【依存症】依存症を打ち明けてみて感じる「スティグマ」の話

今年に入って決意していることがあります。

それは「私はアルコール依存症である」という事実を、仕事上の関係でも隠さず公表していく、ということです。

今までは会社から、要約すると「依存症だ、などと言われたら会社のイメージダウンに繋がるから隠しておいてほしい」と言われたので、それに従っていましたが、それもおかしな話ですよね?

今回はそういう「スティグマ」について考えてみたいと思います。

 

「スティグマ」とはなにか?

個人のもつある属性(ここでは、薬物依存症・アルコール依存症などの物質使用障害とします)によって、いわれのない差別や偏見の対象となることです。

語源は、ギリシャ語で肉体上の徴(しるし)を意味し、ギリシャ人が、差別対象となる奴隷や犯罪者の身体に烙印(stigma)を押したことに由来しています。

つまり、薬物依存症やアルコール依存症という『属性』に対して、いわれのない差別や偏見を押し付け、勝手にラベリングすることです。

いわれのない、というところが重要で、依存症に対して正しい知識がない状態で、個人の間違ったイメージや「法律的に犯罪かどうか」などの一部の切り口で語られる、というところが特に問題だと感じます。

 

医師ですら、専門医以外はほぼ正しい知識を持っていない事実

私は仕事上、医師に面会してお話をするのですが、「私はアルコール依存症で、治療しながら仕事をしています」という話をすると、実に反応は様々です。

様々な人から言われたことをそのまま箇条書きにすると以下のようにばらつきがありました。

・依存症からの回復は本当に難しいと聞くのに、やめられているなんてすごい。

・ああ、社会不安障害の気があるんだね君は。(その後距離を取り見下すようになる)

・同じように酒で失敗している友人がいるよ。気にしすぎなんじゃないかな。

・みんなアルコール依存症みたいなものだから。

・そんなことは君の価値を下げるから、あまり大っぴらに言わないほうがいい。

・でも覚醒剤とかとは違うから、お酒でよかったね。

・アルコール依存症だったら、止められずに仕事もできず、今頃ダメになっているはずだ。だから、依存症じゃないんじゃないか?

一番最初以外は、全て間違いです。

驚くべきことに、これらはすべて精神科医から聞いた言葉です。

すごく悲しくなりました。

こんなん言われたらせっかくやめてるのに再飲酒しちゃうよ、っていうようなことばっかり言われました。笑 ほんと終わってます。

医療の専門家なら、しかもメンタルの専門家なら、わかってくれるのではないかと思って打ち明けた結果がこれです。涙が止まりません。

メンタルの専門家でありながら、依存症という病気については何一つ理解していないことがよくわかりました。

(しかしまあ、それでも医師に対する啓発という意味と、自分自身のありのままを認めるという意味で、今後もあけっぴろげに堂々と公表して生きていきたいと思います。)

 

ここで一度整理しておきたいのは、私は医師を基本的に尊敬しているということです。

あんなつまらんやりたくもない勉強を頑張り、研修医としてただ働き同然の厳しい環境の中で脱落せずやり抜き、それもこれも命を救うという尊い仕事に就くため、という点で、医師になるような人を心から尊敬しています。

医師になっても年収は確かに多いですが、土日もないほど忙しかったり、学会に課金しないといけなかったり、結構QOLは低い職業だと私は思っています。名誉欲や金銭欲だけではなかなかそんな過酷な職業を続けることは困難なので、どんな医師にも少なからず道義心や奉仕の精神があると信じています。

 

そんな尊敬すべき専門家であるはずの人々ですら、この体たらくということは、世間一般に普及している依存症に対する「常識」がいかに不確かなものか、想像に難くないのではないでしょうか?

 

まず国が対策に失敗し「スティグマ」が生まれた

わが国は、薬物依存対策に失敗してしまいました。

厚労省の麻薬対策課がはじめた、「薬物、ダメ、絶対」啓発活動です。

「覚せい剤止めますか?それとも人間やめますか?」

誰もが、これを一度は聞いたことがあるでしょう。この薬物乱用防止教育は大失敗しました。

なぜなら、一度使ってしまった人に対して「人間ではない」という烙印を押し、基本的人権を侵害してしまったからです。

このようなスティグマを植え付けられた子供たちは、うっかり手を出してしまったが最後、誰にも相談できなくなります。言ったら「じゃあお前は人間じゃない」言われるからです。隠しますよそりゃ。依存症は回復できる病気であるにもかかわらず、「手を出してしまったとしても回復する手立てがある」ということを知らされずに、「人間ではない」とレッテルを張られるのが恐ろしいので、誰も言い出せなくしただけだけでした。

依存症者が少ないのは、ダメ絶対活動が功を奏したからだ、とする考えがありますが、日本では聞き取り調査しかしていないので、海外と比べて科学的ではありません。聞き取りをして、こんな人間じゃない扱いをされると知っているのに、正直に答える人がどれだけいるでしょうか。

違法薬物を締め付ける一方で、それ以上に有害なエチルアルコール(酒)にはすこぶる甘いのが、この日本という国です。

合法なもの(酒・処方薬・市販薬)へ依存対象が流れただけで、根本的な依存症に対する対策が行われていないからこそ、この国では根本的な解決がいまだになされていません。

 

この監麻課の「ダメ。ゼッタイ。普及運動」の問題点は、一次予防(病気にならない、未然に防ぐ)を強調し続けてきたばかりに、その弊害の方が大きくなってきているにも関わらず、その見直しがなされないことである。というよりも今回、監麻課との面会が実現してわかったことは、監麻課は二次予防(早期発見・介入、病気をくい止める)、三次予防(再発予防)の知識や配慮など全く持っていないという驚愕の事実であった。

予防医学では、もちろん一次予防の病気にならないような対策は大切ではあるが、どんなに気をつけていても病気に罹患する人はいる。そのために早期発見・早期介入を実現し、治療法を確立したり、人材を育成していく、そして再発防止の措置を講じ、社会復帰をしていく、という考えがとられている。

例えばこれが糖尿病だったら、「カロリーコントロールと適度な運動」という誰でも知っていることが一次予防。けれども必ず罹患する人はいるわけで、健康診断などが二次予防そして、早期介入、早期治療を実現し、その後、カロリー指導や場合によってはリハビリなどを受けながら社会復帰をしていくことが三次予防である。

いくら違法薬物が日本では犯罪扱いだからといって、監麻課のように一次予防だけを強調し、あとは「破滅」などとスティグマを強化していくやり方は、予防医学の点からも、健康障害を抱えた若者を救う観点からも考えられないし、管轄官庁としてあまりに無責任である。

出所:「国際薬物乱用・不正取引防止デー」厚労省への要望書

 

厚労省の「麻薬対策課」がいかに無責任で無知かがよくわかります。

 

一方で、厚労省の「依存症対策推進室」は優秀です。

以下のような、依存症についてとても理解が深まる啓発漫画を監修しています。

来月、書籍化されるほど高い評価を得ていて、依存症の専門家たちが監修に携わっています。依存症に関わるひとも、そうでないひとも、必読です。

 

「スティグマ」が2次予防・3次予防を妨げる

依存症は、『回復できる病気』です。

一度手を出したら人間をやめないといけないような、夢も希望もないものじゃありません。

依存症になっても、依存するもの以外に、仲間との繋がりや他の楽しみがあるような、幸せな環境があれば、やめられます。

これが真実です。ダメ絶対は間違いです。

それなのに、一度依存症になった人をまるで『ひとでなし』のように差別するように仕向けられ、みな間違った常識をもってしまったがために、依存症の人が生きにくい、仲間とのつながりや他の楽しみを見出しにくい、幸せじゃない環境をつくっています。

それが、薬物依存やアルコール依存から回復しようとする足を引っ張ります。

依存症は、依存症その人のみの病気ではない。その人がダメでだらしないからなる病気ではない。社会全体の生きづらさがまねく「社会がかかっている病気」だということもできるかもしれません。

社会が生きづらいがために、回復できず、また依存症になっても他人に助けを求められなくて、今なお苦しみ続けている人々を救うことができずにいます。

この状態を解決する唯一の方法は、社会を構成する全員が依存症に対して正しい知識を持ち、差別するのではなく、一度間違ってしまっても回復できる社会を共に創り上げることだけではないでしょうか。

私は依存症ではないから関係ない?いえいえ、当事者でない人など、この社会に属して生きている限り、この世のどこにもいないのです。

(ラットパーク実験そのものが、どんなものだったか、詳細を知りたい方は以下ご参照ください。)

サイモン・フレーザー大学の研究者ブルース・アレグサンダー博士は、従来の薬物依存に関する研究は、マウスを狭いケージに閉じ込めて実験が行われている点に着目、普段とは異なる生活環境下に置かれる影響度について考慮されていないとして実験結果に疑問を呈します。そして、1980年、アレクサンダー博士は「薬物中毒は外部的要因(生活環境)が原因で引き起こされる」という仮説を立て、これを実証するために「ラットパーク」と呼ばれる実験を行います。

ラットパーク実験では、従来型の狭苦しく孤独な環境を再現した18×25×18cmのワイヤーメッシュの「植民地」と名付けられたケージと、8.8平方メートルという通常のケージの約200倍もの広さを与えたラットパークを用意し、それぞれの環境にマウスを置いて比較実験をしました。ラットパークの壁はネズミが普段生活する草原の絵を描き、また地面には巣を作りやすい常緑樹のウッドチップを敷き詰め、さらにネズミが隠れたり遊んだりできる箱や缶を用意、またマウス同士が接触できるようにし交尾や子育てが可能な環境を与えることで、さながらネズミの”楽園”を実現しました。

アレクサンダー博士は、ネズミが甘い砂糖水を好み苦い水を嫌う性質があることを発見、苦味のあるモルヒネ水に砂糖を加えモルヒネと砂糖の比率を1日1日変えていきながら、ネズミがモルヒネ入り砂糖水を飲めるようになるのにかかった日数を測定しました。実験の結果、植民地ネズミは楽園ネズミより早い段階からモルヒネ砂糖水を飲み始めることが分かりました。また、その総量を比べると、植民地ネズミは楽園ネズミの19倍も多くのモルヒネ砂糖水を飲んだことも判明しました。

また、他のネズミとの接触の機会を断たれた植民地ネズミがモルヒネに酔う反応を示すのに対して、ラットパークで楽園を満喫するネズミは他のネズミと遊んだり、じゃれ合ったり、交尾したりすることが多く、モルヒネによって楽しい生活を邪魔されるのを拒絶するかのように、モルヒネ砂糖水をあまり飲まなくなります。

アレクサンダー博士は、モルヒネによる禁断症状についても実験しています。新たに植民地と楽園に導入されたネズミには、ほとんどの日をモルヒネ砂糖水だけ与えられるものの、ごくたまに普通の水とモルヒネ水を選択できる日が与えられました。選択可能日にネズミが選択した飲み物を比較すると、孤独な植民地ネズミはモルヒネ水を継続して選択したのに対して、楽園ネズミは普通の水を選択してモルヒネ水の摂取量を減らしました。異なる環境下に置かれたネズミは共にモルヒネの禁断症状を示したものの、そこでとる行動には違いがあることが判明しました。

さらにアレクサンダー博士は、57日間連続でモルヒネを与えられた植民地ネズミでもラットパークに移され普通の水とモルヒネ水の選択肢を与えられれば、普通の水を選ぶようになるという実験結果も得ています。

このような一連のラットパーク実験から、アレクサンダー教授は「薬物中毒は外部的要因(生活環境)が原因で引き起こされる」という自らの仮説が正しいことを確信します。

出所:薬物中毒の原因を生活環境にあると考えた「ラットパーク」実験とは?

 

まとめ:依存症になっても、同じ人間です

私は、アルコール依存症になり、会社を首になりかけましたし、頭を切ったり、歯を折ったり、実に様々な失敗をしてきました。

自殺しようと考えました。死んでしまいたいと思う日のほうが、生きていて楽しいと思う日より多い人生を過ごしてきました。

それでも、生きています。

お酒を止めて、働いています。

そして、幸せに生きていきたいと願っています。

皆さんと何が違うでしょうか?

精神科の先生と何が違うでしょうか?

同じ人間です。

同じなんですよ、依存症の人間も。

昨今ですら、芸能人の過剰な作品自粛といった「偏見」や「排除」といった問題がおきていますが、それは、自分の首を絞めていることと同じなのです。

私は関係ない?本当にそうですか?今後も一切関係ないでしょうか?

