投稿者「ちあき」のアーカイブ

【依存症】マンガの登場人物から学ぶ、断酒に必要なこと(はじめの一歩)

断酒って、つらいですよね。

おいおい、前向きな話を聞きに来たのに!というそこのあなた。

私はめっちゃ性格暗いので、そんな話はできません。ごめんなさい。

Twitterでは「断酒最高!」「断酒がんばってます!」「お酒をやめて良かった」「飲まないのが一番幸せ」なんてポジティブなコメントをしていて、皆ポジティブでえらいなぁと思います。

私はそんな毎日ポジティブにはなれません。なんかそんなに明るくいつも前向きなんて、そんなわけないやん。実はみんな無理してるんじゃないの?と思います。

正直、おいしそうにビール飲んでるCM観るたびに「酒造メーカー滅びろ」と念じます。

「ウイスキーが、お好きでしょう?」とか、なめてんのか?と思います。好きに決まってんじゃん、浴びるほど飲んで吐いて、記憶も財産もぶっ飛ばしてきてんだよ、こっちは。

そんなつらさに嘘をつかないで、正面から向き合うときに、勇気をもらう漫画の話をしたいと思います。

 

はじめの一歩「戦後編」とは?

 

アニメでは、はじめの一歩 Rising (第三期)Round22~25です。

 

概要

はじめの一歩」のエピソードの一つ。原作45~46巻(鷹村VSホーク戦直後)、アニメ第3期「Rising」の第22~25話(鷹村VSイーグル戦直後)までが該当する。そのため導入部が少しアニメと原作とで異なる。
いわゆる番外編であり、主人公たちの師・鴨川源二とその親友・猫田銀八の青春時代を描いた回想編である。

あらすじ

昭和22年、東京___敗戦から2年が経ち、日本は復興を遂げていた。軍の解体と共に職を失った鴨川と猫田は野原でリングを作り、「拳闘」を開催して日銭を稼ぐ日々を送っていたが、そんなある日、元世界5位の米兵ラルフ・アンダーソンが来訪。日本の拳闘士たちを「ボクシング」で次々に倒し荒稼ぎしていた。敗戦国・日本を見下すアンダーソンに怒りを募らせる二人だったが、そこで米兵たちが投げ込むお菓子に一人だけ手を伸ばさない美少女を見つける。
少女の名はユキ。美しく芯の強い彼女に鴨川と猫田は引かれていくが、ある日の、アンダーソンにちょっかいを出されていた彼女を救おうとし、返り討ちに遭う。二人は日本の誇りとユキの笑顔を取り戻すため、アンダーソンをリングの上で倒すことを決意する…。

引用元:ピクシブ百科事典

 

 

鴨川源二が貫く『鉄の意志』

まずは、戦後編の試合のクライマックスの一部をご覧ください。(早速ネタバレですみません…)

【はじめの一歩】鴨川源二vsラルフアンダーソン【例の曲を入れてみた】

このボディーブロー、えぐいですよね。

これ、どうやって拳を鍛えたと思います?

自らの拳で丸太を川の土手に打ち付ける荒行を行い、己の拳を文字通りの鉄拳に鍛え上げたんですよ…。

丸太血まみれになるまでパンチし続けて、限りなく固く鋭く重い拳で、自分より体格が大きいラルフ・アンダーソンに挑み、ボディー2発で撃沈させました。

卑怯な戦い方をして親友の猫田の選手生命を絶ったラルフ・アンダーソン。「日本人は戦争に負けたんだから、アメリカ人には一生、首を垂れていればいいんだ」というような侮辱的な言葉を放ちます。

絶対に負けられない。何が何でも勝つ。そのためなら拳が砕けようと構わない、痛みを厭わず、死を厭わず、執念を貫き通す狂気。

それは断酒に似ていると思いませんか?

私たちはとても苦しんできましたね。しかし、残念ながら多くの人に理解されてこなかったのではないでしょうか。今なお、家族にさえ理解してもらえない人もいるでしょう。(だから自助グループがあるのですが。)

「そんなに飲みたいなら、死ぬまで飲み続ければいい」

「そのバカさ加減は、死ななきゃ治らないのか?」

「お前みたいな酒臭いバカ、雇ってやってるだけでありがたいと思えよ」

「はあ、お前なんか早く辞めてくれればよかったのに」

「反省されてもね、迷惑なんだよ。私たちが望んでるのは私たちの前にあなたが顔を出さないことだけだ。」

そんな風に言われて煮え湯を飲みながら働いてきました。

断酒を志したのは、そういう苦くて苦くてとても飲み下せないようなものをもう飲むのは嫌だ、こんなに馬鹿にされながら生きるなら、死ぬか、断酒して生きるかしかない、と思ったからです。それを思い出します。

何が何でも止めてやる。そう決意したのは、なぜだったか?

心が壊れようと、体が壊れようと、命が尽きようと、今までコケにしてきた者どもに一泡吹かせてやるまでは、死んでも死にきれない。

何もかも酒で無くし、最後の最後に残った『ただ人間らしく生きていたい』という尊厳。それすら小馬鹿にされて嗤われて、この大きすぎる恨みを晴らさずに、おちおち死ねるわけないじゃないですか。

だから、私たちは「酒が本来やめられない」と言われている身体になったにもかかわらず、『酒を断って生きる』という狂気を実行しているのです。

 

私は、断酒をひとりきりではできなかった

とはいえ、私は4回スリップしています。
恥ずかしくないと言えばウソになります。恥ずかしくてみっともなくて、あんなに止めると決意したのに、口をつけてしまって、そのたびに死にたくなりました。
なぜか?
断酒をひとりでしようとしたからでした。
鴨川は、7ラウンドまで1発のパンチも当てられず、何度も倒れます。
…それでも前へ進み続けます。
観戦している仲間の団吉と猫田の会話を抜粋します。

団吉「開いた口が塞がらねえ。気迫で押してるぞ。」

猫田「か…鴨川と戦ったことのある貴様…ならわかるだニ。こ…れが鴨川の武器…だニ。」

団吉「鴨川の…武器⁉︎」

猫田「ど…んな障害さあろ…うと初志を貫徹する…鉄の意志。」

団吉「あ、ああ、あの精神力には正直…震え上がったもんだ。」

団吉「意志を貫くためには何も恐れない。死ぬことになろうが恐れはしない。」

団吉「そんな気にさせる眼をしてるんだ。あんな頑固な男は見たことがない!」

猫田「そう…だ、何も恐れない、すなわ…ち…」

猫田「『勇気』!!それがヤツの武器だニ!」

痛みを乗り越える勇気と鉄の意志を持って戦っている私たちを、ちゃんと見てくれていて、同じ戦いに身を投じてくれる仲間の存在ほど、力になるものはありません。

別の話で、はじめの一歩にはこんなセリフがあります。

オレ達だってボクサーのはしくれだ

わかってるよ

アンタが今 どれくらい辛いか どれだけ苦しいか

それでも負けないでくれ 戦ってくれ! アンタは負けちゃいけねえっ!!

~中略~

わかった・・・ よおくわかった

オレを オレを支えてるモノが!!

オレを信じてるヤツラがいる

そいつらの前じゃ強えままでいなきゃならねえ

負けることは許されねえ!

―――たとえ心臓が止まっても 魂で戦う

魂が消えても 棺桶からはい出して キサマに勝つ!!

 

今の屈辱的な状況を覆すには、勝つこと、ただ勝つことです。

相手は自分です。

己に克つこと。真正面から生き切る覚悟を決めること。

しかし、断酒は独りで続けるには過酷すぎる闘いです。

だから、同じように依存症で苦しんだことのある、屈辱的な扱いや偏見により、死にたいほど惨めな思いを味わい、その苦さを知っている仲間と経験を分かち合うことが、一番の支えになり、私たちは孤独ではないと知ることができるのだと思います。

そして、私たちは信じています。

自分たちが、回復できる、ということを、誰よりも信じている。

だから、仲間も何度つまずいたって、また戻ってこれる、いつの日か必ず生きていて楽しかったと思える日が来ると信じられる。

自分を信じることと、仲間を信じることは、イコールになります。

自分と同じかそれ以上に辛い酒害を背負っていても、回復して断酒を続けている回復者の姿。その姿を見て、私たちは自分も酒をやめられるかもしれない、と希望を持てます。

差別や偏見を持っていた当事者以外の人も救われる

実は、対戦相手のラルフ・アンダーソンも可哀想な人なんですよね。

ボクサーとして最も旬な時期を、日本との戦争に奪われて、腐ってしまっていたのです。

自分の夢を戦争に、日本人に奪われた恨み・悲しみ。その歪んだ思いが、日本人に対しての偏見を生んでいたように思います。

しかし、死力を尽くして戰う姿は、そうした鬱屈した呪いから、自分だけでなく他人も救うことができるのかもしれません。

真摯に断酒を続け、普通に楽しく生活し、あるいは丁寧に仕事をし、回復者として歩み続けること。

それが、冒頭に書いたような「アルコール依存症になるような奴はダメなやつで、早く社会から退場させよう」という歪みを抱え私の尊厳を踏みにじった人々の呪いを解くことに繋がります。

狂気をにじませながら、死んでも諦めない鉄の意志で進む鴨川の「強さ」を認識したラルフ・アンダーソンは、ボクサーとしての誇りを取り戻します。

認めよう この日本人は ―――強い!

凄いボクサーだ

認めたからこそ判定に逃げるなどということはしない

全力で倒しにいく!!

本場 アメリカンボクシングの意地と誇りにかけて

全力で倒す!!

 

 

まとめ:断酒はつらい。でも、だからこそ美しい。

断酒は、私にとっては、楽しくて素晴らしいキラキラ☆ライフみたいなもんじゃ、決して、ないです。

いつも酒は近くにあるし、コンビニやスーパーや居酒屋など、油断すればすぐ手が届くところにあります。アルコール依存症患者は、常にスリップ(再飲酒)のリスクと隣り合わせの日々です。

辛さを見ないようにしていると、イライラします。

本当に何も知らずに、依存症などにもならずに、パーティーを楽しんだりしているのは、うらやましいに決まってます。

そういう、認めたくないうらやましさや腹が立つ気持ち、ドロドロとした醜い感情も、私たちのそのままの感情なんだから、認めたっていいじゃありませんか。

だってそうでしかないんだもの。

それを「くそが、なめやがって」とか悪態を吐きながらだって、血反吐を吐くようなストレスのなか、肉を切らせて骨を断つ気持ちで一日一日を過ごしているだけで、立派だと私は思います。みんなえらいよ、断酒しようってだけで、えらいよ。

一緒にぼちぼち頑張っていきましょう。お互い、健全に、断酒に狂っていきましょう。

なんか、今日はそんなことを書きたくなりました。

 

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【AC】「営業」は一種の「イネイブリング」かもしれないという話

私は人付き合いが苦手なのに、営業職を選び、今に至ります。

人と関わる、ということは、一生自分につきまとう課題だと本能的に感じていました。

だから、避けられない問題に目を凝らし、何とか打開するべく努力しなくてはならないと感じていたのだと思います。だからこそ逆に、営業の世界に飛び込んで極めてみなくてはどうにもならないと思っていた節があります。

売れる人に憧れ、売れるということがとても価値のあることだと感じようとしてきました。実際、資本主義経済において、モノを売ることができるというスキルは価値があると思います

しかし、ずっと違和感が拭えなかったのも事実でした。

今日はそのことについて考えてみたいと思います。

 

「イネイブリング」とは?

