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【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑪(権威ある人を恐れること)

今回は、権威ある人を恐れること について棚卸ししていきます。

権威ある人を恐れること とはどんなもの?

■権威ある人たちを恐れること■

権威ある立場の人たちを恐れることは、親たちの非現実的な期待ーわたしたちがそうできた以上のことを求めたことーの結果であるかもしれません。

彼らの裁くような、批判的な、責めるようなやり方と、つじつまの合わない怒りは、わたしたちの他人との関わり方に影響を与えてきました。

私たちは権威ある人たちを、その人たちがわたしたちに非現実的な期待を持っているかのように思ってしまい、彼らの期待に沿えないのではないか、と恐れてしまいます。

他の人たちが単に何かを主張しただけなのに、私たちはしばしばそれを怒り、またはコントロールと誤解してしまいます。

このことで威嚇されたように感じるかもしれないし、さらにそれに対して、わたしたちの過剰に敏感で脆弱なやり方で反応するかもしれません。直面や批判を避けるために、私たちは自分の統合や価値を犠牲にして、力を持つ人のそれに合わせていくのです。

自分がどれくらい有能であるか正当に評価できなくて、他の人と比べ、自分は不十分で不適当であると結論するのです。

権威あるひとたちを恐れることは、わたしたちに次のような問題を引き起こしているかもしれません:

●拒絶や批判を恐れる
●ものごとを個人的に受け取ってしまう
●ごまかすために傲慢に振る舞う
●自分を他の人と比べる
●自分が正しいことに固執する
●不適当、または無能であると感じる

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
67Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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わたしは『厄介な社員』です

私は、会社の本部が嫌いです。

私は、上司、というものが、虫唾が走るほど嫌いです。

会社が『指示』してくる、というのが、もうそれだけでNo!と言いたいぐらい嫌いです。

会社・組織・先輩・上司。組織のヒエラルキー構造、上の立場にいる評価者。

それらに対して反射的に否定的な態度を表明する傾向にあります。

私たちをコントロールしようとしているのではないか?と身構えます。「俺たちに○○しろって言いてぇのか?」と胸ぐらをつかみかかりに行きます。

これは、弱い犬ほどよく吠えるという言葉にもある通り、私が権威ある人を恐怖している、弱い側の存在だからです。これを認めることは、正直今とても抵抗感があります。「実力がない」「弱い」。そんなふうに判断されることは、私にとって耐えがたいことです。

『威嚇』というのは、言い得て妙で、実にぐっさりきます。

 

その割には、「評価」に対して過剰反応します。

これについても、とても嫌だな、と思います。

評価されたいと思っています。自らの有能さを正当に評価できない私は、おっしゃる通り、他の人との比較でしか安心できないのです。

特に、憎んですらいる、権威ある人からのお墨付きを欲しているところがあります。つまり、自信がないのです。自分が誇る自分に、自信がない。だから、外部の評価や権威に寄りかかろうとします。

そんな自分は、ひどく卑しい下賤の輩だと自己卑下しています。だから、他の人との比較において優秀な成績を収め、賞賛されたことに対して素直に喜べません。心の底ではほしくてほしくてたまらないと渇望しているくせに、「そんなもの欲しくもなんともないけどね」という顔をしたがります。欲しいと認めることは、隷属に近い屈辱感があります。

しかし、このように他人に評価されたいという欲求(承認欲求)に支配されているということを、認めざるを得ません。そういった認知の歪みが、確かに存在します。

 

 

 

 彼らの裁くような、批判的な、責めるようなやり方と、つじつまの合わない怒りは、わたしたちの他人との関わり方に影響を与えてきました。

これに関して考察を深めてみます。

私は、両親にそうした扱いを受けてきたのだろうか?それは、他人との関わり方に影響を与えてきたのだろうか?

 

そうでした。

 

「どうして○○できないの?」

「なんでこんなこともわからないの?」

「できなかったら、○○は買ってあげないからね、できない子には何も買ってあげません」

「○○できるまで、寝ることも食べることも許しませんからね」

 

これらは言われた記憶があります。

私は家という場所を、一時期は『牢獄』と同様のイメージに感じていたことがありました。結果を出さなければ処罰される場所。要求を満たさなければ権利がはく奪される場所。

そして、看守的立ち位置である母は、情緒不安定でした。

同じことをしていても、あるときはぶちギレ、あるときは、何の反応も示しませんでした。わたしは安心して生活することができなかったように思います。常に顔色を窺いながら、これをやっていいのかどうか、内心ビクビクしていました。

 

「非現実的な期待」とはなんだったのか?

非現実的な期待とは、私のなかではこのような期待だったように思います。

期待というよりは、義務ですね。

 

「常識的・ふつう・良い子 でなくてはならない」

「正しくなくてはならない」

「完璧でなくてはならない」

「第三者から評価されなくてはならない」

 

私たちは権威ある人たちを、その人たちがわたしたちに非現実的な期待を持っているかのように思ってしまい、彼らの期待に沿えないのではないか、と恐れてしまいます。

 

これらの期待に沿えないことはとても恐ろしいことでした。

なぜか?

裏切ったら、私の存在はいないもの、必要のないモノと判断され無視されるから。

無視される恐怖、無関心に対する恐怖です。

 

必死で叫んでも声を聞いてもらえない。

どんなに訴えても心に届かない。

わかってもらえない。見てもらえない。守ってもらえない。

 

それは、親・先生・クラスメイトとの交流の記憶です。

 

親は私が優秀であることを期待しました。迷惑をかけなくて、学業・スポーツ共に優秀で、良好な友好関係を築く自慢の息子。いいですね、そんな人間なら。

でも私は最初、そうではありませんでした。だから失望されました。いつも悲しそうな顔を向けられました。

クラスメイトは、私が劣っている点を挙げて、ことあるごとに馬鹿にしたりいじめたりしました。私は、別に彼らが好きに生きていることに特に異論はなかったのに。私が好きに生きることは、彼らの良しとするところではありませんでした。

先生は、そんな私を守ってはくれませんでした。「正しい行いをしなさい」と偉そうなことを言っておきながら、何もできないことに、腹が立ちました。

「あなた方が正しいというのなら、どうして私を守ってくれなかったのか。」

『るろうに剣心』(第16巻)で、瀬田宗次郎が緋村剣心に語った言葉が私の胸に蘇ります。

不殺とか 弱いものを守るとか あなたは言うけれど

それは間違いなんだ

何故なら

あの時あなたは 僕を守ってくれなかったじゃないですか

あなたが正しいと言うなら なんで守ってくれなかったんです

 

「弱きを助け強きを挫く」という正義を行うことができない先生や学校に失望しました。思えば、そこから組織や上司に対する不信感は醸成されてきたのでしょう。

頼りは、己の力のみでした。

親も、先生も、正しさを振りかざす割には、徹頭徹尾正しいわけではない、中途半端な存在。そのつじつまの合わなさが、私には耐えらえれないほど腹立たしいことでした。

 

両親が教師であることの歪み

さて、両親は教師です。

そう、私は当然、先生と同じだ、ということを連想します。

この人たちは、親であるけれども、あの頼りにならない偽善者と同じ人種だ、と私は認識しました。

正しい人たちの代名詞『先生』。それがどれだけ空虚で実のない存在かを知っています。

それなのに、私に正しさで制限をかけてきます。正しさという隠れ蓑に隠れて自分は血を流さない卑怯者。それは唯々邪魔な存在であり、私が生きる上でこのうえない脅威でした。

彼らはいわゆる看守であり、私は囚人だったといえます。

 

つまりここにきて私は、「管理者」に対して、恐怖しているのだ、と自覚せざるをえません。

(この「管理」について、私はこの窒息しそうな閉塞感を快感に変換しようとして性癖を歪ませるわけですが、それはまた今度分析したいと思います)

 

 

権威ある人を恐れることからの回復 とはどんなもの?

□権威ある人たちを恐れることからの回復□

権威のある立場にいる人たちと、一緒にいて楽に感じるようになり始めるにつれて、わたしたちは批判をもっと積極的にとるようになり、批判は学ぶための手段となりうることを発見するようになります。

権威ある人たちも私たちと同じような人間であり、彼らなりの恐れや防御や不安感を持っているのだということがわかります。

物事を個人的に受け取ることをやめたとき、彼らの行動は、私たちがどのように自分自身について感じるかを決定しはしないのだ、ということを実感するでしょう。

わたしたちは単に他者に反応するのではなくて、状況を判断し、自分の行動を選択し始めます。わたしたちは、究極的な権威は、常に私たちと共にいるハイヤー・パワーであることを再認識します。

権威ある人たちと一緒にいて快適であるようになってくるにつれて、わたしたちは次のようになり始めます:

○高まった自己評価を持って行動する
○自分自身のために立ち上がる
○建設的な批判を受け入れる
○権威ある人たちと楽に交際できる

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
68Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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忌まわしい管理者である親や先生も、また人なり。

彼らもまたどうしようもなく不完全で矛盾した人間であり、正しさの権化ではないのだ、と知ります。

「役割」として正しくあらねばならないと虚勢を張っていた、彼らの苦しさや弱さについて確認すると、そのような「管理者」に対して、私は必要以上に恐れる必要はない、という安心感を持つことができます。

すなわち、私の自己評価について、彼らは決定権を有していない、という安心感です。

私は彼らに認められなかったからと言って、自分の評価を落とさなくてもいい。

つまり、どれほど権威ある人が否定的な評価を下したとしても、私には直接的には何の関係もないことで、「私は生きていないほうがいいのかもしれない」と思い悩まなくてもいい、ということです。

あくまでも彼らの私に対する第三者評価は彼らの物であり、私になんの攻撃性も有していない、と確認するとき、私は安心してその批判的な内容を冷静に吟味することができます。

そして、取り入れるべき批判については、気づきを与えてくれたことに感謝して真摯に聞くことができるでしょう。

取り入れるべきでない、と思う批判は、ごみ箱に捨ててもいいのだ、という安心感をえました。

そのすべてが攻撃に見えていた彼らの批判は、学ぶための手段となりうることを発見することができました。形は歪でも、彼らなりのヒントをくれていただけだったということです。それは善意であり、悪意であっても扱い次第で私は主体的に役立てることができる。

そういう、自分自身の生きていく力を信じ、耐えがたいほど辛いこともいつか好転していくというハイヤー・パワーを実感することができたセッションではないかと思います。

【AC】他人からのアドバイスを無意識に警戒してしまう理由

わたしは、アドバイスを素直に聞くのは苦手です。

「○○したほうがいいよ」

と言われると、何も知らないくせに知った風な口を聞きやがって…と、心が反発しがちです。

他人から提示された情報に非常に懐疑的です。

本当に真実なのか?他人の欲や意図やバイアスに歪んでいないか?を確認しないと信じることができません。

わたしは、人を信じられない、心の冷たい、器が小さい人間なのだろうか?と凹むことがよくあります。

そもそも、なぜなんだろうか?と考えてみました。

 

理由①:「間違えてはいけない」という強迫観念

まず、わたしは、極力間違えてはいけないと思っている節があります。

間違えることは他人から非難され嘲笑される、取り返しのつかない恥ずかしいことだと思っているのです。

なぜなら、ASD(自閉症スペクトラム)で、いわゆる『常識的なこと』でわからない点をよく尋ねてきました。尋ねた人には、よくバカにされてきました。

「なんでそんな当たり前のことがわからないの?」

「どうしてあなたは普通にできないの?」

と言われました。親にも悲しい顔をされてきました。

私の「わからない」という気持ちに、だれも寄り添ってくれなかったし、誰も助けてはくれなかった。その悲しみと怒りが今もまだ腹の底にあります。

つまり、私のことを根本的に理解していないと思っています。

それなのに、わかったようなことを言われるのは、我慢がなりません。そのわかったようなことは、基本的に間違いだと考える傾向にあります。

心のうちを打ち明けあい、私がさらけ出した醜い部分をみても否定しないこと。自分の醜さも打ち明けてくれること。

この双方向でのやり取りで信頼関係を構築しない限り、他人から言われたことはほぼ100%疑ってかかる傾向にあります。

わたしは聞くのが怖くなり、聞いてくれなかった他人を憎み信用しなくなりました。

わからないことを素直に聞けない。でも間違えてはいけない。そういう強迫観念を持っています。

だから、素直に受け取れないのだと思います。

 

