとしだすので、

「至急Drを呼んで子宮口を内診してください。あなたは見ていないから知らないでしょうが、今までと痛がり方が明らかに違います。子宮口が開いたので痛みが変わったはずです。感じ方人それぞれはいまどうでもいいです。急いでください。」

と強く指示し退室しました。

案の定、Drが内診後「100%開いています。もう生まれます!」と言いに来ました。

オラ言った通りだろうが!何が痛みの感じ方は人それぞれじゃ!隣でお前らが爆笑しながら談話している間ずっと分娩室で妻の腰さすっとったんじゃ、わかるわ!お前らプロだろ!しっかりしろや、このボケ!

怒り狂いながら、分娩台が開脚している分娩室に再入室しました。

速攻終わった出産、我が子誕生

分娩室に入ると、開脚してDrにオマタを向けた状態で妻が死にそうな顔で座っています。

「ああ、こういうのドラマで見るな」という光景。

おそらくいきめないだろう、と判断されたのか、吸引機器を準備されていました。

「はい、いきんでいいよ~」

妻の頭を支えて力が入りやすいようにサポートします。

1回目のいきみで、先生がポツリと「あ、これ自力でいけるな」と言いました。

2回目のいきみで、妻曰く「お尻が爆発した」そうですが、もう出てきました。笑

あまりにもあっけなく出てきました。妻はさんざん我慢したいきみをこれでもかと渾身の力を込めてやりすぎ、直腸が裏返り脱肛しました。

胎盤もきれいに出てきて、グロに耐性がある私はとてもきれいだなと思いました。

最後は、あれ、もう終わり?というくらいあっさりしていました。妻はすべての力を出し切り、矢吹丈の「燃えたよ…真っ白に…燃えつきた…真っ白な灰に…」というテロップがはいりそうな穏やかな顔で目を閉じていました。マジでそのまま死ぬんじゃないかと思いました。

無力な私がやって妻から喜ばれたことまとめ

①手を握る

これがなくては耐えられなかった、独りではない、と安心できたといいます。力を込めて握り返しすぎると、妻が力を入れられないので、少し負けるくらいの強さで男性陣は妻の手を熱く握り返しましょう。

②そばにずっとついている

なんか文字にすると幽霊かストーカーのようですが、独りきりにされるのではなく、つらいとき常にそばにいてくれたということが、とても心の支えになった、と言います。我々の効能としては、できることは全然なく役立たずであろうとも、同じ苦しみの時間を放っておかれるのではなく共感していたかどうか、という心情的な作用が強いと思われます。

③「しんどいね」「あともう少しだよ」「ちゃんとそばにいるからね」

この三つを声かけ続けました。つい、「がんばれ」と言いたくなるところですが、鬱を患っている私からすると、死ぬほど頑張っているのに「がんばれ」と言われることと、痛みも知らないくせに「がんばれ」といわれるのはとても気分が悪いし発言した相手を敵視させる言葉だと認識していたので、言わないようにしました。事実、この3つで、特に「しんどいね」と共感する言葉が最も高評価でした。

④妻の変調をいち早く医療関係者に伝える

本陣痛の痛みは尋常ではないそうで、事実妻は叫ぶことしかできませんでした。とても「Drを呼んで」などという指示は出せる状況ではありません。半狂乱です。痛みの感じ方や、妻の必死の訴えを聞いてナースコールをできるのはそばにいる夫だけです。私が内診を指示せず放置されていたらと思うとぞっとする、と妻は言います。妻が頼れるのはそばにいる一番頼りになる夫=あなたです。

⑤そばにいるために予定日周辺は必ず休暇を取る

有給とはこのような有事のためにあります。迷わず取得しましょう。会社によっては育児休暇や配偶者の分娩に伴う特別休暇なるものがあります。事前に会社の制度をチェックして、予定日周辺1週間を休み、いつでも妻を病院に搬送したり、必要なものを買いそろえて持って行ったりできる時間を確保しましょう。飲み会などもってのほかです。飲み歩いていて、酒臭いままタクシーで駆け付けたら、もう生まれてた、なんてことになったら、妻から「くそやろう」という永久背番号をいただくことになるでしょう。

 

いかがでしたか?大変でしたが、結果として妻はとても満足してくれました。私としてはそのあとも大変で、いずれまた書きたいと思いますが、この記事が出産を控えた旦那さんたちの役に立ったらいいなと思います。

では、また!

【出産】妻の壮絶出産レポ① ~前駆陣痛はどのくらい痛いのか~

こんにちは、ちあき です。

12月25日のクリスマス、妻が長女を産んでくれました。

同僚や先輩の赤ちゃんの写真を見ても、正直「サルみたい」と思っていましたが社交辞令で「かわいいですね」と言っていました。

が、

我が子を見た瞬間、価値観が変わりました。

動きといい、表情といい、かわいいですね、本当に。今までみんなが他人の赤ちゃんを見て「かわいいね」と言っているのが本心だとわかりました。赤ちゃんは自分では生きていけない分、面倒を見てもらえるように接するものをメロメロにさせる力を持っているんだな、と今なら思います。

そんな我が子でしたが、妻は前駆陣痛がとても長く、出産まで3日間寝られず、苦しみました。その過程を振り返り、レポートすることで、初産に臨む妊婦さんとその旦那さんの皆さんの参考になれば、と思います。

