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【AC】Step8「傷つけやがった人」その② 『会社・上司』

まずは、会社や上司に「傷つけられたこと」について、整理します。

 

2015年3月のできごと

私は、アルコール依存症を自覚する前、お酒を飲んでは失敗を繰り返していました。医療関係の職場でありながら、職場の人たちには、依存症の知識はありませんでした。やはり、依存症については、当時の私も含め、社会的にはまだまだ浸透していませんよね。

 

そんななか、私は、2015年3月のある日、決定的に会社と上司を困らせることをしました。

泥酔して仕事現場である某一流ホテルに登場した私は、運営していた本部スタッフを激怒させました。とても悪目立ちしていたと言います。

前日に歌舞伎町に飲みに行き、後輩の話によると、飲み屋を2軒、キャバクラに1軒、そのキャバ嬢の子の知り合いのゲイバーに1軒と4軒はしごしたそうですが、最初の2軒まではしっかり覚えているものの、あとはうろ覚えです。

目が覚めたのは、朝方のタクシーのなか。かけていた眼鏡をなくして視界が悪く、時間を確認すると、9時から仕事なのに、8時。

私はふらふらになりながらホテルに一度戻りました。「仕事に行かなくては」その一心で荷物をまとめてヨレヨレのスーツのままシャワーも浴びずにホテルに向かい、会場周辺をふらふらしているところを、本部スタッフに保護されたかたちです。

直接取引先や顧客にご迷惑をおかけすることは幸いにもありませんでしたが、社内の風紀を乱したとして相当問題視され、全社に風紀の乱れに対する注意喚起としてアナウンスされました。

 

私を懲戒解雇すべく動き出す会社と上司

今までも遅刻やミスを繰り返していた私をかねてより迷惑に思っていた当時の直属の上司(所長Sさん)とその上司(支店長Tさん)は、私を組織として抱えることに限界を感じたのでしょう。私に懲戒解雇をちらつかせながら依願退職させよう、と本腰を入れて動き出しました。

数週間、自宅謹慎となりました。出勤が解禁されても、チリ紙を折るという明らかに何の役にも立たないことをやるように命じられました。

そして、これらの言葉を繰り返し繰り返し投げかけられる日々が数ヶ月続きました。

「もう仕事を任せることはできない」

「つまり残っていても仕事はないぞ」

「今お前がやっているのはなんだ?紙を折ることだろ?会社には何も貢献していない」

「これからも貢献するとは思えない」

「もう私たちはお前を必要としていない」

「このままだと懲戒解雇になって、退職金がもらえないぞ」

「お前が会社をやめてくれることが、私たちにできる最後の貢献だ」

結局、私は会社の労働組合が守ってくれて、解雇を免れ、戒告処分となりました。当初リーダーになるべく転職してきた私でしたが、新入社員よりも下の「半人前ですらない」というランクまで職務等級を降格されました。給料はぐんと落ちました。

当然、周囲からは馬鹿にされました。「失敗してもう終わった人間」として、指をさされて嗤われる日々が数年続きました。

その間、私は「死ぬなら全員見返してから死のう」と心に決めていたので、何も言わず、静かに屈辱を反芻しエネルギーにかえながら、臥薪嘗胆を座右の銘にして断酒しながら仕事に励みました。ちゃんと死ぬために生きました。

2年後、私は採用されたときの職務等級まで昇格することができ、周囲の人間より優秀な成績を収めることができるようになりました。

 

私は何に傷ついていたのか?

私は、この経験から、自分の行動に対する責任を問われて、いくら反省しいくら組織に貢献しても、所長Sさんと支店長Tさんに否定され続け、傷つきました。

もちろん私がアルコールを乱用して迷惑をかけたことが事実で、それに対していわゆる自業自得の扱いを受けたと思いますが、行動が改善され、己の罪を見つめ直した人間に対して、一度張ったレッテルをキープし続けて、思い込みから見たくない事実を見ようとしなかったことは、上長として適切な行動ではなかったし、私はそれを理不尽だと思いました。

私のほうが先に信頼を裏切りましたが、それを免罪符にして私の尊厳は踏みにじってもいいものだと言われているように感じました。私はいくら努力しても、しょせん失敗した人間なのだから、二度と日の目を見ることはないのだ、と繰り返し否定されていると感じました。

それは、当時は感じないようにしてきましたが、今思えば、とてもつらいことでした。

また、回復したのちも、アルコール依存症については口外しないように言われました。

アルコール依存症は「恥」であり、会社のイメージを損ねるから、やめてほしい、というのが、会社と上司から言われたことでした。

そんな身の上話に興味はない、みんなそんな話は聞きたくない、と言われました。

私は、人生を否定されたように感じました。

回復して生きていることが罪であるかのように感じました。

 

このことを棚卸するにあたり、とても抵抗がありました。

というのも、断酒会に参加していて、個人的な感想として抱いていたのが、アルコール依存症の当事者は犯罪者というか罪人であり罪人は罪人らしく陽が当たらないところを一生謝りながら生きていくものだ、というような感覚でした。

なので、酒害をまき散らした分際で、酒害を与えられた人に傷つけられた、なんて言うことは、タブーという印象で、許されざることだと思っていたのです。たとえるなら、殺人を犯したのに、私も傷ついていて苦しかったんだ、と法廷で弁明しているような感覚です。

人殺しが何を言っているのか?と言われたら口をつぐんでしまうもので、私も「酒害をまき散らしといて何言ってんの?」って言われたら、「まことにその通りです」としか言えないというのが正直な気持ちでした。

しかし、これで正しさで蓋をしてしまったので、私は私の本当の気持ちを感じることから離れて、長い間会社や上司という存在に対して怒りや憎しみを抱え続ける原因になったと今、振り返って考えています。

 

まとめ:傷ついていたことを認めることが、心からの謝罪につながる

私は、当時やはり傷ついていました。

自分が起こしたことや傷つけた人に対して、その行動を深く反省して謝罪し、償いをしていくということが大前提なのですが、先日のハートネットTVであったように依存症の当事者の傷は確実にあるわけで、依存症当事者だったとしても人としてリスペクトされるのは当然の人権なのだと思います。

その基本的人権の部分を軽視されたことに、傷ついたのだと思います。

正しさを振りかざして印象やイメージで私に対する偏見や差別を行ったことは、彼らの過失で在り、私の責任の範囲を超えたストレスだった、と改めて認識しておきたいと思います。

それを認められて初めて、私は、彼らを傷つけたことに真摯に目を向けることができるのではないか、と思います。

【AC】Step8「傷つけた人」その①『中学校の担任教師 M先生』

謝らなくてはならない、謝りたい人がいます。

その人は、私が中学校のときの担任教師、M先生です。

 

当時の状況

Mさんは、女性で、離婚していました。

子どもはふたりいました。確か、息子さんだったと思います。働きながら、子供二人を育てていました。

私は、その頃、心が荒れ狂っていました。

出会う人全てが嫌いでした。

家電量販店・コンビニ・スーパー・百貨店などで万引きを繰り返しては、中古屋に売ったり自分で使ったりしていました。

世の中をバカにして、大人は特にバカにしていました。

自分の問題に気づかず、あらゆる人を憎み、『権威ある人を恐れ』ていたので執拗に攻撃していました。

 

教師を憎むことと、反抗挑戦性障害

私にとって権威の象徴であった教師を特に攻撃しました。

私の両親が教師だったこと、正しさの象徴だったこと、このふたつで、天敵として認定するには十分でした。

反抗挑戦性障害(英: Oppositional defiant disorder ; ODD)というものがありますが、その状態におそらく近い状態でした。ADHDに併発しやすい障害で、反抗期とは少し異なります。

もちろん、これは言い訳にはならないことで、障害と名前がついていますが、自分の弁明ではなく、こういう状態だった、という説明のために名称を出しました。私がADHD合併のASDでもあり、関連が浅くないので、というだけです。私の行いは、ODDによらず、謝罪したいことであり、謝罪すべきことであると認識しています。

 

反抗挑戦性障害はどんな病気?
反抗挑戦性障害は、9歳前後~思春期前後にみられ周囲に対し挑戦的、挑発的でかつ反抗的な態度や行動を当然の様ににしてしまうものです。ADHDいわゆる注意欠陥多動性障害を持つ4割の子供が発祥するとされています。治療はADHDと合併症で出たものならば親子関係の修復(ペアレントトレーニング)や育児支援、ADHDへの薬物治療がほどこさせます。

反抗挑戦性障害の症状
反抗挑戦性障害の症状は、文字通り反抗的で挑発的な態度を取ることが主となります。例えば目上の人に対して必要以上に挑発的で、規則に対して必要以上に反抗したりします。口論や、意地悪などが多く感情をコントロールすることが苦手で、明らかに度が過ぎる行動を行います。主に9才から思春期に見られ、年齢と主に自然と落ち着くのが一般的です。