理由②他人に従うことに対する恐怖

次に、闇雲に親の言う事を信じた結果、痛い目をみてきた経験から、人に従うのは危険で怖いことだと感じている、ということです。

過干渉によりストレスを与えられ続けた私は、長いこと学習性無力感に苛まれてきました。

正しさというカンナで丁寧に削られ続けた自己効力感は、もはや雀の涙ほどもありませんでした。何も確認しないで親の期待に身を任せて生きてきて、自分の人生を生きている実感を失いました。

その実感を取り戻すのは、至難の業で、未だ判然としません。

私はまたこの失敗を繰り返すのは、死んでも嫌です。

だから、提示されたアドバイスの内容が、本当に私が受け入れるべき提案なのかどうか、そして、今やるべきことなのか、という2点で、かなり慎重に検討することになります。

 

しかし、そういう私の態度を見てとると、アドバイスしてくれた人は苛立ちます。

「正しいことを言っているのになぜやらないんだ?!」

「せっかくアドバイスしているのに聞こうともしない。全然素直じゃない!」

発言者にとって正しいことが、私にとって正しいかどうかは、私が決めることです。

アドバイスや助言はありがたいですが、その情報を活用し行動に移すかどうかは私の自由でいいはずです。

しかし、アドバイスしてくれたのだからそのひとに対して配慮しなくてはならない、と思うと、ただでさえ遅い決断がさらに難しくなります。

 

疑り深さというマイナス要素は、慎重さというプラス要素と表裏一体

性質について考えを深めるにつれ、私の欠点は果たして欠点だから消さなければならないものなのか?と私は自分自身に問いかけます。

私には、利点でもある、とも思えてきました。

私はたしかに、人の善意を無闇に警戒する認知の歪みを抱えています。

それが原因で、私は他人に関わるとひどく疲れます。

「私にはそう言った認知の歪みがある」と認識しておくと、『あ、今これはもしかして思い込みかな』と客観視することができます。

そうであれば、この特性は「慎重さ」という利点です。

不用意に誤った情報や判断に流されたり、他責にしたりすることなく、世の中を生きる『誠実さ』にさえ繋がる長所でもあります。

 

根源的なもう一つのバイアス

ここで、はた、と気づいたことがあります。

「わたしはそもそも何故『素直であらねばならない』と思っているのか?」

ということです。

愚直であることは、決して美徳ではありません。

昨今のコロナウイルスの情報を盲目的に信じる人々がマスクやトイレットペーパーの買い漁っています。

真偽が定かではない情報に踊らされる姿は、かくも滑稽で社会悪です。

このことは、皆さんも肌身に感じていることかと思います。

素直というのは、毒にも薬にもなる、ただ単なる特性でしかない。

良いも悪いも、裏返る。

ではなぜ、それを良いと断定したか?

それは、『世間的に良い』とされている、機能不全家族の父母が愛した「常識」という忌まわしい物差しが、私のなかに深く根を張っていたからです。

そして①の、「間違い」と他人に思われる、いわゆる常識外れが怖い真の理由は、「そうでなくては嫌われて、またひとりになるかもしれない」という不安からです。

「見捨てられ不安」です。

それに縛られているから、わたしは間違えてはいけないと思っているし、素直でいなくてはならない、と制約をかけていたのです。

この根こそ、そもそもの認知の歪みの始まりだったのだと気づいて、『じゃあ素直に聞けなくたっていいんじゃん』と思えました。

「素直である必要」は、実はどこにもなかった、ということになります。

まとめ:あなたはそのままでいいのかもしれない

私はこのままでいいのかもしれない。

ということは、あなたも、そのままでいいのかもしれません。

今、「これが私の悪いところだ」と思っていることは、いくつありますか?

そのいくつかは「こうあるべき」という「常識」という歪んだ物差しで断定しているものではありませんか?

そのいくつかは「そうでないと嫌われるかもしれない」という見捨てられ不安で回避したいものではありませんか?

もしもそうなら、それらの罪悪感や劣等感は、抱え切れないほどいっぱいのその両手から手放してよいものなのかもしれません。

【AC】なぜ長男はそこまで妹を憎んだのか?

兄弟の喧嘩が激しすぎて大変だ、というツイートを見て、「そういえば、妹とは激しい喧嘩などしたことないなぁ…なんでだろ?あんまり好きでもないのに。」と思いました。

実は私は、今まで妹に対してそんなに良い感情を持ったことがあまりありませんでした。

そのことについて考えてみました。

 

 

妹はあのとき、私から親を奪う脅威だった

生まれてきたときは、本当に嫌でした。

厄介なやつが家に突然やってきた、と恐れおののいたものです。

突然生まれて家に入り込んできた、小さくてなんだかよくわからない「妹」という生き物にばかり愛情が注がれて、今まで私に注がれていた親からの愛情は「妹」に奪われたように見えました。

私は、この生き物に母親を奪われたと感じました。

こんなやついなくなればいいのに、と思っていました。

 

お兄ちゃんなんだから、譲りなさい、我慢しなさい!

お兄ちゃんなんだから、妹の面倒をみてあげなさい!

お兄ちゃんなんだから、妹に優しくしてあげなさい!

 

私は、お兄ちゃんになんてなりたくてなったわけではありません。

この生き物がきてしまったから、「お兄ちゃん」にならざるを得なかっただけで、私がしたいのは、この生き物の世話じゃない。

しかし、そんなことを訴えたら、哀しい顔をされたり、なぜそんな心無いことを言うのか?と責められ、見限られるだけだと思いました。

 

『「我慢する」「面倒見のいい」「優しい」兄』。

そんな「お兄ちゃん」だったら褒められるけれど、それ以外なら私に価値はないのか?
何が哀しくてこんな憎いやつを私が世話しなきゃならんのだ…

 

と、思っていました。

思えば、演技しなければならないと心を決めたこの危機感を感じていたのは、幼稚園の年長の頃(妹とは4歳差)のことでした。

 

歪んだ偽物の「優しい兄」

本心はどうあれ、私だって親に見捨てられ嫌われるわけにはいきません。

愛情が欲しい。それなら、親たちが望む「お兄ちゃん」をやらなくてはならない。

妹には嫌々なのはおくびにも出さず、あくまでもポーズで優しく接するようになります。

そうしていたら、何も知らない妹は、偽りの優しさだとは気づきもせず、後ろをついてくるようになりました。

これが、鬱陶しくて仕方がなかった。

でも、「どこかにいけ」「独りにしてくれ」と言ったら、やつは泣きます。

ひとたび泣かれたら、俺が悪いことになり、父も母も俺を責めるのは目に見えています。マイナスしかありません。

だから、「離れてほしい」とは言えない状況でした。

 

私が小学生、妹が幼稚園に上がった、ある休日のこと。

木を掘りたくなりました。

玄関に胡坐をかき、太めの枝の端っこ彫刻刀で彫ってたら「私もやりたい」と言って近寄り、私が「いいよ」とも言っていないのに、私の彫刻刀を勝手に使って、反対側を削りだしました。

そのとき、自分がしていることを邪魔されたのが尋常じゃないくらい腹が立ちました。

私は、わざと木をいきなり動かせば、妹が自ら誤って指を切るのではないか?と思いつきました。

実行すると、見事に爪ごとザックリ人差し指を切り、妹の指はみるみる血まみれになりました。

号泣しながら母親の下へ退却して行った妹の後姿をみたとき、気の毒なことをしたとはわかっていましたが、スッとしている自分がいました。

妹が彫刻刀の扱いを誤り、勝手に指を切ったことにすれば、私は責められない。うまい具合に追い払い、ついでに報復もできた、よしよし、と思いました。

妹に対して、そういう陰湿な仕返しをしていたひどい兄であることを、今ここに、認めます。

 

じゃあ、私はどうしてほしかったのだろうか?

妹が嫌いで嫌いで、いっそのこと死んでほしかったのか?

といえば、そうでもないのです。

妹がいじめられていたことを知ったとき、自分と同じようにいじめられた心の痛みに共感した私は、そのいじめっ子のクラスまで行ってぶん殴りに行ったので、職員室で指導くらって「何が悪いんだ」と悔し泣きしたことがあります。

妹も私も硬式テニスをしていましたが、妹の試合を観戦していたときは、わりと真剣に勝ってほしいと思って真剣に応援していました。

たぶん、人としてはそんなに嫌いじゃないし、肉親として愛情もあったはず。

何が歪ませたのか?と思うと、やはり親なのかなと思います。

妹ができて、私に注がれる愛情は条件付きになった、と私は当時、感じたのでした。

そう、妹ができて親が期待する私にならねばならなかったからです。

無理して笑い、明るく振る舞い、いい兄を演じる必要性が生じました。

ASD(自閉症スペクトラム)で幼少期に手のかかった私は、母や父が私に関わると哀しそうな辛そうな顔をする様子ばかり見てきました。

私が思うようにすればするほど、両親の顔は曇っていきました。それが、私にはとても悲しかったし、なぜ私が楽しくしていると二人とも哀しい顔をするのだろう?と思っていました。

そのままでは受け入れられないのだと知りました。

私はそんなふうに二人に悲しい顔をされたのに、私に比べて比較的大人しかった妹は「○○ちゃんは、いい子だねー」と言われ、父母から可愛がられていました。

その光景を見たときの私の絶望感と危機感は、それはそれは強いものでした。

「ああ。俺の『そのまま』がダメだからか。だから俺はこんな扱いなのか」

そして、表しようのない怒りと、素朴な疑問。

「なぜ、俺の『そのまま』はダメなのに、妹の『そのまま』は良いんだろう?そんなの、不公平じゃないか?」

 

まとめ:親を憎む代わりに妹を憎んでいたことに気づいた

実は、私の『そのまま』を受け入れてもらえなかった悲しみを、妹への憎しみに置き換えていたんだな、ということに気づいたのでした。

憎む対象を、親にはしたくなかった。親を憎んでいるとは信じたくなかった。

小さい頃、私にとって親は世界でした。

世界を否定することは、自分を否定することでした。

とても怖かった。私は愛されているはずだと思いたかった。

『そのまま』の自分を、最も認めてほしい親に、受け容れてもらうことができないだなんて、とてもつらくて耐えきれなかったから、信じたくなかったのですね。

その代償に、妹につらく当たってきたことを、本当に申し訳なかったな、と今思っています。

本当に、申し訳ありませんでした。

しかし、憎む対象を親だと認められなかった、それを認めたら生きていけなかった、という当時の自分も、ちゃんと許したいと思います。あのときは、私が生きるには仕方がなかった、ということも、事実であり、子供だった私には酷なことでした。

実は、私は親になって、もし子供が増えて兄弟げんかが起こったら、どうしようかと思っていました。

私はどうしてほしかったか?ということが見えなくては、私は子供同士が憎しみあい殺し合うのを、指をくわえてみているしかないのかな、と思っていたからです。

しかし、子供たちそれぞれの『そのまま』をちゃんと見て、子供の話をきちんと聞いていれば、妹(下の子)を憎む心配もないし、その上でのケンカなら、殴り合いでもつかみ合いでも好きにやればいい、と思います。おそらくお互いに痛めつけ合って、程度や加減を覚えていくのでしょう。そういう関係のほうがよっぽど健全であると思うのです。

だから私は、ちゃんとケンカしている兄弟姉妹を見ると、安心してしまうのでした。

 

【AC】「営業」は一種の「イネイブリング」かもしれないという話

私は人付き合いが苦手なのに、営業職を選び、今に至ります。

人と関わる、ということは、一生自分につきまとう課題だと本能的に感じていました。

だから、避けられない問題に目を凝らし、何とか打開するべく努力しなくてはならないと感じていたのだと思います。だからこそ逆に、営業の世界に飛び込んで極めてみなくてはどうにもならないと思っていた節があります。

売れる人に憧れ、売れるということがとても価値のあることだと感じようとしてきました。実際、資本主義経済において、モノを売ることができるというスキルは価値があると思います

しかし、ずっと違和感が拭えなかったのも事実でした。

今日はそのことについて考えてみたいと思います。

 

「イネイブリング」とは?