イネイブリング(いねいぶりんぐ)

依存症者を手助けすることでかえって依存症の回復を遅らせてしまう周囲の人間の行為のこと。

アルコール依存症では、それを取り巻く家族をはじめとする親しい人間が、様々な問題行動に巻き込まれます。

早い段階では、依存症者の社会生活が損なわれないように、周囲の人間がアルコール問題を小さくするよう協力・援助してしまいます。例えば「飲酒問題の後始末」「尻拭いをする」などがあります。

具体的には、飲酒による借金を肩代わりして支払ったり(親がすることが多い)、酔いつぶれているのを迎えに行ったり、酔って散らかしたり壊したものを片づけてきれいにしたり、二日酔いなどで欠勤する時に代わりに会社電話したり、などです。

このような援助を依存症者におこなっている者がイネイブラー(支え手)で、その行為をイネイブリングと言います。依存症の回復のためには依存症者本人が「どうしても飲んでいるわけにはいかなくなった」という感覚(底つき体験)をもつことが必要であり、そうなって初めて酒をやめて回復したいと思うのですが、こうした状態となるためには、イネイブラーがイネイブリングをやめ、援助のルートが絶たれる必要があります。

イネイブラーとなり得るのは、「家族・友人や上司」「牧師・神父・僧」「医者(特に精神科医)」などです。共依存者もイネイブラーです。こうした人々が行動を変えることが依存症回復の第一歩となることがあります。

出典:e-ヘルスネット(厚生労働省)

 

イネイブリングの関係は、夫婦、恋人、友人同士、親子、師弟、雇用関係、政府対国民など人間関係が多様であるように、限りなく多彩です。

イネイブリングは世代や性別にかかわりなく起こりますが、男性よりも女性のほうに多く見られるようです。母性本能に加えて、家族の世話は女性の役割だという社会通念が、女性のイネイブリングを当たり前にしています。また女性は、自分に人生を切りひらく力があるとはあまり思わずに、むしろ他人が自分を頼ってくれるように仕向けることで、伝統的な役割分担を乱すことなく他者をコントロールする力を得るのです。

何らかの援助を必要とする人をケアする立場にある人たちは、イネイブリングの罠にはまる危険があります。

特に、心身を病む人を世話するパートナー、親、友人、看護人などは要注意です。適切な援助とイネイブリングの間に線を引くのはなかなか難しいものです。イネイブラーはほんとうは自分の足で立てるはずの人に手を貸してしまいます。

イネイブラーは、犠牲者は自分のほうだと思いがちです。

しかし、誰かに依存されるという状態は、イネイブラー自らが選んだものに他なりません。

どこかで弱々しい依存的な人に捉まってしまい、気が付いたらイネイブラーになっていたなどということはありえないのです。

イネイブラーは誰かの世話をするように強制されたわけではありません。労力を上回る報酬が明らかにあるからこそ、イネイブラーは人に尽くします。

この社会は「善人に見える人」を賞賛します。

イネイブラーは、自分の並外れた博愛的性格だけでなく、その能力を見せつけます。他の人たちの責任まで引き受けることが出来るのは、実に格好のいいことです。こうして彼らは周囲からの賞賛を集め、うぬぼれを強めます。

~中略~

イネイブラーは自分の価値を感じるために、常に美徳あふれる人格者であらねばなりません。

そのためにはいろいろな形の犠牲が必要です。シンプルで当たり前の付き合い方では満足が得られないのです。

自分の欲求は抑えるか、あるいは無視しなくてはなりません。

対等な立場で人と交流し、理解しあっていくという誠実な道をとらないので、怒りも飲み込んでしまわなくてはなりません。

もしイネイブラーが依存者に虐待されているとしたら、自分で行動を起こさない限り、その屈辱感と傷が絡み合い、痛み続けることでしょう。

殉教者、犠牲者、そして スーパーヒーロー

—信じられないでしょうが、これらが混在しているのがイネイブラーの姿です。私たちの続けているゲームは、勝者のいないゲームなのです。

出典:「イネイブラーの本当の顔」(全国薬物依存症者家族連合会 2004年-)

 

つまり、「相手には本来自ら選択して失敗も成功も体験する権利があるにもかかわらず、(多くの場合自覚なく)自らが望んで世話を焼くことで、その権利を間接的にはく奪し、相手が自分に依存するようコントロールする立場を維持することで、メリット(賞賛や正しさという後ろ盾)を得ようとする人」を「イネイブラー」と呼び、そのような人が行う世話焼きを「イネイブリング」と言います。

 

営業のなにがイネイブリングなの?

企業のマーケティングではしばしば、市場分析と称して最も買ってくれそうな人たちを選定し、その人たちが買いたいと思うようにコントロールするための戦略を立案します。

たとえば、こんな感じです。

✔将来への不安を煽り、自分たちが提供するサービスがいかに重要か認識させよう

✔まだ気づいていない現状の問題点に気づかせる話題展開をしよう

✔抱えている課題(本人は課題と思っていない)を解決してあげよう

✔この情報を見せると買う傾向にあるから、何回もセールスポイントを強調して刷り込もう

✔この情報を見せると買わない傾向にあるから、この話題が出てきたら他社のより悪い製品の話をして相対的に良いと思わせよう

 

当たり前のように営業方針や全社指針に掲げられるこれらの「売るため」の戦略と戦術は、もちろんのことながら、「売り上げを最大化させることにより会社が利益を得るため」に策定されています。自分のため以外の何物でもありません。

「買った人が結果的に満足したのならいいんじゃないの?」

もちろんそうです。満足しているなら、活動した価値はあったでしょう。そのおかげで給料も払われるわけだし、会社はその利益を開発部門にまわして、より貢献できる何かを生み出すかもしれません。

その価値を否定するつもりはありません。

しかし、「コントロールして本人の意思をねじ曲げている」という点で、健全かどうかといえば決してそうではない、ということを理解したうえで実行するのと、自分たちは相手のために良かれと思ってやっているのだと盲目的に信仰して実行するのとには、大きな違いを感じるのです。

 

顧客が認識していないニーズは、果たして満たすべきニーズだったのか?

まず、本人が本当に望んでいるかどうかは、本人にしか判断できないことです。

その人にとって最もよいことは本人にしかわからない以上、こちらが相手の意思を確認する前にこちらの利益の最大化を念頭に置いて行うことは「余計なお節介」の域を出ません。

顧客が思い描く「ビジネスを持続的に成長させよう」という目的の背景にあるのは、自己実現をしてその結果として社会に貢献し、最終的なアウトカムとして経済的インプットを得ることではないでしょうか?

つまり、顧客が思い描くゴールが自己実現という観点から千差万別である以上、一般化はできないし、一般化できてしまったとしたら、それは売る側の都合がよい法則が見つかったというだけで、それは真のゴールではないのです。

だから、売る側本意なマーケティングやブランディングによる営業は、イネイブリングだと感じます。

誰にも彼にも売りたいと思うから、そうなってしまっていて、それが世の中を歪ませているように思います。

株式会社という組織である以上、株主総会もあるし、売上を最大化させ持続的な成長を常に対社外に対してアピールしたいのはわかりますし、それが社員の生活を守るためなんだ、というマネジメント層のいうことはわかります。

でも、私が思うのは、それだけではお金が生まれるだけで、結果的に誰も幸せにならないのではないか?ということです。

売る側も疲弊し、買う側の満足や感動は「造られた感覚」で、実に空虚です。その満たされなさ=「見ない振りをしなくてはならない本当の不満や願望」が、世の中を怒りで充満させ、他人を許せない不寛容さ(余裕のなさ)を生み、ギスギスさせているように思います。

売る必要のない人に押し売りするのは、まわりまわって最終的に社会悪なのです。

「本当に必要な人に、必要な分だけ届けばいい」

作り手や売り手は、そう願ってサービスを提供しているのではなかったのか?

「本当にこれは素晴らしいな」と感動したものに人はお金を払い、それは対等な取引関係であり、信頼関係だと思うのです。

できるだけたくさん売りたいから ではなく
もっと世の中の役に立つかもしれないから(話してみたら違うかもしれないけど)顧客が正確に価値を判断するために、私たち営業がいて、多くの人に知ってもらい、価値を感じてくれる可能性を拡げます。

営業は良さも悪さも知っている製品やサービスのプロであり、だからこそ、顧客に本当に役立つかどうか、顧客が判断するために必要な情報を届けられ、アドバイスができるという点で、存在意義があるといえます。

顧客に自らバイアスをかけるのは、詐欺師と同じだと思います。

私がいる業界では、営業のいうことは話半分に聞いておけ、というか、半分も聞いてもらえないのが当たり前になっています。哀しいですね。

私は正直、本社が策定したマーケティングの方針はやっているふりをしてすべて無視しています。絶対にむやみにマーケティング部が出した戦略や戦術を信じたりしません。必ず会社の欲とバイアスと支配的意図が含まれていて、与えられる情報はほぼ真実ではないからです。

私はただ寄り添って話を聞き、どういう姿になりたいのかを話し合っていると、顧客のほうから質問してくれるし、説明に来てほしいと言われます。そして、メリットもデメリットも正直に説明すると、勝手に買って使ってくれます。そして、使った人は納得して買っているので、とても喜んでくれています。営業成績で上位20%から漏れたことは、ここ数年ありません。だから、このやり方で今後もやっていきたいなと思っています。

イネイブリングして相手をコントロール買わせようとするから、営業という仕事が信用されなくなっているのではないでしょうか?

あくまでアサーティブに、科学的根拠に基づく事実を伝えたり、アイメッセージで「こういう可能性があると私は思う」を伝えたりするくらいしか、私たち営業ができることなどないのではないか、と思います。

サービスに関連するメリット・デメリットの正確な情報に顧客が触れられるようにすることが最も大事で、顧客が自分の意志で正確に判断ができるように、情報媒体あるいは相談役としての価値を最大化させることが、結果的に最も喜ばれ、自然な範囲で最も売れる理想像だと思います。

付き合いで買ってもらうのは、危険な共依存状態

濃密な個人的付き合いをして、友達のようになり、買ってもらおうとするといういわゆる「寝技」と呼ばれる営業手法があります。

営業は顧客に尽くし傅き、己が身を削る(プライベートや金品を差し出す)ことで、顧客に対して購入を依頼をしやすい状態を創ります。

顧客はしもべを従え金銭で人間をコントロールできる(と錯覚する)ことで、自我の肥大化による自己効力感と自己肯定感を得ています。

危険なのは、これが営業としての矜持や美徳だと勘違いしている場合です。

この手の営業をベースにして生きてきた人は、自分を粗末にすればするほど喜ばれるので、それこそが存在意義だと勘違いしやすいのです。

人に尽くしていれば相手に喜ばれ、売上が上がれば会社に褒められ、これがいいことだ、と信じて疑わなくなります。

そういう人は、その歪んだロールモデルを他人に押し付けやすい傾向があります。

なぜか?「今自分がしていることは正しいことだ」「やらなくてはならないことだ」と思いたいからです。

顧客は、相手が自分を崇め奉るのが当然と思い始め、そのような態度で接する人が信用できる人、自分を大切に思っている人で、異を唱える人間の言葉に耳を傾けなくなります。

なぜか?無条件に存在や考えを肯定される方が心地よいから。それは造られた心地よさだと気づいていても、それを自覚したくない、忘れたいからです。

この関係は、イネイブラーが依存者に虐待されているケースと同じで、実はお互いに健全な関係ではないのです。

日本は古来からこういう「お付き合い」によりお互いを縛りながら商売をしてきたからか、今もなお、苦しみの原因の一つであるこの共依存的商習慣から抜け切れません。

 

まとめ:必要以上に売るのはもうやめよう

今、あなたが営業職で、もし無気力になったり、得も言われぬモヤモヤに苦しんでいるとしたら、それは必要とされていないのに無理やり売ることに罪悪感や嫌悪感を抱いているのではありませんか?