反抗挑戦性障害の原因
反抗挑戦性障害とは、精神状態が普通の状態ではなく、何事に対しても反抗的な態度をとってしまうことが特徴です。原因としては様々な精神疾患が考えられます。精神疾患が起因の場合もありますが、何か特定のショッキングな事件や事故が起こったあとにもこの障害は起こり易くなります。反抗的であるだけでなく挑戦的なところも特徴で、すべてのことに対して反してくることが問題です。

出所:https://www.hospita.jp/disease/2277/

 

具体的に何をしていたかと言えば、学校の備品やイベントで先生がたが作ったものをこっそり破壊しておいたり、授業をボイコットして全く違うこと(ゲームや授業妨害)をしたり、授業内容を予習して先生が間違ったことを言ったら指摘して訂正したりしていました。

基本的に先生という存在がすることをすべてを否定し、バカにして、周囲にも煽動していました。

担任は管理者責任を問われるので、M先生は、口うるさく私を注意しましたが、私は何も聞かず、むしろ逆のことをしました。うっとおしいと感じ、攻撃を激しくするばかりでした。三者面談では、私たち親子を睨みつけて「こんなに憎たらしい子は見たことがない」と言っていました。とにかく、教師と生徒としての関係は最悪でした。

ここまでのことについても、先生の職務を妨害し、QOLを著しく下げる態度をとったことに対して、本当に申し訳ないと思います。

当時の私にとってはしかたないことだったかもしれないけれど、それは、M先生を傷つけていいということではなかったから。

私は私の課題に向き合わずに、苦しさや悔しさを他人であるM先生をはじめ多くの大人たちに、当時押し付けました。それは、不当なことでした。

彼らは子どもを育て教え導くことに夢を持ち、教師になったはずです。私たちのことを考えていろいろなことをやっていてくれたかもしれないのに、その気持ちを踏みにじったことを、私は恥じて、とても後悔しています。

そのような失礼な態度を本当に心から謝りたい。まことに申し訳なかった、と思います。

 

最も謝らなくてはならないこと

それ以上に謝らなければならないことがひとつ、あります。

これを話すのは怖いですが、やはりこれこそ最も謝りたいことなのだと思います。

私はいつだったか、弁当を忘れたことがありました。M先生は、すごく嬉しそうな顔をして「分けてあげようか」とニヤニヤしながら提案してきました(というように私には見えました)。
しかし、今思えば、それは弱いところを見つけたので歩み寄るチャンスだと思ったのかもしれないし、優しさからくる笑みだったのかもしれません。

私は、放課後、教室の黒板に次のように書きました。

「先生のお子さんはお父さんがいなくてさびしいでしょうね」

あくる日の朝、黒板を見た担任のM先生は、しばらく言葉を失っていました。その後怒りで顔を真っ赤にして、泣きながら「これを書いた人は誰ですか?名乗り出なさい」と言いました。

1時間近く、誰なのか聞きましたが、私は手を挙げず、ダメージを与えられたことを密かに喜んでいるだけでした。

その後、先生は、心を病んで転勤していき、今はどうなさっているのか、分かりません。

M先生、もう謝っても償えることではありませんが、本当にごめんなさい。

なんてひどいことをしてしまったのだろう、と今でも後悔しています。

子どもができて、初めて分かりました。こんなことを言われたら、私はなんとしても犯人を突き止めて殺しているかもしれません。私は「相手が最もダメージを与えられることをして復讐しよう、心を折ってやろう」という残酷な発想で、言ってはならないことを言いました。こんなことは、どんな人にも言う権利など無いし、言うべきではなかったことでした。

そしてその発端となった復讐心も、逆恨みであり、もしかしたら優しさかもしれなかったのに、わたしが受け取る器がなかったことでした。M先生に何の落ち度もなかったことでした。受け取り方を誤ったのは私の過失であり、私の課題でした。それらを見つめることから逃げて、八つ当たりをしました。

「権威ある人を恐れること」の課題に向き合い、私は不当に先生という存在に対して敵愾心を抱いてきたことを認めます。

そして、その怒りや憎しみをぶつけて、私に対して与えようとしてくれていた人々を深く傷つけ裏切ってきました。それは、誠実に生きている人を苦しめ、哀しみを無用に与えるものでした。本当に申し訳ありませんでした。

先生のお子さんに対して、私は何も意見する権利はありませんでしたし、会ったこともないその子たちを「さびしい」と言ったことは、許されざる侮辱でした。

今、大切な仲間がお子さんをふたり立派に育てている姿を見ています。

「私は、このように懸命に誠実に愛をもって生きている人に、嗤いながら石を投げたのか」と自らの行いを深く後悔しました。自分がしたことの罪の重さに震えています。

そして、石を投げた後に隠れて、気持ちを真っすぐぶつけることもしなかった卑怯者です。隠れたのは、非がありいけないことだと分かっていたからです。私のこのときの行いは、先生と他の生徒たちとの信頼関係をも傷つけ、先生が遠くに行かざるを得ない状況をつくり、先生を孤独にしました。それを意図した冷酷さで先生を深く傷つけたことを、心から謝りたいです。

M先生とそのご子息に対して失礼なことを書き、卑怯にも当事者として逃げ隠れし、そのことにより先生の気持ちを傷つけたことを、深くお詫びいたします。本当に、ごめんなさい。

 

まとめ:これからどう改善するか?

12ステップ・プログラムを教えてくれる仲間に出会い、いかに人を傷つけたかを知りました。

私は今後このような過ちを犯さないように、これからも真摯に自らの課題に向き合っていきます。

過ちを犯すことがあったとき、傷つけた相手に対し、真摯に逃げ隠れせず誠実に、謝罪することを誓います。

また、過ちを犯した仲間がいたとしても、存在を否定せず、行動について共に考え、自分と相手の気持ちを受け止め、これからも真摯に考え続けることを誓います。

【AC】今ここ、しかない。

私は無力だと思う。

あれやこれやと思いあぐねている。

それはコントロールできないものをコントロールしたいと思っているからだ。

 

元来、人には上下などない。

自分の認識が作り出す、まやかしに過ぎない。

私はよく「上からモノを言われているな」とか「お前に何がわかる」とか、正体不明の存在に対して思いやすい。

自己開示することは、相手の自己開示を要求する交換条件ではないのに。

私が洗いざらい見せているのに、何も見えないのが、おそろしく感じるのだ。

 

しかし、それは「見えない」のが恐いのであって、本当はその人は何も考えていないかもしれない。

あるいは本当に私を至らない未熟者と嘲笑っているかもしれない。

 

私は、それに関与しなくていいし、私にはどうしようもない。誰がどう思っていようと、私に対して直接はなんの意味もないということを、繰り返し思い出したい。

 

未熟者と嗤うひとは、私を「自分の経験しか材料がない」という謙遜に至らずに正しいと思って評価している時点で、まだその人のなかに解決すべき課題を抱えているだけのこと。

 

だから、この世に上下などない。

「この人はまだまだだな」という思い込みや、逆に「この人はすごい」と肩書きで恐れたりするのは、自分のなかの何かが他人をそう見せているだけだ。

自分の経験とは違う経験をして、様々な人が生きている。それはもはや、違う宇宙だと例えても過言ではないかもしれない。

だから、違って当たり前だし、上も下もない。

そもそも、比べられない。それを私はよく忘れる。

 

自分がまだ知らないことを知っていたり、よく見聞きしていても、その人の方が優れているわけではない。

また、よく知っている私が優れているわけでもない。

知る機会があったから知っている。それだけだ。

それを、求めている人に出し惜しみせず伝えられる人を今まで理解できなかったが、自分が知らなかったこと、これからも知らないことがたくさんあることを謙虚に受け止めているからだ。

だから、今まで出会ってきた尊敬すべき彼らは、自分が持っているものはごく一部であり、言葉で伝えられることは限られていると知りながら、相手にわかりやすいように骨を折って伝えてくれていたのだ。

なんとありがたい心だったのだろう。

彼らはそれがそのとき自分がやりたいことだったからやったのだろうけれど、そうありたいと思う。

自分の至らなさを知り、よく噛み締めているからこそ、他人に対して惜しまず、自己満足にならずに、伝える努力を自然にすることができる。

それが強い人であり、優しい人だ。そうありたいと思う。

 