イネイブリング(いねいぶりんぐ)

依存症者を手助けすることでかえって依存症の回復を遅らせてしまう周囲の人間の行為のこと。

アルコール依存症では、それを取り巻く家族をはじめとする親しい人間が、様々な問題行動に巻き込まれます。

早い段階では、依存症者の社会生活が損なわれないように、周囲の人間がアルコール問題を小さくするよう協力・援助してしまいます。例えば「飲酒問題の後始末」「尻拭いをする」などがあります。

具体的には、飲酒による借金を肩代わりして支払ったり(親がすることが多い)、酔いつぶれているのを迎えに行ったり、酔って散らかしたり壊したものを片づけてきれいにしたり、二日酔いなどで欠勤する時に代わりに会社電話したり、などです。

このような援助を依存症者におこなっている者がイネイブラー(支え手)で、その行為をイネイブリングと言います。依存症の回復のためには依存症者本人が「どうしても飲んでいるわけにはいかなくなった」という感覚(底つき体験)をもつことが必要であり、そうなって初めて酒をやめて回復したいと思うのですが、こうした状態となるためには、イネイブラーがイネイブリングをやめ、援助のルートが絶たれる必要があります。

イネイブラーとなり得るのは、「家族・友人や上司」「牧師・神父・僧」「医者(特に精神科医)」などです。共依存者もイネイブラーです。こうした人々が行動を変えることが依存症回復の第一歩となることがあります。

出典:e-ヘルスネット(厚生労働省)

 

イネイブリングの関係は、夫婦、恋人、友人同士、親子、師弟、雇用関係、政府対国民など人間関係が多様であるように、限りなく多彩です。

イネイブリングは世代や性別にかかわりなく起こりますが、男性よりも女性のほうに多く見られるようです。母性本能に加えて、家族の世話は女性の役割だという社会通念が、女性のイネイブリングを当たり前にしています。また女性は、自分に人生を切りひらく力があるとはあまり思わずに、むしろ他人が自分を頼ってくれるように仕向けることで、伝統的な役割分担を乱すことなく他者をコントロールする力を得るのです。

何らかの援助を必要とする人をケアする立場にある人たちは、イネイブリングの罠にはまる危険があります。

特に、心身を病む人を世話するパートナー、親、友人、看護人などは要注意です。適切な援助とイネイブリングの間に線を引くのはなかなか難しいものです。イネイブラーはほんとうは自分の足で立てるはずの人に手を貸してしまいます。

イネイブラーは、犠牲者は自分のほうだと思いがちです。

しかし、誰かに依存されるという状態は、イネイブラー自らが選んだものに他なりません。

どこかで弱々しい依存的な人に捉まってしまい、気が付いたらイネイブラーになっていたなどということはありえないのです。

イネイブラーは誰かの世話をするように強制されたわけではありません。労力を上回る報酬が明らかにあるからこそ、イネイブラーは人に尽くします。

この社会は「善人に見える人」を賞賛します。

イネイブラーは、自分の並外れた博愛的性格だけでなく、その能力を見せつけます。他の人たちの責任まで引き受けることが出来るのは、実に格好のいいことです。こうして彼らは周囲からの賞賛を集め、うぬぼれを強めます。

~中略~

イネイブラーは自分の価値を感じるために、常に美徳あふれる人格者であらねばなりません。

そのためにはいろいろな形の犠牲が必要です。シンプルで当たり前の付き合い方では満足が得られないのです。

自分の欲求は抑えるか、あるいは無視しなくてはなりません。

対等な立場で人と交流し、理解しあっていくという誠実な道をとらないので、怒りも飲み込んでしまわなくてはなりません。

もしイネイブラーが依存者に虐待されているとしたら、自分で行動を起こさない限り、その屈辱感と傷が絡み合い、痛み続けることでしょう。

殉教者、犠牲者、そして スーパーヒーロー

—信じられないでしょうが、これらが混在しているのがイネイブラーの姿です。私たちの続けているゲームは、勝者のいないゲームなのです。

出典:「イネイブラーの本当の顔」(全国薬物依存症者家族連合会 2004年-)

 

つまり、「相手には本来自ら選択して失敗も成功も体験する権利があるにもかかわらず、(多くの場合自覚なく)自らが望んで世話を焼くことで、その権利を間接的にはく奪し、相手が自分に依存するようコントロールする立場を維持することで、メリット(賞賛や正しさという後ろ盾)を得ようとする人」を「イネイブラー」と呼び、そのような人が行う世話焼きを「イネイブリング」と言います。

 

営業のなにがイネイブリングなの?

企業のマーケティングではしばしば、市場分析と称して最も買ってくれそうな人たちを選定し、その人たちが買いたいと思うようにコントロールするための戦略を立案します。

たとえば、こんな感じです。

✔将来への不安を煽り、自分たちが提供するサービスがいかに重要か認識させよう

✔まだ気づいていない現状の問題点に気づかせる話題展開をしよう

✔抱えている課題(本人は課題と思っていない)を解決してあげよう

✔この情報を見せると買う傾向にあるから、何回もセールスポイントを強調して刷り込もう

✔この情報を見せると買わない傾向にあるから、この話題が出てきたら他社のより悪い製品の話をして相対的に良いと思わせよう

 

当たり前のように営業方針や全社指針に掲げられるこれらの「売るため」の戦略と戦術は、もちろんのことながら、「売り上げを最大化させることにより会社が利益を得るため」に策定されています。自分のため以外の何物でもありません。

「買った人が結果的に満足したのならいいんじゃないの?」

もちろんそうです。満足しているなら、活動した価値はあったでしょう。そのおかげで給料も払われるわけだし、会社はその利益を開発部門にまわして、より貢献できる何かを生み出すかもしれません。

その価値を否定するつもりはありません。

しかし、「コントロールして本人の意思をねじ曲げている」という点で、健全かどうかといえば決してそうではない、ということを理解したうえで実行するのと、自分たちは相手のために良かれと思ってやっているのだと盲目的に信仰して実行するのとには、大きな違いを感じるのです。

 

顧客が認識していないニーズは、果たして満たすべきニーズだったのか?

まず、本人が本当に望んでいるかどうかは、本人にしか判断できないことです。

その人にとって最もよいことは本人にしかわからない以上、こちらが相手の意思を確認する前にこちらの利益の最大化を念頭に置いて行うことは「余計なお節介」の域を出ません。

顧客が思い描く「ビジネスを持続的に成長させよう」という目的の背景にあるのは、自己実現をしてその結果として社会に貢献し、最終的なアウトカムとして経済的インプットを得ることではないでしょうか?

つまり、顧客が思い描くゴールが自己実現という観点から千差万別である以上、一般化はできないし、一般化できてしまったとしたら、それは売る側の都合がよい法則が見つかったというだけで、それは真のゴールではないのです。

だから、売る側本意なマーケティングやブランディングによる営業は、イネイブリングだと感じます。

誰にも彼にも売りたいと思うから、そうなってしまっていて、それが世の中を歪ませているように思います。

株式会社という組織である以上、株主総会もあるし、売上を最大化させ持続的な成長を常に対社外に対してアピールしたいのはわかりますし、それが社員の生活を守るためなんだ、というマネジメント層のいうことはわかります。

でも、私が思うのは、それだけではお金が生まれるだけで、結果的に誰も幸せにならないのではないか?ということです。

売る側も疲弊し、買う側の満足や感動は「造られた感覚」で、実に空虚です。その満たされなさ=「見ない振りをしなくてはならない本当の不満や願望」が、世の中を怒りで充満させ、他人を許せない不寛容さ(余裕のなさ)を生み、ギスギスさせているように思います。

売る必要のない人に押し売りするのは、まわりまわって最終的に社会悪なのです。

「本当に必要な人に、必要な分だけ届けばいい」

作り手や売り手は、そう願ってサービスを提供しているのではなかったのか?

「本当にこれは素晴らしいな」と感動したものに人はお金を払い、それは対等な取引関係であり、信頼関係だと思うのです。

できるだけたくさん売りたいから ではなく
もっと世の中の役に立つかもしれないから(話してみたら違うかもしれないけど)顧客が正確に価値を判断するために、私たち営業がいて、多くの人に知ってもらい、価値を感じてくれる可能性を拡げます。

営業は良さも悪さも知っている製品やサービスのプロであり、だからこそ、顧客に本当に役立つかどうか、顧客が判断するために必要な情報を届けられ、アドバイスができるという点で、存在意義があるといえます。

顧客に自らバイアスをかけるのは、詐欺師と同じだと思います。

私がいる業界では、営業のいうことは話半分に聞いておけ、というか、半分も聞いてもらえないのが当たり前になっています。哀しいですね。

私は正直、本社が策定したマーケティングの方針はやっているふりをしてすべて無視しています。絶対にむやみにマーケティング部が出した戦略や戦術を信じたりしません。必ず会社の欲とバイアスと支配的意図が含まれていて、与えられる情報はほぼ真実ではないからです。

私はただ寄り添って話を聞き、どういう姿になりたいのかを話し合っていると、顧客のほうから質問してくれるし、説明に来てほしいと言われます。そして、メリットもデメリットも正直に説明すると、勝手に買って使ってくれます。そして、使った人は納得して買っているので、とても喜んでくれています。営業成績で上位20%から漏れたことは、ここ数年ありません。だから、このやり方で今後もやっていきたいなと思っています。

イネイブリングして相手をコントロール買わせようとするから、営業という仕事が信用されなくなっているのではないでしょうか?

あくまでアサーティブに、科学的根拠に基づく事実を伝えたり、アイメッセージで「こういう可能性があると私は思う」を伝えたりするくらいしか、私たち営業ができることなどないのではないか、と思います。

サービスに関連するメリット・デメリットの正確な情報に顧客が触れられるようにすることが最も大事で、顧客が自分の意志で正確に判断ができるように、情報媒体あるいは相談役としての価値を最大化させることが、結果的に最も喜ばれ、自然な範囲で最も売れる理想像だと思います。

付き合いで買ってもらうのは、危険な共依存状態

濃密な個人的付き合いをして、友達のようになり、買ってもらおうとするといういわゆる「寝技」と呼ばれる営業手法があります。

営業は顧客に尽くし傅き、己が身を削る(プライベートや金品を差し出す)ことで、顧客に対して購入を依頼をしやすい状態を創ります。

顧客はしもべを従え金銭で人間をコントロールできる(と錯覚する)ことで、自我の肥大化による自己効力感と自己肯定感を得ています。

危険なのは、これが営業としての矜持や美徳だと勘違いしている場合です。

この手の営業をベースにして生きてきた人は、自分を粗末にすればするほど喜ばれるので、それこそが存在意義だと勘違いしやすいのです。

人に尽くしていれば相手に喜ばれ、売上が上がれば会社に褒められ、これがいいことだ、と信じて疑わなくなります。

そういう人は、その歪んだロールモデルを他人に押し付けやすい傾向があります。

なぜか?「今自分がしていることは正しいことだ」「やらなくてはならないことだ」と思いたいからです。

顧客は、相手が自分を崇め奉るのが当然と思い始め、そのような態度で接する人が信用できる人、自分を大切に思っている人で、異を唱える人間の言葉に耳を傾けなくなります。

なぜか?無条件に存在や考えを肯定される方が心地よいから。それは造られた心地よさだと気づいていても、それを自覚したくない、忘れたいからです。

この関係は、イネイブラーが依存者に虐待されているケースと同じで、実はお互いに健全な関係ではないのです。

日本は古来からこういう「お付き合い」によりお互いを縛りながら商売をしてきたからか、今もなお、苦しみの原因の一つであるこの共依存的商習慣から抜け切れません。

 

まとめ:必要以上に売るのはもうやめよう

今、あなたが営業職で、もし無気力になったり、得も言われぬモヤモヤに苦しんでいるとしたら、それは必要とされていないのに無理やり売ることに罪悪感や嫌悪感を抱いているのではありませんか?