12/21~22 生理痛のチョイ痛くらいの「前駆陣痛」

妻が、「陣痛きたかも」と言い出したのは、21日の夜9時くらいのことでした。

夜から朝にかけて、おなかの中でもよく動く子でしたが、痛みも同じ時間帯に発生しやすいようです。

妻によると、今振り返れば「本陣痛の40%くらいの痛み」で、生理痛が「ちょっといつもより痛いなこれ」くらいの痛さだったそうです。なんとなく痛いけど、本陣痛は腰が砕けるくらい痛い、と聞いていた私たちは、「まだこれは本陣痛ではないだろう」と思い、その日は病院にもいかずそのまま過ごしました。

12/22~23 寝れないぐらいの「前駆陣痛」を本陣痛と勘違い

しかし、翌22日の夜の痛さは一味違いました。

妻は元々痛みに強く、「痛い」いう単語を発しないタイプで、私が呻いて痛がるような関節痛を伴う高熱でも全然弱音を吐きません。

その妻が、夜9時ごろ一緒に横になっていると、10分に1回1分程度の「結構痛い」痛みの波がくるというのです。痛みのレベルとしては、本陣痛の60%くらい。

最近は痛みのカウントをスマホのアプリで計測できます。

しかし、これが意外に曲者で、「カウントしてしまうと意識してしまう」という落とし穴に二人でハマってしまいました。カウント始めたことにより、そろそろ来るかも、と痛みに集中してしまったと妻はいいます。それにより痛みが気になり満足に寝られず、翌23日の朝9時ごろに一度耐えきれず病院に行きました。

しかし、病院を追い返されました。

「まだ子宮口が1cmしか開いていませんが。先週の妊婦健診のときと全然変わらなんで、帰ってください。ていうか本当に痛いん?」

とムカつく物言いをする不愛想な女医さんに鼻で笑われ、夫婦で怒りにめらめらと燃えました。

「痛いか?だと?こっちは寝れないほど痛いから来とんねんボケ」と思いましたね。笑

その出来事でキレた私たちは、「おう、そんなら気絶するほど痛くなってからいってやらぁコノヤロウ!!」と腹を括りました。(笑)

12/23~24 2日目の寝られない「前駆陣痛」の夜

しかし、その夜もめっちゃ痛かったそうで、本陣痛の70%くらいの痛みが10分ごとに襲ってきてしまい、ろくに寝られませんでした。

旦那の私もそのたびに背中をさすり、二人して寝たんだか寝てないんだかわからない2回目の夜を過ごしました。結構この時点でふたりとも疲労感満載でした。

これを見ている妊娠中の奥様の旦那さん、横で痛みに苦しんでいる妻の横では寝られないことを覚悟しましょう。妻が横で痛みに苦しんでいるのに自分だけ寝るのは結構難しいです。安心できるように手を握っていたのですが「妻にこんなに握力あったんだ」っていうくらい本気の腕力を体感します。

基本的に私たちは何もできません。超・無力です。痛みを代わってあげられない男ができることは、背中をさすることと、手を握ることと、「つらいね」「しんどいね」などと共感する言葉をかけること、の3つくらいです。

でも、それを産まれるまで全力でやることが、妻が安心して出産でき、出産後も「あのときは一緒に戦ってくれてありがとう」と言ってもらえる唯一の道かもしれません。

気合の入れどころです。

まとめ:前駆陣痛は人によっては本陣痛の60~70%くらいの痛さである

というわけで、私たち夫婦は強烈な「前駆陣痛」に翻弄されました。

前駆陣痛は意外に痛くて、眠れないくらいで「相当痛いな」と思っても、そこからさらに3~4割増しで痛くなるのが本陣痛だと言えるでしょう。

ただ、痛みの感じ方には個人差がありますので、耐えられないと思ったら迷わず病院に連絡しましょう。

また、早めに陣痛間隔を測りすぎると、そればかり気になってしまい、睡眠不足になりやすいということがわかりました。睡眠不足になって体力を消耗してしまうと、いざ出産というときに本陣痛がきてから陣痛が長引き苦しむことになります。

次回、本陣痛と出産編です。

では、また!

【出産】多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)に悩む妻との不妊治療あれこれ

こんにちは、ちあき です。

夫婦で不妊治療を続けて2年。念願の第1子が妻のお腹の中にいます。もう臨月になり、出産を待つばかりです。ドキドキしています。

多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)とは?

妻は、多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)を患っていました。

多嚢胞性卵巣症候群(PCOS:polycystic ovarian syndrome)とは、若い女性の排卵障害では多くみられる疾患で、卵胞が発育するのに時間がかかってなかなか排卵しない疾患です。

自覚症状としては、
(1)月経周期が35日以上
(2)月経が以前は順調だったのに現在は不規則
(3)にきびが多い
(4)やや毛深い
(5)肥満             などです。

PCOSでは、超音波で卵巣をみると10mmくらいの同じような大きさの卵胞がたくさんできて卵巣の外側に1列に並び、なかなかそれ以上大きくならないことが特徴で、ネックレスサインと呼ばれます。

聖マリアンナ医科大学病院 生殖医療センター ホームページ より https://www.marianna-u.ac.jp/hospital/reproduction/feature/case/case03.html

 

忙しい仕事だったので生活リズムが乱れており、昼頃に起きて明け方近くに寝る生活だったので、なかなか生理が定期的に来ない、という状況が続いていても妻は、「疲れてるのかな」と単純に思っていたそうです。

タイミングをとろうにも生理が不規則なのでは対策しようがないので、医療機関にかかることにしました。

最初の産婦人科クリニックでは、原因がわかりませんでした。特に画像診断もせず、「とりあえず様子をみましょう」というような診察でした。

これではダメだな、と思った私たちは、病院を変えました。

次のクリニックは、きちんと画像診断し、ホルモンの数値を調べて、PCOSについて詳しく教えてくれました。

 