私に問題があるから高みに至らないのだ、という思い込みは、幼少期のライフスキルが発動しているだけだと気づこう。

もうどうなとでもするがいい、と、天に預けることにする。

一切合切、自分ですら、ままならないのだ。

いわんや、他人をや、である。

自分の今までもこれからもコントロールできているように勘違いするのは、西遊記で孫悟空が釈迦の掌のうえを世界だと勘違いし、釈迦の指に斉天大聖と書いて得意になっている姿に似ている。

いくら優れた能力を持っていても、どこまでも自分すら、コントロールなどできなくて元々なのだ。

他人は別の宇宙だ。私の宇宙からどう頑張っても、変えられない。時空も空間も違うから。

私たちには、後にも先にも、限りなく『今ここ』しかない。

私にできることは、『今ここ』を楽しみ味わうことだけだ。

真剣に誠実に、向き合うことだけだ。

知りたいことを学び、感じたいことを感じる。

そのためだけに、今がある。

 

 

集中しよう。

それが生きるということだ。

 

【AC】何が正しいことかわからないけれど

『平安の祈り』というものがある。

 

神様 私にお与えください
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられないものは変えてゆく勇気を
そして二つのものを見分ける賢さを
今日一日を生き
この一瞬を享受し
苦しみを平和に至る道と受け入れますように
この罪深い世界を私ではなく神様の御業として
あるがままにうけとめられますように
神様の意思にゆだねればすべてをあるべき姿にしてくれると信じられますように
私はこの世を生きて幸せでしょう
神様と共にあることにこの上ない幸せを感じる事ができますように
永遠に
私は、素直にあるがままにあろうとすることを恐れているし、今もそれは、常に勇気が必要である。
なぜなら、そうやって生きてきて、私は多くの人に嫌われたし、親にも苦しそうな顔をされてきたから。
素直にあるがままに、自分の気持ちや考えを話すことは、私の精一杯の信頼の証である。
私は恐る恐るではあるものの、徐々に話すようになったと思う。
ただ言いっぱなし聞きっぱなしで聞いてくれる仲間に出会い、ようやく自分らしくあることができる居場所を見つけ、回復に向けて励んできたつもりである。
他人には理解され難いことを話す前、私は手が震えるし、喉がカラカラに乾いてはりつく。
内容によっては、なんとなく受け入れられていない雰囲気を感じることもある。
それでも、私はそうでしかない。
私はそれでも、『私』を話すしかない。
正しいだけの道を歩もうとして、無理をしてエチルアルコールで脳を壊し身体を壊した。
私は正しさだけでは生きられなかった。
だから、私はあるがままにあるしかないし、棚卸しをし続けて、己の本質をさらけ出し、己の内面を見つめ直し、自己受容していくしかない。
それを貫くとき、主義主張が違う人にはもちろん出会う。
私は、それぞれの主義を貫いて生きたいように生きていく権利が誰にでもあると思っている。
私は、ブログを書きたいように書いている。
誰に宛てるでもなく、頭に浮かんだことを書いている。
私のそのままをかける場所として、とっても貴重で神聖な場所が、このブログである。
私は、私がここに書くことについて、誰にも遠慮したくない。
誰かに配慮したり、気を遣ったりした瞬間に、私の言葉は私そのものから離れていく。それではやる意味がない…書く意味がない。
私を含む誰の心にも届かないモノに成り下がる。それだけはやりたくない。
私は今日何が書きたかったのか、実はよくわからない。
うまくやろうとすると、だいたい凡ミスをする。配慮したつもりがアダになる。
うまくやろうとするから、うまくいかないのだ。
疲れ果てるまで繰り返そう
違う

上手くやろうとするんじゃない百回でも千回でも

初めてのように

何も持たない赤子のように


『バガボンド』 第33巻 内側の音楽 より

毎回、初めてのように繰り返し繰り返し。
その積み重ねのなかに、しっくりくる感覚がある。それが体に染み込むまで繰り返す。
心臓のように、生きることに忠実に素直に、拍動し続けていたい。
たぶん、正しいかどうかではないのだろう。
自分を生きることに真っ直ぐにあろうとするなら、軸はそこではない。

剣に生きると決めたのなら正しいかどうかなどどうだっていい感じるべきは楽しいかどうかだ

『バガボンド 』第32巻 無刀だとかの類 より

感じるべきは、楽しいかどうかだ。
私はそれを、薬物依存でもなく、プロセス依存でもなく、健全でナチュラルな世界で見つけて感じることに、真っ直ぐでありたい。

【AC】信じることの難しさ(コントロールを手放す)

私は、「結果主義」的で「完璧主義」的な傾向があります。

私はなぜそのような傾向をもったのでしょうか?

そこには、コントロールというACの課題が見え隠れしています。

 

負けるのも中途半端も大嫌い

私は硬式テニスをやっていましたが、シングルスが大好きでした。

ダブルスが大嫌いでした。

なぜか?私以外の人間(ペア)がミスをすると、とんでもなくイライラするからです。私に落ち度がないのに、失点するのが、我慢できませんでした。シングルスは楽です。勝っても負けてもすべてが自分のせいだから。

そんな私とペアを組まされた運の悪いプレーヤーはみんなテニスが嫌いになりコートを去りました。

仕事も、チームでやるのがとても嫌いです。

議論が前に進まないとイライラしますし、合理的でない理由で足を引っ張られると、本気で会社からいなくなればいいのにと思ったりします。

私は、真剣勝負だと認識していることになると、絶対勝ちたいし結果を出したいので、自分のミスも他人のミスも許せないのです。

 

任せた自分を責めるから、任せたくない

結果負けてしまったり、結果が理想通りではなかったりした場合、私は自分をひどく責めぬきます。

数十年の人生のなかで、相手を責めたとしても何も変わらないことはようやく理解しました。

だから、なぜこんな未熟な人間に私は大事なことを任せてしまったのか、己の見る目の無さを責めるようになりました。

「自分ならこんなイージーミスはしなかったのに」

「自分ができるキャパシティを持っていれば、任せる必要がなかったのに」

「お前が能なしで仕事量が少ないから、こんな出来損ないに任せる羽目になったのだ」

と。

なんと窮屈でイヤな人間なんでしょう。笑

私はこんな人と仕事でタッグを組みたくない。文字通りミスを許されない環境では、人は委縮します。そしてミスをしやすくなる。まさに、自分で自分を締め上げているようなものです。

これでは、結果や完璧はどんどん遠ざかっていきます。本末転倒です。

結果って、コントロールできるものなのか?

やると決めたことを止めるのも嫌いなんです。

やるならとことん最後までやりたい。

途中で邪魔されるとキレそうになるというかキレます。

とにかく他人の都合で予定や結果を変えたくないのです。

私はASD(自閉症スペクトラム)の傾向から、変更や中断が恐ろしく嫌いです。

 

でもちょっと立ち止まって考えることには、

それだけじゃないんじゃないだろうか?

これは、「私には結果がコントロールできる」という、私の過信からきているんじゃないか?

ということです。

 

確かに今まで私はそれなりにやってきてきて、そこそこ良い結果を出していたのでしょう。

しかし、他人に任せざるをえなかった時点で、今この時にはキャパオーバーだったというのが事実です。

自分だけの予定で世界が動いていない以上、完全に自分のイメージ通りにタイムテーブルを動かすことは不可能に近いのも、事実です。

ひとりではできない、ひとりでは完結しない事柄のほうが、残念ながらこの世の中には多いのです。

 

12ステップ・プログラムをしていて最近思うことには、「私は、実はコントロール出来ないものをコントロールしようとしていたのではないか?」ということです。

実は、「誰にも結果はコントロールできない」のだとしたら、どうでしょう。

できるのは、最高の準備の努力。自分ができる範囲内の慎ましやかなことだけ。

当初は80%は自分の能力が招く結果で、20%ほどが運の要素なんじゃないかと考えていた私ですが、20%ではなく、実は80%以上が、コントロールできないことなんじゃないか、と思うようになってきました。

本当は割合が逆なんじゃないか、ということです。

そう考えると、なんだか初めて手放せる気がするのです。

 

そもそも、何もどうにもならない

なんだ、どうにもならないじゃないか!