必要な人に必要な分だけ届くことが最も重要なことで、それ以上に売れと会社が言ってきたとしても、それは会社が望んでいる計画数字がナンセンスなのであり、営業は何も悪くないと思います。

むしろ、不自然な売り上げを創ろうとしている会社が不健全であり、病んでいるのだと思って、心の中では放っておきましょう。

ノルマをこなせなくても、明日はきます。

売上目標が達成できなくても、死にはしません。

会社の言うことを信じていたときは、全く売れずに悩み、営業車の中で何度も涙を拭きながら訪問していました。

自分の声に耳を傾け、相手に真摯に寄り添うようにすることで、自然に信じてくれて買ってくれるようになった経験からすると、私は、自分の言葉で顧客のためを思って話したほうが、結果的に最も売り上げを最大化できると思いますし、何よりも働いていてあなたが幸せに暮らせると思います。

あなたが幸せになることが、あなたが主役のこの世で最も重要なことです。

やるべきことは、やりたいことだけです。

 

【AC】妹からのLINEに機能不全家族の闇を感じた話

先日、妹から、こんなLINEがきました。

 

お兄ちゃん久しぶり😆

毎日おつかれさま💓

昨日と今日で、○○(祖父が住んでいる地名)のおじいちゃんが入院してる病院に行ってきたよ―🏥

おじいちゃん不安そうにしてるし、前よりかなり痩せてて悲しくなったけど、治したいって頑張ってた💦

会えて喜んでくれたので行ってよかったかな…わたし気の利いたことも言えなくてただ普段通り過ごして帰ってきちゃったんけどね😢

お父さんもつらそうだった⤵️

お兄ちゃん仕事と家庭があってなかなか会いに行けないかもしれないと思うから、どんな様子か伝えとこうかと思って連絡してみました💦

おじいちゃんが呼吸も楽にできてちゃんと会話できるうちに、1回くらい会えたらいいね🙏

長くなっちゃってごめんね🙇💦

お兄ちゃんも、体に気をつけてお過ごしください😌

○○さんによろしく😉👋💓

 

このLINEを見て、戦慄しました。

このLINEの文章には、私が生まれ育った機能不全家族の陰が色濃く反映されています。

今日はそのことについて考えてみたいと思います。

 

LINEが送られてきた背景

父方の祖父が末期のがんだとわかったのは、今年に入ってからだそうです。

父と母から聞きました。そして、おそらく年内には葬式になる可能性が高いので、仕事で忙しいかもしれないが、急遽危篤の連絡があることを覚悟しておいてほしい、と言われました。

それを聞いたとき、私の感想は「まあ、もう年だしな」というようなものでした。

「わかった」と返事をしました。

 

その際、父と母は以下のようなコメントを残しています。

「おじいちゃんも○○ちゃん(孫)に会いたいだろうなぁ」

「私たちはこの2月の連休におじいちゃんに会いに行く予定なのよ?」

「いつまで会えるかわからない状態よね」

 

この発言が暗に意味するところは、以下の通りです。

『死ぬ前に孫を見せにもいかないのか』

『2月、私たちがみんなで行くときに来るのが筋じゃないの?』

『期限が迫っているのだから、他に優先するべきことなど無いはずだ』

 

つまり、『お前は祖父に会いに行くべきだ』という自分たちの意志に息子夫婦を従わせたい、というコントロール欲求の投げかけです。

私の両親たちはこういう、自分はそうしろとは言葉の上では言っていないけれど、そうせざるを得ない状況に追い込むのが得意です。

というか、それをコントロールだと自覚できたことがないし、それによって子供たちが選択権を奪われ、自己肯定感を削られているとは露ほども想像が至っていません。

『ジョジョの奇妙な冒険』第6部(ストーンオーシャン)のラスボス、エンリコ・プッチのような、最もドス黒い『悪』です。

ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャンに登場するキャラクター、ウェザー・リポートが、そのラスボスであるエンリコ・プッチを指して言った、

「お前は 自分が『悪』だと気づいていない… もっともドス黒い『悪』だ」

という台詞があります。

プッチは、自らの行動で人々を幸福に導くことができると確信しており、その目的の達成のためには他人を犠牲にすることも殺人すらも一切躊躇わず、その行いは目的のための全て正しい事であると信じて疑いませんでした。

まさに自分が悪だと気づいていないため、自分が行っている一連の行動に罪悪感を一切伴わないのです。

Processed with MOLDIV

 

その無自覚さが、どれほど子供の判断力を奪い、人生を奪ってきたのか、その功罪を全く理解していないのです。

だから、いまだにこのような遠回しな手法を用いて、他人をコントロールしようとする人たちなのです。

もはや絶望的です。これはもう、死ぬまでわからないでしょう。

私は親に関しては、すでに諦めつつあります。

 

妹のLINEに感じる世代連鎖

さて、そのような背景を踏まえて、先ほどの妹のLINEをもう一度確認してみましょう。

お兄ちゃん久しぶり😆

毎日おつかれさま💓

 

ここで、相手をねぎらう姿勢を見せて、『私はあなたが忙しいことをわかっているよ』と一見歩み寄るようなアイスブレークを試みています。

 

昨日と今日で、○○(祖父が住んでいる地名)のおじいちゃんが入院してる病院に行ってきたよ―🏥

おじいちゃん不安そうにしてるし、前よりかなり痩せてて悲しくなったけど、治したいって頑張ってた💦

会えて喜んでくれたので行ってよかったかな…わたし気の利いたことも言えなくてただ普段通り過ごして帰ってきちゃったんけどね😢

 

ここで、私は祖父に会いに行ってきたこと、喜んでくれたことを報告という形で切り出します。気の利いたことも言えなくてただ普段通りに過ごすだけでいい、むしろ『それすらお前はまだやっていないんだぞ』という圧力を、ここで相手にかけたい意図が垣間見えます。

 

お父さんもつらそうだった⤵️

お兄ちゃん仕事と家庭があってなかなか会いに行けないかもしれないと思うから、どんな様子か伝えとこうかと思って連絡してみました💦

おじいちゃんが呼吸も楽にできてちゃんと会話できるうちに、1回くらい会えたらいいね🙏

 

父を出し、『父にも不義理をしているんだぞ』という圧をプラスします。

報告という形をとっているとアピールすることで、『このLINEは、あくまで報告であり、行けということではないが、こんな状態だと知っていて行かない選択肢はないよね?』と直接言葉にせず相手に行動を促そうとしています。

そして『その行動を選択するにしても、残り時間が少ないんだぞ』ということが言いたくて、呼吸も楽にできてちゃんと会話できるうちに、という哀れっぽい病状に関する表現を用いています。

 

長くなっちゃってごめんね🙇💦

お兄ちゃんも、体に気をつけてお過ごしください😌

○○さんによろしく😉👋💓

 

最後に、ねぎらうふりをして、自分の過失に関わることは予防線を張って謝罪の言葉を一応〆に使います。

 

いかがでしょうか?

父や母と全く同じように、コントロールと気づかず自分の欲求を他人に押し付けていることがよくわかりますね。

バウンダリー(境界線)を他人と自分の間に引くことができなかった妹は、父と母にやられてきたことしか経験していないので、それが最も嫌だったはずなのに、その方法しかとることができないでいるのでしょう。

そして、それが自分の首を絞めていて、生きづらさの原因になっているとは、思いもよらないのでしょう。

他ならぬ私が、ACという概念や12のステップに出会うまで、そうだったから。

 

機能不全家族が唯一のモデルケースになるという『呪い』

これは、非常に不幸なことに、『それ(両親)しか見本がいなかったから』ということに起因しています。

両親がやってきたことは、暴力にしろ、共依存にしろ、コントロールにしろ、それが不健全なものであったとしても、子供は手本にしてしまいます。

虐待について話をしていて聞いた話ですが、幼少期に身体的虐待を受けていると、暴力については一種の慣れが生まれてしまって、虐待を受けたことがない人にとっては許容できないようなハラスメントを許容してしまうようになるそうです。

その人にとっての許容値を、親の行動や言動が規定する、という法則があるように感じます。

それは、自分が生まれ育った家族が、たとえ機能不全家族であったとしても、それを『家族』としての在り方として見続けてきたからです。

小さい頃は、それが不健全だとは気づけもしないので、『家族とはこういうものなのだ』『愛している人は、こういうことをするものなのだ』というふうに、子供は親を肯定しようとします。

そうやって『私はこの人たちに愛されている』と思いたいから親にされた嫌だったことにふたをして肯定して続けてきた結果、不当な扱いについても、相手に事情があるのだからと許容しようとしがちです。

 

まとめ:私は私の気持ちに従って生きていきたい

結局、それは親の気持ちや他人の気持ちを、優先しています。

それは優しいことなのでしょうか?本当に優しいことでしょうか?

そして、正しいと言えるでしょうか?

 

最も誠実で実直なのは、『自分がそうしたいから』という理由に基づいて行動することではないでしょうか。

自分の気持ちに従って生きている限り、その結果がどうであったとしても、これは自分が一生懸命考えて選択したことだと胸を張って堂々と責任を負うことができます。

そうでなくては、本当に自分の行動に責任を持つことなどできないし、間違った時に心から謝ることも、成功した時に心から喜ぶこともできないのではないでしょうか。

それが、自分の人生を生きる、ということだと思います。

私は、ちゃんと自分を生きていきたい。

だから、これからもちゃんと考え、生き方を見つめていきたいと思っています。

【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑩(世話焼き)

今回は、世話焼き について棚卸ししていきます。

世話焼き とはどんなもの?

■世話焼き■

他人の世話を焼き、問題を解決し、必要を満たしている限り、私たちに自分のことを見る時間はありませんでした。

この性質が著しいものになるにつれて、わたしたちは自分のアイデンティティー(自己同一性、自分が何者であるかについての確信)を完全に失いました。

子どものとき私たちは、自分が到底取り扱えない他人の関心や問題に責任を取ることを当然のことと思ってしまい、その結果、普通の子ども時代を過ごすことができませんでした。

わたしたちは課せられた非現実的な要求と、わたしたちが「小さい大人」であることで時たま受け取った賞賛は、自分は神のような力を持っているのだと私たちに信じ込ませました。

他人の世話焼きをすることは私たちの自己評価を押し上げて、自分が無くてはならないものだと感じさせました。それはわたしたちの人生に目標を与えました。

世話焼きとしてわたしたちは、自分が必要だとしばしば保証されるような混沌とした状況にあるとき、最も快く感じます。

わたしたちは、他の人たちは取るだけで与えてくれないとよく恨みますが、わたしたちは、与え方は知っていても、受け取り方を知らないのです。—わたしたちは、他の人たちがわたしたちの世話をしてくれるに任せることができないのです。

わたしたちには、適切に自分の世話をする方法を教えてくれるモデルがありませんでした。

世話焼きとして、わたしたちは次のようであるかもしれません:

●自分をいなくてはならない人にする
●人々を救い、助言する
●自分自身の必要を無視する
●自分のアイデンティティーを失う
●罪悪感を感じたり、不適当であると感じたりする
●共依存になる

******
『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
61Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

✨この本の購入はこちらからできます✨

https://aca-japan.org/docs/books.html

ACAに繋がってなくても、欲しいと言えば送ってもらえます。
お求めの際には、ここの名前は出さないようお願いいたします

 

自覚がなかった「世話焼き」に気づく

あまり関係がない、と思い込んでいましたが、よくよく読んでみるとあてはまるところがあるACの項目だと思いました。

 

子どものとき私たちは、自分が到底取り扱えない他人の関心や問題に責任を取ることを当然のことと思ってしまい、その結果、普通の子ども時代を過ごすことができませんでした。わたしたちは課せられた非現実的な要求と、わたしたちが「小さい大人」であることで時たま受け取った賞賛は、自分は神のような力を持っているのだと私たちに信じ込ませました。他人の世話焼きをすることは私たちの自己評価を押し上げて、自分が無くてはならないものだと感じさせました。