治療は3段階で試していきました。

 

①クロミッド

最初、クロミッドによる不妊治療を試しましたが、全く反応を示しませんでした。

軽症の場合には、クロミッド(クロミフェン)療法が有効ですが、重度のPCOSだと効果を示しません。15%程度がクロミッド抵抗性のPCOSとされています。

 

②ホルモン療法(FSH製剤治療)

次に、注射によるホルモン療法(FSH製剤治療)を試しました。

排卵誘発注射剤で卵胞刺激ホルモンと黄体化ホルモン(ゴナドトロンビン)を補充して排卵をサポートします。皮下注射を頑張り排卵を促しましたが、なかなかちゃんとした卵子が育ちませんでした。卵巣が腫れかけて、中止することもしばしばでした。

 

③ラパロドリリング(腹腔鏡手術)

最後に踏み切ったのは、ラパロドリリング(腹腔鏡手術)でした。

これは、直接卵巣を腹腔鏡経由で焼灼することで、卵巣内に溜まっている卵胞を一つ一つつぶしていき、一時的にすべての卵胞をなくする手術です。

この手術が奏効しました。

お腹に小さな傷は残りますが、生理が定期的に来るようになり、今まで効果がなかったクロミッドや排卵誘発注射剤で卵胞・卵子が育つようになりました。

薬剤治療を続けながら地道にタイミングをとり、2回の流産を経て、4回目のトライで今の我が子がいます。

 

まとめ

さまざま治療を先生と相談しながら、積極的にトライしてきた結果、比較的順調に治療を進めることができました。

しかし、流産で経験した悲しみは忘れられません。いつも明るい妻が沈んでしまうほど、妻にとってもすごくつらいことでした。

出産は命がけ、出産後の育児も、つらさをバネにふたりで乗り越えていきたいと思います。

私は痛みを変わってあげることはできないけれど、できる限りのサポートと、妻が心安らかに出産とその後の育児に安心して取り組めるように、最大限の努力をしていきたいと思います。

では、また!

【結婚】険悪な嫁姑問題を抱えないために、転勤族男性の結婚でココだけは押さえたいポイント3つ

こんにちは、ちあき です。

私はお酒でさんざん失敗してきたのですが、妻との結婚でもしくじりを犯してしまいました。

その結果、妻は私の父母に会うとストレスがかかりすぎ実家に2泊すると顔に蕁麻疹が出るようになりました。なので、実家に帰る場合はどんなに頑張っても1泊。基本妻の体調とストレスを最優先して極力泊まらないようにします。どうしても宿泊しなくてはならない場合は、どこかに旅行がてら、と後半に息抜きを企画します。

この度長女が産まれましたが、妻は私の父母には抱かせたくなく、お宮参りもできればしたくないのにな…と言っています。初孫でも抱くことを拒否したくなるような嫁姑関係に、できればしたくないですよね?笑

私たち夫婦はもう無理ですが、同じ過ちを犯さないために、特に転勤族の会社員男性が結婚するにあたり「やっておけばよかった」「気を付けておくべきだった」というポイントを紹介したいと思います。

①何があっても結婚するからには妻が最優先

「両親に相談して式の段取りは決めていこう」などと考えている人はいませんか?

それは大きな誤りです。結婚式も入籍日もすべて主役は「夫婦」です。決めるのは夫婦である貴方と奥様です。

親の意見は、あくまで参考でしかありません。

自分の親に日取りや式の段取りなど、何でもお伺いを立てていては、あなたが世の中で一番大切にしていこうと決意してプロポーズした最愛の妻がやりたい結婚式ができません。

私は、長男であるという立場を考えすぎて、両親にお伺いを立てすぎて失敗しました。妻の立場としては私とふたりで企画したかったのに、義親に大切なイベントを侵食されているような感覚になり、悲しい思いをさせてしまいました。

途中で気づいて軌道修正しましたが、時すでに遅し。企画する前から、親の意見を聞いても従わない、という覚悟をもつべきでした。それはひとえに、私が親離れできていないからで、今まで自己決定する機会を奪われてきた「アダルトチルドレン」だからでした。

反抗期がなかった、親に進学先や就職先を相談して決めた、あまり失敗してこなかった、親の意見に逆らえない、親に結婚相手の条件に付いて言及されている、などに心当たりがある方は、私と同じ失敗をする可能性があります。要注意です。

②両家の関係が良好になるか否かは、「顔合わせ会」で10割決まる

結婚することをふたりで決めて、両家の顔合わせをすると思います。

ここで、もう関係が決まります。

そんな馬鹿な、と思うでしょう?私たちの場合は、思えばもうここですでに、終了が決定しました。笑

両親は典型的な古風な親で、形式にこだわるタイプ。偏差値や学歴や会社のランクなど、くだらないことを気にするので、顔合わせでも完璧な手土産と完璧な自己紹介をしようと準備してきたようでした。

妻のご両親は、自由奔放なタイプで、贈り物などは気持ちが伝わればいい、という感覚なので、手土産は在りものや価値があるもので本当におススメの物を渡せばいい、と言葉を選ばずに言えば「実家に帰省して帰りに渡されるような物」を準備してきました。私は、妻の好きなことや家族構成などを身上書にして提出しました。