だって、20%しか関与できないんです。結果はすべて私のあずかり知らないところで決まると言っても過言ではない。

そう、生き死にと同じように。

結果は、世の中ではさも個人の力量であるかのように讃えられ持て囃されているけれども、実は80%の様々なものに助けられて実現しているのではないか、と思うのです。

この時代にこの国に生まれたこと。

発達障害を持ったこと。

アルコホーリクになったこと。

苦い経験をさせやがった憎い人たち。

簡単には一位になれなかったこと。

人を愛すること。人に裏切られること。

 

全部に感謝、なんで綺麗事は言いません。

だって、今でも殺したいほど憎い人たちがいます。

許されるのなら同じ苦しみを味わわせてから惨殺したいし、全員を許す必要などないと思っています。

許すかどうかは、わたしたち各々、当事者にのみ主導権があります。誰に何を言われようとも、それは変わらない。それだけわかっていれば、私たちは安心して気持ちを見つめ直し、処理することができるのです。

 

まとめ:良い意味で、潔くあきらめよう。そして信じよう。

もはや、私たちに出来ることは、生まれた時点で限られていて、与えられた20%を精一杯「楽しむ」ことこそ、全力でやるべきことなのだと思うのです。

 

結果を出すことではなかったのだ、私たちがやるべきことは。

結果を出すことではなかったのだ、私たちがやりたいことは。

 

大好きな漫画の『バガボンド』。

この沢庵和尚の言葉が好きです。

 

「お前の生きる道はこれまでも、これから先も天によって完璧に決まっていて、それが故に完全に自由だ。根っこのところを天に預けている限りは…。」(『バガボンド』第29巻より)

ようやく、この言葉の意味がわかった気がします。腹落ちしたという感じがします。

 

ハイヤー・パワーを信じるということ。

己の無力さを認めるということ。

 

私たちは完全にあらゆることをコントロールできないが、だからこそそれを受け入れさえすれば、本質的にありようは完全に自由で、だから楽しむことが最も重要なのです。

 

では何を信じるのか?

結果ではないなら、私たちは何に達成感や信頼感を持てばいいのか?

 

世の中には、すぐにわかりやすく顕れる幸せと、すぐにはわからない後になって顕われる幸せがあると考えています。

私の人生は、たしかにそのことを証明してきたように思います。

私の親はクソみたいな毒親だし、なりたくて発達障害になったわけではない。アルコール依存症にだってならなくていいならなりたくなかった。

毎日毎日苦しかった。それが事実です。

しかし、私たちはその苦しみの中、今日いま、なんとかここまで生きてきました。

そのなかで、苦しみがあったからわかることが増え、与えられなかったから有り難みに気づいているのではないでしょうか。

すぐにはわからなくても、後になって、今もしわかりやすい結果に結びつかなくとも、いつか、自分の人生の中で光り輝く時がくると信じることができそうです。

真の信頼とは、そのような各々が持つ『幸福への引力』(ハイヤーパワー)を信じ頼ることなのだろうと思います。

 

他人に命運を預けることは、恐ろしいです。

とてつもない痛みを味わう結果になることを恐れてしまうものですが、それは自然なことで、恐れながらもなお、味わうすべてのことが、いつか良い方向につながる、ということを信じることなのだろうと思うのです。

【AC】Step8「傷つけやがった人」その①『幼稚園・小学校のクラスメイト全員』

Step8に従い、私を傷つけやがった人をひとつひとつ、卸していきます。

 

要約:彼らは全員、いじめに加担した。私をバカにして、軽く扱った。私が困っていても見て見ぬふりをして助けなかった。(日和見達も同罪)

 

幼少期の私は変わった子供だった

私は幼稚園から小学校3年生ごろまでいじめられていました。

私は当時はわかりませんでしたが、発達障害(ADHD寄りのASD)なので、空気が読めませんでしたし、集団のなかにいることを嫌いました。

独りでできる遊びが好きで、砂場で山をつくったり、何の木の実かわからない実で色水をつくったり、割り箸をナイフで削って極限まで尖らせたり、空想の世界で物思いにふけったり。そういうことが好きな少年でした。

独りでいる変わった人間は、いつの時代も奇異の目で見られます。一般的な人は、異質な人間のことが恐ろしいので、排除しようとします。あるいは、異質であることを下にみたり、大人に間違っていると言われているので「攻撃してよい存在」と勘違いして攻撃したりします。

例にもれず、私もそのような迫害にあいました。

私には友達はいませんでした。クラスメイトも教師も全員、敵でした。

私をいじって遊ぼうとする。

それを見て見ぬふりをする。

無視して「いない人間」として扱うこともありました。

2人組をつくってください、という先生の言葉は、死の呪文と同じでした。

 

孤立からいじめへ

私は親がそうだったように、「嫌だ」ということは人を傷つける、と思いこんでいたので、嫌だという勇気がありませんでした。

辛くても限界まで我慢しようとしました。それが、いじめっ子を増長させました。

数人で手足を羽交い絞めにされ、和式トイレに顔を押し込められて拷問に近いいじめをされたこともありました。

つまり、こいつは傷つけてもいい存在だ、俺たちとは違うし何をやっても怒らないからいじめてもいい、と軽く見て、彼らは私を軽んじてバカにしたのでした。

私は私らしくいると、集団から理不尽な仕打ちを受けました。

教師などの管理者は正しく介入する能力がありませんでした。

困っている私を見て見ぬふりをしました。

「私が変わっているのが悪い」と言わんばかりの世界に絶望しました。

最終的には全員殺したいと思うほど憎みました。

 

私は何が哀しかったのか

私がそのままでいると誰にも受け入れてもらえないことが、とても悲しかったのだと思います。

なぜ私に冷たくするのだろう。なぜ私はそのままではいけないのだろう。みんなはそれでも許されているのに。

私だけが許されない理由は何なんだろう。私がしたいことを大人がみんな怖い顔をして中断させるのはなぜなんだろう。

そんな、悲しみに満ちた「なぜ」を抱えて独りで泣いているのが、私の幼少期でした。

私はこの頃から、理解されることを諦めました。

生存戦略を定めました。

要求に沿って、望む姿でいれば、少なくとも攻撃はされないことを学び、生き延びるべく模倣して「一般人」に擬態する、わたしなりの生存戦略。

私はこの頃から、自分らしく生きることをやめ、仮面をかぶるようになったと言えるでしょう。

そうすれば、少なくとも攻撃はされないし、異質な人間と認定されてあの冷たい対応を取られる心配もない。

それは元々の出発点は外的脅威からのディフェンスでありながら、主なニーズは求愛だったのだ、と今なら分かります。

結局、いじめっこに報復し鍛えた力を見せつけて暴力で黙らせたのですが、それは本当は望んでいなかったし、理想的な解決ではなかったのでしょう。

結局は己の力で解決するしかない、という思考回路を強化し、実力至上主義が正義であり唯一頼るべき原理原則だとインプットしただけでした。

本当は、傷ついたことを話し、それをきちんときいて謝ってくれたなら、許したいと思っていたかもしれません。

私は、そのような健全なやり取りをしてくれる人間関係に恵まれませんでした。

 

健全な人間関係を経験して手放したい

私は当時、そのままでは愛してもらえないから、愛される形を整えようとしました。

それは、当時私が生きていくためにやらなくてはならないことでした。

そして、今は大人になってから健全な人間関係を経験したことで、必要ないことだと理解しました。

だから、少しずつ手放していきます。

 

この「傷つけやがった人」で気づいたことは、私は

「ありのままの自分の存在を否定され軽視され受け容れてもらえなかったこと」

に傷ついたといえるでしょう。

【AC】私は執着と欠点を手放します!(12ステップ・プログラム:Step6~7)

 

Step6~7では、自分が執着していることやStep4で明らかになった私の欠点と呼べるものをまとめていきます。そして、それを書きだし、手放していく決意をする、というものです。

みなさんにみていただいて、私は「これらの欠点や執着を手放します!宣言」をしたいと思います。

 

■私が執着していたこと・あるいは欠点

・親に評価されようとする
・会社に評価されようとする
・期待された役割に応えようとする
・社会的ステータスに固執する
・他人を評価しようとする
・結果を残そうというこだわりをもつ
・他人を過度に恐れる
・他人に頼ることを恐れる
・断罪しようとする
・他人を満足させようとする
・完璧であろうとする
・他人に完璧を求める
・愛されようとする
・自分が不十分だと思いこもうとする
・失敗を恐れる
・失敗を許せないし許さない
・異質であることを恐れる
・他人の必要を自分の必要より優先する
・他人の事情を酌み他人のケアを優先し自分の感情やケアを後回しにする
・復讐という嗜癖にこだわる
・正直に伝えることを恐れる
・正しくあろうとする
・正しくないことを否定する
・自分の気持ちを正しさでジャッジし感情を無視する
・コントロールされることを恐れる
・嫌われないように本心を隠す
・評価を落とさないように振舞う(道化)
・同じ失敗を繰り返すことを恐れる
・取引関係(貸し借り)で相手をコントロール下に置き安心しようとする
・他人を信用しないで疑う
・自分で物事を決めることと納得すること
・模範的であろうとする
・直接気持ちを確認することを恐れる
・直接気持ちを表明することを恐れる
・やりたくないことをしている状態の責任を他人に押し付ける
・本当の自分は嫌われるという思い込み
・怒りを表出することを我慢する
・哀しいことやつらいことを繰り返し考える
・他人からの要求を拒否してはいけないと思い込む
・寂しいと思う自分を惨めに思い、目を背ける
・自分が死滅しいなくなることを願う
・他人が死滅しいなくなることを願う
・都合の悪い自分を見ないようにする
・必要とされようとする
・他人に奉仕してその褒美として承認するようにコントロールしようとしていた
・権力に従うことを恐れ忌み嫌う
・味方を失い孤立することを恐れる
・見捨てられることを恐れる
・親の行いを全肯定しようとする
・他人が自分を好きになるはずがないと信じる