というのがありますよね。

私は小さい頃は特に、夫婦関係が不安定な我が家で、密かにぶっ壊れることを願っていました。反面、この不安定な家で母親の感情に対する世話を焼くことで、自己評価を押し上げていたようです。

そして、私はいなくてはならない人だと、必死に思おうとしていました。

だから、あんなに嫌だったのに、嫌だと言えなかったし、言わなかったのです。

なぜなら、家庭が不安定でないと、私の存在価値がないからです。

母親が、友達がいなくて、家族しか親しい人がいなくて、私を頼ることを、心のどこかで心地よく思っていたことに吐き気がします。

しかし、それは私が役割として望んでいた面があることを認めます。

「小さい大人」として褒められた経験は、甘美なものでした。

しっかりしてるわね。いい子だね。賢い子だね。

こういう褒め言葉をもらえるように、大人が振舞うように振舞い、私は両親が誇れるいいコでいることが、いつも私の目標でした。

本当はそんな風に振舞いたいわけではなかったはずなのに、自分のアイデンティティーを失い、他人の必要を満たすことで代用しました。その間は、他の人に認めてもらえない本当の自分を見なくて済んだしそんな自分に向き合う苦しみから、逃れることができたからです。

そのように本質を歪めて他人に合わせることで甘い汁を吸って成長してきた私は、大人になっても同じようなことをしていた、と今棚卸しをしていて気づきました。

「こんなにやってあげたのに」

「こんなに組織のためにがんばったのに」

私はよくそうやって憤り、組織を恨み、会社を恨み、上司を恨んできました。

わたしたちは、他の人たちは取るだけで与えてくれないとよく恨みますが、わたしたちは、与え方は知っていても、受け取り方を知らないのです。—わたしたちは、他の人たちがわたしたちの世話をしてくれるに任せることができないのです。わたしたちには、適切に自分の世話をする方法を教えてくれるモデルがありませんでした。

という部分を読んで、頭を抱えました。

取るだけで与えてくれない、ってよく言ってました。図星でした。

それは、他の人たちが世話をしてくれることになれていない(親がしてくれる世話は一方的で私の気持ちを考えないという点で迷惑だった)、親は世話をしてくれという状態だったし、自分の世話をする方法を知らなかったのだな、と気づきました。

思えば、自分がどうすれば心地よく、独りでいられるかについて何も選択肢がなかったからお酒に一直線になったわけだし。

自分に配慮し、自分の世話をできないのに、組織の課題や、仕事のアラを見つけては、それを修復しようとしたり、それによって軋轢に悩まされている人について気をもんだり。

それは立派に世話焼きで、私の認知の歪みでした。

 

出会った当初、妻に「世話焼き」をしていたのではないか

私は最初、妻に会ったとき、彼女に同情したように思います。

経済的に豊かではなく、幼少期に母親に一度出ていかれて寂しい思いをしたと聞きました。直近の彼氏(子持ち)を追いかけて地元を離れて出てったにもかかわらず、モラハラをされて泣く泣く地元に戻ってきたことも、とても不憫だと感じました。

私がもっている、私にとっては酒を買うことにしか使わないこのお金を、この人のために使ったら、よほどよいのではないか?

喜んでくれるし、俺を必要としてくれるのではないか?こんな俺でも誰かの役に立てるのではないか?

その気持ちがあったことを認めます。存在意義を確立するために、妻からの感謝をほしがっていたことを認めます。

だから、私が妻にとってNo.1でなければ我慢ができないと考えて、義母を大切にする妻が、あのとき許せなかったのでしょう。

こんなにわたしは尽くしているのに、というのは、世話焼きですよね。

実に自分本位で、失礼な発想だったと言わざるを得ません。妻は私なんていなくても、お金なんてなくても、今この時をしっかり楽しむ人であるのにもかかわらず、要らない同情をしたように思います。

そんな人だから、私が持っていない輝きを持っている人だから、人として尊敬している、というそれだけでよかったのに。「私が」認められたくて、感謝されたくて、必要以上に何もかも差し出そうとしてしまっただけでした。この生きづらさは、他ならぬ『私の歪み』だった、ということです。

「相手のため」という隠れ蓑を使って子どもに欲しい反応をさせようと無意識であったとしてもコントロールしようと、私の半生に暗い影を残させた両親と同じ歪みでした。

だから、こんな「私はこんなに家族のために尽くしているのに」という考えに繋がってしまうのだな、と思います。尽くすのは、私がしたいからすることであって、私が身を粉にするほど尽くさなくても、愛情をもって接してさえいれば、みな縁に導かれて、それぞれの幸せを見つけて生きていくのです。

いまそういう押しつけがましい気持ちがないのは、本当にACから回復してきているからなんだな、と思います。押しつけがましい気持ちというのは、義母に対する恨みとか、妻に与えてくれないと憤ることとか、1年前に持っていた、そういう暗い気持ちのことです。

人はそれぞれにハイヤーパワーをもっていて、それぞれにとって最も重要なのは、

わたしたちは、人生で一番責任を取らなければならないのは、自分の福利(良い状態にあること)と幸福であることを実感して了解します。

という部分なんだとわかるにつれて、私は自分そのものを知ったり見たり、そのままを受けいれるのが、最近うれしいと感じます。

 

世話焼きからの回復 とはどんなもの?

□世話焼きからの回復□

わたしたちが、他人の世話焼きをする人の役割から降りるにつれて、全ての人、全ての事柄について責任を感じている度合いが段々と減ってきて、一人一人が自分の道を見つけるに任せるようになります。

私たちは他人を、彼らの導き、会い、支援の最良の源である、彼らのハイヤー・パワーの配慮に委ねます。

すべての人の必要・欲求に応えようという重荷をおろすことによって、わたしたちは自分自身の趣味や生活スタイルを発展させる時間を見つけます。他人の世話をすることについての強迫観念は、わたしたちは究極的には他の人たちの生き方をコントロールできないのだ、という事実を受け入れることに置き換えられます。

わたしたちは、人生で一番責任を取らなければならないのは、自分の福利(良い状態にあること)と幸福であることを実感して了解します。

他人の世話を焼く人であることを止めるにつれて、わたしたちは次のようになっていきます:

○他人を救い、助言することを止める
○自分自身を配慮し、世話する
○助けることについて限界を置く
○自分自身のアイデンティティーと興味を発展させる
○依存的な人間関係を認識する

******
『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
62Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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まとめ:最も重要なことは、他ならない私が「私をど真ん中で生きる」を一番最優先するということ

私は、親との関係から歪んで、私以外の私の周りのすべてが上機嫌で幸せであることに、責任があると思い込んできました。

それらは「変えられないもの」で、私の力の及ぶ範囲ではないし、責任の範囲ではありませんでした。私は任せるべきだったし、それでこそ相手を尊重するということだったのだと実感します。穏やかな気持ちで、相手の決断を考えることができます。

 

最近、チームであるプロジェクトを担当しているのですが、誰も助けてくれないことに私は憤り、嘆いていました。

これまでの私は、自分ですべての事柄について完璧にこなさなくてはならない、と思って、全く付け入るスキを与えてきませんでした。

何かを手伝ったり、手を加えたりする必要を訴えるスキがないのに、他の人が積極的にかかわろうとするはずもありません。私が他人のハイヤーパワーを信じて任せることができなかったから必然的に私は独りでやっていたのです。

当然の帰結でした。

これも一種の世話焼きで、

わたしたちが、他人の世話焼きをする人の役割から降りるにつれて、全ての人、全ての事柄について責任を感じている度合いが段々と減ってきて、一人一人が自分の道を見つけるに任せるようになります。

という回復の姿の逆なんだな、と思うと、かなり関係が深かったと思います。

私は自分自身に配慮して、自分を上機嫌にすることに、人生のリソースを最も注ぐことが、最も責任感のある行為だったと、自分の常識を改めます。

助ける事じゃない

修復することでもない

他人が助けてくれないと嘆くことでもない

私がどうしたいか、できる範囲の中で何をするか、それだけが気にするべきこと。

そうすると実に気持ちが軽く、心のキャパシティーが広がったような気持ちになります。

私はもっと自由にしてよかったし、傷つくかどうか、幸せかどうかは、当人がきめる権利も責任もあり、私がやってきたのは越権行為だったのだと思います。

そういう過干渉・世話焼きを少しずつ度合いを減らして、最終的には手放し、対話している相手の決断や幸せの価値観を尊重して、最も大切にすべき自分自身を救い、配慮し、世話する、真摯な私でありたいと思います。

【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑨(承認を求めようとすること)

今回は、承認を求めようとすること について棚卸ししていきます。

 

承認を求めようとすること とはどんなもの?

 

■承認を求めようとすること■

機能不全の育ち方をしたので、わたしたちは承認されなかったり、批評されたりすることを恐れます。子どものとき、わたしたちは親や祖父母や兄弟姉妹や重要な他人から、愛と承認を受け取ることを絶望的に浴していました。わたしたちの大部分にとって、それらが得られたことは滅多になかったので、私たちは今も他人からの保証を求め続けています。しかしながらこの承認の欲求・必要が、自分の生き方や考え方を他人の欲求・必要に合わせるという、私たちのやり方に重大な影響を及ぼしています。私たちは、自分自身をどうやって愛し、承認したらいいか知らないので、自分をよいと感じるために他人からの補償を求めようとします。また他の人たちに自分を好きにさせるように振舞うかもしれません。この「外に焦点を合わせること」は、わたしたちが自分の欲するものや必要とするもの、自分の感情や欲求に気づくことを妨げます。わたしたちは、他人の反応を見てその人たちを楽しませるにはどうしなければならないかを推し量り、彼らの私たちに対する印象を管理しようと試みます。わたしたちはすべての人を楽しませようと努力し、他の人を傷つけたくないので自分自身にとって破壊的な関係にしばしば留まります。

他人からの承認に対する必要・要求があるとき、わたしたちは次のようであるかもしれません:

●人の機嫌を取る
●批評を恐れる
●自尊心を欠く
●自分を無価値に感じる
●自分自身の必要・欲求を無視する
●失敗を恐れる
●集中力を欠くこと
●身体的な不快

******
『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
59Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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「人の評価を気にしすぎてつらい」

いつも人と何かをするときには、息苦しさがありました。

今も正直、人と付き合うのは苦手でおっくうで、あまり楽しいと思えません。

 

何かをするときは、常に以下のような強迫観念で身を固くしがちです。

 

・失敗してはいけない。

・完璧にやらなくてはならない。

・結果を残さなくてはいけない。

・結果は人より優れていなくてはいけない。

 

人と付き合うときには、常に以下のような恐怖をともなう義務感があります。

 

・嫌われてはいけないし、できるだけ好きにならなくてはいけない。

・一度会ってしまったからこの人の個人情報を覚えなくてはならない(でないと失礼だから)。

・楽しませなくてはならない。

・自分のしたい話ばかりしてはいけない(相手の話を聞かなくてはならない)。

・また会いたいと思われる人物イメージ(明るい・知的・好感が持てる)でなくてはならない。

 

はじめの固定観念は「結果の評価」、2番目の義務感は「人としての評価」です。

なぜこのように、私は評価を気にするのでしょうか。

 

私は、「結果を残さなくては私に価値がない」と思っているからです。

私は、「本当の自分を見せたら嫌われる」と思っているからです。

 

それはなぜでしょうか。

それは、親との関係・幼少期の人付き合いにおいて、経験的にそう学んだからです。

 

承認してもらえなかった苦い経験

親は、私がうまくいったときにはとても喜びました。

私が失敗したり、他の子より劣った結果しか残せないとき、哀しみました。

「いいのよ、がんばったわね」と口では言いながら、顔と目は「なぜあなたは一番じゃないの?なんで負けてしまったの?」と言っているように感じました。私はその目を向けられるのが、すごく惨めで哀しい気持ちになるので、たまらなく嫌でした。

だから、結果を残して親に認めてもらいたい、親が喜ぶ顔が見たい、と思っていました。人に認められることが、正しいことで、良いことで、逆に言えばそうでなくては価値がない、と思い始めたのは物心がついて少し経った小学校の頃だったように思います。