顔を合わせた時点で、交換した手土産を見て、自分の両親の表情が凍るのを感じました。

義理のご両親は、一度開封した跡がある塗り物と、そのへんのスーパーで買ったような地産の飲み物を紙袋に入れていたのです。

想定外でした。

後悔しました。私も家の常識に染まっていたので、まさか義両親がそんな手土産で現れるとは思っていませんでした。当然百貨店で購入した菓子折りなどを持参するものだとばかり思っていました。事前に妻に「両親はこんな面倒くさい人だから、手土産はこういうものが好きで、こういう話題を好む」という情報を共有しておくべきでした。そうすればそのように準備してくれていたことでしょう。

顔が凍り付いた両親は、そのままぎこちなくやり取りをして、その夜「なんて言う家と結婚するんだ」と失礼なことを言いながら泣いて抗議の電話をしてきたため、私と大喧嘩になりました。

その様子を見られてはいけなかったのに、妻にみられてしまい、妻がその出来事以来「私の両親を否定した人たち」と私の両親を敵視するようになるきっかけを作ってしまいました。

ここで得るべき教訓は、「ここまでは話さなくてもいいかな、と思うくらい綿密な情報共有」をすべきであるということです。

最初は両家とも仲良くしたいと思っているものです。その気持ちを無駄にしないためにも、取引先に対してそうであるように、5W1Hを原理原則として妻とよく情報を交換しておきましょう。

何を大事にするタイプなのか?(清潔感・社会的地位・年齢など)これだけはやってはいけないこと・話してはいけないことはないか?どのようなものを好み、どのような趣味があるのか?手土産には何を好み、どこで買えばいいのか?

最後の手土産の好みや購入場所まで共有しておけばよかった、と今は思います。

③結婚式場は両家の親族が足を運びやすい場所、かつ妻の友人が来れる場所で

式場選びにも落とし穴があります。

結婚式場を選ぶ場合は、基本的に親族が足を運びやすい場所を想定するでしょう。特に転勤族の男性は、地元から離れて就職してフィアンセに出会うことが多いため、特にお互いの地元の中間地点や、交通アクセスが良く集まりやすい東京・大阪・神戸などになることが多いと思います。

親離れができていない親は、子供の結婚式にこだわります。特に長男教に洗脳されている親は、「男親の家を立てるもの」などどいう古風な考えに縛られて、こちらにこちらに、と場所を誘導しようとしてきます。

あなたの親がそのようなアプローチをしてきたら、両家の親族が足を運びやすい場所にしたいからよく検討する、などと答えて躱して、「妻が選ぶ式場希望地の候補」から最も有力な場所を式場にしましょう。

その際、妻の友人がたくさん来てくれる場所にしましょう。主役は最愛の妻です。あなたやあなたの両親ではないのです。結婚式はあなたの大切な奥さんのもの、ということをよく肝に銘じておきましょう。そうすればおのずと、主役の幸せを喜んでくれるキャストが大勢来てくれる場所が、式場として最適であるということが分かりますよね。

その前提条件のうえで、自分の両親や親せきが足を運べる場所かどうかを判断しましょう。

自分の両親や親族には、遠方になったとしても、前夜祭ができるように良い店を数軒押さえて両親に接待させておけばよいのです。

絶対的に大切にすべきは妻側の人間です。収入が少なく旅費が出せないなら、浅学負担してでも妻に心残りがないように企画しましょう。ここでケチっても一生後悔するだけです。糸目はつけないようにしましょう。

まとめ:結婚は、あなたと大切な人で決めましょう

親とはなんでしょうか。親は子供の幸せを望む生き物です。子供の幸せは、子供にしかわかません。親が「この人のほうがいいのに」「こんな不安定な男で大丈夫なのか」といくら気をもんだとしても、子供が選んだ相手が最も子供が幸せになれると確信した相手なのです。

つまり、子供のあなたが選んだ彼女が、妻になるべき人であり、それは親だろうが何だろうが誰にも指図できないことなのです。

あなたしか、あなた自身の結婚相手を決めることはできない。

あなたしか、あなた自身の人生を決めることはできない。

選んだ最愛の結婚相手が最高に喜んでくれる状況を作ることが、旦那になる男の使命です。

決して、親の満足のいく常識的に間違っていない式を執り行うことではありません。

私のように、実家関係のイベントが起こるたびに下血したり蕁麻疹に見舞われたり食欲不振で1週間で体重が5kg減ったりすることになりたくなければ、ぜひ今回紹介した3つのポイントを守ってください。

では、また!

【社会福祉士】介護保険制度の成り立ちと現在の状況って?

介護保険制度の創設の経緯は、1997年の介護保険法制定以前にさかのぼる。介護保険で高齢者介護および高齢者の自立支援をサポートする体制を整えるために発足した介護保険制度だが、逆に言えば、創設される以前の措置制度としてのあり方が高齢化社会を支えるという観点で限界を迎えたのである。

 

以前は、老人福祉法と老人保険法がルール

介護保険制度が創設されるまえは、老人福祉法の基づく措置制度と、老人保健法に基づく看護や介護の提供の2つが存在していた。しかし、措置制度はすべての高齢者に提供するには財源が十分でなく、サービスに対する偏見、所得開示の義務による抵抗感、当事者(高齢者本人)の選択能力不足などの問題点があった。老人保健制度の保健医療サービスとしての介護サービスの提供は、人員と生活環境への配慮の観点から一定の限界を有しており、今後高齢者が増加することを想像すると機能不全に陥る可能性が高かった。

 

ゴールドプラン策定から介護保険制度成立へ

このため、1989年にゴールドプランが策定され、福祉サービスの計画的整備が推進された。1990年の福祉八法改正により市町村に権限が委譲されたため、介護保険制度の実施主体として位置づけられる基盤が整備されはじめた。1994年、新ゴールドプランが策定され、介護保険制度創設のための検討が本格的に開始された。社会保険方式の介護システムを採用したのは、負担と給付の対応関係を明確にすることで、介護サービス負担増を国民に受け入れやすくしたかったという狙い、保険料の見返りとしての介護サービスという位置づけで真理的な抵抗感無くサービスを利用できるという狙いの2つが理由である。