親が、夫が、妻が、子供が、孫が、友人が、同じ立場になったとき、一度失敗したことを一生罵られながら、叩かれて泣く姿を一生見なくてはいけないとしたら。

想像してみてください。

そんな社会をつくっているのは、他ならぬ我々ひとりひとりの「スティグマ」であり、スティグマがまだ生きていける人を社会的にも、物理的にも、殺しているのです。

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【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑨(承認を求めようとすること)

今回は、承認を求めようとすること について棚卸ししていきます。

 

承認を求めようとすること とはどんなもの?

 

■承認を求めようとすること■

機能不全の育ち方をしたので、わたしたちは承認されなかったり、批評されたりすることを恐れます。子どものとき、わたしたちは親や祖父母や兄弟姉妹や重要な他人から、愛と承認を受け取ることを絶望的に浴していました。わたしたちの大部分にとって、それらが得られたことは滅多になかったので、私たちは今も他人からの保証を求め続けています。しかしながらこの承認の欲求・必要が、自分の生き方や考え方を他人の欲求・必要に合わせるという、私たちのやり方に重大な影響を及ぼしています。私たちは、自分自身をどうやって愛し、承認したらいいか知らないので、自分をよいと感じるために他人からの補償を求めようとします。また他の人たちに自分を好きにさせるように振舞うかもしれません。この「外に焦点を合わせること」は、わたしたちが自分の欲するものや必要とするもの、自分の感情や欲求に気づくことを妨げます。わたしたちは、他人の反応を見てその人たちを楽しませるにはどうしなければならないかを推し量り、彼らの私たちに対する印象を管理しようと試みます。わたしたちはすべての人を楽しませようと努力し、他の人を傷つけたくないので自分自身にとって破壊的な関係にしばしば留まります。

他人からの承認に対する必要・要求があるとき、わたしたちは次のようであるかもしれません:

●人の機嫌を取る
●批評を恐れる
●自尊心を欠く
●自分を無価値に感じる
●自分自身の必要・欲求を無視する
●失敗を恐れる
●集中力を欠くこと
●身体的な不快

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「人の評価を気にしすぎてつらい」

いつも人と何かをするときには、息苦しさがありました。

今も正直、人と付き合うのは苦手でおっくうで、あまり楽しいと思えません。

 

何かをするときは、常に以下のような強迫観念で身を固くしがちです。

 

・失敗してはいけない。

・完璧にやらなくてはならない。

・結果を残さなくてはいけない。

・結果は人より優れていなくてはいけない。

 

人と付き合うときには、常に以下のような恐怖をともなう義務感があります。

 

・嫌われてはいけないし、できるだけ好きにならなくてはいけない。

・一度会ってしまったからこの人の個人情報を覚えなくてはならない(でないと失礼だから)。

・楽しませなくてはならない。

・自分のしたい話ばかりしてはいけない(相手の話を聞かなくてはならない)。

・また会いたいと思われる人物イメージ(明るい・知的・好感が持てる)でなくてはならない。

 

はじめの固定観念は「結果の評価」、2番目の義務感は「人としての評価」です。

なぜこのように、私は評価を気にするのでしょうか。

 

私は、「結果を残さなくては私に価値がない」と思っているからです。

私は、「本当の自分を見せたら嫌われる」と思っているからです。

 

それはなぜでしょうか。

それは、親との関係・幼少期の人付き合いにおいて、経験的にそう学んだからです。

 

承認してもらえなかった苦い経験

親は、私がうまくいったときにはとても喜びました。

私が失敗したり、他の子より劣った結果しか残せないとき、哀しみました。

「いいのよ、がんばったわね」と口では言いながら、顔と目は「なぜあなたは一番じゃないの?なんで負けてしまったの?」と言っているように感じました。私はその目を向けられるのが、すごく惨めで哀しい気持ちになるので、たまらなく嫌でした。

だから、結果を残して親に認めてもらいたい、親が喜ぶ顔が見たい、と思っていました。人に認められることが、正しいことで、良いことで、逆に言えばそうでなくては価値がない、と思い始めたのは物心がついて少し経った小学校の頃だったように思います。

私はそんなに運動神経が生まれ持って良いわけでもなく、抜群に頭がキレるわけでもありません。

それでも、クラブ活動や受験では他人と比較されますし、優秀な他の子の活躍をうらやましそうに見る両親の横顔を悔しさで唇を噛み締めながら、眺めていたような情景が思い浮かびます。

 

親は私を見ていないと感じました。

私が残す結果や社会的なステータスを見ていたと思います。

だから、私は寂しかった。

こっちを見て、と言いたかったのだと思います。

しかしそれは叶いませんでした。

 

奇しくも時を同じくして、幼稚園~小学校低学年にかけて、私は周囲の人間にも受け容れてはもらえませんでした。

 

独りで遊ぶことが好きだった私はよく保母さんや先生に「お友達と遊びなさい」と半ば強制的に好きなことを中断させられてやりたくもない集団行動のなかに投げ込まれ、ひどくストレスを感じていました。

 

「お友達」はそんな変わり者の私を嗤い、物をぶつけ、暴力を振るってきました。怒りを感じる瞬発力がなく、やり返すのが遅いため、少し経ってから何の前触れもなく復讐したりするので、よく私が加害者だと誤解され、叱責されました。タイムラインをよくわかってない他人から見れば、私が突如暴力を振るったように見えますからね。

 

「好かれなければならない」という生存戦略の行く末は

そんなわけで、私にとって他人は脅威でした。

いつ攻撃されるかわからない。反撃には賞味期限があり、攻撃されたら瞬時にしなくてはいけない。そしてそもそも、攻撃されないように、よく観察し行動を模倣して、うまく溶け込み、敵視されないようにしなくてはならない。

 

「好かれなくてはならない」=『「人としての評価」を高く保たなくてはならない』という思考にたどり着きました。

 

そこからは、作り笑顔の練習、声のかけ方や友人としての振舞い方、冗談の言い方、何が冗談と嫌味の境目なのかの見分け方、さりげなく嫌味を打ち返す即答話法、など、自分なりの処世術を行動心理学や人間観察を通じて学び、なんとか自分なりに集団に溶け込み合わせることができるようになった「つもり」でした。

 

しかし、やはりいつもまでも真似事では、違和感はぬぐえませんでしたし、何よりできたのは「知人」であって「友達」ではありませんでした。うまく騙せても、偽りの自分で接する限り、魂の触れ合いはありません。どうしても一定以上の距離には、近づくことも近づかせることもできないのです。そんな上辺だけの空虚な人間関係に嫌気がさして、行き詰まりを感じ、閉塞感で窒息しそうな毎日を送る羽目になりました。

 

その孤独感と、結果を残さなくてはならないという焦りや不安から、心を守り脳を鎮静させるためにエチルアルコールに頼ることになり、逆に脳を薬物でラリらせて、心を痛めつけることになります。

すなわち、アルコール依存症を発症するわけですが、今考えれば当然の帰結というか、因果関係として立派に成立する妥当な経路を辿っただけだったのだな、と思います。

 

 

 

承認を求めようとすることからの回復 ってどんなもの?

今、私はようやく、「優れた結果が残せなくても、私はここにいていい。」ということと、「人に好かれようと自分を偽らなくてもいい」ということを、自助グループに繋がり、棚卸しをしていくなかで少しずつ、認めてもいいのではないかと思えるようになりました。

 

□承認を求めようとすることからの回復□

自分自身の承認と、ハイヤー・パワーの承認に頼り始めるとき、承認を求めること自体はOKなのだということを、わたしたちは理解し始めます。他人を操ることはしないで承認を求めるやり方を身につけます。他の人たちの褒め言葉を受け入れて、その褒め言葉が心からの物であることを信じて、率直に「ありがとう」といえるようになります。わたしたちは自分の欲望に焦点を合わせて、「イエス」と思っているとき「イエス」と、「ノー」と思っているとき「ノー」と言います。

適切でない承認の求め方から回復するにつれて、わたしたちは次のようになっていきます:

○自分の必要を認める
○自分自身がどう感じているかについて本当のことを言う
○自分自身に対して忠実になる
○自分と他人に対する信頼を築く

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さて、本当のことを言えば、私は今まで強がりを書きました。

ということを白状します。

 

というのも、あたかも気に入られなければならなかったから、それを欲していなかったけど、生きるためにしかたなくそうせざるをえなかった、かのような書き方をしました。

本当に望んでいることから今もなお目を背けようとしていたことを、ここに認めます。

 

私は、親にも、友人と呼ぶべき同世代の子どもたちにも、そのままでいいと言ってほしかった。仲間に入れてほしかった。私が生きたいように生きている姿を認められたかった。

私は、そうでない現実が辛かったし、独りで泣いている日のほうが、笑っている日よりも多かったことが、とても惨めで哀しいし、悔しいです。

 

そのままでも、生きていていいんだよって、言われたかったです。

そのままでも、あなたが必要だよ、って言われたかったです。

 

その願いが満たされなかったから、私は「そんなもの求めてない」と言いながら、卑屈にもご機嫌をうかがって、顔色に一喜一憂して、今まで生きてきたことを認めます。

 

自信がなかったのも、楽しくなかったのも、すべてそのような機嫌取りの態度で、他でもない私が一番自分を蔑ろにして生きてきたからに、ほかなりません。

私の場合は、受け容れてもらえなかったというどうしようもない、変えられないものを変えようと涙ぐましい努力をしてきた結果、本当になりたかった姿とは程遠いものに成ってしまっていたことを、事ここに及んでは認めざるを得ません。

 

 

「承認を求めようとすることからの回復」の項目で、特に心に刺さったのは、「自分がどう感じているかについて本当のことを言う」という文言です。

 

私は他人の印象を操作して、「気に入られる自分」であろうとするために、本当のことを言ってきませんでした。自分がどう感じているかについて知られることを恐れました。

なぜなら、自分の本心を話しても受け取ってもらえなかった手痛い失敗を繰り返してきて、すっかり恐ろしくなっていたからです。

 

しかし、棚卸しを繰り返し、どうしようもないものに囲まれながら自分自身が精いっぱい生きてきたのだ、ということを自覚するにつれて、私は自分自身を承認することができるようになってきました。

それは、素直に自分の言葉で話したこと、その精一杯差し出した言葉たちを自助グループの仲間が否定せずただ言いっぱなし聞きっぱなしで聞いてくれたこと、の2つによって徐々に実現してきました。

その結果、あんなに吹けば飛ぶほど頼りなく、他人の評価に右往左往していたのに、今では自分自身の感情と本質を頼り、またそれに従うことにこそ最も安心を感じるようになってきたように思います。

 

つまり、他人に承認を求めること自体は悪ではないが、他人というコントロールできない存在に求める以上、承認を得られないこともある、という「変えられないこと」を受け止める勇気を持ち、それでもやっぱり承認を求めてしまう自分の欲求そのものを否定しないで認める努力を始めたということです。

 

自分の承認欲求について、見てみない振りをすればするほど、純粋な願いだったはずのそれは、後ろめたいものとして色濃く影を落とし、心に棲みついてしまいます。

 

操らず、自然に生きること。

それでもらえた賞賛ならば、私は素直にそれを受け取ることができるかもしれません。

なぜなら、他人を操ろうとする心が、相手が発した言葉を深読みさせ、素直に受け取らせないようにするからです。

私がまじりっけなしに他人と関わり、YESのときにはYES、NOのときにはNOと言って堂々と胸を張って生きている限り、たとえ他人が嫌味で言ったり真意は他にあったとしても、私は私の世界のなかでは、他人の褒め言葉を真実と取ることができ、力に変えることができるでしょう。

その積み重ねが、自分への信頼、その自分を信頼してくれる他人への信頼を、少しずつ築いていくのです。

 

私は、この歪んだ強迫観念と義務感を否定するのではなく、「私があの頃を生き抜くためにはどうしても必要だった」と一度抱きしめることにしました。

そして、今は幸福にも必要がなくなった、それらの想いを手放し、楽しく生きられる生き方を、みなさんと一緒に探していけたらいいなと思っております。

【AC】「モラハラ」や「フェミニズム」でやたらイライラする話

最近になって、やたらと「モラハラ」「フェミニズム」のような内容にイライラする自分に気づいたので、掘り下げてみようと思います。

 

いったい私は、何が嫌なのか?