私はそんなに運動神経が生まれ持って良いわけでもなく、抜群に頭がキレるわけでもありません。

それでも、クラブ活動や受験では他人と比較されますし、優秀な他の子の活躍をうらやましそうに見る両親の横顔を悔しさで唇を噛み締めながら、眺めていたような情景が思い浮かびます。

 

親は私を見ていないと感じました。

私が残す結果や社会的なステータスを見ていたと思います。

だから、私は寂しかった。

こっちを見て、と言いたかったのだと思います。

しかしそれは叶いませんでした。

 

奇しくも時を同じくして、幼稚園~小学校低学年にかけて、私は周囲の人間にも受け容れてはもらえませんでした。

 

独りで遊ぶことが好きだった私はよく保母さんや先生に「お友達と遊びなさい」と半ば強制的に好きなことを中断させられてやりたくもない集団行動のなかに投げ込まれ、ひどくストレスを感じていました。

 

「お友達」はそんな変わり者の私を嗤い、物をぶつけ、暴力を振るってきました。怒りを感じる瞬発力がなく、やり返すのが遅いため、少し経ってから何の前触れもなく復讐したりするので、よく私が加害者だと誤解され、叱責されました。タイムラインをよくわかってない他人から見れば、私が突如暴力を振るったように見えますからね。

 

「好かれなければならない」という生存戦略の行く末は

そんなわけで、私にとって他人は脅威でした。

いつ攻撃されるかわからない。反撃には賞味期限があり、攻撃されたら瞬時にしなくてはいけない。そしてそもそも、攻撃されないように、よく観察し行動を模倣して、うまく溶け込み、敵視されないようにしなくてはならない。

 

「好かれなくてはならない」=『「人としての評価」を高く保たなくてはならない』という思考にたどり着きました。

 

そこからは、作り笑顔の練習、声のかけ方や友人としての振舞い方、冗談の言い方、何が冗談と嫌味の境目なのかの見分け方、さりげなく嫌味を打ち返す即答話法、など、自分なりの処世術を行動心理学や人間観察を通じて学び、なんとか自分なりに集団に溶け込み合わせることができるようになった「つもり」でした。

 

しかし、やはりいつもまでも真似事では、違和感はぬぐえませんでしたし、何よりできたのは「知人」であって「友達」ではありませんでした。うまく騙せても、偽りの自分で接する限り、魂の触れ合いはありません。どうしても一定以上の距離には、近づくことも近づかせることもできないのです。そんな上辺だけの空虚な人間関係に嫌気がさして、行き詰まりを感じ、閉塞感で窒息しそうな毎日を送る羽目になりました。

 

その孤独感と、結果を残さなくてはならないという焦りや不安から、心を守り脳を鎮静させるためにエチルアルコールに頼ることになり、逆に脳を薬物でラリらせて、心を痛めつけることになります。

すなわち、アルコール依存症を発症するわけですが、今考えれば当然の帰結というか、因果関係として立派に成立する妥当な経路を辿っただけだったのだな、と思います。

 

 

 

承認を求めようとすることからの回復 ってどんなもの?

今、私はようやく、「優れた結果が残せなくても、私はここにいていい。」ということと、「人に好かれようと自分を偽らなくてもいい」ということを、自助グループに繋がり、棚卸しをしていくなかで少しずつ、認めてもいいのではないかと思えるようになりました。

 

□承認を求めようとすることからの回復□

自分自身の承認と、ハイヤー・パワーの承認に頼り始めるとき、承認を求めること自体はOKなのだということを、わたしたちは理解し始めます。他人を操ることはしないで承認を求めるやり方を身につけます。他の人たちの褒め言葉を受け入れて、その褒め言葉が心からの物であることを信じて、率直に「ありがとう」といえるようになります。わたしたちは自分の欲望に焦点を合わせて、「イエス」と思っているとき「イエス」と、「ノー」と思っているとき「ノー」と言います。

適切でない承認の求め方から回復するにつれて、わたしたちは次のようになっていきます:

○自分の必要を認める
○自分自身がどう感じているかについて本当のことを言う
○自分自身に対して忠実になる
○自分と他人に対する信頼を築く

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
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さて、本当のことを言えば、私は今まで強がりを書きました。

ということを白状します。

 

というのも、あたかも気に入られなければならなかったから、それを欲していなかったけど、生きるためにしかたなくそうせざるをえなかった、かのような書き方をしました。

本当に望んでいることから今もなお目を背けようとしていたことを、ここに認めます。

 

私は、親にも、友人と呼ぶべき同世代の子どもたちにも、そのままでいいと言ってほしかった。仲間に入れてほしかった。私が生きたいように生きている姿を認められたかった。

私は、そうでない現実が辛かったし、独りで泣いている日のほうが、笑っている日よりも多かったことが、とても惨めで哀しいし、悔しいです。

 

そのままでも、生きていていいんだよって、言われたかったです。

そのままでも、あなたが必要だよ、って言われたかったです。

 

その願いが満たされなかったから、私は「そんなもの求めてない」と言いながら、卑屈にもご機嫌をうかがって、顔色に一喜一憂して、今まで生きてきたことを認めます。

 

自信がなかったのも、楽しくなかったのも、すべてそのような機嫌取りの態度で、他でもない私が一番自分を蔑ろにして生きてきたからに、ほかなりません。

私の場合は、受け容れてもらえなかったというどうしようもない、変えられないものを変えようと涙ぐましい努力をしてきた結果、本当になりたかった姿とは程遠いものに成ってしまっていたことを、事ここに及んでは認めざるを得ません。

 

 

「承認を求めようとすることからの回復」の項目で、特に心に刺さったのは、「自分がどう感じているかについて本当のことを言う」という文言です。

 

私は他人の印象を操作して、「気に入られる自分」であろうとするために、本当のことを言ってきませんでした。自分がどう感じているかについて知られることを恐れました。

なぜなら、自分の本心を話しても受け取ってもらえなかった手痛い失敗を繰り返してきて、すっかり恐ろしくなっていたからです。

 

しかし、棚卸しを繰り返し、どうしようもないものに囲まれながら自分自身が精いっぱい生きてきたのだ、ということを自覚するにつれて、私は自分自身を承認することができるようになってきました。

それは、素直に自分の言葉で話したこと、その精一杯差し出した言葉たちを自助グループの仲間が否定せずただ言いっぱなし聞きっぱなしで聞いてくれたこと、の2つによって徐々に実現してきました。

その結果、あんなに吹けば飛ぶほど頼りなく、他人の評価に右往左往していたのに、今では自分自身の感情と本質を頼り、またそれに従うことにこそ最も安心を感じるようになってきたように思います。

 

つまり、他人に承認を求めること自体は悪ではないが、他人というコントロールできない存在に求める以上、承認を得られないこともある、という「変えられないこと」を受け止める勇気を持ち、それでもやっぱり承認を求めてしまう自分の欲求そのものを否定しないで認める努力を始めたということです。

 

自分の承認欲求について、見てみない振りをすればするほど、純粋な願いだったはずのそれは、後ろめたいものとして色濃く影を落とし、心に棲みついてしまいます。

 

操らず、自然に生きること。

それでもらえた賞賛ならば、私は素直にそれを受け取ることができるかもしれません。

なぜなら、他人を操ろうとする心が、相手が発した言葉を深読みさせ、素直に受け取らせないようにするからです。

私がまじりっけなしに他人と関わり、YESのときにはYES、NOのときにはNOと言って堂々と胸を張って生きている限り、たとえ他人が嫌味で言ったり真意は他にあったとしても、私は私の世界のなかでは、他人の褒め言葉を真実と取ることができ、力に変えることができるでしょう。

その積み重ねが、自分への信頼、その自分を信頼してくれる他人への信頼を、少しずつ築いていくのです。

 

私は、この歪んだ強迫観念と義務感を否定するのではなく、「私があの頃を生き抜くためにはどうしても必要だった」と一度抱きしめることにしました。

そして、今は幸福にも必要がなくなった、それらの想いを手放し、楽しく生きられる生き方を、みなさんと一緒に探していけたらいいなと思っております。

【AC】「モラハラ」や「フェミニズム」でやたらイライラする話

最近になって、やたらと「モラハラ」「フェミニズム」のような内容にイライラする自分に気づいたので、掘り下げてみようと思います。

 

いったい私は、何が嫌なのか?

Twitterで流れてくる、こんな内容を見ると胸がざわざわします。

「自分が正しいと信じて疑わず、他人に『指導してやっている』というスタンスの人間がいる。それはモラハラだ。」

「男性は女性に対して尊重する気持ちがなさすぎる。女が不幸せなのは男が問題だからである。妻を大事にせず育児を手伝わない夫はクズだ。」

 

なんででしょうか。

実は自覚があって、自分が責められている気がするからでしょうか。

それとも、それらを『やられてきた』ことがあるから、哀しくなるのでしょうか。

 

それは両方であるように思います。

 

私は今まで世の中で正しいと思われていることを、正しいと信じて疑いませんでした。

正しいことをしていて、正しさを社会から認められ、他人より優れている自分は、他の人を導く立場だ、などと勘違いをしていた恥ずかしい過去の自分。

その自分の醜い姿を、目の前に突き付けられたようで、嫌な気持ちになるのでしょう。

 

もうひとつは、母親が父親に対して言ってきたことを、また繰り返し聞いているような嫌悪感があるようです。

男性が女性に配慮するのは当たり前で、世界一大切にしていて、妻一人だけを愛していて、子供に献身的で、家庭を大事にする、そんな男性だけが至高の存在で、あとは有象無象のゴミだというような理想論を、また金切り声で母親から聞かされているような気がします。

それに疲れて、タイムラインを見ると、心底うんざりするときがあります。

 

つまり、私は、自分自身の恥ずかしい自己認識や嫌でたまらなかった記憶の追想をさせるために、これらの「モラハラ」「フェミニズム」の話題が苦手なのであります。

 

ひとは常に正しくあることなんてできない

人間は、人間だから、いくらでもやり直せる、と思います。

とっかえひっかえみたいな、あれでダメならこれでいこうみたいな、適当なことをしてもいいわけがない、と思いがちですが、振り返ってみると、子どもの頃の夢を初志貫徹している人なんてわずか数%ではないでしょうか。

子どもの頃の夢を追いかけ続けなければならないわけではないように、私たちの人生は常に試行錯誤と決断の連続です。

その分岐点のたびに、トライ&エラーを繰り返しています。意識していないだけで。

 

私は、今までうまく人生を歩んでいると思っていました。

しかし、それはとんだ勘違いでした。何も知らなかっただけでした。

今、依存症になった人や、薬物問題で逮捕された人を、メディアで上から目線で断罪する人を見ると、過去の自分を見ているようで恥ずかしくなります。

「自分が正しい」という凝り固まったプライドを通してみているから、自分が見ている物事が歪んでみえていることに、全く気づけない哀れな人々。

そんな人々には見えないのです。

ひとは常に正しくあれるわけではなく、正しくないことのなかにも真実があるということが。

 

どんなひとも、他人をジャッジしていい理由などない

当事者でなければ、そして当事者であっても、本人以外に自分の決断が、良かったか悪かったかなど、決めることはできません。

本人ですら、決めかねるでしょう。それをなぜ、他人が上から目線で決めることができるでしょうか。できるはずがありません。

傷つけられたこと、自分らしく生きる権利の侵害、それに対してNoという権利は誰もが持っていてしかるべきものです。だから、私はある女性が、女性として出会った男性個人に、Noというならば、それは当然のことだと思います。

しかし、「男は~」とか「男性は~」という風に大きな主語で訳知り顔に語られると、どうしようもなくムズムズします。

全ての男がそのように下劣な感性しか持っていないのだと検証したのでしょうか。性別でくくることこそ、女性が最も忌避していることではなかったでしょうか。自分がされてもっとも嫌なことを無意識にしているのではないでしょうか。それはとても醜くみえます。