 

まとめ:私の誓い

私が他人にイラついたり、過剰に反応するのは、これらの「自分の欠点」を相手に覗き見るときです。

つまり、他人は自分を映す鏡、というのは言い得て妙で、自分の見たくない姿や恐れを相手を鏡にしてみていたんだな、と思います。

私が哀しかったり、怒ったり、苦しかったりするのは、自分が自分に刃を突き立てていて、相手に反応しているだけなんだな、と気づきました。

もちろん、人権の侵害や不平等な扱いには、ちゃんと抗議して自分の権利や尊厳を守る闘いをしなくてはなりませんが、私はこれからは、少し立ち止まって、自分が激しい感情にのまれているときに、これらの執着や欠点に引き摺られて、あるがままを歪めていないかどうか、点検する勇気を持ちたいと思います。

その繰り返しのなかで、ひとつずつ確実にこれらの執着や欠点を手放していくことを望みます。

おそらく一朝一夕にはいかず、一歩進んで二歩下がるような遅々とした歩みだとしても、それが必要な時間なんだと受け容れます。

完全に私のコントロール下にはないことに恐怖を感じますが、あらゆる努力をしてこれらの執着と欠点を手放す準備をする努力を惜しまないことを、ここに誓います。

わたしたちは自分の人間らしさをーーーその弱さを言い訳に使わないでーーー理解し受け容れて、自分にできるベストを尽くすだけです。

私たちの心構えは良いものでしょう。

しかしそのことは、時折ちょっとした誤りが起こらないという保証にはなりません。

わたしたちのしなくてはいけないことは、自分の弱さを認め、短所を取り除くことについて神(自分の意志ではコントロールできない、この世の力)の助言を謙虚に求めることだけです。

 

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
100Pより引用

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平安の祈り

神様、私にお与えください。

自分に変えられないものを受け容れる落ち着きを

変えられるものは変えていく勇気を そして

その違いを見分ける賢さを

今日一日に生き

それぞれの瞬間を楽しみ

困難を平和への道として受け入れ

この欠点の多い世の中を、

あなたがなさったように、

自分の思うようにではなくて

そのままに受け取り

自分を明け渡してあなたの意志に従えば

あなたが全てを正してくださると信じ

この世では適度に幸福であり

次の世ではあなたと共に

至上の幸福を味わうであろう

と信じることを。

 

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
105Pより引用

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【AC】12ステップ・プログラムのStep5における「2つの注意事項」

12ステップ・プログラムのStep4を終えた人が、Step5を実践するうえで必要な注意事項について、個人的にまとめてみました。

 

 

今まで、私は「12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録」というタイトルで、ブログに赤裸々にStep4の内容を開示してきました。

共感していただけたり、気づきがあります、とコメントをくださったりして、私のフォローワーさんは優しい人が多く、幸いにもあまりグッサリ傷つくようなことはありませんでしたが、これは極めて危険な打ち明け方だった、と言えるでしょう。

まさに、交戦中真っ只中の戦場に、丸腰で白旗を振りながら、籠城していた城からひょっこり出てくるような行為でした。こわ。

Step5はお察しの通り、「Step4を他の人に実際に話すあるいは書きだしたことを見てもらう」ということなのですが、そのときには注意しなくてはならないことがあります。

 

注意点その①:「Step5を聴いてくれる人を注意深く選びなさい」

Step5を聴いてくれる人を注意深く選びなさい ―― 12ステップ・プログラムを良く知っている人を。その人は次のような人であるかもしれません。

 

■信頼できる宗教の資格を持っている宗教家。いろいろな宗派の聖職者は、しばしばこのような要求に応えてくれます。(教会の牧師など)

■信頼できる友人(同性の人が望ましい)、医師または心理療法家。

■あなたが心を開いて分かち合える家族。配偶者や他の家族を傷つける恐れのある情報は明らかにしないように気をつけなさい。

■12ステップ・プログラムのメンバー。あなたがすでにグループに参加しているなら、信頼はすでにあるでしょうし、Step5をグループの一人のメンバーとともに行うことで、その信頼が深まることを発見するでしょう。ある場合には、グループ全体が聞き手となってもいいものです。

 

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
85Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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つまり、あなたが信頼している、あるいは12ステップ・プログラムについて理解のある「言いっぱなし聞きっぱなしができる人」ということです。

なぜなら、そうでない場合、あなたが勇気を出して話したことに対して、カウンセリングやアドバイスをしたがる人は、あなたの心の安全を脅かす可能性が高いからです。

なので、Twitterやブログに簡単にアップするなど、もはや死亡フラグです。

クソバイス(クソみたいなアドバイス)やクソリプに赤裸々に打ち明けた正直な心を踏み荒らされ踏みにじられ、二度と他人に心を開いたりするもんか、とATフィールドMAXになる可能性が高いので、絶対にやめましょう。

 

そのような背景から、聴き手にも、次のような注意事項があります。

■聴き手として寛容であり、受け入れるようにすること。あなたは、あなたのハイヤー・パワー(回復する力)の代理人として、無条件に受け入れるということはどういうことかを伝えているのです。

■聴き手としてあなたがそこにいるのは、話し手が考えたことを明瞭に表現する手助けするためなのです。情報が二人ともに明瞭に理解できるように、必要な時には質問しなさい。

■秘密保持を遵守すること。あなたが分かち合ったことは個人的なことです。信頼を裏切ることほど正直さを貶め、人間関係に害を与えるものはありません。

■Step5がやり通されたときに、その経験について、両者とも自分の感情を分かち合うこともできます。ハイヤー・パワー(回復する力)がわたしたち一人ひとりに向けられている愛を相互に向けあうことが今や可能です。

 

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
86Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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お互いにやり通した間柄であれば、「やり通したという経験」について感情を分かち合うことができます。

しかし、内容について明瞭に理解するために質問をするのはOKですが、聴き手の主観をもとにして打ち明けられた内容について議論したりアドバイスをしたりしてはいけない、ということですね。

○無我の状態で、ただただ打ち明けられるStep4の内容を聴き、内容を理解することに集中する。

○そしてどんな話であっても、一度それを受け容れ、ハイヤー・パワー(回復する力)の代役を務める。

聴き手としては、このことを常に忘れないでいたいものです。

 

注意点②:「謙虚に正直に、勇気をもって、ありのままを話し分かち合うことだけに集中しなさい」

■考えたことの一つ一つを、最後までやり通すのに充分な時間を割きなさい。その題材に集中してそこにしばらく留まりなさい。余計な説明はしないように。

■Step5は、わたしたちが自分の欠点の正確な本質を認めることだけを要求しているのです。このことを心に留めておきなさい。その欠点がどこから来たのかとか、どう変えていったらいいのか、といったことを議論する必要はありません。あなたはカウンセリングや助言を求めているのではないのです。

■他の一人の人にしたいして自分自身を明らかにすることは、控えめに言っても、相当程度の謙虚さを必要とするものです。私たちは今まさに、自分の、自分を滅ぼすような、害のある、人を傷つけるような性格特質を、あからさまにしようとしているのです。私たちは自分の、肯定的な、役に立つような特質も明らかにするでしょう。わたしたちはこのことを、わたしたちが世界に対して着けている『舞台用の仮面』を取り除くためにやらなければならないのです。このことは、表面を取り繕って後ろに隠れようとする、私たちの必要・欲求を取り除くための大胆な一歩です。

■「恨みと恐れについての課題演習」について分かち合うことから始めて、あなたが書きだした性格特質を分析することによって進んでいきなさい。

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
86、89Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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今回Step4を書きだすにあたり、最も重要だと思ったことは、謙虚であるということと、正直であるということです。

よく考えてみれば、Step4で振り返ってきた性格特質は、私たちが今まで全力で『見て見ぬふり』をしてきたことばかりです。

それを認め、見える形にしてまとめる、ということだけでも相当なエネルギーを要します。

言い訳をしたくなります。背景を説明しようとしたりして余計なことを言いたくなります。「私は悪くない」と自己弁護したくなります。必要以上に自分を卑下して書きそうになります。