Twitterで流れてくる、こんな内容を見ると胸がざわざわします。

「自分が正しいと信じて疑わず、他人に『指導してやっている』というスタンスの人間がいる。それはモラハラだ。」

「男性は女性に対して尊重する気持ちがなさすぎる。女が不幸せなのは男が問題だからである。妻を大事にせず育児を手伝わない夫はクズだ。」

 

なんででしょうか。

実は自覚があって、自分が責められている気がするからでしょうか。

それとも、それらを『やられてきた』ことがあるから、哀しくなるのでしょうか。

 

それは両方であるように思います。

 

私は今まで世の中で正しいと思われていることを、正しいと信じて疑いませんでした。

正しいことをしていて、正しさを社会から認められ、他人より優れている自分は、他の人を導く立場だ、などと勘違いをしていた恥ずかしい過去の自分。

その自分の醜い姿を、目の前に突き付けられたようで、嫌な気持ちになるのでしょう。

 

もうひとつは、母親が父親に対して言ってきたことを、また繰り返し聞いているような嫌悪感があるようです。

男性が女性に配慮するのは当たり前で、世界一大切にしていて、妻一人だけを愛していて、子供に献身的で、家庭を大事にする、そんな男性だけが至高の存在で、あとは有象無象のゴミだというような理想論を、また金切り声で母親から聞かされているような気がします。

それに疲れて、タイムラインを見ると、心底うんざりするときがあります。

 

つまり、私は、自分自身の恥ずかしい自己認識や嫌でたまらなかった記憶の追想をさせるために、これらの「モラハラ」「フェミニズム」の話題が苦手なのであります。

 

ひとは常に正しくあることなんてできない

人間は、人間だから、いくらでもやり直せる、と思います。

とっかえひっかえみたいな、あれでダメならこれでいこうみたいな、適当なことをしてもいいわけがない、と思いがちですが、振り返ってみると、子どもの頃の夢を初志貫徹している人なんてわずか数%ではないでしょうか。

子どもの頃の夢を追いかけ続けなければならないわけではないように、私たちの人生は常に試行錯誤と決断の連続です。

その分岐点のたびに、トライ&エラーを繰り返しています。意識していないだけで。

 

私は、今までうまく人生を歩んでいると思っていました。

しかし、それはとんだ勘違いでした。何も知らなかっただけでした。

今、依存症になった人や、薬物問題で逮捕された人を、メディアで上から目線で断罪する人を見ると、過去の自分を見ているようで恥ずかしくなります。

「自分が正しい」という凝り固まったプライドを通してみているから、自分が見ている物事が歪んでみえていることに、全く気づけない哀れな人々。

そんな人々には見えないのです。

ひとは常に正しくあれるわけではなく、正しくないことのなかにも真実があるということが。

 

どんなひとも、他人をジャッジしていい理由などない

当事者でなければ、そして当事者であっても、本人以外に自分の決断が、良かったか悪かったかなど、決めることはできません。

本人ですら、決めかねるでしょう。それをなぜ、他人が上から目線で決めることができるでしょうか。できるはずがありません。

傷つけられたこと、自分らしく生きる権利の侵害、それに対してNoという権利は誰もが持っていてしかるべきものです。だから、私はある女性が、女性として出会った男性個人に、Noというならば、それは当然のことだと思います。

しかし、「男は~」とか「男性は~」という風に大きな主語で訳知り顔に語られると、どうしようもなくムズムズします。

全ての男がそのように下劣な感性しか持っていないのだと検証したのでしょうか。性別でくくることこそ、女性が最も忌避していることではなかったでしょうか。自分がされてもっとも嫌なことを無意識にしているのではないでしょうか。それはとても醜くみえます。

女性は、男性は、と大きなくくりで話すのなら、一生分かり合えないでしょう。

個性はそれぞれ違うし、人生のバックグラウンドだって違うのに、一括りにされて気持ちのいい人はいません。

「私の何を知っているのよ!?」ってなりますよね。

それなら、もういっそ結婚や色恋なんて全部やめにして、人類増えすぎたし、もろとも一緒に衰退しませんか?と言いたくなります。

よりよく生きたいしまだ死にたくないし、衰退なんて嫌だから、異性という相手を求めているわけで、うんざりなんだったらもう求めなくていいと思うし、語り合うなら、お互いにいい関係を築くためにどうしましょうか?という話をすればいいのに、と思います。

お互いに間違いも犯すし、苦難もあるでしょう。それでも一緒にいたいか、いたくないか、それだけなんじゃないでしょうか。

ジャッジしてお互いを指さしあいながら罵り続ける限り、両方ともが幸せになれない。

それが、男女の関係でただ一つ確かなことのように思います。

 

みんな、傷ついた思いを誰かにわかってほしいだけ

とはいえ、今なぜこんなに否定形の発信や怒りや悲しみに満ちた発言が充満しているのかといえば、この世の多くの人々が「この傷ついた気持ちをわかってもらいたい」という切なる叫びが聞き届けられていないからではないか、と思います。

肯定してもらいたいから、正しいことを言う。

正しいことはこの世で肯定してもらえることだからです。

今まで自分を押し殺して尽くしてきたにもかかわらず裏切られたり、陰ながらしていた努力を認めてもらえなかったりしたら、そりゃ辛いですよね。

誰かに、「間違ってないよ」「あなたは悪くないよ」「それは男が悪いよ」って言ってほしいと思うのは、当たり前の欲求だと思います。

でも、そのまま辛いっていうのは苦しいし、哀しい気持ちと向き合うのは辛くて怖いから、相手を正論で否定するほうが楽で、だから口をつくのはそのような罵倒する言葉なのでしょう。

本当は、「私は苦しい」「私はこんな生活は嫌だ」「私はあなたに認めてほしい」「私はあなたにわかってほしい」という『私』がどうか?ということが言いたいし話したいのだと思います。

それを聞いてくれる人がいなかっただけで、私たちは寂しかっただけで、悪くはないと思います。

傷ついた思いや今まで他人には話せなかった思いを話せる、それだけでその人の心の穴は埋まるような気がします。

 

まとめ:それは私のことである

ここまで考えを巡らせてみて、まさに私は、そのことが話したかったのだと思いました。

つまり、私は傷ついてきた、ということです。

私は、以下のことを当事者として自覚するのが遅すぎて、親や家族に言う機会を逸してきて、そのことに憤りを感じてきた、ということです。

 

・男性として良い彼氏・良い夫・良い父であることを強要するこの世界の常識が大嫌いで、私はその世の中の価値観とやらに、自分自身を否定されているように感じてきた

・その根本にあるのは、母親と父親の関係が良好ではなかったのに、正しさで塗り固められた歪な関係(少なくとも私からはそう見えた)をみてきたことで、私はそんな二人を見るのが辛かったし、母親の愚痴は聞きたくなかった

 

そんなに文句言うなら結婚しなくていいじゃん、と思っていました。

そんなに気に食わないならもういっそ全部やめたらいいじゃん、と思っていました。

それを聞かされているようで、イライラするんですよね。

まさに女性から男性に対する価値観の押し付けを感じていて、その行為を一種のモラハラだと感じてきました。男性が女性にするばかりではないんですよ。母親の男性に対する愚痴をずっと聞かされる息子は、母親からモラハラを受けているようなものです。そういう意味でも、男女は平等だと思います。

つまり、私のこの「モラハラ」や「フェミニズム」に対する妙な拒絶感というか不快感は、私の認知の歪みからきている、ということです。

 

もちろん、思想やツイートは自由ですし、それは個人の想いとして垂れ流してもらうのに何の意見もありませんが、私はこれからもイライラするでしょう。

それは私の問題である、ということがわかって、少し安堵しました。

今日はこのぐらいです。

【メンタル】映画『日日是好日』を観て学んだ「今ここ」の大切さ

『日日是好日』という映画をご存知ですか?

私は最近この映画を観ました。すごくいい映画でした。

この映画を観て感じたことを今日はまとめてみたいと思います。

(まとまりませんでしたが。笑)

 

映画『日日是好日』とは?

https://www.nichinichimovie.jp/ ←公式HP

日日是好日』(にちにちこれこうじつ)は、エッセイスト・森下典子による自伝エッセイ『日日是好日-「お茶」が教えてくれた15のしあわせ-』を原作とした、2018年10月13日公開の日本の映画作品。

あらすじ

大学生の典子(黒木華)は、突然母親から茶道を勧められる。戸惑いながらも従姉・美智子(多部未華子)とともに、タダモノではないという噂の茶道の先生・武田のおばさん(樹木希林)の指導を受けることになる。

大学を卒業しても、いまだに就職もせずに30代に突入した典子は、大学を卒業して茶道をやめ、すぐに就職をし、お見合いをするために退職し、婚約をして子どもも生まれた美智子との間に遠い距離を感じていた。

そんな中、10年間辞めずに続けてきた茶道でさまざまな後輩との出会いを通して大切なことをたくさん学んだ典子はやっと出版社に面接をしに行くことになった。だがそれもダメで、ずっと付き合っていた彼氏とも別れても落ち込んでいた中、父親の死を知り、武田のおばさんと泣いた。

それから典子は立ち直りもう一度全てやり直そうと決意する。

 

 

「すぐわかるもの」と「すぐわからないもの」

 

 

私たちは、すぐわかるものに目を奪われがちだ。

仕事、結婚、出産、子育て。

人生のイベントで他人より優れた結果を出し、「勝ち組」と言われるために、本当の自分すら見失って、「人に羨ましがられる」ために虚勢をはる。

それは果たして、本当に望んだことだっただろうか。

 

主人公の典子と、従姉妹の美智子は、同じように茶道をはじめるが、徐々に暗明が分かれていく。

典子は、真面目な性格で理屈っぽく、おっちょこちょい。一生をかけるような何かを見つけたい、と就職では最もやりたかった出版社で就職活動するも就職できず、中途入社の試験もうまくいかない。結婚しようとしている彼氏には挙式直前に裏切られ、人生のイベントに乗り遅れていく。

美智子は、竹を割ったような性格、と称される利発さで要領よく世の中を渡っていくタイプ。就職活動では貿易商社に就職。働いて、女性としてのキャリアの限界を感じて退社し、医者とお見合い結婚。子供をもうけて、絵に描いたような人生のイベントでの成功を収め、どんどん典子を置いて先に行ってしまう。

 

この焦りは、私にも覚えがある。

周囲の皆がどんどん先に行く。

私はひとり取り残されていく。

焦り・苛立ち・不安。

「なぜどんなに頑張っても私は幸せになれないのだろう」

「どうして私ばかりうまくいかないのだろう」

そう思った経験は、誰しもあるのではないだろうか?

 

「すぐわかるもの」というのは、とてもわかりやすいし、比較しやすい。だから、とても価値がある、と思い込みやすい。

 

特に、数字がそうだ。

フォローワー数・いいねの数・偏差値・高級品・年収など、人と比べる数字で計れるもので「幸せ」に通ずるものだとされている、すぐわかるものたち。

頭でばかり考えて、あるいは何も考えず、自分が感じる幸せではなく、わかりやすいものを追いかけていると、とても焦る。

焦って他人を押し退けて手に入れて、振り返ってみると、実は本来目指していたところとは全く別の場所にいて、愕然とする。

 

実は、これは私が欲しいものではなかった、ということに、手に入れて初めて気づく。

 

 

では、本当にほしいものは、なんだったのか?