女性は、男性は、と大きなくくりで話すのなら、一生分かり合えないでしょう。

個性はそれぞれ違うし、人生のバックグラウンドだって違うのに、一括りにされて気持ちのいい人はいません。

「私の何を知っているのよ!?」ってなりますよね。

それなら、もういっそ結婚や色恋なんて全部やめにして、人類増えすぎたし、もろとも一緒に衰退しませんか?と言いたくなります。

よりよく生きたいしまだ死にたくないし、衰退なんて嫌だから、異性という相手を求めているわけで、うんざりなんだったらもう求めなくていいと思うし、語り合うなら、お互いにいい関係を築くためにどうしましょうか?という話をすればいいのに、と思います。

お互いに間違いも犯すし、苦難もあるでしょう。それでも一緒にいたいか、いたくないか、それだけなんじゃないでしょうか。

ジャッジしてお互いを指さしあいながら罵り続ける限り、両方ともが幸せになれない。

それが、男女の関係でただ一つ確かなことのように思います。

 

みんな、傷ついた思いを誰かにわかってほしいだけ

とはいえ、今なぜこんなに否定形の発信や怒りや悲しみに満ちた発言が充満しているのかといえば、この世の多くの人々が「この傷ついた気持ちをわかってもらいたい」という切なる叫びが聞き届けられていないからではないか、と思います。

肯定してもらいたいから、正しいことを言う。

正しいことはこの世で肯定してもらえることだからです。

今まで自分を押し殺して尽くしてきたにもかかわらず裏切られたり、陰ながらしていた努力を認めてもらえなかったりしたら、そりゃ辛いですよね。

誰かに、「間違ってないよ」「あなたは悪くないよ」「それは男が悪いよ」って言ってほしいと思うのは、当たり前の欲求だと思います。

でも、そのまま辛いっていうのは苦しいし、哀しい気持ちと向き合うのは辛くて怖いから、相手を正論で否定するほうが楽で、だから口をつくのはそのような罵倒する言葉なのでしょう。

本当は、「私は苦しい」「私はこんな生活は嫌だ」「私はあなたに認めてほしい」「私はあなたにわかってほしい」という『私』がどうか?ということが言いたいし話したいのだと思います。

それを聞いてくれる人がいなかっただけで、私たちは寂しかっただけで、悪くはないと思います。

傷ついた思いや今まで他人には話せなかった思いを話せる、それだけでその人の心の穴は埋まるような気がします。

 

まとめ:それは私のことである

ここまで考えを巡らせてみて、まさに私は、そのことが話したかったのだと思いました。

つまり、私は傷ついてきた、ということです。

私は、以下のことを当事者として自覚するのが遅すぎて、親や家族に言う機会を逸してきて、そのことに憤りを感じてきた、ということです。

 

・男性として良い彼氏・良い夫・良い父であることを強要するこの世界の常識が大嫌いで、私はその世の中の価値観とやらに、自分自身を否定されているように感じてきた

・その根本にあるのは、母親と父親の関係が良好ではなかったのに、正しさで塗り固められた歪な関係(少なくとも私からはそう見えた)をみてきたことで、私はそんな二人を見るのが辛かったし、母親の愚痴は聞きたくなかった

 

そんなに文句言うなら結婚しなくていいじゃん、と思っていました。

そんなに気に食わないならもういっそ全部やめたらいいじゃん、と思っていました。

それを聞かされているようで、イライラするんですよね。

まさに女性から男性に対する価値観の押し付けを感じていて、その行為を一種のモラハラだと感じてきました。男性が女性にするばかりではないんですよ。母親の男性に対する愚痴をずっと聞かされる息子は、母親からモラハラを受けているようなものです。そういう意味でも、男女は平等だと思います。

つまり、私のこの「モラハラ」や「フェミニズム」に対する妙な拒絶感というか不快感は、私の認知の歪みからきている、ということです。

 

もちろん、思想やツイートは自由ですし、それは個人の想いとして垂れ流してもらうのに何の意見もありませんが、私はこれからもイライラするでしょう。

それは私の問題である、ということがわかって、少し安堵しました。

今日はこのぐらいです。

【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑧(抑圧された怒り)

今回は、抑圧された怒り について棚卸ししていきます。

 

抑圧された怒り とはどんなもの?

■抑圧された怒り■

怒りは、アダルト・チルドレンの生き方の上での多くの問題の主要な源泉です。それは、認めると自分が安全でなく感じるので、わたしたちはしばしば抑圧する感情です。混沌とした家庭で自分を守るために、わたしたちは怒りを否認するか、または不適切に表現しました。どちらにせよ、自分の感情を全く押しやってしまうことによって自分を守るほうが安全でした。抑圧された怒りは重大な恨みや抑欝につながりかねないことを、そしてそれらは身体的な症状や、ストレスに関係のある病気を引き起こしかねないことを、わたしたちはそのときには気づいていませんでした。今の時点で、怒りを否認したり不適切な方法で表現したりすることは、わたしたちの人間関係で問題を引き起こします。もし怒りを表現したらとんでもないことが起きるのではないかと恐れて、わたしたちは幸福であるふりをしているかもしれません。

怒りを抑圧すると、わたしたちは次のような感情を経験するかもしれません:

●恨み
●自己憐憫
●ストレス・緊張
●不安
●抑欝
●悲しみ
●集中力を欠くこと
●身体的な不快

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怒りは、制御できないので感じてはいけないと思ってきた

これ全部あるんですよね。

怒りを抑圧すると、わたしたちは次のような感情を経験するかもしれません:

●恨み
●自己憐憫
●ストレス・緊張
●不安
●抑欝
●悲しみ
●集中力を欠くこと
●身体的な不快

私はとっても根に持つタイプです。自分も他人も簡単には許すことができません。幸せそうな人間すべてが憎いと感じる日もあります。

自分を持たざる者として嫌いで哀れんでいて、常にストレスや緊張がつきまとう日常を過ごし、不安や抑うつ気分でうつ病を患っています。

悲しい思い出が幾度となく頭のなかに蘇り、リフレインする悲しみを繰り返し味わいながら暮らしています。

周囲の物音や声に怯え、やるべきことに集中することができない日の方が多く、だるく重い身体を朝起こすのは至難の業ですし、長らくアルコール依存症で常に酔っ払ってたので、嘔気・悪心・振戦などの身体症状がありました。毎日ストレスでネクタイを締めると嘔吐していました。一回吐いてから出勤、がデフォでした。

まさに、絵に描いたような抑圧された怒りを抱えて不具合を起こしている、という意味で、ステレオタイプのACだと言えます。

 

なぜ怒りを抑圧したのか?

私は怒りたくない、と思ってきたように思います。

それは、怒りというのは全く制御できない、苛烈で犯罪も厭わないほどの強烈な感情で、持て余す感じがすごくあったからです。

ひとたびこの怒りをストレートに感じてしまったら、私は怒りの対象の人を殺してしまうかもしれない。

殺さないまでも、暴行を加えて犯罪者になってしまうかもしれない。

そういう恐怖がありました。

極めて冷静でいなくては、私はこの社会で生活できなくなってしまうような「社会不適合者」なのだ、と自分を認定していたと思います。

だから、人を嫌いになることが、恐怖でした。特に人に対して、怒りを向けることが怖かったのです。

だから、人と必要以上に距離を縮めることを良しとしませんでした。近づいたら、嫌いになる可能性が高くなります。それは、安全ではない、と考えていたのです。

だからどんどん人とは一定の距離を置いた関係しか築けなくなっていきました。

もしもその人を嫌いになってしまったら。

その人が地球上に存在しないことを願ってしまう。

同じ空気を共有したくないほどに、憎み恨み激しい焦燥感にかられます。胸を掻きむしりたいような不快感。もどかしくて叫びだしたくなるような、血が逆流して頭が冷たくなり背筋がゾクゾクするような感覚。

 

これらは、社会から迫害されていた幼少期に特に感じてきたと思います。

いじめっ子の主犯格を特定して報復したことがあります。

彼は足が早かったので、行動力を削ぐ必要がありました。

だから、ランドセルに大切なもの(その子の母親が作ったその子がお気に入りの給食袋)が入っていることを確認して、そのランドセルを足で叩き潰した後、池に投げ入れ、取りに行かせて、戻ってきて岸に上がろうとするところを足で何度も蹴り落とし、報復しました。

先生が来て止められてしまいましたが、私はそのとき、殺し損ねたな、と思いました。

目障りなその子をほんとうにこの世から消してしまいたかったです。残念でならず、その日は泣いたように思います。彼に報復するチャンス(命)を与えてしまった、せっかく絶好の機会だったのに、逃してしまった、と。

しかし翌日彼は怯えたような顔で私を一瞥して、その後はイジメはなくなりました。拍子抜けしましたが、面倒ごとがなくなってスッとしました。

 

 

 

私の怒りは何に対するものなのか?

本当にずっとずっと我慢していきてきました。

親から要求されることをこなすのも、日々の生活を送るのも、刑務所で服役しているような気持ちでした。

生きるのが義務だから、いい子でいるのが義務だから、そういきていかなくてはいけない。すべてが義務でした。

だから、本当は全てに「嫌だ」と言いたかったのでしょう。

でも言えなかった。

最も大きな要因は、両親から愛されるために「嫌だ」というのを諦めて、友達をつくりたい、好かれたい、という気持ちから「嫌だ」というのを諦めたからでしょう。

好かれ愛され生きていることを許されるためには、嫌だということを諦めなくてはならない、と思っていたのです。

なんというさびしい思考でしょう。

生きていくことは我慢でした。それがとんでもなくストレスで、そのストレスに対する怒りがどんどん蓄積されていったのです。

つまり、私にとって生きていくことは怒りをどんどん貯蔵していく行為であり、貯まりに溜まった「怒り」という不良債権に怯えて、存在してはならないとひた隠しにするようになりました。

自分が生きていくためには、大きすぎる怒りを認めてしまっては、とても平静ではいられないと恐れ、抑圧しました。

それは、無理がありました。

事あるごとに怒りは、私の心を蝕み、楽しい気持ちを萎えさせ、悲しい辛い記憶を繰り返し再生して、その存在を認めろ、と訴えてきます。

どんどん生きづらくなり、人に本心を告げられなくなり、不良債権がどんどん大きくなるにつれて、エチルアルコールという薬物の力を借りなくては、立っていることすら困難になりました。

それが、アルコール依存症になり、うつ病を患い、いま生きている私という人間の正体です。

 

 

抑圧された怒りからの回復 ってどんなもの?

□抑圧された怒りからの回復□

怒りの適切な表現方法を学ぶことは、わたしたちの回復の大きな段階の一つです。そうすることで他の隠された感情を解放することが早まるかもしれないし、わたしたちの傷や失望を他の人にもっと早く分かってもらえるようになるかもしれないのです。わたしたちは自分に限界を定め始め、正直になり始めます。怒りをより適切なやり方で表現するようになるにつれて、わたしたちは他人の敵意だけでなく、自分の敵意とも、それまでよりは上手に付き合えるようになります。自分を表現する事で気持ち良さを味わい始めるにつれて、わたしたちの人間関係は改善され始めます。ストレスに関係した問題は減少していき、体が健康になったように感じさえします。

抑圧された怒りから回復するにつれて、わたしたちは次のようになり始めます:

○怒りを適切な仕方で表現する
○怒りの底にある気づいた感情を見定める
○自分自身に限界を置く
○内的な平和を楽しむ
○ストレスと不安を減らす

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今まで、抱えた怒りを表現しても認めてくれる場所があるということを感じられなかったことが、とても不幸なことだったな、と思います。

それは私にはどうしようもないことでした。環境に対して、私は今も昔も無力です。

だから、怒りを溜め込み二進も三進も行かなくなった自分を、自己責任だと責めることはもうやめようと思うのです。

私の怒りは、ごく当たり前で正当なものだった。

否定しなくても良い、自然な感情だった。たとえそれが殺人につながるほど禍々しく大きく醜いものだったとしても、それを育てたこの数十年、私は生きるために一生懸命やってきた。

怒りの根本にあるのは、寂しさです。

私は寂しかったのだと思います。

私はそのままでいたかった。ありのまま生きていくことを、せめて両親にだけは理解して欲しかった。数人でいいから、理解し合える「友達」に「わかるよ」って言ってほしかった。