必要な人に必要な分だけ届くことが最も重要なことで、それ以上に売れと会社が言ってきたとしても、それは会社が望んでいる計画数字がナンセンスなのであり、営業は何も悪くないと思います。

むしろ、不自然な売り上げを創ろうとしている会社が不健全であり、病んでいるのだと思って、心の中では放っておきましょう。

ノルマをこなせなくても、明日はきます。

売上目標が達成できなくても、死にはしません。

会社の言うことを信じていたときは、全く売れずに悩み、営業車の中で何度も涙を拭きながら訪問していました。

自分の声に耳を傾け、相手に真摯に寄り添うようにすることで、自然に信じてくれて買ってくれるようになった経験からすると、私は、自分の言葉で顧客のためを思って話したほうが、結果的に最も売り上げを最大化できると思いますし、何よりも働いていてあなたが幸せに暮らせると思います。

あなたが幸せになることが、あなたが主役のこの世で最も重要なことです。

やるべきことは、やりたいことだけです。

 

【AC】妹からのLINEに機能不全家族の闇を感じた話

先日、妹から、こんなLINEがきました。

 

お兄ちゃん久しぶり😆

毎日おつかれさま💓

昨日と今日で、○○(祖父が住んでいる地名)のおじいちゃんが入院してる病院に行ってきたよ―🏥

おじいちゃん不安そうにしてるし、前よりかなり痩せてて悲しくなったけど、治したいって頑張ってた💦

会えて喜んでくれたので行ってよかったかな…わたし気の利いたことも言えなくてただ普段通り過ごして帰ってきちゃったんけどね😢

お父さんもつらそうだった⤵️

お兄ちゃん仕事と家庭があってなかなか会いに行けないかもしれないと思うから、どんな様子か伝えとこうかと思って連絡してみました💦

おじいちゃんが呼吸も楽にできてちゃんと会話できるうちに、1回くらい会えたらいいね🙏

長くなっちゃってごめんね🙇💦

お兄ちゃんも、体に気をつけてお過ごしください😌

○○さんによろしく😉👋💓

 

このLINEを見て、戦慄しました。

このLINEの文章には、私が生まれ育った機能不全家族の陰が色濃く反映されています。

今日はそのことについて考えてみたいと思います。

 

LINEが送られてきた背景

父方の祖父が末期のがんだとわかったのは、今年に入ってからだそうです。

父と母から聞きました。そして、おそらく年内には葬式になる可能性が高いので、仕事で忙しいかもしれないが、急遽危篤の連絡があることを覚悟しておいてほしい、と言われました。

それを聞いたとき、私の感想は「まあ、もう年だしな」というようなものでした。

「わかった」と返事をしました。

 

その際、父と母は以下のようなコメントを残しています。

「おじいちゃんも○○ちゃん(孫)に会いたいだろうなぁ」

「私たちはこの2月の連休におじいちゃんに会いに行く予定なのよ?」

「いつまで会えるかわからない状態よね」

 

この発言が暗に意味するところは、以下の通りです。

『死ぬ前に孫を見せにもいかないのか』

『2月、私たちがみんなで行くときに来るのが筋じゃないの?』

『期限が迫っているのだから、他に優先するべきことなど無いはずだ』

 

つまり、『お前は祖父に会いに行くべきだ』という自分たちの意志に息子夫婦を従わせたい、というコントロール欲求の投げかけです。

私の両親たちはこういう、自分はそうしろとは言葉の上では言っていないけれど、そうせざるを得ない状況に追い込むのが得意です。

というか、それをコントロールだと自覚できたことがないし、それによって子供たちが選択権を奪われ、自己肯定感を削られているとは露ほども想像が至っていません。

『ジョジョの奇妙な冒険』第6部(ストーンオーシャン)のラスボス、エンリコ・プッチのような、最もドス黒い『悪』です。

ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャンに登場するキャラクター、ウェザー・リポートが、そのラスボスであるエンリコ・プッチを指して言った、

「お前は 自分が『悪』だと気づいていない… もっともドス黒い『悪』だ」

という台詞があります。

プッチは、自らの行動で人々を幸福に導くことができると確信しており、その目的の達成のためには他人を犠牲にすることも殺人すらも一切躊躇わず、その行いは目的のための全て正しい事であると信じて疑いませんでした。

まさに自分が悪だと気づいていないため、自分が行っている一連の行動に罪悪感を一切伴わないのです。

Processed with MOLDIV

 

その無自覚さが、どれほど子供の判断力を奪い、人生を奪ってきたのか、その功罪を全く理解していないのです。

だから、いまだにこのような遠回しな手法を用いて、他人をコントロールしようとする人たちなのです。

もはや絶望的です。これはもう、死ぬまでわからないでしょう。

私は親に関しては、すでに諦めつつあります。

 

妹のLINEに感じる世代連鎖

さて、そのような背景を踏まえて、先ほどの妹のLINEをもう一度確認してみましょう。

お兄ちゃん久しぶり😆

毎日おつかれさま💓

 

ここで、相手をねぎらう姿勢を見せて、『私はあなたが忙しいことをわかっているよ』と一見歩み寄るようなアイスブレークを試みています。

 

昨日と今日で、○○(祖父が住んでいる地名)のおじいちゃんが入院してる病院に行ってきたよ―🏥

おじいちゃん不安そうにしてるし、前よりかなり痩せてて悲しくなったけど、治したいって頑張ってた💦

会えて喜んでくれたので行ってよかったかな…わたし気の利いたことも言えなくてただ普段通り過ごして帰ってきちゃったんけどね😢

 

ここで、私は祖父に会いに行ってきたこと、喜んでくれたことを報告という形で切り出します。気の利いたことも言えなくてただ普段通りに過ごすだけでいい、むしろ『それすらお前はまだやっていないんだぞ』という圧力を、ここで相手にかけたい意図が垣間見えます。

 

お父さんもつらそうだった⤵️

お兄ちゃん仕事と家庭があってなかなか会いに行けないかもしれないと思うから、どんな様子か伝えとこうかと思って連絡してみました💦

おじいちゃんが呼吸も楽にできてちゃんと会話できるうちに、1回くらい会えたらいいね🙏

 

父を出し、『父にも不義理をしているんだぞ』という圧をプラスします。

報告という形をとっているとアピールすることで、『このLINEは、あくまで報告であり、行けということではないが、こんな状態だと知っていて行かない選択肢はないよね?』と直接言葉にせず相手に行動を促そうとしています。

そして『その行動を選択するにしても、残り時間が少ないんだぞ』ということが言いたくて、呼吸も楽にできてちゃんと会話できるうちに、という哀れっぽい病状に関する表現を用いています。

 

長くなっちゃってごめんね🙇💦

お兄ちゃんも、体に気をつけてお過ごしください😌

○○さんによろしく😉👋💓

 

最後に、ねぎらうふりをして、自分の過失に関わることは予防線を張って謝罪の言葉を一応〆に使います。

 

いかがでしょうか?

父や母と全く同じように、コントロールと気づかず自分の欲求を他人に押し付けていることがよくわかりますね。

バウンダリー(境界線)を他人と自分の間に引くことができなかった妹は、父と母にやられてきたことしか経験していないので、それが最も嫌だったはずなのに、その方法しかとることができないでいるのでしょう。

そして、それが自分の首を絞めていて、生きづらさの原因になっているとは、思いもよらないのでしょう。

他ならぬ私が、ACという概念や12のステップに出会うまで、そうだったから。

 

機能不全家族が唯一のモデルケースになるという『呪い』

これは、非常に不幸なことに、『それ(両親)しか見本がいなかったから』ということに起因しています。

両親がやってきたことは、暴力にしろ、共依存にしろ、コントロールにしろ、それが不健全なものであったとしても、子供は手本にしてしまいます。

虐待について話をしていて聞いた話ですが、幼少期に身体的虐待を受けていると、暴力については一種の慣れが生まれてしまって、虐待を受けたことがない人にとっては許容できないようなハラスメントを許容してしまうようになるそうです。

その人にとっての許容値を、親の行動や言動が規定する、という法則があるように感じます。

それは、自分が生まれ育った家族が、たとえ機能不全家族であったとしても、それを『家族』としての在り方として見続けてきたからです。

小さい頃は、それが不健全だとは気づけもしないので、『家族とはこういうものなのだ』『愛している人は、こういうことをするものなのだ』というふうに、子供は親を肯定しようとします。

そうやって『私はこの人たちに愛されている』と思いたいから親にされた嫌だったことにふたをして肯定して続けてきた結果、不当な扱いについても、相手に事情があるのだからと許容しようとしがちです。

 

まとめ:私は私の気持ちに従って生きていきたい

結局、それは親の気持ちや他人の気持ちを、優先しています。

それは優しいことなのでしょうか?本当に優しいことでしょうか?

そして、正しいと言えるでしょうか?

 

最も誠実で実直なのは、『自分がそうしたいから』という理由に基づいて行動することではないでしょうか。

自分の気持ちに従って生きている限り、その結果がどうであったとしても、これは自分が一生懸命考えて選択したことだと胸を張って堂々と責任を負うことができます。

そうでなくては、本当に自分の行動に責任を持つことなどできないし、間違った時に心から謝ることも、成功した時に心から喜ぶこともできないのではないでしょうか。

それが、自分の人生を生きる、ということだと思います。

私は、ちゃんと自分を生きていきたい。

だから、これからもちゃんと考え、生き方を見つめていきたいと思っています。

【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑩(世話焼き)

今回は、世話焼き について棚卸ししていきます。

世話焼き とはどんなもの?

■世話焼き■

他人の世話を焼き、問題を解決し、必要を満たしている限り、私たちに自分のことを見る時間はありませんでした。

この性質が著しいものになるにつれて、わたしたちは自分のアイデンティティー(自己同一性、自分が何者であるかについての確信)を完全に失いました。

子どものとき私たちは、自分が到底取り扱えない他人の関心や問題に責任を取ることを当然のことと思ってしまい、その結果、普通の子ども時代を過ごすことができませんでした。

わたしたちは課せられた非現実的な要求と、わたしたちが「小さい大人」であることで時たま受け取った賞賛は、自分は神のような力を持っているのだと私たちに信じ込ませました。

他人の世話焼きをすることは私たちの自己評価を押し上げて、自分が無くてはならないものだと感じさせました。それはわたしたちの人生に目標を与えました。

世話焼きとしてわたしたちは、自分が必要だとしばしば保証されるような混沌とした状況にあるとき、最も快く感じます。

わたしたちは、他の人たちは取るだけで与えてくれないとよく恨みますが、わたしたちは、与え方は知っていても、受け取り方を知らないのです。—わたしたちは、他の人たちがわたしたちの世話をしてくれるに任せることができないのです。

わたしたちには、適切に自分の世話をする方法を教えてくれるモデルがありませんでした。

世話焼きとして、わたしたちは次のようであるかもしれません:

●自分をいなくてはならない人にする
●人々を救い、助言する
●自分自身の必要を無視する
●自分のアイデンティティーを失う
●罪悪感を感じたり、不適当であると感じたりする
●共依存になる

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
61Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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自覚がなかった「世話焼き」に気づく

あまり関係がない、と思い込んでいましたが、よくよく読んでみるとあてはまるところがあるACの項目だと思いました。

 

子どものとき私たちは、自分が到底取り扱えない他人の関心や問題に責任を取ることを当然のことと思ってしまい、その結果、普通の子ども時代を過ごすことができませんでした。わたしたちは課せられた非現実的な要求と、わたしたちが「小さい大人」であることで時たま受け取った賞賛は、自分は神のような力を持っているのだと私たちに信じ込ませました。他人の世話焼きをすることは私たちの自己評価を押し上げて、自分が無くてはならないものだと感じさせました。

というのがありますよね。

私は小さい頃は特に、夫婦関係が不安定な我が家で、密かにぶっ壊れることを願っていました。反面、この不安定な家で母親の感情に対する世話を焼くことで、自己評価を押し上げていたようです。

そして、私はいなくてはならない人だと、必死に思おうとしていました。

だから、あんなに嫌だったのに、嫌だと言えなかったし、言わなかったのです。

なぜなら、家庭が不安定でないと、私の存在価値がないからです。

母親が、友達がいなくて、家族しか親しい人がいなくて、私を頼ることを、心のどこかで心地よく思っていたことに吐き気がします。

しかし、それは私が役割として望んでいた面があることを認めます。

「小さい大人」として褒められた経験は、甘美なものでした。

しっかりしてるわね。いい子だね。賢い子だね。

こういう褒め言葉をもらえるように、大人が振舞うように振舞い、私は両親が誇れるいいコでいることが、いつも私の目標でした。

本当はそんな風に振舞いたいわけではなかったはずなのに、自分のアイデンティティーを失い、他人の必要を満たすことで代用しました。その間は、他の人に認めてもらえない本当の自分を見なくて済んだしそんな自分に向き合う苦しみから、逃れることができたからです。

そのように本質を歪めて他人に合わせることで甘い汁を吸って成長してきた私は、大人になっても同じようなことをしていた、と今棚卸しをしていて気づきました。

「こんなにやってあげたのに」

「こんなに組織のためにがんばったのに」

私はよくそうやって憤り、組織を恨み、会社を恨み、上司を恨んできました。

わたしたちは、他の人たちは取るだけで与えてくれないとよく恨みますが、わたしたちは、与え方は知っていても、受け取り方を知らないのです。—わたしたちは、他の人たちがわたしたちの世話をしてくれるに任せることができないのです。わたしたちには、適切に自分の世話をする方法を教えてくれるモデルがありませんでした。

という部分を読んで、頭を抱えました。

取るだけで与えてくれない、ってよく言ってました。図星でした。

それは、他の人たちが世話をしてくれることになれていない(親がしてくれる世話は一方的で私の気持ちを考えないという点で迷惑だった)、親は世話をしてくれという状態だったし、自分の世話をする方法を知らなかったのだな、と気づきました。

思えば、自分がどうすれば心地よく、独りでいられるかについて何も選択肢がなかったからお酒に一直線になったわけだし。

自分に配慮し、自分の世話をできないのに、組織の課題や、仕事のアラを見つけては、それを修復しようとしたり、それによって軋轢に悩まされている人について気をもんだり。

それは立派に世話焼きで、私の認知の歪みでした。

 

出会った当初、妻に「世話焼き」をしていたのではないか

私は最初、妻に会ったとき、彼女に同情したように思います。

経済的に豊かではなく、幼少期に母親に一度出ていかれて寂しい思いをしたと聞きました。直近の彼氏(子持ち)を追いかけて地元を離れて出てったにもかかわらず、モラハラをされて泣く泣く地元に戻ってきたことも、とても不憫だと感じました。

私がもっている、私にとっては酒を買うことにしか使わないこのお金を、この人のために使ったら、よほどよいのではないか?