それは、「すぐにはわからないもの」だから、私たちはそれを頭で考えるのではなく、全身で感じなくてはわからないし、時間という誰にも平等なものをかけなくては、見えてこないものなのかもしれない。

つまり、「他人との比較などではかれるような安っぽいシロモノではない」、ということはどうやら確からしい。

 

私は例に漏れず、「すぐわかるもの」を追いかけてきた。

それは、追いかけさせられた、と言ってもいい。

なぜなら、「すぐわかるもの」が幸せだと信じる愚かな両親に育てられ、その価値観を信じて生きてきたからだ。

私はわけもわからぬまま、県内の順位や偏差値や年収に踊らされて学生生活を過ごし、何も重要なことを学ばないまま、社会に出てきて、打ちのめされた。

何が望みなのかわからなくなった。

絶望して、人生を徒労のように感じた。

こんなに苦しいなら、もういっそ終わりにしたいとさえ、思った。

「すぐわかるもの」は、私が欲しいものではなかった。

 

 

「今ここ」にこそ、幸せはある。

この世界には、勉強のように『正解』はない。

自分で考え、自分で選び、自分で責任を取る他ない。

正解などどこにもなく、誰も決めてはくれず、次々と起こる出来事の良し悪しすらよくわからないまま、どう選択するか、自分が決めるしかない。

成功も失敗もなく、人生という奇跡のようなチャンスを与えられた私たちは、それぞれにオーダーメイドな人生を、味わいつくすために、この世に生を受けたことを知る。

わかりやすい生まれた意味などない。

人生にわかりやすい価値などない。

毎日東から日が昇り、西に沈んでいく。

繰り返す四季のように、晴れの日もあれば雨の日もあり、私たちはどうしようもなく大きな力のうねりの中で、揉みくちゃにされて、なにもかも、どうすることもできない。

そして、天から見ればほんの瞬きをするあいだほどの短い生涯を閉じる。

 

 

作中に、私が大好きな一節がある。

 

 

五感を使って、全身で、その瞬間を味わう。

 

人生は振り返れば瞬きをするほど短く、他人と比較して一喜一憂するにはあまりに長い。

そんなもののように思う。

 

今、だけなのだ。

確実に何かを感じ、それを味わえるのは。

 

過去は変えられない。未来はわからない。

「今ここ」の、ど真ん中を繰り返し、繰り返し、真剣に生きていく。

 

茶道には馴染みがないが、映画でお稽古の様子をみていて、通ずるものがあるのだなと思った。

何かを極めようとするとき、基本動作を繰り返し繰り返しやりこむ以外に、それを魂に刻みつけることはできない。

気が遠くなるほど繰り返した鍛錬により、魂は磨かれていく。

無意識に体が動くほど深く魂に刻みつけられた所作のなかに、今がある喜びや心踊るような変化をみる。

それは、まさに魂が喜んでいる。

春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来る。

同じことの繰り返しのようで、一瞬たりとも同じ時がないように、私たちの人生もまた、ひとつとして同じではない。

ひとりひとり違うものでありながら、互いの気持ちを想像し、時に共に喜び、時には共に悲しみ、そんな魂の触れ合いがあるという奇跡。

ああ、なんとありがたいのだろう。

こんなに苦しくて憎くて恐ろしく、愛おしくて甘くて魅了されるものはない。

私たちがかけがえのない今を生きていると自覚すると、「生きる」という芸術は、その色や匂いを取り戻す。

今、見ている色や匂い。

今ここ、のリアリティ。

それこそが、幸せ、というものの具体的な形なのだと思う。

 

典子は、作中、どんどん美しくなっていくように感じた。

変えられないものと、「今ここ」の大切さを知れば知るほど、外から見たわかりやすいものではない輝きが、彼女を内側から光らせていく。

 

 

あきれるほどコントロールできないこの世界にいて、私たちは水のように自由でありながら、川の流れのように不自由である。

あらゆる外的要因に方向性を曲げられ、自由でありながら全く意図する方向にいくことはできない。

水は、他の水とどう違う、などと比べない。

世界の法則に従いながら、自らの形を柔軟に変化させ、川を下り、海に出る。

水は激しく打つこともできるし、緩やかに流れることもできる。

我々の体を構成する60〜65%は水である。胎児のときには、90%が水だったのである。

我々もまた、激しく打つことも、緩やかに流れることもできるはずだ。

その在り方は常に変化するが、私たちは基本的に変幻自在であり、自由で、同じでありながら比べる必要がないものだ。

そして、山で生まれ、海に還る川のように、あるべきところに還るまで、常に意図せず翻弄され続けて元々なのである。

 

受験に失敗したから、なんだというのだ。

就職に失敗したから、なんだというのだ。

結婚できないから、なんだというのだ。

子供が持てないから、なんだというのだ。

 

それは辛いことだ。しかし、変えられないことだ。

あなたの責任ではないし、長い目で見たら、本当はほしいものではなかったかもしれないし、本当に欲しいものだったかもしれない。

 

つまり、まだまだ今の時点では、わからないものだ。

「すぐにはわからないもの」だ。

 

だから、絶望するにはまだ早い。

私は30歳になる前に死にたいと思っていたけど、今34歳になって、よかったと思っている。

そのくらい、人生は「すぐにはわからないもの」のカテゴリであり、とても面白い、まだやめるには勿体無いものだ。

 

今、私はそう思えるようになった。

 

日日是好日(にちにちこれこうじつ)は、禅語のひとつ。もともとは、末の雲門文偃の言葉とされ、『雲門広録』巻中を出典とするが[1][2]、一般には『碧巌録』第六則に収められている公案として知られる[1][2][3][4][5][6]日々是好日[3]雲門日日是好日雲門日々是好日[7]雲門好日雲門十五日[2]と表記されることもある。

 

「日日是好日」は、表面上の文字通りには「毎日毎日が素晴らしい」という意味である[1]

そこから、毎日が良い日となるよう努めるべきだと述べているとする解釈や、さらに進んで、そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり常に今この時が大切なのだ、あるいは、あるがままを良しとして受け入れるのだ、と述べているなどとする解釈がなされている[3][4][5][6]

 

【社会福祉士】私はこうして5日間で合格率30%の国家試験に合格した(2020年最新版)

働きながら社会福祉士を目指してきました。

先日の国家試験で無事合格点を取ることができました。

☆第32回社会福祉士国家試験 合格基準情報:更新しました(3/13)☆

ボーダー:88/150点(58.6%)
共通免除:37/67点(55.2%)
合格率:11,612人/39,629人 29.3%

 

 

実は今回、私は仕事の都合で、試験1週間前まで全く準備ができませんでした。

 

育児・家事・仕事…毎日忙殺されており、「直前にやったってもうダメかな…」とも思いましたが、何十万円もかけて有給も代休もつぎ込んで専門学校を卒業したのに、最後まであきらめるわけにはいかない、ということで、5日間徹底して対策しました

その結果が上記の結果というわけです。

 

もしかしたら誰かの参考になるかもしれないので、一度振り返ってみたいと思います。

 

社会福祉士国家試験って?

今回私が挑んだ試験の概要について、まずは整理して皆さんと共有したいと思います。

 

そもそも「社会福祉士」とは?

社会福祉士は厚生労働省の主管する国家資格であり、国家試験に合格することで資格を取得できます。

資格の種類は「名称独占資格」と呼ばれるものであり、社会福祉士と名乗って働くためには資格が必須であるものの、「業務独占資格」とは異なり、相談対応業務などは資格がなくても行えます。

しかし、さまざまな相談に応じるためには、福祉、行政、医学、心理学など、複数の分野にわたる深い専門知識が不可欠です。

このため、相談対応業務を担うソーシャルワーカーになる場合、社会福祉士の資格取得を目指すことが一般的となっています。

就職する際にも、国家資格がないとそもそも採用対象とならないケースも数多くありますので、ぜひ資格を取得しておくべきです。

 

社会福祉士国家試験の難易度は?

社会福祉士国家試験の合格率は、近年25%~30%前後という低い水準で推移しています。

社会福祉士国家試験では、全18科目に及ぶ幅広い内容の問題が出題されますので、覚えなければならない知識量は膨大です。

合格するために必要な勉強時間はおよそ300時間がひとつの目安とされており、1年ほどの期間を設けて受験対策を行うケースが一般的です。

社会福祉士国家試験の合格基準は2つあり、1つは全科目合計で約60%以上得点すること、2つめは全科目で1点以上得点することです。

つまり、8割も9割も得点できる実力は必要ない一方、ひとつでも0点の科目があると、全体でいくら高得点を取っても不合格となってしまいます。

このため、社会福祉士国家試験においては、得意科目を伸ばすことよりも、苦手科目をなくすことのほうがはるかに重要です。

 

社会福祉士国家試験合格率は?

社会福祉士国家試験の合格率は30%弱を推移しています。

平成30年度の合格率は29.9%となりました。

結構厳しいです。

 

参考;社会福祉士の仕事 キャリアガーデン より

 

 

前提:狂っていると思うほど「勉強一色」に生活を振り切る

さて、私はASD(自閉症スペクトラム)なので、複数のことは同時にできません。

何かが気にかかると、気もそぞろで、いくら勉強しても記憶にも残らないし、簡単なミスをしてしまいます。

だから、勉強すると決めたなら、24時間勉強の為だけに時間を使うことを覚悟します。

そのためには、子どもと妻には実家に帰ってもらい、家事と育児に煩わされないように協力してもらい、仕事は一切せず、勉強だけに集中できる環境を創ること。

 

誰に何を思われるとか、何を言われるとか、一切気にする必要はありません。

今すべきは、試験勉強。

今考えるべきは、試験に合格すること。

それ以外は、何もかも試験が終わってから考えればいい。

 

そう覚悟することが大事です。

 

そうすると、1本の芯が自分のなかにスッと通り、シンプルな覚悟ができます。

食事と睡眠と、適度な運動。

それ以外のありとあらゆるリソースは、全て今この時は勉強だけに向ける覚悟。

それを持ち鉄の意志で実行する、強固な狂気を持ちましょう。

 

勉強方法:覚悟は決まった。では、何をするか?

私がやったことは3つ。使ったツールも3つです。シンプルです。

 

〇やったこと:

①過去問題集を解く ②全く知らない人に説明を聞いてもらう ③動画で単語を覚える

 

●使ったツール

①過去問題集 ②LINE電話 ③Youtube

 

順に説明していきます。

 

勉強法①:過去問題集を4年分、2回やる

過去問題集は4年分のものを購入しましょう。

 

 

本当は6年分(3年分を2冊買う)やると完璧ですが、最低限4年やっておく必要があります。

なぜか?

あらゆる試験はだいたい3~4年周期で同じ問題が出題されることが多いからです。

なぜなら、重要な点や問題に出しやすいポイントはだいたい決まっているからです。

試験の出題者は、手を変え品を変え、毎年試験問題をつくってくださるわけですが、同じ内容の試験である以上、バリエーションは限られ、どうしても一定の傾向が生まれます。

私たちは試験に受かることを目的としています。

つまり、主眼に置くべきは、内容を理解することではなく、得点を取ることです。

なので、最悪問題の内容が理解できていなくてもいい。

「この選択肢は間違い」「この選択肢はあっている」ということが判別できるかどうか、これだけが重要と言っても過言ではありません。

 

そう考えると、過去問は過去に出題されたことのある問題の結晶です。

過去問を解くことが、最も合格に必要な内容を把握し、出題傾向を見るのに最適な勉強法なのです。

 

1週目:解くのではなく、解答を書き込む

勉強していないし、テキストも見ていない私のような人が1回目に問題を解いてわかるでしょうか。

いいえ、全くわかりません。

ウンウンうなっていても正解はほぼ出てきません。時間の無駄です。

なので、以下の流れでどんどん問題に書き込んでいきます。

①問題を読む

②少し考える

③解答を見る

④正解の選択肢にアンダーラインを引く

⑤不正解の選択肢の間違っている個所を、正しい内容に修正する

問題解いてないじゃん、と思う人もいるでしょう。

でも、これで何がいいかというと、とにかくこれを繰り返すことにより、正しい選択肢の文章だけが頭に入っていき、間違った選択肢を見ると「得も言われぬ違和感」が生まれるようになります。

たとえば、社会福祉士国家試験では、こんな選択肢が来ると「怪しい」という感覚をもつようになりました。

1、末尾が否定形で終わる「~してはいけない」「~ではない」

2、「全て」や「全く」という極端な表現

3、「都道府県」と「市町村」(入れ替えられているパターン)

4、根拠法(内容はあっているが根拠法が違うパターン)

このように、入れ替えやすいポイントや、出題のパターンはだいたい決まっています。

4年分解くことにより、だいたいこういうのは合っていて、こういうのは違う、という傾向を学びます。

 

2週目:科目ごとに正解の選択肢を読み込む

社会福祉士は合計18科目あります。

1週目は、通しでそれらすべてを出題の流れのままに現在から過去の時系列で解いていきました。

2週目は、科目ごとに4年分、書き込んでいった正解文を読んでいきます。

なぜか?