そういう気持ちを脇に置いて、ただひたすら正直に・謙虚に、私の性格特質はどうであるのか、それによりどんなことがあったのか、それにより誰を傷つけたのか、当時どう思っていたのか、なぜそう思ったのか、どうしてほしかったのか、それはなぜなのか、など、書きだしていくのです。

今まで見たくなかったものが噴出してくるにつれ、書きだすのがつらくなることもあるでしょう。私は、こんな醜いものが私の正体なのか、と絶望感を感じたことすらあります。

しかし、書きだしてそれらをじっくりと眺め、間違いや認知の歪みを認められたとき、心に薫風が吹き抜けたように、爽やかな気持ちになります。

長いこと背負ってきた重荷をようやく卸せたような、そんな気がするでしょう。

だから、勇気をもって、実際にやってみてほしいなと思います。

 

まとめ:自分の問題を打ち明けることにチャレンジする人に敬意を払おう

「絶対に他人に知られたくなかった胸の内を他の人に打ち明ける」ということは、想像を絶する勇気が要ります。

そうして打ち明けた話を、否定されたり、もっとこうすればいいとアドバイスされたり、こういう点が問題だったと講評されたりして、そのままを受け容れてもらえなかったとしたら、どれほど傷つくでしょうか。

 

想像してみてください。

 

例えば、素顔を晒したことのない人に、勇気を出して初めてすっぴんで会ってみたとき。

「あー、すっぴんはかわいくないんだね」

「もっといい化粧水使ったほうがいいんじゃない?」

「目と鼻が残念かな、くちびるは合格だけど」

などと、無残なことを言われたときの気持ちを。

 

もう一生化粧はとらない、むしろ外出したくない、他人に会いたくない、と思いますよね。

このように、ただ言いっぱなし聞きっぱなしで棚卸しを聴くことができない、ということは、勇気を出してStep4を打ち明けた人のアイデンティティそのものを侮辱するようなものなのです。

せっかく、「わたしたちが世界に対して着けている『舞台用の仮面』を取り除くため」に勇気を出し、「表面を取り繕って後ろに隠れようとする、私たちの必要・欲求を取り除くための大胆な一歩」を踏み出そうとしている人の足をひっかけ、二度と仮面を取り除けなくさせる行為です。

Step5はそれほどセンシティブなセッションだ、ということを、話し手も聴き手も理解しておかないといけません。

【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑫(見捨てられ不安)

今回は、見捨てられ不安 について棚卸していきます。

 

見捨てられ不安 とはどんなもの?

■見捨てられ不安■

見捨てられ不安は、わたしたちが幼時期に経験した、情緒的あるいは身体的な(両方の場合もある)両親の不在に対する無意識の反応です。

子どもの頃わたしたちは、応答してくれない・責任を取らない、情緒的にそばにいてくれない大人たちの、予測できない行動を観察してきました。アディクションがどんどん激しくなるにつれて、彼らは親らしいことをすることが、ますますできなくなりました。

子どもの頃わたしたちは、彼らの与えることのできる以上の配慮を求めました。彼らの興味の対象は他にあったのです。

成人としてわたしたちは、同じように情緒的にそばにいてくれないパートナーを選ぶ傾向があります。見捨てられることの現実と痛みを経験しないですむように、わたしたちはパートナーの必要・欲求に全て応えることによって、自分の「愛」の必要・欲求を満たそうとします。

「楽しませる」こと、そのことによって見捨てられる可能性を減らすことが、人間関係での問題や葛藤に先行してしまって、ほとんど交流のない緊張した環境を生み出します。

見捨てられることを恐れていると、わたしたちは次のようであるかもしれません:

●安全でなく感じる
●他人を楽しませる人になる
●一人になることを避ける
●過度に心配する
●自分のために立ち上がろうとすると罪の意識を感じる
●共依存する

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
65Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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最も認めるのが困難だったセッション

私がこの「見捨てられ不安」を最後に残していた、ということには意味があります。

残していたことそのものに意味があるというか。

私は、「見捨てられ不安」が自分にあるとは認めたくなかったのです。

私は常に「別にこっちを見てくれなくてもいいよ」「そんなこと気にしてないよ」という態度をとっていました。

それは、自分が不安であることを認めるのが怖かったからにほかなりません。

今こそ、12回目のこのSTEP4の最終段階において、認めるべき時が来ました。

 

私にとって両親の「愛情」は「支配」だったということ

なんで怖かったのかな?と考えを巡らせてみれば、やはり、認めるということは「見捨てないでください」という願いを白日の下にさらすことだったからではないかと思います。

その願いが聞き届けられなかった時の私のダメージは計り知れないからです。立っていられないかもしれない。そう思っていました。まさに生き死にに関わる認識の一つでした。

あるいは過去に聞き届けてもらえなかったのでしょう。

子どもの頃わたしたちは、応答してくれない・責任を取らない、情緒的にそばにいてくれない大人たちの、予測できない行動を観察してきました。

アディクションがどんどん激しくなるにつれて、彼らは親らしいことをすることが、ますますできなくなりました。

子どもの頃わたしたちは、彼らの与えることのできる以上の配慮を求めました。彼らの興味の対象は他にあったのです。

まさにこの部分ですね。

彼らの興味は別にありました。

あるときの父は他の女性だったし、あるときの母は自分の父親でした。

父の最大の関心事は仕事だったし、母の最大の関心事は、実は自分自身の心の平穏でした。

皆、そのままの私を見ていてはくれていなかった。私以外の物に興味があり、私の「私を見てほしい」「見捨てないでほしい」という願いは見事に無視されました。

彼らは「いいや、私たちは一生懸命愛情をもって育てた、無視などしていない。何度も問いかけたではないか。それにたくさんの本やモノを買い与え、習い事など機会を与えた。つまり私たちの愛は時間的金銭的投資で証明されている。」というような主張をするでしょう。

しかし、ここでいう無視とは、そういうことではないのです。

私は、ただ、私のそのままの気持ちや言葉を、「そう思うんだね、なるほどね」と聞いてほしかっただけでした。

私は、ただ、好きなものを否定しないで「失敗してもいいから」と自発的に挑戦して結果を得るプロセス、これを経験するチャンスをこそ、与えてほしかった。

それらを根こそぎ奪ってコントロール下に置いておいて、自己満足でやることは、オナニーです。「愛情」ではなく「支配」です。

だから、私は

「あなたたちは私を愛していたかもしれないが、愛する方法を間違えたし、事実私は、とてもさびしかった。『望まれる私でなければ』あなたたちに見捨てられるのではないかと不安になるくらいには。」

と堂々とここに、両親に対して異を唱えたい。

 

私がアルコール依存症になったすべての元凶

私が人生のなかで最も違和感を覚え、悩み苦しみ、結果アルコール依存症を発症するにいたった私の特性。

それは、「自分より相手を満たそうとしてしまう」という特性です。

 

見捨てられることの現実と痛みを経験しないですむように、わたしたちはパートナーの必要・欲求に全て応えることによって、自分の「愛」の必要・欲求を満たそうとします。

「楽しませる」こと、そのことによって見捨てられる可能性を減らすことが、人間関係での問題や葛藤に先行してしまって、ほとんど交流のない緊張した環境を生み出します。

 

まさにここに書いてある通りです。

 

私は、見捨てられないように、この特性を身に着けたのだと、今まさに分かりました。

私は、できるだけ出会う人に嫌われないように嫌われないようにと、びくびくしながら暮らしてきました。

頼みごとが断れないのも、そうです。場が嫌な空気になると自分が犠牲になろうとするのも、そうです。好きでもない人のご機嫌取りをしてしまうのも、そうです。

全部、『見捨てられることの現実と痛みを経験しないですむように』私は能動的にその行動を選択していた、ということを認識します。

楽しませなくては、いい気分にさせなくては、好かれなくては、正しくなくては、優しくなくては、魅力的でなくては、、、

『私は見捨てられてしまうのではないか?』

と不安だから、取り繕い、道化を演じ、自分自身そのままでは、他人に相対することができませんでした。

その結果、『ほとんど交流のない緊張した環境を生み出し』、アルコールで脳を麻痺させなくては人と交流できないほどの耐えがたい緊張を自らに与えていたのです。

これが全ての元凶です!!! 

私は、これが知りたかった。ずっとずっと知りたかった。

なぜこんなに生きづらいのか、なぜ私は人に媚を売るような真似ばかりするのか、気になって気になって、自分が惨めで嫌いでたまりませんでした。

 

 

見捨てられ不安からの回復 とはどんなもの?