喜んでくれるし、俺を必要としてくれるのではないか?こんな俺でも誰かの役に立てるのではないか?

その気持ちがあったことを認めます。存在意義を確立するために、妻からの感謝をほしがっていたことを認めます。

だから、私が妻にとってNo.1でなければ我慢ができないと考えて、義母を大切にする妻が、あのとき許せなかったのでしょう。

こんなにわたしは尽くしているのに、というのは、世話焼きですよね。

実に自分本位で、失礼な発想だったと言わざるを得ません。妻は私なんていなくても、お金なんてなくても、今この時をしっかり楽しむ人であるのにもかかわらず、要らない同情をしたように思います。

そんな人だから、私が持っていない輝きを持っている人だから、人として尊敬している、というそれだけでよかったのに。「私が」認められたくて、感謝されたくて、必要以上に何もかも差し出そうとしてしまっただけでした。この生きづらさは、他ならぬ『私の歪み』だった、ということです。

「相手のため」という隠れ蓑を使って子どもに欲しい反応をさせようと無意識であったとしてもコントロールしようと、私の半生に暗い影を残させた両親と同じ歪みでした。

だから、こんな「私はこんなに家族のために尽くしているのに」という考えに繋がってしまうのだな、と思います。尽くすのは、私がしたいからすることであって、私が身を粉にするほど尽くさなくても、愛情をもって接してさえいれば、みな縁に導かれて、それぞれの幸せを見つけて生きていくのです。

いまそういう押しつけがましい気持ちがないのは、本当にACから回復してきているからなんだな、と思います。押しつけがましい気持ちというのは、義母に対する恨みとか、妻に与えてくれないと憤ることとか、1年前に持っていた、そういう暗い気持ちのことです。

人はそれぞれにハイヤーパワーをもっていて、それぞれにとって最も重要なのは、

わたしたちは、人生で一番責任を取らなければならないのは、自分の福利(良い状態にあること)と幸福であることを実感して了解します。

という部分なんだとわかるにつれて、私は自分そのものを知ったり見たり、そのままを受けいれるのが、最近うれしいと感じます。

 

世話焼きからの回復 とはどんなもの?

□世話焼きからの回復□

わたしたちが、他人の世話焼きをする人の役割から降りるにつれて、全ての人、全ての事柄について責任を感じている度合いが段々と減ってきて、一人一人が自分の道を見つけるに任せるようになります。

私たちは他人を、彼らの導き、会い、支援の最良の源である、彼らのハイヤー・パワーの配慮に委ねます。

すべての人の必要・欲求に応えようという重荷をおろすことによって、わたしたちは自分自身の趣味や生活スタイルを発展させる時間を見つけます。他人の世話をすることについての強迫観念は、わたしたちは究極的には他の人たちの生き方をコントロールできないのだ、という事実を受け入れることに置き換えられます。

わたしたちは、人生で一番責任を取らなければならないのは、自分の福利(良い状態にあること)と幸福であることを実感して了解します。

他人の世話を焼く人であることを止めるにつれて、わたしたちは次のようになっていきます:

○他人を救い、助言することを止める
○自分自身を配慮し、世話する
○助けることについて限界を置く
○自分自身のアイデンティティーと興味を発展させる
○依存的な人間関係を認識する

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
62Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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まとめ:最も重要なことは、他ならない私が「私をど真ん中で生きる」を一番最優先するということ

私は、親との関係から歪んで、私以外の私の周りのすべてが上機嫌で幸せであることに、責任があると思い込んできました。

それらは「変えられないもの」で、私の力の及ぶ範囲ではないし、責任の範囲ではありませんでした。私は任せるべきだったし、それでこそ相手を尊重するということだったのだと実感します。穏やかな気持ちで、相手の決断を考えることができます。

 

最近、チームであるプロジェクトを担当しているのですが、誰も助けてくれないことに私は憤り、嘆いていました。

これまでの私は、自分ですべての事柄について完璧にこなさなくてはならない、と思って、全く付け入るスキを与えてきませんでした。

何かを手伝ったり、手を加えたりする必要を訴えるスキがないのに、他の人が積極的にかかわろうとするはずもありません。私が他人のハイヤーパワーを信じて任せることができなかったから必然的に私は独りでやっていたのです。

当然の帰結でした。

これも一種の世話焼きで、

わたしたちが、他人の世話焼きをする人の役割から降りるにつれて、全ての人、全ての事柄について責任を感じている度合いが段々と減ってきて、一人一人が自分の道を見つけるに任せるようになります。

という回復の姿の逆なんだな、と思うと、かなり関係が深かったと思います。

私は自分自身に配慮して、自分を上機嫌にすることに、人生のリソースを最も注ぐことが、最も責任感のある行為だったと、自分の常識を改めます。

助ける事じゃない

修復することでもない

他人が助けてくれないと嘆くことでもない

私がどうしたいか、できる範囲の中で何をするか、それだけが気にするべきこと。

そうすると実に気持ちが軽く、心のキャパシティーが広がったような気持ちになります。

私はもっと自由にしてよかったし、傷つくかどうか、幸せかどうかは、当人がきめる権利も責任もあり、私がやってきたのは越権行為だったのだと思います。

そういう過干渉・世話焼きを少しずつ度合いを減らして、最終的には手放し、対話している相手の決断や幸せの価値観を尊重して、最も大切にすべき自分自身を救い、配慮し、世話する、真摯な私でありたいと思います。

【依存症】依存症を打ち明けてみて感じる「スティグマ」の話

今年に入って決意していることがあります。

それは「私はアルコール依存症である」という事実を、仕事上の関係でも隠さず公表していく、ということです。

今までは会社から、要約すると「依存症だ、などと言われたら会社のイメージダウンに繋がるから隠しておいてほしい」と言われたので、それに従っていましたが、それもおかしな話ですよね?

今回はそういう「スティグマ」について考えてみたいと思います。

 

「スティグマ」とはなにか?

個人のもつある属性(ここでは、薬物依存症・アルコール依存症などの物質使用障害とします)によって、いわれのない差別や偏見の対象となることです。

語源は、ギリシャ語で肉体上の徴(しるし)を意味し、ギリシャ人が、差別対象となる奴隷や犯罪者の身体に烙印(stigma)を押したことに由来しています。

つまり、薬物依存症やアルコール依存症という『属性』に対して、いわれのない差別や偏見を押し付け、勝手にラベリングすることです。

いわれのない、というところが重要で、依存症に対して正しい知識がない状態で、個人の間違ったイメージや「法律的に犯罪かどうか」などの一部の切り口で語られる、というところが特に問題だと感じます。

 

医師ですら、専門医以外はほぼ正しい知識を持っていない事実

私は仕事上、医師に面会してお話をするのですが、「私はアルコール依存症で、治療しながら仕事をしています」という話をすると、実に反応は様々です。

様々な人から言われたことをそのまま箇条書きにすると以下のようにばらつきがありました。

・依存症からの回復は本当に難しいと聞くのに、やめられているなんてすごい。

・ああ、社会不安障害の気があるんだね君は。(その後距離を取り見下すようになる)

・同じように酒で失敗している友人がいるよ。気にしすぎなんじゃないかな。

・みんなアルコール依存症みたいなものだから。

・そんなことは君の価値を下げるから、あまり大っぴらに言わないほうがいい。

・でも覚醒剤とかとは違うから、お酒でよかったね。

・アルコール依存症だったら、止められずに仕事もできず、今頃ダメになっているはずだ。だから、依存症じゃないんじゃないか?

一番最初以外は、全て間違いです。

驚くべきことに、これらはすべて精神科医から聞いた言葉です。

すごく悲しくなりました。

こんなん言われたらせっかくやめてるのに再飲酒しちゃうよ、っていうようなことばっかり言われました。笑 ほんと終わってます。

医療の専門家なら、しかもメンタルの専門家なら、わかってくれるのではないかと思って打ち明けた結果がこれです。涙が止まりません。

メンタルの専門家でありながら、依存症という病気については何一つ理解していないことがよくわかりました。

(しかしまあ、それでも医師に対する啓発という意味と、自分自身のありのままを認めるという意味で、今後もあけっぴろげに堂々と公表して生きていきたいと思います。)

 

ここで一度整理しておきたいのは、私は医師を基本的に尊敬しているということです。

あんなつまらんやりたくもない勉強を頑張り、研修医としてただ働き同然の厳しい環境の中で脱落せずやり抜き、それもこれも命を救うという尊い仕事に就くため、という点で、医師になるような人を心から尊敬しています。

医師になっても年収は確かに多いですが、土日もないほど忙しかったり、学会に課金しないといけなかったり、結構QOLは低い職業だと私は思っています。名誉欲や金銭欲だけではなかなかそんな過酷な職業を続けることは困難なので、どんな医師にも少なからず道義心や奉仕の精神があると信じています。

 

そんな尊敬すべき専門家であるはずの人々ですら、この体たらくということは、世間一般に普及している依存症に対する「常識」がいかに不確かなものか、想像に難くないのではないでしょうか?

 

まず国が対策に失敗し「スティグマ」が生まれた

わが国は、薬物依存対策に失敗してしまいました。

厚労省の麻薬対策課がはじめた、「薬物、ダメ、絶対」啓発活動です。

「覚せい剤止めますか?それとも人間やめますか?」

誰もが、これを一度は聞いたことがあるでしょう。この薬物乱用防止教育は大失敗しました。

なぜなら、一度使ってしまった人に対して「人間ではない」という烙印を押し、基本的人権を侵害してしまったからです。

このようなスティグマを植え付けられた子供たちは、うっかり手を出してしまったが最後、誰にも相談できなくなります。言ったら「じゃあお前は人間じゃない」言われるからです。隠しますよそりゃ。依存症は回復できる病気であるにもかかわらず、「手を出してしまったとしても回復する手立てがある」ということを知らされずに、「人間ではない」とレッテルを張られるのが恐ろしいので、誰も言い出せなくしただけだけでした。

依存症者が少ないのは、ダメ絶対活動が功を奏したからだ、とする考えがありますが、日本では聞き取り調査しかしていないので、海外と比べて科学的ではありません。聞き取りをして、こんな人間じゃない扱いをされると知っているのに、正直に答える人がどれだけいるでしょうか。

違法薬物を締め付ける一方で、それ以上に有害なエチルアルコール(酒)にはすこぶる甘いのが、この日本という国です。

合法なもの(酒・処方薬・市販薬)へ依存対象が流れただけで、根本的な依存症に対する対策が行われていないからこそ、この国では根本的な解決がいまだになされていません。

 

この監麻課の「ダメ。ゼッタイ。普及運動」の問題点は、一次予防(病気にならない、未然に防ぐ)を強調し続けてきたばかりに、その弊害の方が大きくなってきているにも関わらず、その見直しがなされないことである。というよりも今回、監麻課との面会が実現してわかったことは、監麻課は二次予防(早期発見・介入、病気をくい止める)、三次予防(再発予防)の知識や配慮など全く持っていないという驚愕の事実であった。