科目ごとに、毎年だいたい出題されている問題や傾向が似通っていることに気づけるからです。

「この問題、さっきの年の過去問にもなかったっけ?」という選択肢の設問が必ず出てきますし、この科目はだいたいこういうことを質問してくるな、というのがわかります。

それに合わせて、1週目に書き込んだ正解になっている選択肢を読み、正解だけを頭に叩き込みます。

 

つまり、「解かない。正解を書き込み、読み込む。」

これが私にとって最も効率の良い試験勉強方法です。

 

勉強法②:この試験について知らない人に説明する

しかし、150問あるこの試験を4年分、600問を2回もやるのは、人間、飽きます。

しかも5日で終わらせなくてはならないので、1日当たり240問やる計算になります。

簡単に、メンタルが死にます。

 

そこで、人に教えるつもりで聞いてもらう、というのがあります。

私はLINE電話で聞いてもらいました。

「それ知ってるよ!前こんなので出てたよ」とか

「へー。じゃあこういう場合はどうなの?」とか

読んでいる正解の問題文について声に出して読み、ときには質問してもらいましょう。

 

そうすることで、「この問題はあのときこう話したやつだな」というふうにエピソード記憶になりやすくなります。

短期記憶はすぐに失われますが、一度人と話した経験としてエピソード記憶にして海馬に記憶させてしまえば、そう簡単に忘れないで済みます。

「あ!またシーボーム報告出てきたわー、何回やんねん」などと突っ込みを入れたりしながら、楽しく親しい人と話しましょう。

相手に反応させるのは負担をかけてしまうと気が咎めるなら、電話だけ繋げてもらって、相手には聞き流してもらっているだけでもいいでしょう。

電話の向こうに誰かいる。

それだけで人はなかなかどうして、張り切ってしゃべるものです。

言葉に出したり、線を引いたり、考えながら手や口を動かすことで、聴覚や視覚でも情報を脳に入れることができるので、脳の機能から考えても、格段に覚えやすくなります。

 

勉強法③:解くのにも読むのにも飽きたら、観る(Youtubeを活用)

私は、Youtubeで「ほいくん」さんの動画を観て聴いて、頻出単語を覚えていきました。

非常にテンポが良く、絵心あふれる絵を描いてくださったり、笑えて最高でした。

最後に振り返りをしてくれるのがとてもよく、おすすめです。

これを聞きながら寝たり、なんとなく問題をやる気がしないときや話すのが疲れたときには、諦めてこの動画をみながら休憩しました。

 

人名、制度名、年号など、歴史系の問題と知識系の問題は、覚えていなくてはどうしても解けない、逆に言えば、覚えていさえすれば選択肢を絞り正解を導き出すことができる要素が必ず存在します。

そういう意味では、暗記は避けて通れません。せめて楽しくやりましょう。

 

まとめ:

いかがでしたか?

私は5日間、6時に起きて20時に寝る生活の中で、1時間のランニングと1回15分の食事以外は、生活のすべてを、勉強につぎ込みました。

 

それだけ突き詰めて狂ったようにやれば、嫌でも頭は試験問題だけでいっぱいになります。

もうこの5日間は、これ以上できなかった、とふっ切れます。

腱鞘炎になりそうな手でたくさん書き込んだ過去問題集は、会場に持っていきましょう。

「私はこれだけたくさんの問題をやった」という確固たる事実。

それが手元にあると、自信になります。努力の証は、お守りになります。

 

私のやった勉強は、こんな感じです。

参考になれば幸いです。

【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑧(抑圧された怒り)

今回は、抑圧された怒り について棚卸ししていきます。

 

抑圧された怒り とはどんなもの?

■抑圧された怒り■

怒りは、アダルト・チルドレンの生き方の上での多くの問題の主要な源泉です。それは、認めると自分が安全でなく感じるので、わたしたちはしばしば抑圧する感情です。混沌とした家庭で自分を守るために、わたしたちは怒りを否認するか、または不適切に表現しました。どちらにせよ、自分の感情を全く押しやってしまうことによって自分を守るほうが安全でした。抑圧された怒りは重大な恨みや抑欝につながりかねないことを、そしてそれらは身体的な症状や、ストレスに関係のある病気を引き起こしかねないことを、わたしたちはそのときには気づいていませんでした。今の時点で、怒りを否認したり不適切な方法で表現したりすることは、わたしたちの人間関係で問題を引き起こします。もし怒りを表現したらとんでもないことが起きるのではないかと恐れて、わたしたちは幸福であるふりをしているかもしれません。

怒りを抑圧すると、わたしたちは次のような感情を経験するかもしれません:

●恨み
●自己憐憫
●ストレス・緊張
●不安
●抑欝
●悲しみ
●集中力を欠くこと
●身体的な不快

******
『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
57Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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怒りは、制御できないので感じてはいけないと思ってきた

これ全部あるんですよね。

怒りを抑圧すると、わたしたちは次のような感情を経験するかもしれません:

●恨み
●自己憐憫
●ストレス・緊張
●不安
●抑欝
●悲しみ
●集中力を欠くこと
●身体的な不快

私はとっても根に持つタイプです。自分も他人も簡単には許すことができません。幸せそうな人間すべてが憎いと感じる日もあります。

自分を持たざる者として嫌いで哀れんでいて、常にストレスや緊張がつきまとう日常を過ごし、不安や抑うつ気分でうつ病を患っています。

悲しい思い出が幾度となく頭のなかに蘇り、リフレインする悲しみを繰り返し味わいながら暮らしています。

周囲の物音や声に怯え、やるべきことに集中することができない日の方が多く、だるく重い身体を朝起こすのは至難の業ですし、長らくアルコール依存症で常に酔っ払ってたので、嘔気・悪心・振戦などの身体症状がありました。毎日ストレスでネクタイを締めると嘔吐していました。一回吐いてから出勤、がデフォでした。

まさに、絵に描いたような抑圧された怒りを抱えて不具合を起こしている、という意味で、ステレオタイプのACだと言えます。

 

なぜ怒りを抑圧したのか?

私は怒りたくない、と思ってきたように思います。

それは、怒りというのは全く制御できない、苛烈で犯罪も厭わないほどの強烈な感情で、持て余す感じがすごくあったからです。

ひとたびこの怒りをストレートに感じてしまったら、私は怒りの対象の人を殺してしまうかもしれない。

殺さないまでも、暴行を加えて犯罪者になってしまうかもしれない。

そういう恐怖がありました。

極めて冷静でいなくては、私はこの社会で生活できなくなってしまうような「社会不適合者」なのだ、と自分を認定していたと思います。

だから、人を嫌いになることが、恐怖でした。特に人に対して、怒りを向けることが怖かったのです。

だから、人と必要以上に距離を縮めることを良しとしませんでした。近づいたら、嫌いになる可能性が高くなります。それは、安全ではない、と考えていたのです。

だからどんどん人とは一定の距離を置いた関係しか築けなくなっていきました。

もしもその人を嫌いになってしまったら。

その人が地球上に存在しないことを願ってしまう。

同じ空気を共有したくないほどに、憎み恨み激しい焦燥感にかられます。胸を掻きむしりたいような不快感。もどかしくて叫びだしたくなるような、血が逆流して頭が冷たくなり背筋がゾクゾクするような感覚。

 

これらは、社会から迫害されていた幼少期に特に感じてきたと思います。

いじめっ子の主犯格を特定して報復したことがあります。

彼は足が早かったので、行動力を削ぐ必要がありました。

だから、ランドセルに大切なもの(その子の母親が作ったその子がお気に入りの給食袋)が入っていることを確認して、そのランドセルを足で叩き潰した後、池に投げ入れ、取りに行かせて、戻ってきて岸に上がろうとするところを足で何度も蹴り落とし、報復しました。

先生が来て止められてしまいましたが、私はそのとき、殺し損ねたな、と思いました。

目障りなその子をほんとうにこの世から消してしまいたかったです。残念でならず、その日は泣いたように思います。彼に報復するチャンス(命)を与えてしまった、せっかく絶好の機会だったのに、逃してしまった、と。

しかし翌日彼は怯えたような顔で私を一瞥して、その後はイジメはなくなりました。拍子抜けしましたが、面倒ごとがなくなってスッとしました。

 

 

 

私の怒りは何に対するものなのか?

本当にずっとずっと我慢していきてきました。

親から要求されることをこなすのも、日々の生活を送るのも、刑務所で服役しているような気持ちでした。

生きるのが義務だから、いい子でいるのが義務だから、そういきていかなくてはいけない。すべてが義務でした。

だから、本当は全てに「嫌だ」と言いたかったのでしょう。

でも言えなかった。

最も大きな要因は、両親から愛されるために「嫌だ」というのを諦めて、友達をつくりたい、好かれたい、という気持ちから「嫌だ」というのを諦めたからでしょう。

好かれ愛され生きていることを許されるためには、嫌だということを諦めなくてはならない、と思っていたのです。

なんというさびしい思考でしょう。

生きていくことは我慢でした。それがとんでもなくストレスで、そのストレスに対する怒りがどんどん蓄積されていったのです。

つまり、私にとって生きていくことは怒りをどんどん貯蔵していく行為であり、貯まりに溜まった「怒り」という不良債権に怯えて、存在してはならないとひた隠しにするようになりました。

自分が生きていくためには、大きすぎる怒りを認めてしまっては、とても平静ではいられないと恐れ、抑圧しました。

それは、無理がありました。

事あるごとに怒りは、私の心を蝕み、楽しい気持ちを萎えさせ、悲しい辛い記憶を繰り返し再生して、その存在を認めろ、と訴えてきます。

どんどん生きづらくなり、人に本心を告げられなくなり、不良債権がどんどん大きくなるにつれて、エチルアルコールという薬物の力を借りなくては、立っていることすら困難になりました。

それが、アルコール依存症になり、うつ病を患い、いま生きている私という人間の正体です。

 

 

抑圧された怒りからの回復 ってどんなもの?

□抑圧された怒りからの回復□

怒りの適切な表現方法を学ぶことは、わたしたちの回復の大きな段階の一つです。そうすることで他の隠された感情を解放することが早まるかもしれないし、わたしたちの傷や失望を他の人にもっと早く分かってもらえるようになるかもしれないのです。わたしたちは自分に限界を定め始め、正直になり始めます。怒りをより適切なやり方で表現するようになるにつれて、わたしたちは他人の敵意だけでなく、自分の敵意とも、それまでよりは上手に付き合えるようになります。自分を表現する事で気持ち良さを味わい始めるにつれて、わたしたちの人間関係は改善され始めます。ストレスに関係した問題は減少していき、体が健康になったように感じさえします。

抑圧された怒りから回復するにつれて、わたしたちは次のようになり始めます:

○怒りを適切な仕方で表現する
○怒りの底にある気づいた感情を見定める
○自分自身に限界を置く
○内的な平和を楽しむ
○ストレスと不安を減らす

******
『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
58Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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今まで、抱えた怒りを表現しても認めてくれる場所があるということを感じられなかったことが、とても不幸なことだったな、と思います。

それは私にはどうしようもないことでした。環境に対して、私は今も昔も無力です。

だから、怒りを溜め込み二進も三進も行かなくなった自分を、自己責任だと責めることはもうやめようと思うのです。

私の怒りは、ごく当たり前で正当なものだった。

否定しなくても良い、自然な感情だった。たとえそれが殺人につながるほど禍々しく大きく醜いものだったとしても、それを育てたこの数十年、私は生きるために一生懸命やってきた。

怒りの根本にあるのは、寂しさです。

私は寂しかったのだと思います。

私はそのままでいたかった。ありのまま生きていくことを、せめて両親にだけは理解して欲しかった。数人でいいから、理解し合える「友達」に「わかるよ」って言ってほしかった。

それすら叶わない自分が嫌いで、消してしまいたかった。

でも消すことも理解してもらうこともできなかった。

だから、その寂しさは怒りになり、私の中に残ったのでした。寂しさのままで蓄積したら自分が壊れてしまうから、攻撃性としてある意味人生を生きるエネルギーに変換しようとしたのかな、と思うと健気なところもあるじゃないか、と思えます。

『私の怒りを、誰よりも私自身が肯定する』ということが、私をもう一度再構築するうえで最も重要なことだと自覚しています。

私は他人が憎いです。どいつもこいつも嫌いで、いっそのことみんな死んでしまえと思っているときもあります。道に出ればだいたいイライラするし、夜は眠れないほど頭にきて叫ぶときもあります。仕事中に営業車のなかで喉から血が出るほど叫んだり、手に青アザができるほど車を打ち付けて内装が壊れたりします。メールに血の気が引くほど頭にきて、攻撃的な返信をしたりします。

そんな私を否定しない、ということはとても勇気がいります。

こんな自分はとても堪え性がなくて、DVをしそうな、社会的に見るととても危険な人間に見えるからです。

つまり「外から見ておかしいかどうか」で感じていいかどうか判別して、都合の悪い自分は見ないようにしてきたのは、他でもない自分だった、ということです。

他の誰でもない、自分自身が一番自分を否定しているから、抑圧していたのではないかしら。抑圧した怒りは無尽蔵にどんどん巨大化していったのはなかったかしら。

私は結局怒りを認めたとき、自分自身の認知の歪みにたどり着くのです。

「上述したようなイカれた人間が自分だ」と認めたくないのは私だったのであり、つまりこの私が認めさえすれば、抑圧してきた怒りは許され、抑圧する必要がなくなる、ということです。

だから、今こそ私はこの醜いどうしようもない劇しい怒りでドロドロの自分も、私という人間の一つの形なのだということを認めます。

 

まとめ:人間は醜い

そんなに、綺麗なだけではいられませんよ。みなさん。

人間はとても醜いです。

とても浅ましくて、愚かで、救いようのないカスみたいな存在です。

大好きなアニメに

落ち着け?落ち着いていた結果がこれだろうが。

疲れてる?みりゃわかんだろうが。

というセリフがありますが、まさに私は今これを仕事で感じています。

世にはびこる薄っぺらいアドバイスが如実に表している通り、所詮、他人は自分のことしか大事じゃありません。私も、私しか大事じゃない。それをうまく笑顔と嘘のオブラートに包んで隠して皆暮らしているのです。

嘘ばっかり。

私は自分にも他人にも期待しすぎていたようです。

もっと良いものであるはずだ、と。そんな淡い期待は持っているだけ無駄だということを、そろそろ認めたいと思います。

自分の限界、つまり人間の限界を認める、ということは、つまりそういう醜さを内包している『人であることの限界』を認めることなのかな、と思います。

それでも、生きていく。人間という情けない醜い生き物として、泥を啜りながら生きていく。

それは、それだけで尊く、悪ではないと確信することができたなら、私は怒りから解放されます。そうあれかし。

 

【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑦(孤立)

今回は、孤立 について棚卸ししていきます。

孤立とはどんなこと?