こうして介護保険制度が成立し展開された。急激な介護給付費の増加にともなう保険料負担と公費負担の増加に対応するため、要支援の認定を受けた被保険者に対して介護予防を手厚くする制度改正が2005年の介護保険法改正で実施された。2011年には医療ニーズの高い高齢者や単身・高齢者のみの世帯の増加に対応すべく、地域包括ケアの推進、定期巡回・随時対応型サービスや複合型サービス(現:看護小規模多機能型居宅介護)の創設などを主とした改正を実施した。財政状況とニーズに応じて時代とともに形を変えながら今日まで介護保険制度は運営されてきた。

 

介護保険制度の概要まとめ

そんな介護保険制度の概要は以下のとおりである。

目的は、要介護状態になった高齢者に必要な介護サービスを提供し、それぞれの能力に応じて自立した日常生活を営むことができるようにすることである。

保険者は市町村および特別区である。被保険者に対して保険料を徴収し、要介護認定を行い給付額を決定し、介護保険事業計画を策定してサービス供給を確保する役割を担っている。被

保険者は第1号と第2号に分かれる。

第1号被保険者は65歳以上、第2号被保険者は40歳以上65歳未満の加齢に伴う一定の疾病により要介護状態となった医療保険加入者が対象である。

原則年金から天引きされ徴収された保険料が50%、残り50%は税金でまかなわれており、1割負担でサービスを利用できる。

要介護度・要支援度により支給限度額が異なる。要支援は1~2まであり、要介護は1~5まである。それぞれ数字が小さければ小さいほど自立状態が良好という扱いになる。

 

介護保険制度をめぐる最新の動向(2019年)

2014年、医療介護総合確保推進法に基づいて介護保険法が改正され、地域包括ケアシステムの実現に向けて医療と介護の連携の強化やサービスの質の向上を目的とした制度の見直しがなされた。こうした介護保険制度をめぐる最新の動向を整理したい。

まず、介護サービスの質の確保である。介護保険料の不正請求などの問題を受けて、指定の取り消し権限を行政に与え、指定取り消しを受けた者は別の自治体で指定を受けたりすぐに指定申請をできないよう規制することで、民間事業者に対して規制監督が強化された。ケアマネジメントの質を向上するためケアマネージャーの資格更新制を導入した。介護サービスの情報公開制度を導入し、透明性の確保を目指した。またサービスの拡充として地域密着型サービスが追加された。

そして、介護予防と地域支援事業である。2005年の介護保険法改正で要支援の認定を受けた保険者への介護予防事業が導入され実施されてきた。2014年の改正で「介護予防・日常生活支援総合事業」が、従来の介護予防訪問介護、介護予防通所訪問介護だけでなく、多様なサービスを受けられることを目的として新設された。しかし松山市が平成29年4月からスタートしたサービスには、要支援1・2と認定された人および事業対象者が利用できる「訪問型サービス」と「通所型サービス」のみである。基本チェックリストの項目で該当基準を満たしていて届出を出すと利用できるようになっている。このように、新総合事業の難点は、市町村の財政やボランティアやNPOなどの協力体制によりサービスの質の格差が生まれることである。どう地域にあわせて資源を確保し展開していくかが今後の大きな課題である。

【社会福祉士】高齢者を取り巻く環境の変化と今後の高齢者福祉における課題

高齢者を取り巻く環境は、特に第2次世界大戦後高齢者保険福祉制度の発展を期に加速していった。

国民皆保険制度がスタートし、老人福祉法が制定された。医療の面でも老人保健法が昭和57年に制定され、その後時代背景に沿って、調整と拡充がなされていった。

高齢者を守る様々な制度や法律

高齢者の尊厳を守るために、まずは法律が歴史的に整備されてきた。老人福祉法、高齢者の医療の確保に関する法律、高齢者虐待防止法、権利擁護と成年後見制度などがあげられる。

高齢者を支援する組織も整備されつつある。

指定サービス業者は、介護保険法に基づき都道府県か市町村の指定を受けた事業者である。

国保連は国民健康保険法第83条に基づき各都道府県に1団体ずつ設立されている。

地域包括支援センターは、介護保険法に基づき、市町村か市町村から包括的支援事業委託を受けた法人によって運営される。地域住民の心身の健康の保持および生活の安定のために必要な援助を行い、地域住民の保健医療の工場および福祉の増進を包括的に支援することを目的とする。

社会福祉協議会は、すべての市町村、都道府県、全国段階に設置されており、知己福祉の推進を図ることを目的とする団体として、福祉コミュニティつくりと地域福祉の推進を使命とする俊樹である。

ボランティアやNPOも無償・非営利の有志団体として社会サービスを提供する組織として活躍している。

なぜ高齢者の幸せを大切にするべきなのか?