予防医学では、もちろん一次予防の病気にならないような対策は大切ではあるが、どんなに気をつけていても病気に罹患する人はいる。そのために早期発見・早期介入を実現し、治療法を確立したり、人材を育成していく、そして再発防止の措置を講じ、社会復帰をしていく、という考えがとられている。

例えばこれが糖尿病だったら、「カロリーコントロールと適度な運動」という誰でも知っていることが一次予防。けれども必ず罹患する人はいるわけで、健康診断などが二次予防そして、早期介入、早期治療を実現し、その後、カロリー指導や場合によってはリハビリなどを受けながら社会復帰をしていくことが三次予防である。

いくら違法薬物が日本では犯罪扱いだからといって、監麻課のように一次予防だけを強調し、あとは「破滅」などとスティグマを強化していくやり方は、予防医学の点からも、健康障害を抱えた若者を救う観点からも考えられないし、管轄官庁としてあまりに無責任である。

出所:「国際薬物乱用・不正取引防止デー」厚労省への要望書

 

厚労省の「麻薬対策課」がいかに無責任で無知かがよくわかります。

 

一方で、厚労省の「依存症対策推進室」は優秀です。

以下のような、依存症についてとても理解が深まる啓発漫画を監修しています。

来月、書籍化されるほど高い評価を得ていて、依存症の専門家たちが監修に携わっています。依存症に関わるひとも、そうでないひとも、必読です。

 

「スティグマ」が2次予防・3次予防を妨げる

依存症は、『回復できる病気』です。

一度手を出したら人間をやめないといけないような、夢も希望もないものじゃありません。

依存症になっても、依存するもの以外に、仲間との繋がりや他の楽しみがあるような、幸せな環境があれば、やめられます。

これが真実です。ダメ絶対は間違いです。

それなのに、一度依存症になった人をまるで『ひとでなし』のように差別するように仕向けられ、みな間違った常識をもってしまったがために、依存症の人が生きにくい、仲間とのつながりや他の楽しみを見出しにくい、幸せじゃない環境をつくっています。

それが、薬物依存やアルコール依存から回復しようとする足を引っ張ります。

依存症は、依存症その人のみの病気ではない。その人がダメでだらしないからなる病気ではない。社会全体の生きづらさがまねく「社会がかかっている病気」だということもできるかもしれません。

社会が生きづらいがために、回復できず、また依存症になっても他人に助けを求められなくて、今なお苦しみ続けている人々を救うことができずにいます。

この状態を解決する唯一の方法は、社会を構成する全員が依存症に対して正しい知識を持ち、差別するのではなく、一度間違ってしまっても回復できる社会を共に創り上げることだけではないでしょうか。

私は依存症ではないから関係ない?いえいえ、当事者でない人など、この社会に属して生きている限り、この世のどこにもいないのです。

(ラットパーク実験そのものが、どんなものだったか、詳細を知りたい方は以下ご参照ください。)

サイモン・フレーザー大学の研究者ブルース・アレグサンダー博士は、従来の薬物依存に関する研究は、マウスを狭いケージに閉じ込めて実験が行われている点に着目、普段とは異なる生活環境下に置かれる影響度について考慮されていないとして実験結果に疑問を呈します。そして、1980年、アレクサンダー博士は「薬物中毒は外部的要因(生活環境)が原因で引き起こされる」という仮説を立て、これを実証するために「ラットパーク」と呼ばれる実験を行います。

ラットパーク実験では、従来型の狭苦しく孤独な環境を再現した18×25×18cmのワイヤーメッシュの「植民地」と名付けられたケージと、8.8平方メートルという通常のケージの約200倍もの広さを与えたラットパークを用意し、それぞれの環境にマウスを置いて比較実験をしました。ラットパークの壁はネズミが普段生活する草原の絵を描き、また地面には巣を作りやすい常緑樹のウッドチップを敷き詰め、さらにネズミが隠れたり遊んだりできる箱や缶を用意、またマウス同士が接触できるようにし交尾や子育てが可能な環境を与えることで、さながらネズミの”楽園”を実現しました。

アレクサンダー博士は、ネズミが甘い砂糖水を好み苦い水を嫌う性質があることを発見、苦味のあるモルヒネ水に砂糖を加えモルヒネと砂糖の比率を1日1日変えていきながら、ネズミがモルヒネ入り砂糖水を飲めるようになるのにかかった日数を測定しました。実験の結果、植民地ネズミは楽園ネズミより早い段階からモルヒネ砂糖水を飲み始めることが分かりました。また、その総量を比べると、植民地ネズミは楽園ネズミの19倍も多くのモルヒネ砂糖水を飲んだことも判明しました。

また、他のネズミとの接触の機会を断たれた植民地ネズミがモルヒネに酔う反応を示すのに対して、ラットパークで楽園を満喫するネズミは他のネズミと遊んだり、じゃれ合ったり、交尾したりすることが多く、モルヒネによって楽しい生活を邪魔されるのを拒絶するかのように、モルヒネ砂糖水をあまり飲まなくなります。

アレクサンダー博士は、モルヒネによる禁断症状についても実験しています。新たに植民地と楽園に導入されたネズミには、ほとんどの日をモルヒネ砂糖水だけ与えられるものの、ごくたまに普通の水とモルヒネ水を選択できる日が与えられました。選択可能日にネズミが選択した飲み物を比較すると、孤独な植民地ネズミはモルヒネ水を継続して選択したのに対して、楽園ネズミは普通の水を選択してモルヒネ水の摂取量を減らしました。異なる環境下に置かれたネズミは共にモルヒネの禁断症状を示したものの、そこでとる行動には違いがあることが判明しました。

さらにアレクサンダー博士は、57日間連続でモルヒネを与えられた植民地ネズミでもラットパークに移され普通の水とモルヒネ水の選択肢を与えられれば、普通の水を選ぶようになるという実験結果も得ています。

このような一連のラットパーク実験から、アレクサンダー教授は「薬物中毒は外部的要因(生活環境)が原因で引き起こされる」という自らの仮説が正しいことを確信します。

出所:薬物中毒の原因を生活環境にあると考えた「ラットパーク」実験とは?

 

まとめ:依存症になっても、同じ人間です

私は、アルコール依存症になり、会社を首になりかけましたし、頭を切ったり、歯を折ったり、実に様々な失敗をしてきました。

自殺しようと考えました。死んでしまいたいと思う日のほうが、生きていて楽しいと思う日より多い人生を過ごしてきました。

それでも、生きています。

お酒を止めて、働いています。

そして、幸せに生きていきたいと願っています。

皆さんと何が違うでしょうか?

精神科の先生と何が違うでしょうか?

同じ人間です。

同じなんですよ、依存症の人間も。

昨今ですら、芸能人の過剰な作品自粛といった「偏見」や「排除」といった問題がおきていますが、それは、自分の首を絞めていることと同じなのです。

私は関係ない?本当にそうですか?今後も一切関係ないでしょうか?

親が、夫が、妻が、子供が、孫が、友人が、同じ立場になったとき、一度失敗したことを一生罵られながら、叩かれて泣く姿を一生見なくてはいけないとしたら。

想像してみてください。

そんな社会をつくっているのは、他ならぬ我々ひとりひとりの「スティグマ」であり、スティグマがまだ生きていける人を社会的にも、物理的にも、殺しているのです。

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【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑨(承認を求めようとすること)

今回は、承認を求めようとすること について棚卸ししていきます。

 

承認を求めようとすること とはどんなもの?

 

■承認を求めようとすること■

機能不全の育ち方をしたので、わたしたちは承認されなかったり、批評されたりすることを恐れます。子どものとき、わたしたちは親や祖父母や兄弟姉妹や重要な他人から、愛と承認を受け取ることを絶望的に浴していました。わたしたちの大部分にとって、それらが得られたことは滅多になかったので、私たちは今も他人からの保証を求め続けています。しかしながらこの承認の欲求・必要が、自分の生き方や考え方を他人の欲求・必要に合わせるという、私たちのやり方に重大な影響を及ぼしています。私たちは、自分自身をどうやって愛し、承認したらいいか知らないので、自分をよいと感じるために他人からの補償を求めようとします。また他の人たちに自分を好きにさせるように振舞うかもしれません。この「外に焦点を合わせること」は、わたしたちが自分の欲するものや必要とするもの、自分の感情や欲求に気づくことを妨げます。わたしたちは、他人の反応を見てその人たちを楽しませるにはどうしなければならないかを推し量り、彼らの私たちに対する印象を管理しようと試みます。わたしたちはすべての人を楽しませようと努力し、他の人を傷つけたくないので自分自身にとって破壊的な関係にしばしば留まります。

他人からの承認に対する必要・要求があるとき、わたしたちは次のようであるかもしれません:

●人の機嫌を取る
●批評を恐れる
●自尊心を欠く
●自分を無価値に感じる
●自分自身の必要・欲求を無視する
●失敗を恐れる
●集中力を欠くこと
●身体的な不快

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「人の評価を気にしすぎてつらい」

いつも人と何かをするときには、息苦しさがありました。

今も正直、人と付き合うのは苦手でおっくうで、あまり楽しいと思えません。

 

何かをするときは、常に以下のような強迫観念で身を固くしがちです。

 

・失敗してはいけない。

・完璧にやらなくてはならない。

・結果を残さなくてはいけない。

・結果は人より優れていなくてはいけない。

 

人と付き合うときには、常に以下のような恐怖をともなう義務感があります。

 

・嫌われてはいけないし、できるだけ好きにならなくてはいけない。

・一度会ってしまったからこの人の個人情報を覚えなくてはならない(でないと失礼だから)。

・楽しませなくてはならない。

・自分のしたい話ばかりしてはいけない(相手の話を聞かなくてはならない)。

・また会いたいと思われる人物イメージ(明るい・知的・好感が持てる)でなくてはならない。

 

はじめの固定観念は「結果の評価」、2番目の義務感は「人としての評価」です。

なぜこのように、私は評価を気にするのでしょうか。

 

私は、「結果を残さなくては私に価値がない」と思っているからです。

私は、「本当の自分を見せたら嫌われる」と思っているからです。

 

それはなぜでしょうか。

それは、親との関係・幼少期の人付き合いにおいて、経験的にそう学んだからです。

 

承認してもらえなかった苦い経験

親は、私がうまくいったときにはとても喜びました。

私が失敗したり、他の子より劣った結果しか残せないとき、哀しみました。

「いいのよ、がんばったわね」と口では言いながら、顔と目は「なぜあなたは一番じゃないの?なんで負けてしまったの?」と言っているように感じました。私はその目を向けられるのが、すごく惨めで哀しい気持ちになるので、たまらなく嫌でした。

だから、結果を残して親に認めてもらいたい、親が喜ぶ顔が見たい、と思っていました。人に認められることが、正しいことで、良いことで、逆に言えばそうでなくては価値がない、と思い始めたのは物心がついて少し経った小学校の頃だったように思います。

私はそんなに運動神経が生まれ持って良いわけでもなく、抜群に頭がキレるわけでもありません。

それでも、クラブ活動や受験では他人と比較されますし、優秀な他の子の活躍をうらやましそうに見る両親の横顔を悔しさで唇を噛み締めながら、眺めていたような情景が思い浮かびます。

 

親は私を見ていないと感じました。

私が残す結果や社会的なステータスを見ていたと思います。

だから、私は寂しかった。

こっちを見て、と言いたかったのだと思います。

しかしそれは叶いませんでした。

 

奇しくも時を同じくして、幼稚園~小学校低学年にかけて、私は周囲の人間にも受け容れてはもらえませんでした。

 

独りで遊ぶことが好きだった私はよく保母さんや先生に「お友達と遊びなさい」と半ば強制的に好きなことを中断させられてやりたくもない集団行動のなかに投げ込まれ、ひどくストレスを感じていました。

 

「お友達」はそんな変わり者の私を嗤い、物をぶつけ、暴力を振るってきました。怒りを感じる瞬発力がなく、やり返すのが遅いため、少し経ってから何の前触れもなく復讐したりするので、よく私が加害者だと誤解され、叱責されました。タイムラインをよくわかってない他人から見れば、私が突如暴力を振るったように見えますからね。

 

「好かれなければならない」という生存戦略の行く末は

そんなわけで、私にとって他人は脅威でした。

いつ攻撃されるかわからない。反撃には賞味期限があり、攻撃されたら瞬時にしなくてはいけない。そしてそもそも、攻撃されないように、よく観察し行動を模倣して、うまく溶け込み、敵視されないようにしなくてはならない。

 

「好かれなくてはならない」=『「人としての評価」を高く保たなくてはならない』という思考にたどり着きました。

 

そこからは、作り笑顔の練習、声のかけ方や友人としての振舞い方、冗談の言い方、何が冗談と嫌味の境目なのかの見分け方、さりげなく嫌味を打ち返す即答話法、など、自分なりの処世術を行動心理学や人間観察を通じて学び、なんとか自分なりに集団に溶け込み合わせることができるようになった「つもり」でした。

 

しかし、やはりいつもまでも真似事では、違和感はぬぐえませんでしたし、何よりできたのは「知人」であって「友達」ではありませんでした。うまく騙せても、偽りの自分で接する限り、魂の触れ合いはありません。どうしても一定以上の距離には、近づくことも近づかせることもできないのです。そんな上辺だけの空虚な人間関係に嫌気がさして、行き詰まりを感じ、閉塞感で窒息しそうな毎日を送る羽目になりました。

 

その孤独感と、結果を残さなくてはならないという焦りや不安から、心を守り脳を鎮静させるためにエチルアルコールに頼ることになり、逆に脳を薬物でラリらせて、心を痛めつけることになります。

すなわち、アルコール依存症を発症するわけですが、今考えれば当然の帰結というか、因果関係として立派に成立する妥当な経路を辿っただけだったのだな、と思います。

 

 

 

承認を求めようとすることからの回復 ってどんなもの?