□見捨てられ不安からの回復□

わたしたちが、常にそこに存在しているハイヤー・パワーの導きと愛に、より多くを頼り任せることができるようになるにつれて、自分の環境の処理能力に対する自信が増加します。

わたしたちの見捨てられ不安は減少していき、ゆっくりと、自分は生まれながらに価値ある、愛すべき、貴重な人間であるという感情に置き換わっていきます。

わたしたちは、自分自身を愛し、大事にしている人たちと健康な人間関係を求めます。感情を表したり、人間関係での問題について話したりするとき、もっと安全に感じるようになります。

わたしたちは古い恐れをハイヤー・パワーと、わたしたちに関心を持ってくれる人たちへの信頼に置き換えます。

わたしたちは、自分を取り巻く社会の中での育み愛する友情関係を理解し、受け入れるようになります。

ハイヤー・パワーがわたしたちの生活のなかに在れば独りぼっちになってしまうことはもう絶対にないのだ、ということを理解し始めるにしたがって、わたしたちの自信は成長していきます。

見捨てられ不安が小さくなるにつれて、わたしたちは次のようになり始めます:

○自分の感情に正直になる
○一人でいて快適に感じる
○自信を表現する
○人間関係において自分の必要を大事にする
○人間関係での問題について話し合う

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私は見捨てられることに怯えなくてもいい

ゆっくりとではありますが、私は自分の気持ちに対する正直さを取り戻しつつあります。

私はアルコール依存症になりました。

酒をやめること一つ、私は自分の力ではできなかった。その無力を知りました。

そして、回復しようとする力(ハイヤー・パワー)が己のなかにも、そして仲間のなかにもあることを知りました。

どんな生い立ちであっても、どんな環境であっても、人はより良くなろうとする重力を、生まれながらに持っているのです。なんてすばらしいことでしょう。そして、それは社会的な形で報われるかどうかはわかりませんが、確実にそのひとを、人間として成長させてくれる、ということは、どうやら確からしいのです。

ということは、私たちは、自分にはコントロールできないが確かに存在する大きなエネルギーに支えられていることになります。

そして、そんな天然の永久機関ともいえる我々一人ひとりは、このうえなく素晴らしく、生きているだけでものすごく価値がある生命体です。

それゆえに、どんなひとも「生まれながらに価値ある、愛すべき、貴重な人間である」といえるのでしょう。

そんな自分なら、幸せになる権利も価値もあると思いませんか?

私たちは、生きていてもよかったということです。

私たちは、自分の幸せを追求してもよかったのだということです。

人の顔色をうかがって嫌われないように背を低くして生きていかなくてもいい。

そんなことをしなくても、私たちは見捨てられない。ないがしろにもされない。

なぜなら、私たちは、誰が何と言おうと、人間である限り、価値ある存在だからです。

 

ということは。

たとえばそんな自分を「好きだ」と言ってくれる人がいます。

今までは「こんな私を好きなわけがない」「何の目的だろう」「本当の私を見ていないに違いない」と、愛情を受け取ることを拒否していたでしょう。

それは、受け取ってもし違ったら、見捨てられるのではないか、という不安が先に立つからです。

 

これからはどうでしょうか。

私たちは、生きているだけで、価値ある存在だと分かりました。

そんな自分を「好きだ」という人が現れたとして、それは素直に受け入れられることのように感じます。

好意をそのまま受け取り、「ありがとう」と言い、そんな関心を寄せてくれる人を信頼します。そして、その人のなかにもある、より良くなろうとする重力(ハイヤー・パワー)を信じて交流することで、私たちはやっと、喉から手が出るほどほしかった『真の信頼関係』を築くことに成功します。

もう好かれようと自分を犠牲にしたり、我慢したりしなくてもよいのです。

私たちが私たちのまま、健康な人間関係を築くためには、まず自分自身のより良くなろうとする重力(ハイヤー・パワー)を感じて、自分自身をこそ愛することが必要だったのです。

私はそのために、アルコール依存症になったのだと思います。

わたしたちは、自分自身を愛し、大事にしている人たちと健康な人間関係を求めます。感情を表したり、人間関係での問題について話したりするとき、もっと安全に感じるようになります。

わたしたちは古い恐れをハイヤー・パワーと、わたしたちに関心を持ってくれる人たちへの信頼に置き換えます。

わたしたちは、自分を取り巻く社会の中での育み愛する友情関係を理解し、受け入れるようになります。

ハイヤー・パワーがわたしたちの生活のなかに在れば独りぼっちになってしまうことはもう絶対にないのだ、ということを理解し始めるにしたがって、わたしたちの自信は成長していきます。

 

まさにここに示されている通り、私たちは『古い恐れ』を置き換えることができます。

この原理原則を理解してさえいれば、たとえ物理的には独りだったとしても、私たちはもう独りじゃない。

昔のように古い恐れを抱いて、誰とも心を交わさず、人を愛さず、己を愛さない、閉じた絶望と暮らす日々には、もう戻らないでいい。

 

まとめ:とはいえ、私はまた忘れることも知っている

今日、とてもよい気づきを得たとしても、私はまた、絶望のうちにいるときもあるでしょう。

世界中の誰も信じられない、己すら信じられない、と落ち込み、全てを投げたしたくなるときが、きっとあるでしょう。

それは、今までの人生で幾度もあった危機だからです。これからも繰り返されることは、おそらく確実です。

でも、ここでわたしたちは思い出さなくてはなりません。

何度もその危機を乗り越えてきたからこそ、いま私たちはこうして息をしているのだということを。

そう、私たちは不屈の重力を有しています。何人にも奪うことができない、回復しよう・より良くなろうとする重力。これは、命ある限り動き続ける力で在り、私たちを見えるところでも見えないところでも常に支えてくれています。

だから、いま私たちの仲間がどん底にあるとしても、信じています。

私たちは己の思い込みなんかには負けない。信じてくれる自分自身や信頼できる人がいる限り、何度失敗してもまた立ち上がることができる、と。

これを教えてくれたのは、他ならぬ最愛の人です。心から感謝を込めて。

【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑬(抑圧された性)

今回は、抑圧された性 について棚卸していきます。

 

抑圧された性 とはどんなもの?

■抑圧された性(セクシュアリティー)■

気がついてみると、わたしたちの他の人たちーとりわけ親しい人たちや、情緒的に親密になりたいと思っている人たちーに対する性的な感情は、混乱していて不確かです。わたしたちは、自分の性的感情が、不自然で異常であると考えるようにトレーニングされてきました。

自分の感情を他の人たちと分かち合わないので、わたしたちは自分の性(セクシュアリティー)について、健康な態度を育てていく機会がありませんでした。わたしたちが小さい子どものとき、子ども同士で身体的な性的探検をして、厳しく罰せられたかもしれません。与えられたメッセージは「性は汚い、話すべからず、避けるべし」というものでした。またわたしたちは、コントロールを喪失していた親か近親者に、性的に辱めらていたかもしれません。

その結果、わたしたちは、自分の性的役割について居心地が良くありません。私たちは、誤解されたり、見捨てられたりするのではないかと恐れて、パートナーと性について自由に話しません。わたしたちは愛をセックスと取り違え、無差別に自分の体を与えたり、あるいはハグ(抱擁)が欲しいだけなのにセックスに同意したりするかもしれません。

親として、わたしたちは性について自分の子供に話すのを避け、そうすることによって、彼らが性的同一性を発展させるためには指導やモデルが必要なのだ、ということを否定しているのかもしれません。

抑圧された性によってわたしたちは次のようであるかもしれません:

●罪と恥を感じる
●道徳観を失う
●自分の性的同一性について混乱している
●好色である
●嫌な気分を避けるためにセックスを使う
●冷感症または不能症を経験する
●誘惑するような行動で人を操る

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
77Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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水責め

私の性的欲求は、実に倒錯しています。

特に「管理」ということに性的興奮を感じます。

 

たとえば、水責め。

私は、高校生のとき拘束されて溺れさせられるAVを見たことがあります。

複数人に足をつかまれて、何度もプールに沈められます。飲み込んだ水を吐くので精一杯で、呼吸できず、やがて失神します。

身体がチアノーゼで紫色になり、水をホースでかけると痙攣します。その姿を見て、AV男優たちが笑っています。

「もうやらないからね」と言いながらストーブのある部屋で少しだけ優しくされます。

そこで涙を流しながら「怖かった」と縋り付いているところに、再びAV男優が来て、「嫌だ嫌だ」と泣き叫ぶAV女優を再び水責めにします。そしてまた苦しみぬいて失神します。

もはや、拷問です。

 

私は、いじめられていました。

何人もの男子生徒に手足を羽交い絞めにされ、トイレの便器に顔を沈められたことがあります。

鼻に入ってくる汚水。呼吸ができなくて、「やめて」と叫んでもゴボゴボというだけで届かない。相手が飽きてくれるまで、決して終わらない地獄。

 