■孤立■

多くの場合わたしたちは、自分にとって快適でない状況から引きこもることで安全だと感じます。自分を孤立させることによって、私たちは、他の人が私たちの本当の姿を見ないようにします。自分は価値がない者であって、従って愛されること、注意を引くこと、受け入れてもらうことに値しない者なのだ、とわたしたちは自分自身に対して告げています。さらに、自分の感情を表現しなければ罰せられたり傷つけられたりしないのだ、とも言い聞かせています。わたしたちは危険を冒すよりも隠れることを選び、そうすることで不確実な成り行きに直面しなくて済むことを選びます。

自分を孤立させていることは、わたしたちは次のような問題を引き起こしているかもしれません:

●拒絶を恐れる
●孤独感を経験する
●自分を裁く
●負け犬のように感じる
●自己憐憫に陥る
●自分が他の人と違っているように思う

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
71Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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常に感じてきた孤独感と疎外感

私は、本当の自分のことを知られると、嫌われると思い込んできたように思います。

自分がありのままの感情や気持ちを表現してぶつけてしまったら、今周りにいる人は皆呆れた顔をして、あるいはガッカリした顔をして、離れていってしまうのではないかしら、といつも恐怖していました。

だから、人と必要以上に長くいることを好みませんでした。

なぜなら、長くいればいるほど、本当の自分の気持ちを押し殺して『外側の顔』を維持することに、疲れ果ててしまうからです。

人といるよりも、独りでいることが好きです。

しかし、比較して好きというだけで、孤独が好きなわけではありません。寂しいのは好きではありません。

皆が集まるのを楽しげに過ごしているのを見るにつけ、『なぜ私は楽しめないのだろう?』と自己嫌悪に陥ります。

私だけが皆とは見えている景色が違うんじゃないか?と思うほどの感覚の違いに愕然とします。

それでもなかに入れたら入りたいし、社会生活上『馴染まなければならない』と無理してはしゃいでみたり、出かけてみたりしました。

そうやって無理をして人と会った後は、しばらく独りにならなくては平静ではいられませんでした。

それだけ、私にとって人と会う、というのは『巣穴から出てきて外敵がウヨウヨしているジャングルを練り歩く』くらい恐怖をともなう行為だと思います。

なぜ外敵だと思ったのか?

それは、本当の私は嫌われるに違いないから、嫌ったら危害を加えようとしてくるはずで、他人とはすべからく警戒すべき存在だと認識していたからです。

なぜ、そんなに「本当の自分」に自信がないのでしょうか。

 

そのままの自分を受け入れてもらえなかった哀しい経験

私は、いじめられていました。

時期は幼稚園から小学校4年生くらいまで。

私は、私らしく過ごしていたと思います。友人はいませんでした。

皆、私が何かに集中している時にちょっかいを出してきたり、私が大切にしているものを壊したり、邪魔しかしてきませんでした。

他人の存在は、酷く不愉快でした。

私が話をしても皆笑ったり呆れたり馬鹿にしたりして、信じてくれませんでした。

私も彼らのいうことを信じるのをやめました。

そんな私に、両親は「お友達と仲良くしなさい」「お友達と遊んできなさい」と哀しげな切羽詰った顔でいいます。

私は本当は「あんなやつらと一緒に居たくない!独りでいる方がずっといい!なんで仲良くしなきゃいけないの?」と叫びたかったのですが、彼らの哀しい顔をみると、そうは言えずに、憎き外敵である『お友達』に頭を下げて遊びに混ぜてもらわざるを得ませんでした。

次第に私は、こいつら『お友達』は、うまくコントロールして手なづけないと厄介だ、と思うようになりました。

表面上でもいいから、仲良く振る舞わなくてはならない。そのためには、嫌われてはならない。私はそのままでいたら『お友達』に嫌われる。それはまずい。だから、本心は見せないようにうまく隠して、「上手に生きなくてはいけない」。

こうして、私は心を一切通わさない『お友達』との距離感を獲得していきました。

しかし、それは人生を過ごすうちに見せかけのメッキとしてボロを出し始めます。

 

自分も他人も騙しきれなくなった負け犬

寂しかったです。

私は、どうしようもなく寂しくて虚しい気持ちから、逃れられないことに気づき始めました。

警戒し欺いて距離をとって他人と接して、自らの内面に引きこもって生きていくスタイルは、己の孤独感が膨張するに従い、限界を感じさせるようになりました。

仕事が始まり、未知の世界を自ら切り拓かなくてはならない重責に耐えかね、私はエチルアルコール(酒)という薬物に精神的に頼り始めます。

おそらく、健全な他人との関係を築いてきた人にとって、酒とは交流を楽しむための補助的役割でしょう。

私にとっての酒は、エチルアルコールであり、外敵に囲まれながらも笑顔を絶やさず、さも楽しく過ごしているかのように道化をやるためのドラッグでした。

楽しい交流など、ありません。

ひたすらストレスをエチルアルコールで誤魔化すうち、エチルアルコールでドーピングしないと不安になるようになりました。

酔っていない時の世界は、未来への恐怖と周りの人間への恐怖でいっぱいでした。

そこから逃げるために、どんどん量が増え、飲み方も激しくなっていったように思います。

見せかけのメッキは自らの問題飲酒により、どんどん剥がれ落ち、酒に頼ってまで守ろうとした『お友達』との関係は、酒の問題でズタズタになり、終いには本当の自分以上に蔑まれ嫌われていました。

後に残ったのは、自分も他人も騙しきれなくなった寂しい負け犬の私でした。

やっと私はそこから、「自分も他人も欺かず生きていきたい、だから酒をやめたい」と思うようになりました。

 

孤立からの回復ってどんなこと?

□孤立からの回復□

自分についてより良く感じるようになり始めるにつれて、わたしたちは以前よりは積極的に、たとえ危険を冒しても新しい人々や環境に自分をさらけ出していくようになります。わたしたちは、過去のものよりは育んでくれるような、安全な、支えてくれるような友人や人間関係を求めます。わたしたちはグループとしての行動に参加し、それを楽しむやり方を学びます。人々が、あるがままの私たちを受け入れてくれることが分かってきたとき、自分の感情を、もっと楽に表現できるようになってきます。それと同時に、自分を受け入れられるようになり、自己評価が高まってきたことの結果として、さらに快適に落ち着いて生活するという、貴重な贈物を楽しむことができるようになってきます。

自分を孤立させることがより少なくなってくるにつれて、わたしたちは次のようになっていきます:

○自分自身と他の人たちを受け入れる
○支えてくれるような人間関係を造り育てていく
○自分の情緒を表現する
○自己中心的な度合いが小さくなる
○積極的に他の人と関わる

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
72Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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自助グループに参加して、本当に私は大きく変化してきました。

閉じて独りで立て籠もっていた精神の巣穴から、やっと這い出てきた私は、言いっぱなし聞きっぱなしの、心の安全が守られる場所で自分が感じてきたことをありのままに話す勇気を出しました。

何も言わずに、ただ聞いてくれる。

これが、どれほど嬉しかったことでしょう。私は心の底から、あぁずっとずっと私は私が大切だと思ってきた人たちに、こうして聞いて欲しかっただけだったのに、ときづいて泣きました。

その後は、言いにくい本心や、対立する意見を持っていることや、傷ついた事実など、以前の私には到底話すことができなかった自分の中の本物を、私は他人に差し出していく勇気を持ち始めました。

そしてその行いは、ことごとく美しい結末を見せてくれました。人と人とが言葉を交わし、心を通わせ、お互いを尊重することは、こんなに美しく、心が洗われる尊いことなのだな、と思いました。

だから、みんな、他人と関わるのがあんなに好きだったのか。

だから、みんなあんなに楽しそうに笑っていたのか。

それがはっきり実感をともなった時、わたしの中でやっと『お友達』は、憎くて恐ろしい存在ではなく、ありがたい仲間に見え方が変わりました。

 

まとめ:独りぼっちではなくなったから

わたしは今、随分と生きるのが楽になったと実感しています。

それは私が強くなったからでしょうか?それとも、本当の私が変化したからでしょうか?

どちらも正解ではありません。

本当の私を認め、愛してくれる仲間がいると分かったからだ、と私は思っています。

わたしは、自分から引きこもり、独りが一番安全だと思っていました。

また、本心さえ話さなければ、気に入られる言葉さえ話していれば、傷つけられたり責められたりしない、と思っていました。

それはしかたがなかったのだ、と私はわたしの当時の辛さを認めます。

わたしは私のそのままを話して拒絶された痛みに耐えられなかったし、幼い私が命を繋ぐためには、心の殻に篭るのは自己防衛で、生きるために必要なことでした。

その幼い私が考えた生き延びる術が、次第にうまくいかなくなり、エチルアルコールに中り様々なものを失いました。

しかし、今までの『お友達』に対するやり方が破綻している、という事実に気づくために、必要なエピソードだったと、今わたしは自分を許したいと思います。

独りぼっちでは生きていけなかった、ということを認めます。

わたしは、独りぼっちではなくなったから、今、生きていてよかったな、と思っています。

 

 

【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑥(過剰に発達した責任感)

今日は、過剰に発達した責任感 について棚卸ししていきます。

 

過剰に発達した責任感 とはどんなもの?

■過剰に発達した責任感■

機能不全家族の子どもとして、私たちは自分が親の問題であること、または親の問題を作り出していることに対して責任を感じていました。わたしたちは「見本になる子ども」になり、問題をなくそうと努力しました。私たちは親が感じ、行動する仕方、さらにはその結果に対してさえ責任があると信じ込みました。今もってわたしたちは、他の人たちの感情や必要に対して、とてつもなく過敏であり、彼らの感情を生み出すことや、彼らの必要を満たすことに当然責任があると思い込んでいます。わたしたちにとっては、自分の仕事を「完全に」やることが重要です。わたしたちは他人の生活がより容易になり、ストレスがより少なくなるように物事をやってあげようと志願します。この大げさな責任感のおかげで、わたしたちは、とても捌き切れないくらいたくさんのことを引き受けようとします。わたしたちはしばしば、結局のところ犠牲になったように、利用されたように、認めてもらえなかったように感じ、恨みがましくなります。

責任過剰であると、わたしたちは次のようであるかもしれません:

●人生を重大にとりすぎる
●融通が利かない
●完全主義者である
●他人の責任を当然自分のものと思う
●高い業績を上げることにこだわる人である
●偽りのプライドを持っている
●他人を操る

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「見本になる子ども」

私はしばしば、親が不仲だったり不機嫌であることも、自分のせいだと思っていました。

私がちゃんとしていないから。

私が満足いくような結果が出せていないから。

私が両親にとって完璧ではないから。

私が他の子より優れていないから。

だから親は不満足で、父は不倫をするし、母はいつも父の愚痴を言うし、見せかけのような「幸せ」を維持するために離婚を選ぶことすらできないのだ、と。

だから、「子供がいるから離婚できない」と私たちを言い訳をするのも、自分が不完全だからだ、と思っていました。

しかし、それは間違いでした。

父や母の気持ちの機嫌まで私は気にする必要はなかったのでした。

なぜなら、父や母の人生は、それぞれ父や母のもので、私の責任の範囲外だったのだから。

私がどんな子供で、どう生きていたとしても、私は私の人生にのみ責任があるだけで、親の人生に対する影響まで考えて、そのために自分の気持ちを押し殺したり無理に笑ったりする必要はなかったのだ、と気づいたとき、「無駄なことをさせやがって俺の人生を返せ!」という強い怒りが湧き上がりました。