今、私はようやく、「優れた結果が残せなくても、私はここにいていい。」ということと、「人に好かれようと自分を偽らなくてもいい」ということを、自助グループに繋がり、棚卸しをしていくなかで少しずつ、認めてもいいのではないかと思えるようになりました。

 

□承認を求めようとすることからの回復□

自分自身の承認と、ハイヤー・パワーの承認に頼り始めるとき、承認を求めること自体はOKなのだということを、わたしたちは理解し始めます。他人を操ることはしないで承認を求めるやり方を身につけます。他の人たちの褒め言葉を受け入れて、その褒め言葉が心からの物であることを信じて、率直に「ありがとう」といえるようになります。わたしたちは自分の欲望に焦点を合わせて、「イエス」と思っているとき「イエス」と、「ノー」と思っているとき「ノー」と言います。

適切でない承認の求め方から回復するにつれて、わたしたちは次のようになっていきます:

○自分の必要を認める
○自分自身がどう感じているかについて本当のことを言う
○自分自身に対して忠実になる
○自分と他人に対する信頼を築く

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さて、本当のことを言えば、私は今まで強がりを書きました。

ということを白状します。

 

というのも、あたかも気に入られなければならなかったから、それを欲していなかったけど、生きるためにしかたなくそうせざるをえなかった、かのような書き方をしました。

本当に望んでいることから今もなお目を背けようとしていたことを、ここに認めます。

 

私は、親にも、友人と呼ぶべき同世代の子どもたちにも、そのままでいいと言ってほしかった。仲間に入れてほしかった。私が生きたいように生きている姿を認められたかった。

私は、そうでない現実が辛かったし、独りで泣いている日のほうが、笑っている日よりも多かったことが、とても惨めで哀しいし、悔しいです。

 

そのままでも、生きていていいんだよって、言われたかったです。

そのままでも、あなたが必要だよ、って言われたかったです。

 

その願いが満たされなかったから、私は「そんなもの求めてない」と言いながら、卑屈にもご機嫌をうかがって、顔色に一喜一憂して、今まで生きてきたことを認めます。

 

自信がなかったのも、楽しくなかったのも、すべてそのような機嫌取りの態度で、他でもない私が一番自分を蔑ろにして生きてきたからに、ほかなりません。

私の場合は、受け容れてもらえなかったというどうしようもない、変えられないものを変えようと涙ぐましい努力をしてきた結果、本当になりたかった姿とは程遠いものに成ってしまっていたことを、事ここに及んでは認めざるを得ません。

 

 

「承認を求めようとすることからの回復」の項目で、特に心に刺さったのは、「自分がどう感じているかについて本当のことを言う」という文言です。

 

私は他人の印象を操作して、「気に入られる自分」であろうとするために、本当のことを言ってきませんでした。自分がどう感じているかについて知られることを恐れました。

なぜなら、自分の本心を話しても受け取ってもらえなかった手痛い失敗を繰り返してきて、すっかり恐ろしくなっていたからです。

 

しかし、棚卸しを繰り返し、どうしようもないものに囲まれながら自分自身が精いっぱい生きてきたのだ、ということを自覚するにつれて、私は自分自身を承認することができるようになってきました。

それは、素直に自分の言葉で話したこと、その精一杯差し出した言葉たちを自助グループの仲間が否定せずただ言いっぱなし聞きっぱなしで聞いてくれたこと、の2つによって徐々に実現してきました。

その結果、あんなに吹けば飛ぶほど頼りなく、他人の評価に右往左往していたのに、今では自分自身の感情と本質を頼り、またそれに従うことにこそ最も安心を感じるようになってきたように思います。

 

つまり、他人に承認を求めること自体は悪ではないが、他人というコントロールできない存在に求める以上、承認を得られないこともある、という「変えられないこと」を受け止める勇気を持ち、それでもやっぱり承認を求めてしまう自分の欲求そのものを否定しないで認める努力を始めたということです。

 

自分の承認欲求について、見てみない振りをすればするほど、純粋な願いだったはずのそれは、後ろめたいものとして色濃く影を落とし、心に棲みついてしまいます。

 

操らず、自然に生きること。

それでもらえた賞賛ならば、私は素直にそれを受け取ることができるかもしれません。

なぜなら、他人を操ろうとする心が、相手が発した言葉を深読みさせ、素直に受け取らせないようにするからです。

私がまじりっけなしに他人と関わり、YESのときにはYES、NOのときにはNOと言って堂々と胸を張って生きている限り、たとえ他人が嫌味で言ったり真意は他にあったとしても、私は私の世界のなかでは、他人の褒め言葉を真実と取ることができ、力に変えることができるでしょう。

その積み重ねが、自分への信頼、その自分を信頼してくれる他人への信頼を、少しずつ築いていくのです。

 

私は、この歪んだ強迫観念と義務感を否定するのではなく、「私があの頃を生き抜くためにはどうしても必要だった」と一度抱きしめることにしました。

そして、今は幸福にも必要がなくなった、それらの想いを手放し、楽しく生きられる生き方を、みなさんと一緒に探していけたらいいなと思っております。

【AC】「モラハラ」や「フェミニズム」でやたらイライラする話

最近になって、やたらと「モラハラ」「フェミニズム」のような内容にイライラする自分に気づいたので、掘り下げてみようと思います。

 

いったい私は、何が嫌なのか?

Twitterで流れてくる、こんな内容を見ると胸がざわざわします。

「自分が正しいと信じて疑わず、他人に『指導してやっている』というスタンスの人間がいる。それはモラハラだ。」

「男性は女性に対して尊重する気持ちがなさすぎる。女が不幸せなのは男が問題だからである。妻を大事にせず育児を手伝わない夫はクズだ。」

 

なんででしょうか。

実は自覚があって、自分が責められている気がするからでしょうか。

それとも、それらを『やられてきた』ことがあるから、哀しくなるのでしょうか。

 

それは両方であるように思います。

 

私は今まで世の中で正しいと思われていることを、正しいと信じて疑いませんでした。

正しいことをしていて、正しさを社会から認められ、他人より優れている自分は、他の人を導く立場だ、などと勘違いをしていた恥ずかしい過去の自分。

その自分の醜い姿を、目の前に突き付けられたようで、嫌な気持ちになるのでしょう。

 

もうひとつは、母親が父親に対して言ってきたことを、また繰り返し聞いているような嫌悪感があるようです。

男性が女性に配慮するのは当たり前で、世界一大切にしていて、妻一人だけを愛していて、子供に献身的で、家庭を大事にする、そんな男性だけが至高の存在で、あとは有象無象のゴミだというような理想論を、また金切り声で母親から聞かされているような気がします。

それに疲れて、タイムラインを見ると、心底うんざりするときがあります。

 

つまり、私は、自分自身の恥ずかしい自己認識や嫌でたまらなかった記憶の追想をさせるために、これらの「モラハラ」「フェミニズム」の話題が苦手なのであります。

 

ひとは常に正しくあることなんてできない

人間は、人間だから、いくらでもやり直せる、と思います。

とっかえひっかえみたいな、あれでダメならこれでいこうみたいな、適当なことをしてもいいわけがない、と思いがちですが、振り返ってみると、子どもの頃の夢を初志貫徹している人なんてわずか数%ではないでしょうか。

子どもの頃の夢を追いかけ続けなければならないわけではないように、私たちの人生は常に試行錯誤と決断の連続です。

その分岐点のたびに、トライ&エラーを繰り返しています。意識していないだけで。

 

私は、今までうまく人生を歩んでいると思っていました。

しかし、それはとんだ勘違いでした。何も知らなかっただけでした。

今、依存症になった人や、薬物問題で逮捕された人を、メディアで上から目線で断罪する人を見ると、過去の自分を見ているようで恥ずかしくなります。

「自分が正しい」という凝り固まったプライドを通してみているから、自分が見ている物事が歪んでみえていることに、全く気づけない哀れな人々。

そんな人々には見えないのです。

ひとは常に正しくあれるわけではなく、正しくないことのなかにも真実があるということが。

 

どんなひとも、他人をジャッジしていい理由などない

当事者でなければ、そして当事者であっても、本人以外に自分の決断が、良かったか悪かったかなど、決めることはできません。

本人ですら、決めかねるでしょう。それをなぜ、他人が上から目線で決めることができるでしょうか。できるはずがありません。

傷つけられたこと、自分らしく生きる権利の侵害、それに対してNoという権利は誰もが持っていてしかるべきものです。だから、私はある女性が、女性として出会った男性個人に、Noというならば、それは当然のことだと思います。

しかし、「男は~」とか「男性は~」という風に大きな主語で訳知り顔に語られると、どうしようもなくムズムズします。

全ての男がそのように下劣な感性しか持っていないのだと検証したのでしょうか。性別でくくることこそ、女性が最も忌避していることではなかったでしょうか。自分がされてもっとも嫌なことを無意識にしているのではないでしょうか。それはとても醜くみえます。

女性は、男性は、と大きなくくりで話すのなら、一生分かり合えないでしょう。

個性はそれぞれ違うし、人生のバックグラウンドだって違うのに、一括りにされて気持ちのいい人はいません。

「私の何を知っているのよ!?」ってなりますよね。

それなら、もういっそ結婚や色恋なんて全部やめにして、人類増えすぎたし、もろとも一緒に衰退しませんか?と言いたくなります。

よりよく生きたいしまだ死にたくないし、衰退なんて嫌だから、異性という相手を求めているわけで、うんざりなんだったらもう求めなくていいと思うし、語り合うなら、お互いにいい関係を築くためにどうしましょうか?という話をすればいいのに、と思います。

お互いに間違いも犯すし、苦難もあるでしょう。それでも一緒にいたいか、いたくないか、それだけなんじゃないでしょうか。

ジャッジしてお互いを指さしあいながら罵り続ける限り、両方ともが幸せになれない。

それが、男女の関係でただ一つ確かなことのように思います。

 

みんな、傷ついた思いを誰かにわかってほしいだけ

とはいえ、今なぜこんなに否定形の発信や怒りや悲しみに満ちた発言が充満しているのかといえば、この世の多くの人々が「この傷ついた気持ちをわかってもらいたい」という切なる叫びが聞き届けられていないからではないか、と思います。

肯定してもらいたいから、正しいことを言う。

正しいことはこの世で肯定してもらえることだからです。

今まで自分を押し殺して尽くしてきたにもかかわらず裏切られたり、陰ながらしていた努力を認めてもらえなかったりしたら、そりゃ辛いですよね。

誰かに、「間違ってないよ」「あなたは悪くないよ」「それは男が悪いよ」って言ってほしいと思うのは、当たり前の欲求だと思います。

でも、そのまま辛いっていうのは苦しいし、哀しい気持ちと向き合うのは辛くて怖いから、相手を正論で否定するほうが楽で、だから口をつくのはそのような罵倒する言葉なのでしょう。