人生のモデルとして高齢者は社会において重要な存在である。なぜなら若者は将来の自分自身を高齢者の現状に重ねて見るからである。

高齢者福祉はの重要な課題は、科学の発展に伴って人類が昔から望んできた平均寿命の伸びという成果を、社会が肯定するか否定するかに密接に関わる点である。

高齢者が元気であれば、社会全体が活性化する。逆に、高齢者が生きがいをなくし、早くお迎えが来てほしいという暗い余生を送っている姿は、社会全体に暗い影響を与える。介護に関する社会的負担感も増大する。

ソーシャルワーカーは、高齢者の幸せと尊厳を尊重し、ご本人らしい幸せな生涯を送る選択ができるよう社会福祉がサポートできるよう施策やサービスがもつ良好な機能を生かすためのたゆまぬ努力をしていかなければならない。ソーシャルワーカーのそのような活動が、担当する地域だけにとどまらず、ひいては社会全体を幸せにすることに繋がっていくからである。

目下、現代の日本においては少子高齢化が進み、自治体単位での地域包括ケアシステムを形成して病院や施設ではなく、住み慣れた地域や在宅での看取りを目指してケアしていく方向性にシフトしている。

今後特に解決すべき高齢者福祉の課題とは?

その実現に対して、特に医療介護の面で、今後の高齢者福祉における課題は山積されていると考えられる。

まずは、健康な全身状態を維持するための口腔ケア・排泄ケアである。医科歯科連携が進んでいる地域においては、医師と歯科医が緊密に連携できるよう市町村単位で連携スキームが整えられ、口腔ケアの重要性と在宅での訪問診療ケアを勧めている。食べる、という行為は非常に重要であり、食べられない口内環境は拒食や拒薬を招き、全身状態悪化を促進させてしまい、QOLの低下につながる。住み慣れた地域で元気に暮らすためには、自分の歯で食べる喜びを長く維持してあげられるケアが必要である。

また、排泄ケアも同様に重要である。介護者が適切なケアがしてあげられないと、湿気がこもり湿疹や褥そうができ、QOLは著しく低下する。介護負担も大きいことから、薬剤の見直しを含めたオーダーメイドのケアが必要である。この点で精通している医療従事者と介護職員はまだまだ足りないといわれている。

最後に、増える認知症に対する正しい理解とケアの浸透である。認知症は進行するとうつ病や統合失調症と鑑別がしづらく、ご本人とコミュニケーションが取れないことに対して苛立ち、対応を間違えてしまいがちである。このすれ違いにより、ご自宅での介護で問題が発生し、介護負担の増大と介護対象の高齢者の異常行動に拍車がかかり、手に負えなくなるケースが散見される。近時記憶障害のために同じことを聞いてきたり、不安感から物盗られ妄想を呈して介護者に怒りをぶつけるなど、正しい知識がなければ困惑する場面に多数出くわすこととなる。このことに対して怒り返してしまうと、本人は近時記憶としては忘れても、怒りをぶつけられた感情は覚えていて、本来助けてくれている介護者に対して敵対心をもってしまうという悲しい結果になってしまう。

認知症は、終末期ケアにおいても、しばしば看取りがご家族に委ねられ、病院と自宅とで揺れ動くご家族の気持ちに寄り添い、ケアしていく必要がある。夜間の呼び出しや信頼関係構築など、ソーシャルワーカーにとってハードな調整を求められる重要な課題である。

【社会福祉士】地域福祉における住民参加の意義と課題

なぜ地域福祉に住民が参加しなくてはいけないのか?

地域福祉において住民参加が重要な理由は、地域福祉が住民の市民的な主体性を促進し、さらにその住民は地域福祉を促進するという相関関係にあり、機能を維持し持続的に発展するためには、お互いに無くてはならない存在だからである。

時代背景の変化に伴い常に新たなニーズが発生するなかで状況に対応していかなければならない場合、制度福祉の整備に先立って、地域に暮らしている住民と専門職の両方の自発的な行動が組み合わさってはじめて、先駆的・開発的にニーズ充足を具現化することが可能になるからである。

行政とともに個別化する社会福祉ニーズに対応すべき時代へ

社会福祉行政においても、個別化する各市町村のあり方に対応するべく、時代の流れは中央集権から地方分権に移行している。

具体的には、1990年の福祉関係八法の改正、2000年の社会福祉法改正である。

第107条において市町村が地域福祉計画を策定することが規定されている。市町村の社会福祉行政において各種の福祉計画を策定していくうえで住民との連携や協働が重要なテーマとなるし、福祉課題を抱えた個々の住民の支援過程においても住民参加型の福祉活動との連携・協働・ネットワーク化が課題になる。地域福祉が住民参加なくして成り立たない理由はここにもある。

行政側だけではなく、住民側としても収めている税金を必要なサービスに必要なだけ適切に運用してもらうために、必要なサービスを自発的に行政に対して提案する主体性を発揮する権利があることを忘れてはならない。

私たちソーシャルワーカーがクライエントの自己実現のために必要であるならば持ち合わせるべきアグレッシブさ、つまり地方政治家・地区社会福祉協議会に住民と協力して働きかけ困っている人のために今必要なサービスを実現する予算を勝ち取るという積極的介入にも、住民参加が不可欠である。

アーンスタインの「市民参加の梯子」理論

地域福祉における住民参加の議論では、アーンスタインの「市民参加の梯子」理論が引用される。

アーンスタインは住民参加には操り、治療(セラピー)、情報提供、相談、慰め、パートナーシップ(協働)、権力の委任、市民統治、の8段階があるとしている。

操り、治療の段階では参加とはいえず、情報提供、相談、慰めの段階は表面的な参加、パートナーシップから市民統治の段階を市民権力(または自治、参画)と定義している。

近年求められている住民参加の段階は、3番目の自治や参画のレベルであり、上野谷加代子氏が協働の3つのレベルのうち最も高い3つめの自治体の政策にコミットしていく「協働」の場を形成していくことの必要性を述べているし、武川正吾氏がいうように住民参加のフロンティアは常に拡大していることから、住民参加の意義は、現代の社会福祉の発展段階において大変大きく必要不可欠なものになっているといえる。