しかし、そのあとはスッキリしました。

私はもうこれ以上、『他人が見て完璧である必要がなくなった』んだな、と思いました。

 

 

完璧主義で献身的な偽善者

今もってわたしたちは、他の人たちの感情や必要に対して、とてつもなく過敏であり、彼らの感情を生み出すことや、彼らの必要を満たすことに当然責任があると思い込んでいます。

わたしたちにとっては、自分の仕事を「完全に」やることが重要です。

この部分は本当に耳が痛くて、耳がちぎれ飛びそうなぐらいです。

とにかく周りの人の機嫌が悪いと、私が何かやってしまったから機嫌を損ねているのではないか?という疑念が頭から離れません。

ぐるぐる考えてしまい、不機嫌な人の近くにいるだけで疲れてしまいます。

私がその人を怒らせたわけでもないのに、何かhappyなニュースを伝えたり機嫌が良くなるような手助けをしたくなります。

相手の反応が気になるあまり、行動心理学に手を出したのがいよいよ被害妄想を悪化させました。

「今腕を組んでいるからNoなんだな」とか

「利き腕と反対の方向に視線が泳いでいるから今は嘘をついているな」とか

「頰を触ったり手を揉んだりしているから不安に感じているな」とか

「拳を手で丸め込んでいるから、顔は笑っているけど内心ムカついていて戦闘態勢だな」とか

言い出したらきりがありませんが、つまりそういう一挙手一投足に注目して、悪く取られないようにいちいち反応や対応を変えていました。

それはとても疲れることでした。

嫌われるリスクを極限まで削るのと同時に、自分のメンタルもどんどん削れていきました。

なんで私はこんなにまでなって、他人の気持ちや要求に応えようとしてしまうのだろう?

なんで私は結局逆恨みするくせに、他人に献身的であろうとするのだろう?

他人に卑屈に関わり、こちらからお願いすることはできず、消費されているような気がして滅入っては恨み言をいう割に、他人に対する気苦労を一向にやめられない。

そんな自分がとても嫌いでした。

その根本には、「見本になる子ども」になって、親の人生の責任の肩代わりをしようとした、健気な幼少期の自分がいたのでした。

父や母を思うからこそ、そういった不安定な家庭が少しでも明るくなりますように、と道化を演じていたくせが、そのまま残っていて、それは今は必要のない技術にもかかわらず、他人に対していまも発揮されていたことに気づきました。

そう、今は必要がないのです。

そして、実は昔も必要がなかったのに、親が親として機能してなかったので、そうせざるを得なかっただけ。

私は悪くなかったし、いまも悪くはなく、いま必要がないことをやめればいいだけ。

そう気づくと、え?本当にそんなことできるのかな?と半信半疑ながらも、それっていいよなーと思いますよね。

 

過剰に発達した責任感 からの回復とはどんなもの?

□過剰に発達した責任感からの回復□

わたしたちは他人の行為や感情に責任はない、という事実を受け容れると、自分自身に目を向けざるを得なくなります。他の人の生き方をコントロールしないこと、人は自分に対して責任があることをわたしたちは理解します。自分の考え方、感情、行為に責任を持つようになると、余計な責任を引き受けがちな私たちの性向ではなくて、ハイヤー・パワー(回復の力)こそが、わたしたちの導きの源泉であることに気づくようになります。このようにわたしたちは、まず第一に自分を支え養う時間とエネルギーを取り、その後に他の人に適切に与えるようになります。

余計な責任取りを止めるにつれて、わたしたちは次のようになり始めます:

〇自分を気遣う
〇仕事と余暇を楽しむ
〇自分の限界(弱さ)を受け容れる
〇責任を委譲する

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あらゆることは、それぞれの主体性により具現化しています。

親は親の決断で人生を形作っているし、他人も生きたいように生き、死にたいように死ぬ。

そこに私は私らしく人生を生きている限り、全く責任がありません。

まず第一に自分を支え養う時間とエネルギーを取るべきなのです。その後に他の人に適切に与えるようにすればいいのです。

最も大切な自分のために、きちんとリソースを割り振ることが実は自然で、それこそが最も他人に対して責任ある行動だったのだ、と気づきます。

 

今こそ、人生を取り返せ

私はずっと気づかないふりをしてきました。

『偽りのプライドを持っている』とは、つまりそういうことです。

私の「他人のために動ける徳が高い心優しい人だ」というプライドは、偽りです。

それは本当の私ではありません。

『他人に目を向けているうちは自分の問題を見なくて済む』という都合の良さを、他ならぬ自分のために利用していた、臆病な人が、私という人です。

自分が被害者のように思っていれば、居心地よく自分の問題に取り組まず先送りにできるから。

『完璧を強要されている風を装いながら周囲の機嫌をとることを無意識とはいえ積極的に選択していた』という事実を認めるのは都合が悪かったから。

 

ごめんなさい。私は自分で選んで、そうしてきたことを、ここに認めざるを得ません。

やりたくないと言いながら、やろうとしたのは、私の恐怖をみたくなかったからです。

自分の人生に向き合うのが怖くてたまらなかった。

なぜなら、それは今まで親のものだったから。自分の手で運用できたことがなかったから、自信がない。全部親が代わりにやろうとして取り上げてしまったから、経験もない。

うまくやれるわけがない!と思います。

しかし、それは私のせいではない、しかたがないことです。

機能不全家族のなかで一生懸命に生きようとして、私は他人に気を遣い、過度に責任を負わざるを得なかったのだから、身についたその過度な責任感のおかげで、今まで命を繋いできたことに感謝して、ついに私は手放します。

私が責任を持つのは、私の人生だけでいい。

そう生きるならば、私は私を最も重要だと考えていいし、自分が悪いから皆が悪くなる、というような呪いをもう信じなくていいのです。

それはとても楽です。心が軽いです。

私以外の人も同様です。

その人がしたいように、今を生きて、将来を決めていくのだから、どう取るか、どう思うかは、完全に私の範疇を離れています。変えられないものです。私にはそれに影響を及ぼす力はありません。あっても、少し背中を押す程度のものです。

他人や状況に対して、私は圧倒的に無力であることを受け入れます。他人に対して感じ方や機嫌をコントロールしようなんていうことは、土台不可能なことで、私の能力の範囲外だったのだ、ともうこの際、あっさり認めてしまいましょう。

そう考えると、とても自由だと思いませんか?

あれこれ考える必要はもうないのです。

だって、自分のこと、それひとつだけで良いのだから!

私が何をしても、どこにいっても、誰といても、私が生きたいように生きてよく、それがどう影響するかは他人の問題なのです。

つまり、私は私が自由に思い描く通りに、生きていていい、ということです。

私は今まで本当に楽しくなかったです。それは、人生を他人(親)に奪われていたからです。

今こそ、奪われていたハンドルを奪い返しましょう。

取り返して、自分でハンドルを握りましょう。

私は、外部のあらゆる状況に無力でありながら、自分が生きたい自分である限り、無限で自由自在なのです。

【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑤(コントロール)

今回は、コントロールについて棚卸ししていきます。

 

コントロールとはどんなこと?

■コントロール■

子どもの頃わたしたちは犠牲者でした。自分の環境や起こってくる出来事を、殆どあるいは全くコントロールできませんでした。その結果、成人に達したわたしたちは、安全さと予測可能性を異常なほどに必要とするようになって、ついには他人のと同様に自分の感情と行動をもコントロールするようになりました。わたしたちの恐れは固さを生み出し、自発的になることを妨げます。何かの課題をやり遂げるとき、あるいは何かの事態を取り扱うとき、私たちは自分しか信用しません。わたしたちは、他人が自分たちを承認するように操縦し、人々や状況を厳しいコントロールの下に置いて、初めて安心できるのです。わたしたちは、管理する立場を捨てると、自分の生き方が滅茶苦茶になってしまうのではないかと恐れ、また自分の権威が脅かされた時ストレスを感じ、不安になります。

わたしたちの、コントロール下にあることの必要・欲求は、結果として、次のようなことを生み出しているかもしれません:

●変化に対して過剰に反応する
●他人が信用できない
●失敗を恐れる
●人を裁く傾向があり、硬直している
●寛容ではない
●他人を操る

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
63Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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他人が信用できない

これが特に突き刺さります。

私は他人が信用できません。

弱みを見せたら騙されるのではないか?

今はいい顔をしているが、私が失敗してメリットを生み出せなくなったら容易にはなれてく薄い関係なのではないか?

そう思うと、本当に困っていることほど相談なんてできないし、常に役に立たなければ捨てられるという恐怖があります。

だから、相手に嫌われていないかどうか細心の注意を払い、嫌われる可能性のある選択肢を極力排除し、自分がよく見えているように常に他人の評価をコントロールしようとしていたと思います。

それが、常に他人の前で気を緩められない悪循環を生み、さらに他人との距離を開かせます。このように、真の信頼関係とは程遠い関係しか構築できないゆえんは、自分自身のコントロールしようとする心だったのだと思います。

 

自分の気持ちに蓋をした

他人だけではない、と書いてあるところが実に示唆に富んでいて、私は確かに感じ方をコントロールしようとしてきました。

別の構成要素である『凍りついた感情』にも関連すると思いますが、『感じてもいい』と思う感情や社会的に正しいと確信できる感情しか自分に許さなくなって、私は私が感じていることがわからなくなったのだ、と実感しています。

たとえば、『結婚しているのに他の異性を魅力的だと思ってはいけない』とか『仕事をしなくては生きていけないのだから、仕事をしたくないということは感じてはいけない』とか『育ててもらった恩があるのだから、親を大切にしなければいけない、嫌いになってはいけないし敬わなくてはならない』という風なことです。

賛否両論あると思いますが私は、結婚していても他の異性を魅力的に感じることはあるし、仕事がしたくなくて1日放心状態になるときもあるし、親なんて早くいなくなれと思っています。

常識的に、そして倫理的に見れば、もしかするとこれらは非常識だ、甘えだ、間違っている、と糾弾され裁かれることなのかもしれません。

でも、実際に湧き上がってきた感情や気持ちは、そのまま受け取っていいもののはずです。だって、そう感じている自分は確かにいるのだから。

それを歪めてなかったことにして蓋をすると、感情や気持ちは腐臭を放ちながら別の形で体現されます。

それが、『他人に対する異常な厳しさ』です。

 

とにかく自分にも他人にも厳しかった自分

●人を裁く傾向があり、硬直している
●寛容ではない

という項目がありますが、まさにその通りです。自分の気持ちを封じ込める代償に、他人にもそれを求めたのです。

『自分がこんなに我慢しているのに、お前がそれを許されるなんて不公平を、俺は絶対に許さない』という、青く揺れる炎のような憎しみを燃やしながら、目を血走らせて間違いを見つければ「ほらやはり正しくない」と相手をジャッジしていました。

間違っていることが許せず、徹底的に糾弾して、周囲を萎縮させ、自分自身も間違いができないようになって、どんどん気苦しくなっていきました。

自分の本当の気持ちが見えていないから、正しさが唯一の物差しになっていたんですね。

出発点は自分が自分の感情をないがしろにしたこと。それを他人にまで強要するなんて、嫌なやつだったなぁ、と呆れます。

私は他人が人生を謳歌しているのがとにかく憎くてたまりませんでした。

楽しそうにしている姿も、前向きに頑張る姿も、私がしてはいけない(と思い込んでいる)からできないことを、反則で自由にやっている、と思うと気が狂いそうなほど嫌いでした。全部燃え尽きて滅びればいい、目の前から消え失せてほしい、とすら思っていました。

今思えば、自分らしく振る舞い楽しそうに生きている姿が、羨ましかったのです。自分の感情のままに、生きていきたいと本当は思っていたから。

なぜそれができなかったのか?