本当は、「私は苦しい」「私はこんな生活は嫌だ」「私はあなたに認めてほしい」「私はあなたにわかってほしい」という『私』がどうか?ということが言いたいし話したいのだと思います。

それを聞いてくれる人がいなかっただけで、私たちは寂しかっただけで、悪くはないと思います。

傷ついた思いや今まで他人には話せなかった思いを話せる、それだけでその人の心の穴は埋まるような気がします。

 

まとめ:それは私のことである

ここまで考えを巡らせてみて、まさに私は、そのことが話したかったのだと思いました。

つまり、私は傷ついてきた、ということです。

私は、以下のことを当事者として自覚するのが遅すぎて、親や家族に言う機会を逸してきて、そのことに憤りを感じてきた、ということです。

 

・男性として良い彼氏・良い夫・良い父であることを強要するこの世界の常識が大嫌いで、私はその世の中の価値観とやらに、自分自身を否定されているように感じてきた

・その根本にあるのは、母親と父親の関係が良好ではなかったのに、正しさで塗り固められた歪な関係(少なくとも私からはそう見えた)をみてきたことで、私はそんな二人を見るのが辛かったし、母親の愚痴は聞きたくなかった

 

そんなに文句言うなら結婚しなくていいじゃん、と思っていました。

そんなに気に食わないならもういっそ全部やめたらいいじゃん、と思っていました。

それを聞かされているようで、イライラするんですよね。

まさに女性から男性に対する価値観の押し付けを感じていて、その行為を一種のモラハラだと感じてきました。男性が女性にするばかりではないんですよ。母親の男性に対する愚痴をずっと聞かされる息子は、母親からモラハラを受けているようなものです。そういう意味でも、男女は平等だと思います。

つまり、私のこの「モラハラ」や「フェミニズム」に対する妙な拒絶感というか不快感は、私の認知の歪みからきている、ということです。

 

もちろん、思想やツイートは自由ですし、それは個人の想いとして垂れ流してもらうのに何の意見もありませんが、私はこれからもイライラするでしょう。

それは私の問題である、ということがわかって、少し安堵しました。

今日はこのぐらいです。

【メンタル】映画『日日是好日』を観て学んだ「今ここ」の大切さ

『日日是好日』という映画をご存知ですか?

私は最近この映画を観ました。すごくいい映画でした。

この映画を観て感じたことを今日はまとめてみたいと思います。

(まとまりませんでしたが。笑)

 

映画『日日是好日』とは?

https://www.nichinichimovie.jp/ ←公式HP

日日是好日』(にちにちこれこうじつ)は、エッセイスト・森下典子による自伝エッセイ『日日是好日-「お茶」が教えてくれた15のしあわせ-』を原作とした、2018年10月13日公開の日本の映画作品。

あらすじ

大学生の典子(黒木華)は、突然母親から茶道を勧められる。戸惑いながらも従姉・美智子(多部未華子)とともに、タダモノではないという噂の茶道の先生・武田のおばさん(樹木希林)の指導を受けることになる。

大学を卒業しても、いまだに就職もせずに30代に突入した典子は、大学を卒業して茶道をやめ、すぐに就職をし、お見合いをするために退職し、婚約をして子どもも生まれた美智子との間に遠い距離を感じていた。

そんな中、10年間辞めずに続けてきた茶道でさまざまな後輩との出会いを通して大切なことをたくさん学んだ典子はやっと出版社に面接をしに行くことになった。だがそれもダメで、ずっと付き合っていた彼氏とも別れても落ち込んでいた中、父親の死を知り、武田のおばさんと泣いた。

それから典子は立ち直りもう一度全てやり直そうと決意する。

 

 

「すぐわかるもの」と「すぐわからないもの」

 

 

私たちは、すぐわかるものに目を奪われがちだ。

仕事、結婚、出産、子育て。

人生のイベントで他人より優れた結果を出し、「勝ち組」と言われるために、本当の自分すら見失って、「人に羨ましがられる」ために虚勢をはる。

それは果たして、本当に望んだことだっただろうか。

 

主人公の典子と、従姉妹の美智子は、同じように茶道をはじめるが、徐々に暗明が分かれていく。

典子は、真面目な性格で理屈っぽく、おっちょこちょい。一生をかけるような何かを見つけたい、と就職では最もやりたかった出版社で就職活動するも就職できず、中途入社の試験もうまくいかない。結婚しようとしている彼氏には挙式直前に裏切られ、人生のイベントに乗り遅れていく。

美智子は、竹を割ったような性格、と称される利発さで要領よく世の中を渡っていくタイプ。就職活動では貿易商社に就職。働いて、女性としてのキャリアの限界を感じて退社し、医者とお見合い結婚。子供をもうけて、絵に描いたような人生のイベントでの成功を収め、どんどん典子を置いて先に行ってしまう。

 

この焦りは、私にも覚えがある。

周囲の皆がどんどん先に行く。

私はひとり取り残されていく。

焦り・苛立ち・不安。

「なぜどんなに頑張っても私は幸せになれないのだろう」

「どうして私ばかりうまくいかないのだろう」

そう思った経験は、誰しもあるのではないだろうか?

 

「すぐわかるもの」というのは、とてもわかりやすいし、比較しやすい。だから、とても価値がある、と思い込みやすい。

 

特に、数字がそうだ。

フォローワー数・いいねの数・偏差値・高級品・年収など、人と比べる数字で計れるもので「幸せ」に通ずるものだとされている、すぐわかるものたち。

頭でばかり考えて、あるいは何も考えず、自分が感じる幸せではなく、わかりやすいものを追いかけていると、とても焦る。

焦って他人を押し退けて手に入れて、振り返ってみると、実は本来目指していたところとは全く別の場所にいて、愕然とする。

 

実は、これは私が欲しいものではなかった、ということに、手に入れて初めて気づく。

 

 

では、本当にほしいものは、なんだったのか?

それは、「すぐにはわからないもの」だから、私たちはそれを頭で考えるのではなく、全身で感じなくてはわからないし、時間という誰にも平等なものをかけなくては、見えてこないものなのかもしれない。

つまり、「他人との比較などではかれるような安っぽいシロモノではない」、ということはどうやら確からしい。

 

私は例に漏れず、「すぐわかるもの」を追いかけてきた。

それは、追いかけさせられた、と言ってもいい。

なぜなら、「すぐわかるもの」が幸せだと信じる愚かな両親に育てられ、その価値観を信じて生きてきたからだ。

私はわけもわからぬまま、県内の順位や偏差値や年収に踊らされて学生生活を過ごし、何も重要なことを学ばないまま、社会に出てきて、打ちのめされた。

何が望みなのかわからなくなった。

絶望して、人生を徒労のように感じた。

こんなに苦しいなら、もういっそ終わりにしたいとさえ、思った。

「すぐわかるもの」は、私が欲しいものではなかった。

 

 

「今ここ」にこそ、幸せはある。

この世界には、勉強のように『正解』はない。

自分で考え、自分で選び、自分で責任を取る他ない。

正解などどこにもなく、誰も決めてはくれず、次々と起こる出来事の良し悪しすらよくわからないまま、どう選択するか、自分が決めるしかない。

成功も失敗もなく、人生という奇跡のようなチャンスを与えられた私たちは、それぞれにオーダーメイドな人生を、味わいつくすために、この世に生を受けたことを知る。

わかりやすい生まれた意味などない。

人生にわかりやすい価値などない。

毎日東から日が昇り、西に沈んでいく。

繰り返す四季のように、晴れの日もあれば雨の日もあり、私たちはどうしようもなく大きな力のうねりの中で、揉みくちゃにされて、なにもかも、どうすることもできない。

そして、天から見ればほんの瞬きをするあいだほどの短い生涯を閉じる。

 

 

作中に、私が大好きな一節がある。

 

 

五感を使って、全身で、その瞬間を味わう。

 

人生は振り返れば瞬きをするほど短く、他人と比較して一喜一憂するにはあまりに長い。

そんなもののように思う。

 

今、だけなのだ。

確実に何かを感じ、それを味わえるのは。

 

過去は変えられない。未来はわからない。

「今ここ」の、ど真ん中を繰り返し、繰り返し、真剣に生きていく。

 

茶道には馴染みがないが、映画でお稽古の様子をみていて、通ずるものがあるのだなと思った。

何かを極めようとするとき、基本動作を繰り返し繰り返しやりこむ以外に、それを魂に刻みつけることはできない。

気が遠くなるほど繰り返した鍛錬により、魂は磨かれていく。

無意識に体が動くほど深く魂に刻みつけられた所作のなかに、今がある喜びや心踊るような変化をみる。

それは、まさに魂が喜んでいる。

春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来る。

同じことの繰り返しのようで、一瞬たりとも同じ時がないように、私たちの人生もまた、ひとつとして同じではない。

ひとりひとり違うものでありながら、互いの気持ちを想像し、時に共に喜び、時には共に悲しみ、そんな魂の触れ合いがあるという奇跡。

ああ、なんとありがたいのだろう。

こんなに苦しくて憎くて恐ろしく、愛おしくて甘くて魅了されるものはない。

私たちがかけがえのない今を生きていると自覚すると、「生きる」という芸術は、その色や匂いを取り戻す。

今、見ている色や匂い。

今ここ、のリアリティ。

それこそが、幸せ、というものの具体的な形なのだと思う。

 

典子は、作中、どんどん美しくなっていくように感じた。

変えられないものと、「今ここ」の大切さを知れば知るほど、外から見たわかりやすいものではない輝きが、彼女を内側から光らせていく。

 

 

あきれるほどコントロールできないこの世界にいて、私たちは水のように自由でありながら、川の流れのように不自由である。

あらゆる外的要因に方向性を曲げられ、自由でありながら全く意図する方向にいくことはできない。

水は、他の水とどう違う、などと比べない。

世界の法則に従いながら、自らの形を柔軟に変化させ、川を下り、海に出る。

水は激しく打つこともできるし、緩やかに流れることもできる。

我々の体を構成する60〜65%は水である。胎児のときには、90%が水だったのである。

我々もまた、激しく打つことも、緩やかに流れることもできるはずだ。

その在り方は常に変化するが、私たちは基本的に変幻自在であり、自由で、同じでありながら比べる必要がないものだ。

そして、山で生まれ、海に還る川のように、あるべきところに還るまで、常に意図せず翻弄され続けて元々なのである。

 

受験に失敗したから、なんだというのだ。

就職に失敗したから、なんだというのだ。

結婚できないから、なんだというのだ。

子供が持てないから、なんだというのだ。

 

それは辛いことだ。しかし、変えられないことだ。

あなたの責任ではないし、長い目で見たら、本当はほしいものではなかったかもしれないし、本当に欲しいものだったかもしれない。

 

つまり、まだまだ今の時点では、わからないものだ。

「すぐにはわからないもの」だ。

 

だから、絶望するにはまだ早い。

私は30歳になる前に死にたいと思っていたけど、今34歳になって、よかったと思っている。

そのくらい、人生は「すぐにはわからないもの」のカテゴリであり、とても面白い、まだやめるには勿体無いものだ。

 

今、私はそう思えるようになった。

 

日日是好日(にちにちこれこうじつ)は、禅語のひとつ。もともとは、末の雲門文偃の言葉とされ、『雲門広録』巻中を出典とするが[1][2]、一般には『碧巌録』第六則に収められている公案として知られる[1][2][3][4][5][6]日々是好日[3]雲門日日是好日雲門日々是好日[7]雲門好日雲門十五日[2]と表記されることもある。

 

「日日是好日」は、表面上の文字通りには「毎日毎日が素晴らしい」という意味である[1]

そこから、毎日が良い日となるよう努めるべきだと述べているとする解釈や、さらに進んで、そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり常に今この時が大切なのだ、あるいは、あるがままを良しとして受け入れるのだ、と述べているなどとする解釈がなされている[3][4][5][6]

 

【社会福祉士】私はこうして5日間で合格率30%の国家試験に合格した(2020年最新版)

働きながら社会福祉士を目指してきました。

先日の国家試験で無事合格点を取ることができました。

☆第32回社会福祉士国家試験 合格基準情報:更新しました(3/13)☆

ボーダー:88/150点(58.6%)
共通免除:37/67点(55.2%)
合格率:11,612人/39,629人 29.3%

 

 

実は今回、私は仕事の都合で、試験1週間前まで全く準備ができませんでした。

 

育児・家事・仕事…毎日忙殺されており、「直前にやったってもうダメかな…」とも思いましたが、何十万円もかけて有給も代休もつぎ込んで専門学校を卒業したのに、最後まであきらめるわけにはいかない、ということで、5日間徹底して対策しました

その結果が上記の結果というわけです。

 

もしかしたら誰かの参考になるかもしれないので、一度振り返ってみたいと思います。

 

社会福祉士国家試験って?