その時の苦しみを、私は快感に変換しないと耐えられなかったのではないか、と思います。

息をすることを「管理」される恐怖。生きることも死ぬことも相手に委ねなくてはならない絶望感。そういう不自由を強いられることに、性的興奮を感じます。

 

拷問

私は、ドMなのかといえばそうでもなく、ドSの側面もあります。

 

たとえが難しいのですが、漫画に似たような描写が2つあります。

 

ひとつは『幽☆遊☆白書』で、飛影が躯に送ったバースデープレゼントです。

 

 

 

もう、最高のバースデープレゼントですよね。

プレゼントしたものは、昔、躯を奴隷にしていた奴と、鞍馬から貰った寄生植物と融合させて作った花(笑)です。

切ってもすぐ再生して死なないが、痛みは感じるといったかなりエグいものです。脳を破壊しない限り、半永久的に、対象に生き地獄を味わわせることができます。

一家に一鉢ほしいところです。

 

 

もうひとつは、『天上天下』の颯又左が、兄を「飼っている」シーンです。

妾の子として颯家にきた又左は、兄にいじめられ、しょんべんをかけられて馬鹿にされたりします。父親は実子である兄のほうをかわいがり、又左は存在を認めてもらえませんでした。

ある日、幼い又左は憎しみに耐えかねて兄を襲撃しますが。父に阻まれます。

その後は、性格および性癖は異常かつ残忍に成長。自らに従わない高弟達を惨い方法で殺したり、従うことを拒否した「八楰」を拷問した上で火あぶりにして殺したりします。

そうして邪魔者をすべて殺して当主となった又左。

憎き兄を、地下室に指を爪ごと一本一本釘で拷問椅子に打ちつけて管理しています。手足の指を骨に沿って限界まで割いた状態で固定し、経管栄養で生かしておいている兄が、いまなお8年経っても、言葉にならないうめき声をあげて苦しんでいるシーンがあります。

それぐらい、しますよね。うんうん、わかるわかる!とすごくスカッとする爽やかなシーンだと思います。

殺すなんて生ぬるい。死にたい、死なせてくれ、と哀願するくらいに追い込んでからが勝負。死ねない地獄を味わわせるところからが本番、ということをこの作品はよくとらえていると思います。

 

 

興奮して話がそれました。

つまり私は、生死与奪を「管理」される、という苦しみを快感だと思っている節があります。

 

「管理」を性的欲求に変換した理由

なぜなのかな?と思い思考を巡らせます。

性的虐待を受けていたわけではありません。

両親が変態だったわけでもありません。

しかし、ここには心当たりがあります。

自分の感情を他の人たちと分かち合わないので、わたしたちは自分の性(セクシュアリティー)について、健康な態度を育てていく機会がありませんでした。

 

私が本当に感じる性的快感や、興奮する事柄についてひたすら隠してきました。

おそらくこういうものが一般的に興奮するんだろう、ということで、友人が貸し借りしあっていたAVを試しに借りてみても、興奮できませんでした。

愛のあるSEXを映像化したようなノーマルなものには私の性的センサーは反応しませんでした。

それを話すと、仲間外れにされると思いました。だから、分かる振りをしていました。

 

父と母が性交している場面に出くわしたとき、両親はひどく狼狽して、その場を誤魔化し、とても情けなくみえました。

私はとてもよくないことを目撃してしまったような気がしました。そのことについて特に翌日何もなく、私はあまり両親が性的なパートナーであるということは触れてはいけないことなのだと思うようになりました。

与えられたメッセージは「性は汚い、話すべからず、避けるべし」というものでした。

まさにこれ、ですね。

 

その結果、たしかにわたしは、自分の性的役割について居心地が良くありません。

「管理」というキーワードで、法に抵触するような性的欲求を持っていて、それは常に満たされることはありません。

オーガズムに達することはできますが、最もやりたいプレイをしているかといえば、そうではないという感覚があります。

呼吸や生死をコントロールされる、ということへの性的興奮は、おそらく、幼少期に「耐えられない」と感じた苦痛を快感に変換して、無理やり緊急対応したのではないか、と思います。

 

私は母親の過干渉で、何もかも決められ、私の意志は尊重されませんでした。あらゆる決定は自由にできませんでした。まさに「管理」です。

いじめにより、実際に呼吸ができない恐怖を味わいました。力に屈服させられる経験。これもまた悪意のある「管理」です。

そういった「管理」による苦しみは苦しみとしてとらえると耐えられないものだったのでしょう。私は、その苦しみを、快感に置き換えてしまい、性的倒錯を引き起こしたということなのではないか、と分析しています。

 

 

抑圧された性からの回復 とはどんなもの?

□抑圧された性からの回復□

自分を愛する気持ちと、自分を気遣う能力を増大させてくるにつれて、わたしたちは自分の体と自分の性的な欲望を正常で自然なものと認め始めます。

他の、自分自身を愛し、大事にしている健康な人たちを得ようとするときに、わたしたちは愛や好意をより適切に表現し、また求めるようになります。

何かや誰かに関わることを恐れる度合いが小さくなり、情緒的、精神的、性的に、健康な人間関係に入っていく準備が、以前より良くできています。

感情や欲望や弱さを分かち合うとき、もっと安全に感じるようになります。自分に対する信頼感が成長し、自分が傷つきやすくても許せるようになります。

わたしたちは、自分や他の人が「完全」でなければならないという必要・欲求を放棄し、そうすることによって自分自身を成長と変化に向けて解き放ちます。

わたしたちは自分の性(セクシュアリティー)について、子供たちに正直です。わたしたちは、彼らの健康な性的同一性に対する必要と同様に、情報に対する必要をも受け入れます。

自分の性(セクシュアリティー)を受け入れると、わたしたちは次のようになり始めます:

○自分の性的な必要について適切に対話する
○親密な感情を分かち合う
○自分自身の性的な必要を考慮する
○性的な自己を受け入れる

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
78Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

✨この本の購入はこちらからできます✨

https://aca-japan.org/docs/books.html

ACAに繋がってなくても、欲しいと言えば送ってもらえます。
お求めの際には、ここの名前は出さないようお願いいたします

 

私はこの性癖を、後ろ暗い、あまり話すべきではないものだと思ってきました。

しかし、自助グループで勇気を出して性癖について打ち明けてみて、わたしだけが倒錯した性的欲求をもっているわけではないんだ、ということがわかり、とても安心しました。

 

感情や欲望や弱さを分かち合うとき、もっと安全に感じるようになります。自分に対する信頼感が成長し、自分が傷つきやすくても許せるようになります。

わたしたちは、自分や他の人が「完全」でなければならないという必要・欲求を放棄し、そうすることによって自分自身を成長と変化に向けて解き放ちます。

 

まさに、この通りでした。

 

性について話してはいけないものではなかった、ということを理解すると、私は、自分が醜い特殊で異常な性癖をもった『劣悪な人間』だという自己否定をせずに済みます。

私が性的に興奮することについては、由来があるもので、私の人間としての質を下げるものではないということは、私を安心させます。

 

性においても、我々は『理想的で完璧でなくてもよい』のです。

だから、私は安心して、子供が何に興奮しどんな性的欲求を持っていたとしても、否定せずに傾聴することができそうです。

わたしたちは自分の性(セクシュアリティー)について、子供たちに正直です。わたしたちは、彼らの健康な性的同一性に対する必要と同様に、情報に対する必要をも受け入れます。

そして、彼らが興味を持ったとき、隠したり誤魔化したりすることなく、丁寧に情報提供する必要を受け容れ、保護者としてできるサポートをすることを認めることができます。

 

まとめ:性癖はいろいろあってもいい

この記事を書くにあたり「異常性癖」と調べてみると、実に様々な性癖が出てきます。

参考:異常性癖-アンサイクロペディア

 

なんだ、自分だけが変なんじゃなかったんだ、って思いません?

いろいろな性癖があっておもしろいし、当然なんだなと思います。

だってこれだけたくさんの人がいて、顔かたちや異性の好みだって様々なんですから、一緒なわけないですよね。

そういう安心感を、このセッションでは感じられた気がします。

 

性癖に限らず、「これって自分だけで変なことなんじゃないか」と思うことも、話してみると意外に受け入れられたりするもので、そういう風に打ち明けてもらえると、他の人が話しやすくなるのかもしれません。私は他の人の話を聞き、話しやすくなった人の一人です。

自分が性的なマイノリティーで、差別されるのではないか、と考えると怖いのは、ものすごくよく分かります。

だから、心の安全が担保される場所で、信頼できる仲間にだけ、まずは話してみることをお勧めします。