それはやっぱり両親との不健全な関係からだったように思います。

 

何も決めさせてもらえなかった

私は小さい頃、自分では何も決めさせてもらえなかったように思います。

習い事も、行く学校も、目標とする将来ですら、自分で思い描くことを諦めるほど、両親から無言の圧力を感じていました。

どうせこの人達がむかってほしい方向にレールが敷かれて私はその通りに進まなくてはならなくなるのだから、考えたって無駄だ、いう通りにだけしていよう、と思っていました。

だから、何の喜びもありませんでした。

全ては義務でした。

子どもの頃わたしたちは犠牲者でした。自分の環境や起こってくる出来事を、殆どあるいは全くコントロールできませんでした。

上記の内容にある通り、それは「コントロール」だったと思います。

こうしなくてはならない、あれをしてはならない、なぜならそれが正しいことだから。

呪いのように正しさだけが私の周りを占拠して、世界がどんどん高くなる壁に覆い尽くされて見えなくなるような感覚。

足元の靴やそれより下にいる人だけを見ていれば、見えていたはずの空を思わなくて済むので、私は見上げるのをやめたのでした。

自分が行きたい方向なんてない。ここで言われた通りに生きるしかない。だから、下に人がいないと「これでいいんだ」と思えないし、不安になるのです。

だから、人より優れていようと必死になり、わかりやすい偏差値やランキングにこだわり、持っているもので必死に他人をジャッジして安心しようとしました。

それは、本当にその人そのものを見ていない、見ようともしない、失礼で浅ましい思考だったと思います。

安全さと予測可能性を異常なほどに必要とするようになって、社会的評価が高く、経済的に安定した何者かになろう、またはそういった組織の一員になろうとしました。

それが今ある程度叶っているのに、なぜこんなにも不満足なのか?

それは、本当に求めていることではないからです。

コントロールされたことにより、コントロールしようとして、安全さや予測可能性を異常に欲した結果、今の場所にたどり着いたものの、本当にしたいことや本当に好きなことや、本当に得意なこととは違う場所にたどり着いているから、こんなに違和感があるのだと思います。

たしかにこれで正しいのだろう。そう納得できるし、そう生きてきて間違いはないはず。

なのになぜかイライラするし、毎日憂鬱で、なぜか悲しく虚しい気持ちになるのです。

正しさがほしかったのではないのでしょう。

では、何が欲しかったのか?あるいは欲しいのか?

それは、『楽しむ』ということではないかと最近思うのです。

コントロールからの回復とはどんなこと?

□コントロールからの回復□

自分が安全であると感じ、安心するために、人々や物事をコントロールしようとしてきたやり方に、私たちはもっと良く気がつくようになります。わたしたちの努力は無益だったこと -わたしたちのコントロールにもかかわらず、他人はその人のやり方で物事をやっていき、状況はそれ自身の成り行きを持っていること- が分かります。ハイヤー・パワー(回復の力)を自分の安全の源泉として受け入れ始めるとき、私たちの必要を満たすための、最も有効なやり方を発見します。わたしたちが降伏して、意志といのちをハイヤー・パワー(回復の力)の配慮に委ね始めると、ストレスや不安を経験する度合いは小さくなります。自分の安全にばかり気を取られることなしに、いろいろな活動に参加することが、前より良くできるようになります。平和の祈りを口に出してみることは、コントロールに対する欲求・必要がまた起こっていることに気がついた時なら、いつでも役に立ちます。

コントロールを捨てるようになるにつれて、わたしたちは次のようになり始めます:

〇変化を受け容れる
〇自分を信じる
〇他の人に権限を与える
〇ストレスが減る
〇楽しむ方法を見つける
〇他の人たちをそのまま受け入れる

******
『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
64Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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何も楽しくなかったのはコントロールしようとしたから

私が今一度認識し直さなくてはいけないのは、両親がそうしようとして無駄であったように、物事や、特に他人などは『コントロールできないものなのだ』ということです。

それぞれがそれぞれの行きたい方向があり、実現したい未来がある。それが叶うか叶わないかによらず、それを目指す自由があるし、失敗する権利がある。

そもそも、出発点はそうであるはずでした。

しかし私は両親に邪魔されました。いろいろな失敗する権利を奪われて、目指す自由を見失いました。

結構、楽しくなかったと思います。ワクワク心踊る!みたいな人生ではありませんでした。それは、自分の人生ではなかったから。

今は、経済的にも自立しました。年齢も成人と認められる歳になりました。今もなお親からの呪いを引き継ぐ必要はなくなりました。

私は、私がコントロールしようとしてきたことを手放します。

自分のこと、他人のこと、そして、常に正しくあること。

人は、常に正しくあることなんてできないのだから。

こうではないかな?と思ってやってみて、そうでなかった、なんてことは日常茶飯事です。

失敗の経験を積み重ねることで、私たちは成功の確率を上げてきました。それが正しさと言われるものです。

つまり、正しさこそ失敗から生まれたものであり、自分がきちんと正しくあろうとするなら、むしろ失敗を知らなければならない。生身で本気の失敗をしていない人が、真に正しいことを肌感覚で知りようがなく、知識として知っていてもその人の正しさは本物とは言えない、と思うのです。

そして、だからこそ、『正しい』なんてことは常に変化していてとらえどころがなく、陽炎のような存在であって、他の人の正しさに囚われて、右往左往したり、あるがままに感じることをやめてしまった途端、私たちは健全ではなくなってしまうのでしょう。

正しさも人生も、フル・オーダーメイドです。

それぞれがオーダーメイドの人生を楽しむために生まれてきました。

だから、比べる必要がない。羨む必要もない。妬む必要もない。見下したり蔑んだりジャッジしたりする必要もない。

どれひとつとして同じではないからです。

なるようになっていきます。状況はそれ自身の成り行きを持っていて、私がヤキモキしなくても勝手にあるべき姿に収束していくと信じることができます。

だから、私は、私が何をしたいか、何をして楽しみたいか、に全身全霊をかけていいと、全てを手放して、自分に許可を出してもいいのです。

正しくなくてもいい、社会的に価値がなくてもいい。私たち一人ひとりの自分らしさとは、常に自分だけのオーダーで形作られる「オーダーメイド」だからこそ、それだけで価値があります。

だからみんな、好きなように、生きていいんだよ。

誰に何を言われるかなんて気にしなくていい。みんな外野で脇役。親ですら登場人物のなかのひとりでしかない。

主人公は私たち自身。自由にオーダーが出せるそれぞれの世界の主役は、自分自身以外にいない。

自分の夢は、自分にしか見つけられないし、自分にしか叶えられない。

私は、コントロールされてきた私の人生を、今度こそ取り戻そうと思います。

そして、精一杯楽しんで胸を張って死んでやるぞ!とワクワクした気持ちでいます。

 

【依存症】断酒しててもやっぱつまんないなと思う話

なんか、どいつもこいつもイラっとする。

誰も彼もがわかったようなことを言ったり、私を内心非難したり馬鹿にしたりしているように感じる。

何かを一生懸命話していて、相手に反応されてもされなくても、マイナスに受け取られている気持ちになり不安と苛立ちを感じる自分がいる。

誰にも必要とされておらず、なんの影響力もなく、生きていても死んでいても大した差などない些末な存在だと思うと、このまま煙のように消えてなくなりたいと思う。

 

断酒して2年半経ったにも関わらず、いったいこの希死念慮といい自己肯定感の低さといい、何が変わったというのか。

飲んでないこと以外に私の世界はあまり変わったように感じない。

 

私は、生きていく自信を今失っているのだろう。

失うほどの自信など持ち合わせてなかったはずだが、いったいどうしてこれほど疑心暗鬼になっているのだろうか。

 

 

まず一つには、疲労だ。

私は人が大勢いる場所に行くと疲れる。

そうした機会が最近は特にたくさんあった。

私には結局そういうのは向いていない。

仕事は最近忙しくなった。

担当エリアが拡がり、期待されている疾患領域だからと上からの圧力や干渉が増えた。

成功させなくてはいけないというプレッシャーを感じながら精一杯やってきたが、意味のない指示が多すぎて辟易している。

成功させるためにやりたいと思っていることに集中させてもらえない。その苛立ちから、うつ状態が悪化している。

 

 

もう一つは、気付いてしまったからだ。

自分の本当の気持ちを抑えなくてもいいことに。

ありのまま感じていいということに。

私は今まで、正しいことしかしてはいけないし、倫理的に間違った感情を持つこと自体が罪だと思っていた。

なぜなら、教師だった両親はいつも正しく、私は正論に叩き潰されていたからか、ある種諦めていたからだ。

私が何か一生懸命感じたり考えたりしたって、どうせ正しい何かが、絶対的に君臨していて否定される、と思ってきた。

だから、感じたり考えたりして発言することは無意味で、正解を探して、ただ当てはめて生きていけばいいんだと思っていた節がある。

社会人になって、地頭力がどうとか言われ出したときはひどく困惑した。

自分で考えるって言っても、「常識」や「普通」というなんらかの正解があるんじゃないのか?

正解はないって、設問が間違っているからそんなことが起こるんだろう、と。

しかし、実際は世の中には正解などなく、「常識」や「普通」をはじめとする「正論」はこの上なく薄っぺらい概念で、実はただの陽炎だった。私は自分が感じるように感じて良かったのに、勝手に諦めていただけだった。

両親がひたすら水戸黄門の印籠のように振りかざしていた「正論」の正体を知った。

正しいことしか許容しない家庭=私の家庭がしていたのは、愛情という隠れ蓑を用いた真綿で首を絞めるような虐待だったと知った。

暴力や暴言ではなかっただけで、見えない虐待だったとは知らなかった。

ある意味、支えにしていたものたちは、その本性を顕すと、ものの見事に砕け散った。

 

私は心底、頭にきているのだろう。

 

今まで信じてきたルールが偽物だった、その偽のルールを強いてきた両親への怒り。

納得いかないがルールなら、と従ってきた自分の愚かさへの怒り。

未だにそのような馬鹿げたルールを重視する世界への怒り。

やりたくないことをやらないでよかったのに、無理してやらざるを得なかったことへの誰に対してなのかわからない怒り。

 

今まで無為に過ごした30数年の人生全てに、私は頭にきている。

なぜか?

 

それは、認めたくないからだ。

自分の無力さを、愚かさを、至らなさを。

愚かな両親に翻弄されて無駄にした時間を。

 

しかし、私は無力だったし、今も無力だ。

それは、しかたがない。当たり前のことだ。

 

私は当時子どもで親しか見本になる人間がいなかったし、他の家庭とは隔絶された共依存家族の檻の中から、いくら他人を見ても客観的には見られなかったので、ヒントを得がたかった。

今も、無力な出来損ないの人間だ。

一生治らないアルコール依存症という病を患い、今でも人が好きにはなれそうにない。

意味のないことはとりあえずやるなんてできないから、損ばかりして煙たがられている。

何か特別なことができるわけでもなく、文章を書けばご覧の通り大したことは書けないし文才を磨いてきたわけでもないから、たくさんの人に何かを届けられるわけでもない。

お世辞にも頭が良いとは言えない。回転は鈍いし記憶力は良いとは思えない。

こんな粗大ゴミのような生肉と血と糞の塊として、まだまだ生きていかなくてはならないのか、という鉛のような疲労感が、見聞きする全てを色褪せさせていて、いちいち癪に触る。

 

恨み言を言ってもしかたがない。

私以外の個体も、欠けた部分がある出来損ないなのには変わりはない。

それなのに楽しくないのは、私の感じる感覚や捉え方の問題だ。

私は、私以外を変えられないし、私以外に問題はない。

 

糞のような世界だと感じているなら、感じ方を変えるしか、道はない。

あるいは、感じること自体を終わらせるしかない。

ふたつにひとつ。

 

感じ方を変えるために、そのまま感じて歪みなく自分の感情を捉えられるように、AC(アダルトチルドレン )の12ステップに沿って棚卸しをしていく。

それに取り組みながら、同時に深い深い洞を覗き込み、その暗く陰鬱な空気にうんざりしてきている。

今率直に感じているのは、人に接するのは疲れるからやはり好きじゃないということと、生きるのはやはり、とても大変なわりには、とてもつまらないということ。

私は感じていいと思って感じてみたら、存外につまらない人間で、やっぱりどっちかって言えばあまり生きていたくないのかな、とがっかりしている。

感じてもよかった感情を感じているはずなのに、やっぱシラフの世界なんてこんなもんで、阿鼻叫喚の地獄から賽の河原に来たくらいにしか変わりなく、やはり疲れる。

酒は飲まない。

しかし、酩酊状態の頭のなかより世界がキラキラしているとは思えない。

 

蓋を開けて「やっぱり何もありませんでした。」になるのが怖いし認めたくないのだろう。

棚卸しをして、ひどくつまらない生きるに値しないような自分が出てきたとき私は絶望するから、それが怖いのだ。

しかし、見に行くしかない。

疲れをとったら、覗き込みに行こう。

そんならいっそ消えちゃえば?というのはそれを覗き込んでからでも、遅くはない。

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