それすら叶わない自分が嫌いで、消してしまいたかった。

でも消すことも理解してもらうこともできなかった。

だから、その寂しさは怒りになり、私の中に残ったのでした。寂しさのままで蓄積したら自分が壊れてしまうから、攻撃性としてある意味人生を生きるエネルギーに変換しようとしたのかな、と思うと健気なところもあるじゃないか、と思えます。

『私の怒りを、誰よりも私自身が肯定する』ということが、私をもう一度再構築するうえで最も重要なことだと自覚しています。

私は他人が憎いです。どいつもこいつも嫌いで、いっそのことみんな死んでしまえと思っているときもあります。道に出ればだいたいイライラするし、夜は眠れないほど頭にきて叫ぶときもあります。仕事中に営業車のなかで喉から血が出るほど叫んだり、手に青アザができるほど車を打ち付けて内装が壊れたりします。メールに血の気が引くほど頭にきて、攻撃的な返信をしたりします。

そんな私を否定しない、ということはとても勇気がいります。

こんな自分はとても堪え性がなくて、DVをしそうな、社会的に見るととても危険な人間に見えるからです。

つまり「外から見ておかしいかどうか」で感じていいかどうか判別して、都合の悪い自分は見ないようにしてきたのは、他でもない自分だった、ということです。

他の誰でもない、自分自身が一番自分を否定しているから、抑圧していたのではないかしら。抑圧した怒りは無尽蔵にどんどん巨大化していったのはなかったかしら。

私は結局怒りを認めたとき、自分自身の認知の歪みにたどり着くのです。

「上述したようなイカれた人間が自分だ」と認めたくないのは私だったのであり、つまりこの私が認めさえすれば、抑圧してきた怒りは許され、抑圧する必要がなくなる、ということです。

だから、今こそ私はこの醜いどうしようもない劇しい怒りでドロドロの自分も、私という人間の一つの形なのだということを認めます。

 

まとめ:人間は醜い

そんなに、綺麗なだけではいられませんよ。みなさん。

人間はとても醜いです。

とても浅ましくて、愚かで、救いようのないカスみたいな存在です。

大好きなアニメに

落ち着け?落ち着いていた結果がこれだろうが。

疲れてる?みりゃわかんだろうが。

というセリフがありますが、まさに私は今これを仕事で感じています。

世にはびこる薄っぺらいアドバイスが如実に表している通り、所詮、他人は自分のことしか大事じゃありません。私も、私しか大事じゃない。それをうまく笑顔と嘘のオブラートに包んで隠して皆暮らしているのです。

嘘ばっかり。

私は自分にも他人にも期待しすぎていたようです。

もっと良いものであるはずだ、と。そんな淡い期待は持っているだけ無駄だということを、そろそろ認めたいと思います。

自分の限界、つまり人間の限界を認める、ということは、つまりそういう醜さを内包している『人であることの限界』を認めることなのかな、と思います。

それでも、生きていく。人間という情けない醜い生き物として、泥を啜りながら生きていく。

それは、それだけで尊く、悪ではないと確信することができたなら、私は怒りから解放されます。そうあれかし。

 

【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑦(孤立)

今回は、孤立 について棚卸ししていきます。

孤立とはどんなこと?

■孤立■

多くの場合わたしたちは、自分にとって快適でない状況から引きこもることで安全だと感じます。自分を孤立させることによって、私たちは、他の人が私たちの本当の姿を見ないようにします。自分は価値がない者であって、従って愛されること、注意を引くこと、受け入れてもらうことに値しない者なのだ、とわたしたちは自分自身に対して告げています。さらに、自分の感情を表現しなければ罰せられたり傷つけられたりしないのだ、とも言い聞かせています。わたしたちは危険を冒すよりも隠れることを選び、そうすることで不確実な成り行きに直面しなくて済むことを選びます。

自分を孤立させていることは、わたしたちは次のような問題を引き起こしているかもしれません:

●拒絶を恐れる
●孤独感を経験する
●自分を裁く
●負け犬のように感じる
●自己憐憫に陥る
●自分が他の人と違っているように思う

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常に感じてきた孤独感と疎外感

私は、本当の自分のことを知られると、嫌われると思い込んできたように思います。

自分がありのままの感情や気持ちを表現してぶつけてしまったら、今周りにいる人は皆呆れた顔をして、あるいはガッカリした顔をして、離れていってしまうのではないかしら、といつも恐怖していました。

だから、人と必要以上に長くいることを好みませんでした。

なぜなら、長くいればいるほど、本当の自分の気持ちを押し殺して『外側の顔』を維持することに、疲れ果ててしまうからです。

人といるよりも、独りでいることが好きです。

しかし、比較して好きというだけで、孤独が好きなわけではありません。寂しいのは好きではありません。

皆が集まるのを楽しげに過ごしているのを見るにつけ、『なぜ私は楽しめないのだろう?』と自己嫌悪に陥ります。

私だけが皆とは見えている景色が違うんじゃないか?と思うほどの感覚の違いに愕然とします。

それでもなかに入れたら入りたいし、社会生活上『馴染まなければならない』と無理してはしゃいでみたり、出かけてみたりしました。

そうやって無理をして人と会った後は、しばらく独りにならなくては平静ではいられませんでした。

それだけ、私にとって人と会う、というのは『巣穴から出てきて外敵がウヨウヨしているジャングルを練り歩く』くらい恐怖をともなう行為だと思います。

なぜ外敵だと思ったのか?

それは、本当の私は嫌われるに違いないから、嫌ったら危害を加えようとしてくるはずで、他人とはすべからく警戒すべき存在だと認識していたからです。

なぜ、そんなに「本当の自分」に自信がないのでしょうか。

 

そのままの自分を受け入れてもらえなかった哀しい経験

私は、いじめられていました。

時期は幼稚園から小学校4年生くらいまで。

私は、私らしく過ごしていたと思います。友人はいませんでした。

皆、私が何かに集中している時にちょっかいを出してきたり、私が大切にしているものを壊したり、邪魔しかしてきませんでした。

他人の存在は、酷く不愉快でした。

私が話をしても皆笑ったり呆れたり馬鹿にしたりして、信じてくれませんでした。

私も彼らのいうことを信じるのをやめました。

そんな私に、両親は「お友達と仲良くしなさい」「お友達と遊んできなさい」と哀しげな切羽詰った顔でいいます。

私は本当は「あんなやつらと一緒に居たくない!独りでいる方がずっといい!なんで仲良くしなきゃいけないの?」と叫びたかったのですが、彼らの哀しい顔をみると、そうは言えずに、憎き外敵である『お友達』に頭を下げて遊びに混ぜてもらわざるを得ませんでした。

次第に私は、こいつら『お友達』は、うまくコントロールして手なづけないと厄介だ、と思うようになりました。

表面上でもいいから、仲良く振る舞わなくてはならない。そのためには、嫌われてはならない。私はそのままでいたら『お友達』に嫌われる。それはまずい。だから、本心は見せないようにうまく隠して、「上手に生きなくてはいけない」。

こうして、私は心を一切通わさない『お友達』との距離感を獲得していきました。

しかし、それは人生を過ごすうちに見せかけのメッキとしてボロを出し始めます。

 

自分も他人も騙しきれなくなった負け犬

寂しかったです。

私は、どうしようもなく寂しくて虚しい気持ちから、逃れられないことに気づき始めました。

警戒し欺いて距離をとって他人と接して、自らの内面に引きこもって生きていくスタイルは、己の孤独感が膨張するに従い、限界を感じさせるようになりました。

仕事が始まり、未知の世界を自ら切り拓かなくてはならない重責に耐えかね、私はエチルアルコール(酒)という薬物に精神的に頼り始めます。

おそらく、健全な他人との関係を築いてきた人にとって、酒とは交流を楽しむための補助的役割でしょう。

私にとっての酒は、エチルアルコールであり、外敵に囲まれながらも笑顔を絶やさず、さも楽しく過ごしているかのように道化をやるためのドラッグでした。

楽しい交流など、ありません。

ひたすらストレスをエチルアルコールで誤魔化すうち、エチルアルコールでドーピングしないと不安になるようになりました。

酔っていない時の世界は、未来への恐怖と周りの人間への恐怖でいっぱいでした。

そこから逃げるために、どんどん量が増え、飲み方も激しくなっていったように思います。

見せかけのメッキは自らの問題飲酒により、どんどん剥がれ落ち、酒に頼ってまで守ろうとした『お友達』との関係は、酒の問題でズタズタになり、終いには本当の自分以上に蔑まれ嫌われていました。

後に残ったのは、自分も他人も騙しきれなくなった寂しい負け犬の私でした。

やっと私はそこから、「自分も他人も欺かず生きていきたい、だから酒をやめたい」と思うようになりました。

 

孤立からの回復ってどんなこと?

□孤立からの回復□

自分についてより良く感じるようになり始めるにつれて、わたしたちは以前よりは積極的に、たとえ危険を冒しても新しい人々や環境に自分をさらけ出していくようになります。わたしたちは、過去のものよりは育んでくれるような、安全な、支えてくれるような友人や人間関係を求めます。わたしたちはグループとしての行動に参加し、それを楽しむやり方を学びます。人々が、あるがままの私たちを受け入れてくれることが分かってきたとき、自分の感情を、もっと楽に表現できるようになってきます。それと同時に、自分を受け入れられるようになり、自己評価が高まってきたことの結果として、さらに快適に落ち着いて生活するという、貴重な贈物を楽しむことができるようになってきます。

自分を孤立させることがより少なくなってくるにつれて、わたしたちは次のようになっていきます:

○自分自身と他の人たちを受け入れる
○支えてくれるような人間関係を造り育てていく
○自分の情緒を表現する
○自己中心的な度合いが小さくなる
○積極的に他の人と関わる

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自助グループに参加して、本当に私は大きく変化してきました。

閉じて独りで立て籠もっていた精神の巣穴から、やっと這い出てきた私は、言いっぱなし聞きっぱなしの、心の安全が守られる場所で自分が感じてきたことをありのままに話す勇気を出しました。

何も言わずに、ただ聞いてくれる。

これが、どれほど嬉しかったことでしょう。私は心の底から、あぁずっとずっと私は私が大切だと思ってきた人たちに、こうして聞いて欲しかっただけだったのに、ときづいて泣きました。

その後は、言いにくい本心や、対立する意見を持っていることや、傷ついた事実など、以前の私には到底話すことができなかった自分の中の本物を、私は他人に差し出していく勇気を持ち始めました。

そしてその行いは、ことごとく美しい結末を見せてくれました。人と人とが言葉を交わし、心を通わせ、お互いを尊重することは、こんなに美しく、心が洗われる尊いことなのだな、と思いました。

だから、みんな、他人と関わるのがあんなに好きだったのか。

だから、みんなあんなに楽しそうに笑っていたのか。

それがはっきり実感をともなった時、わたしの中でやっと『お友達』は、憎くて恐ろしい存在ではなく、ありがたい仲間に見え方が変わりました。

 

まとめ:独りぼっちではなくなったから

わたしは今、随分と生きるのが楽になったと実感しています。

それは私が強くなったからでしょうか?それとも、本当の私が変化したからでしょうか?

どちらも正解ではありません。

本当の私を認め、愛してくれる仲間がいると分かったからだ、と私は思っています。

わたしは、自分から引きこもり、独りが一番安全だと思っていました。

また、本心さえ話さなければ、気に入られる言葉さえ話していれば、傷つけられたり責められたりしない、と思っていました。

それはしかたがなかったのだ、と私はわたしの当時の辛さを認めます。

わたしは私のそのままを話して拒絶された痛みに耐えられなかったし、幼い私が命を繋ぐためには、心の殻に篭るのは自己防衛で、生きるために必要なことでした。

その幼い私が考えた生き延びる術が、次第にうまくいかなくなり、エチルアルコールに中り様々なものを失いました。

しかし、今までの『お友達』に対するやり方が破綻している、という事実に気づくために、必要なエピソードだったと、今わたしは自分を許したいと思います。

独りぼっちでは生きていけなかった、ということを認めます。

わたしは、独りぼっちではなくなったから、今、生きていてよかったな、と思っています。