住民参加を促進する「つながり」

住民参加を促進させる方法は、さまざまである。

個人的に仕事柄参加していて有効だと感じたのは、地域のお年寄りを支えるグループホームを運営する医療法人・社会福祉法人が開催する年1回の地域住民参加型のイベント開催である。楽しい雰囲気を醸成することにより、家族連れからお年寄りまでさまざまな年代の地域住民が集合し、交流する場を提供することができる。この交流を通じて、グループホームを中心として地域のお年寄りに携わるスタッフと顔の見える関係ができ、相談しやすくなり、意見を交換しやすくなることで、参加の障壁を下げることができているのではないか、と考えられる。

特に脳血管性認知症や大腿骨近位部骨折により突如要介護状態になった場合、介護の当事者になったそのときに、サポートにつながる具体的なイメージが描けるかどうかは非常に重要である。課題としては、運営側に参加してくれる地域住民を増やすことである。

地域で生きている、お世話になって生きている、という感覚を主体的に持ち行動に移すことは、希薄化したこの現代社会の地域のつながりにおいて非常に実現が難しいことである。

今後この課題を解決する鍵になるのは、認知症カフェや障がい者家族会にみられるようなグループセラピーにおける精神的な繋がりの強さであると考える。地域福祉に見出しにくいここまでの強いつながりの背景には、「同じ苦しみを共有している」という共感の基盤となる仲間意識がある。「実は同じことで悩んでいたのか」という救済にも似た気づきと安らぎを得られる関係性の構築を実現することは、疾病に限らず地域福祉においても可能性がある。たとえば、地域住民なら自由に休憩でき、託児所と高齢者介護施設を兼ね備えているような共有施設・共有スペースを提案したい。

様々な世代が気軽に行き来できるため、子育ての悩みから介護の悩みまで今まで孤立化の原因だった「悩み」を逆に共通基盤にして他者を身近にしていく取り組みが有効ではないか、と考える。

【社会福祉士】相談援助展開の8つのステップ

相談援助の展開過程は、8過程である。

ニーズキャッチ、インテーク、アセスメント、プランニング、インターベンション、モニタリング、エヴァリュエーション、ターミネーション、である。

①ニーズキャッチ

ニーズキャッチは、アウトリーチ等により利用者の顕在・潜在ニーズ両方を発掘する行動である。

現代では生活問題が複雑化・多層化しており、SOSを出せない、窓口に行くことができない人が増えている。支援の入り口を創るためには、待ちの支援では予防的介入・早期介入が難しい。一見すると目に見えにくい問題を想像して、引きこもりや路上生活者や高齢者や若者に自ら出会いに行き声をかけることで、支援が届けることができない人たちに出会う努力をしなくてはならない。

②インテーク

インテークは、面接であり、相談援助の最初の手段として行われることである。

実務者によるとまずは「今日ご飯食べた?おなか空いてない?」と開始されることが多いという。留意点として、相談者はアウトリーチしたときには限界状態で、何日も食事を取っていなかったり寝ていなかったりして、正確に話ができない状況である点を念頭におくべきである。本人、家族、環境、地域、社会資源、社会参加などの状況を幅広く入手し、マッピング技法などを用いて情報を視覚化する。そのうえで解決すべきニーズや希望を明らかにし、その目的に応じた具体的な支援の目標を設定する方向に検討の方向性を向けていく。この場合特に注意するべきは、本人が主訴として訴えている問題や要望がニーズとは限らないという点である。本当に解決したい問題なのは何なのか?突き詰めて考え明らかにする必要がある。

③プランニング

プランニングは、支援計画立案である。短期・中期・長期の目標設定をし、目標ごとに具体的な支援内容と方法をブレークダウンして設定する。

期間や頻度を数値化し、クライエントと共有して設定する。あくまでもクライエントが自己実現を可能にするために自ら自発的に達成したい目標に対して、我々ソーシャルワーカーはエンパワメントの考え方で寄り添うのであり、クライエントが寄りかかって生きていくような状況を創ってはならない。また、クライエントに対してのリスペクトを忘れ、専門家としての自負に目を眩まされ手段を強硬的に推し進めてしまうような事もあってはならない。あくまで本人が人生をより良く生きるためのサポートであると肝に銘じるべきである。

④インターベンション

インターベンションは、実際の支援開始・介入をさす。

介入には、直接的介入と間接的介入とがあり、直接的介入はクライエントに、間接的介入は、クライエント以外の環境や社会資源への働きかけである。個人情報の取り扱いには十分に注意を払い、守秘義務を遵守する。それを前提として、さまざまな多職種・異業種のメンバーに働きかけ、柔軟に不屈の精神で問題の介入に取り組んでいく。1件1件の事例のみのミクロにとらわれず、マクロへのインターベンションも忘れてはならない。地方行政や地元政治家に地域福祉の問題解決の提案や訴えを行い社会の変革へのアウトリーチを断続的に行っていくなど、資源が無いなら創るといった抜本的な改革も視野に入れてソーシャルワーカーは声をあげていくべきだと考えられている。

⑤モニタリング

モニタリングは、支援経過の観察である。

プランニングで設定した目標と照らし合わせて現在の支援状況、満足度や充足度、新たな課題やニーズなどを再検討し、必要に応じて再アセスメント、つまりもう一度プランニングを修正加筆していく。

⑥エヴァリュエーション

エヴァリュエーションは、支援の事後評価である。支援目標に対して達成できたか、できなかったか、どの程度達成できたか、インターベンションが適切だったか、支援前と支援後ではクライエントと周辺環境とで何が変化したのか、振り返り評価する。

⑦ターミネーション

ターミネーションは、支援の終結と効果測定である。

つまりクライエントへの支援を終える、ということであり、クライエントが不安を抱かないように段階的に行う必要があること、再利用について受け入れ準備があることや、再度相談する場合に抵抗がないよう配慮して窓口情報を提供すること、の2点に特に留意すべきである。問題が解決された、あるいはもうクライエントが問題は残るものの水から対応できる、という状況がクライエントと援助者双方で共通認識が持てている場合、終結となる。

ソーシャルワーカーとしてひとつのケースが終結した場合、ケースを振り返り客観的に評価して、援助者としての支援の質の向上に継続的に取り組むことで、同室の問題を抱えたクライエントを支援をする場合によりベターな支援はなんだったのか、今までよりもさらに妥当性や適切さをもって支援活動できる基盤となる。また、客観的な効果判定はクライエントや社会忍耐する説明責任を果たす上で非常に重要である。

【社会福祉士】ソーシャルワークの歴史的な形成過程

ソーシャルワークの形成過程は、産業革命の諸問題に端を発する。

貧困が最も重大な問題のひとつとして認識され、社会調査が行われた結果、個人に問題があるのではなく、経済活動を優先する社会が貧困を生み出していることが明らかになった。このことから、ソーシャルワークの源流が生まれた。

COS(慈善組織協会)発足からの「基礎確立期」

COS(慈善組織協会)が発足する。組織化された慈善事業は、友人として対等な立場に立って積極的に接点を持つというアプローチを実践した。これはやがてケースワークの発展に寄与することとなる。

セツルメント運動も社会的弱者の立場を身を持って経験することで社会福祉の向上を図ろうとする事業の展開として発足した。

この活動の特徴は、子供たちや移民や労働の問題に、グループの力を使ってアプローチした点にあり、グループワークやレクリエーション療法に発展する源流となっている。YMCAやYWCA、ボーイスカウトやガールスカウトなどの青少年団体等の活動も、グループワーク・コミュニティーワークへと発展していった。

「基礎確立期」はケースワークの確立を特徴とする。COSの活動はアメリカに広がる。この時代にケースワークはCOSの友愛訪問から脱却し科学的かつ客観的な観点から支援を考える方法として体系化されていった。ソーシャルワークは慈善事業から専門職への進化に向かう。ミルフォード会議によって「専門化」「ひとつの専門職としてまとまり」をもつ活動に発展していく。また、ソーシャルワークほどではないが、この時代、グループワーク・コミュニティワークにも専門化の兆しが現れている。ソーシャルワーカーたちが集まる会議においても問題中心であった会議から技術中心の会議への変化が見られた。

グループワークが取り入れられ始めた「発展期」

第二次世界大戦でさまざまな形で分断され脆弱化した家庭基盤に求められ、ソーシャルワークはその要求にこたえるべく「発展期」を迎える。この時代に最も特徴となる発展は、グループワークの形成である。コイルやニューステッターらにより、グループワークが学問として教育されたり、全国ソーシャルワークグループ会議において議論されるようになり、地域社会のニーズに応える組織化された住民参加型インターグループワークの理論を確立するに至る。以前から地域における援助活動の展開が重要視されてきたが、特に第二次世界大戦後、コミュニティの自己決定やコミュニティ構成による具体的成果が求められる時代的背景の求めにより、専門職としての業務遂行能力や基盤となる理論が必要となった。

技術主義的在り方からの脱却=「展開期」

1950年代半ばから、ソーシャルワークは展開期を迎える。それは、失業や貧困だけでなく、さまざまな社会問題の出現とその解決が求められ、社会変革を必要とした時代背景が大きく起因している。パールマンにより、かつて対立関係にあった診断主義と機能主義の折衷を図った「問題解決アプローチ」が提唱された。生活上の困難は個人の病理などが原因ではなく、当たり前に生じる問題であり、問題の解決に取り組み続けることが人間が生きる過程であるという見方を示した。クライエント自身が、ワーカーとの関係のなかで自発的に機能を活用しながら問題解決に向けて進んでいく過程を形成する支援がケースワークであると定義した。この時代において、技術主義的なあり方に傾倒してしまっていたケースワークは、当時の社会的な問題に対応できなかったことから厳しい批判にさらされ、パールマンの論文である「ケースワークは死んだ」にもあるように、広範囲の社会計画や制度の変革が必要であるとして、「社会的要因」への視点を取り戻していく。クライエントの立場に立ち、制度や施策を含めた社会資源の開発や改善など大きな枠での改善を目指す活動を重要視し実践する活動へと方法論・技術として発展していくのである。

ソーシャルワークの統合化(人+状況+関係の在り方全体)

現代につながる最後の系譜として、ソーシャルワークの統合化とジェネラリストアプローチの成立に我々はたどりつく。この流れは、現代ソーシャルワークの特質を反映するものである。今までそれぞれに専門化・発展してきたソーシャルワーク・グループワーク・コミュニティワークの共通基盤を明らかにして、一体化して捉えようとする一連の流れが、ソーシャルワークの統一化である。1955年にNASWが結成されたのを契機として統合化への動きに一気に弾みがつき、コンビネーションアプローチ、マルチメソッドアプローチ、ジェネラリストアプローチを経て、ジェネラリスト・ソーシャルワークへ展開していく。ソーシャルワークは、人のみでなく、また状況のみでもなく、その関係のあり方全体に焦点を当てて、クライエントと環境との双方に働きかけて「関係のあり方」を変えるという相互作用への専門的介入であるという論点に至る。