今回私が挑んだ試験の概要について、まずは整理して皆さんと共有したいと思います。

 

そもそも「社会福祉士」とは?

社会福祉士は厚生労働省の主管する国家資格であり、国家試験に合格することで資格を取得できます。

資格の種類は「名称独占資格」と呼ばれるものであり、社会福祉士と名乗って働くためには資格が必須であるものの、「業務独占資格」とは異なり、相談対応業務などは資格がなくても行えます。

しかし、さまざまな相談に応じるためには、福祉、行政、医学、心理学など、複数の分野にわたる深い専門知識が不可欠です。

このため、相談対応業務を担うソーシャルワーカーになる場合、社会福祉士の資格取得を目指すことが一般的となっています。

就職する際にも、国家資格がないとそもそも採用対象とならないケースも数多くありますので、ぜひ資格を取得しておくべきです。

 

社会福祉士国家試験の難易度は?

社会福祉士国家試験の合格率は、近年25%~30%前後という低い水準で推移しています。

社会福祉士国家試験では、全18科目に及ぶ幅広い内容の問題が出題されますので、覚えなければならない知識量は膨大です。

合格するために必要な勉強時間はおよそ300時間がひとつの目安とされており、1年ほどの期間を設けて受験対策を行うケースが一般的です。

社会福祉士国家試験の合格基準は2つあり、1つは全科目合計で約60%以上得点すること、2つめは全科目で1点以上得点することです。

つまり、8割も9割も得点できる実力は必要ない一方、ひとつでも0点の科目があると、全体でいくら高得点を取っても不合格となってしまいます。

このため、社会福祉士国家試験においては、得意科目を伸ばすことよりも、苦手科目をなくすことのほうがはるかに重要です。

 

社会福祉士国家試験合格率は?

社会福祉士国家試験の合格率は30%弱を推移しています。

平成30年度の合格率は29.9%となりました。

結構厳しいです。

 

参考;社会福祉士の仕事 キャリアガーデン より

 

 

前提:狂っていると思うほど「勉強一色」に生活を振り切る

さて、私はASD(自閉症スペクトラム)なので、複数のことは同時にできません。

何かが気にかかると、気もそぞろで、いくら勉強しても記憶にも残らないし、簡単なミスをしてしまいます。

だから、勉強すると決めたなら、24時間勉強の為だけに時間を使うことを覚悟します。

そのためには、子どもと妻には実家に帰ってもらい、家事と育児に煩わされないように協力してもらい、仕事は一切せず、勉強だけに集中できる環境を創ること。

 

誰に何を思われるとか、何を言われるとか、一切気にする必要はありません。

今すべきは、試験勉強。

今考えるべきは、試験に合格すること。

それ以外は、何もかも試験が終わってから考えればいい。

 

そう覚悟することが大事です。

 

そうすると、1本の芯が自分のなかにスッと通り、シンプルな覚悟ができます。

食事と睡眠と、適度な運動。

それ以外のありとあらゆるリソースは、全て今この時は勉強だけに向ける覚悟。

それを持ち鉄の意志で実行する、強固な狂気を持ちましょう。

 

勉強方法:覚悟は決まった。では、何をするか?

私がやったことは3つ。使ったツールも3つです。シンプルです。

 

〇やったこと:

①過去問題集を解く ②全く知らない人に説明を聞いてもらう ③動画で単語を覚える

 

●使ったツール

①過去問題集 ②LINE電話 ③Youtube

 

順に説明していきます。

 

勉強法①:過去問題集を4年分、2回やる

過去問題集は4年分のものを購入しましょう。

 

 

本当は6年分(3年分を2冊買う)やると完璧ですが、最低限4年やっておく必要があります。

なぜか?

あらゆる試験はだいたい3~4年周期で同じ問題が出題されることが多いからです。

なぜなら、重要な点や問題に出しやすいポイントはだいたい決まっているからです。

試験の出題者は、手を変え品を変え、毎年試験問題をつくってくださるわけですが、同じ内容の試験である以上、バリエーションは限られ、どうしても一定の傾向が生まれます。

私たちは試験に受かることを目的としています。

つまり、主眼に置くべきは、内容を理解することではなく、得点を取ることです。

なので、最悪問題の内容が理解できていなくてもいい。

「この選択肢は間違い」「この選択肢はあっている」ということが判別できるかどうか、これだけが重要と言っても過言ではありません。

 

そう考えると、過去問は過去に出題されたことのある問題の結晶です。

過去問を解くことが、最も合格に必要な内容を把握し、出題傾向を見るのに最適な勉強法なのです。

 

1週目:解くのではなく、解答を書き込む

勉強していないし、テキストも見ていない私のような人が1回目に問題を解いてわかるでしょうか。

いいえ、全くわかりません。

ウンウンうなっていても正解はほぼ出てきません。時間の無駄です。

なので、以下の流れでどんどん問題に書き込んでいきます。

①問題を読む

②少し考える

③解答を見る

④正解の選択肢にアンダーラインを引く

⑤不正解の選択肢の間違っている個所を、正しい内容に修正する

問題解いてないじゃん、と思う人もいるでしょう。

でも、これで何がいいかというと、とにかくこれを繰り返すことにより、正しい選択肢の文章だけが頭に入っていき、間違った選択肢を見ると「得も言われぬ違和感」が生まれるようになります。

たとえば、社会福祉士国家試験では、こんな選択肢が来ると「怪しい」という感覚をもつようになりました。

1、末尾が否定形で終わる「~してはいけない」「~ではない」

2、「全て」や「全く」という極端な表現

3、「都道府県」と「市町村」(入れ替えられているパターン)

4、根拠法(内容はあっているが根拠法が違うパターン)

このように、入れ替えやすいポイントや、出題のパターンはだいたい決まっています。

4年分解くことにより、だいたいこういうのは合っていて、こういうのは違う、という傾向を学びます。

 

2週目:科目ごとに正解の選択肢を読み込む

社会福祉士は合計18科目あります。

1週目は、通しでそれらすべてを出題の流れのままに現在から過去の時系列で解いていきました。

2週目は、科目ごとに4年分、書き込んでいった正解文を読んでいきます。

なぜか?

科目ごとに、毎年だいたい出題されている問題や傾向が似通っていることに気づけるからです。

「この問題、さっきの年の過去問にもなかったっけ?」という選択肢の設問が必ず出てきますし、この科目はだいたいこういうことを質問してくるな、というのがわかります。

それに合わせて、1週目に書き込んだ正解になっている選択肢を読み、正解だけを頭に叩き込みます。

 

つまり、「解かない。正解を書き込み、読み込む。」

これが私にとって最も効率の良い試験勉強方法です。

 

勉強法②:この試験について知らない人に説明する

しかし、150問あるこの試験を4年分、600問を2回もやるのは、人間、飽きます。

しかも5日で終わらせなくてはならないので、1日当たり240問やる計算になります。

簡単に、メンタルが死にます。

 

そこで、人に教えるつもりで聞いてもらう、というのがあります。

私はLINE電話で聞いてもらいました。

「それ知ってるよ!前こんなので出てたよ」とか

「へー。じゃあこういう場合はどうなの?」とか

読んでいる正解の問題文について声に出して読み、ときには質問してもらいましょう。

 

そうすることで、「この問題はあのときこう話したやつだな」というふうにエピソード記憶になりやすくなります。

短期記憶はすぐに失われますが、一度人と話した経験としてエピソード記憶にして海馬に記憶させてしまえば、そう簡単に忘れないで済みます。

「あ!またシーボーム報告出てきたわー、何回やんねん」などと突っ込みを入れたりしながら、楽しく親しい人と話しましょう。

相手に反応させるのは負担をかけてしまうと気が咎めるなら、電話だけ繋げてもらって、相手には聞き流してもらっているだけでもいいでしょう。

電話の向こうに誰かいる。

それだけで人はなかなかどうして、張り切ってしゃべるものです。

言葉に出したり、線を引いたり、考えながら手や口を動かすことで、聴覚や視覚でも情報を脳に入れることができるので、脳の機能から考えても、格段に覚えやすくなります。

 

勉強法③:解くのにも読むのにも飽きたら、観る(Youtubeを活用)

私は、Youtubeで「ほいくん」さんの動画を観て聴いて、頻出単語を覚えていきました。

非常にテンポが良く、絵心あふれる絵を描いてくださったり、笑えて最高でした。

最後に振り返りをしてくれるのがとてもよく、おすすめです。

これを聞きながら寝たり、なんとなく問題をやる気がしないときや話すのが疲れたときには、諦めてこの動画をみながら休憩しました。

 

人名、制度名、年号など、歴史系の問題と知識系の問題は、覚えていなくてはどうしても解けない、逆に言えば、覚えていさえすれば選択肢を絞り正解を導き出すことができる要素が必ず存在します。

そういう意味では、暗記は避けて通れません。せめて楽しくやりましょう。

 

まとめ:

いかがでしたか?

私は5日間、6時に起きて20時に寝る生活の中で、1時間のランニングと1回15分の食事以外は、生活のすべてを、勉強につぎ込みました。

 

それだけ突き詰めて狂ったようにやれば、嫌でも頭は試験問題だけでいっぱいになります。

もうこの5日間は、これ以上できなかった、とふっ切れます。

腱鞘炎になりそうな手でたくさん書き込んだ過去問題集は、会場に持っていきましょう。

「私はこれだけたくさんの問題をやった」という確固たる事実。

それが手元にあると、自信になります。努力の証は、お守りになります。

 

私のやった勉強は、こんな感じです。

参考になれば幸いです。

【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑧(抑圧された怒り)

今回は、抑圧された怒り について棚卸ししていきます。

 

抑圧された怒り とはどんなもの?

■抑圧された怒り■

怒りは、アダルト・チルドレンの生き方の上での多くの問題の主要な源泉です。それは、認めると自分が安全でなく感じるので、わたしたちはしばしば抑圧する感情です。混沌とした家庭で自分を守るために、わたしたちは怒りを否認するか、または不適切に表現しました。どちらにせよ、自分の感情を全く押しやってしまうことによって自分を守るほうが安全でした。抑圧された怒りは重大な恨みや抑欝につながりかねないことを、そしてそれらは身体的な症状や、ストレスに関係のある病気を引き起こしかねないことを、わたしたちはそのときには気づいていませんでした。今の時点で、怒りを否認したり不適切な方法で表現したりすることは、わたしたちの人間関係で問題を引き起こします。もし怒りを表現したらとんでもないことが起きるのではないかと恐れて、わたしたちは幸福であるふりをしているかもしれません。

怒りを抑圧すると、わたしたちは次のような感情を経験するかもしれません:

●恨み
●自己憐憫
●ストレス・緊張
●不安
●抑欝
●悲しみ
●集中力を欠くこと
●身体的な不快

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
57Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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お求めの際には、ここの名前は出さないようお願いいたします

 

怒りは、制御できないので感じてはいけないと思ってきた

これ全部あるんですよね。

怒りを抑圧すると、わたしたちは次のような感情を経験するかもしれません:

●恨み
●自己憐憫
●ストレス・緊張
●不安
●抑欝
●悲しみ
●集中力を欠くこと
●身体的な不快

私はとっても根に持つタイプです。自分も他人も簡単には許すことができません。幸せそうな人間すべてが憎いと感じる日もあります。

自分を持たざる者として嫌いで哀れんでいて、常にストレスや緊張がつきまとう日常を過ごし、不安や抑うつ気分でうつ病を患っています。

悲しい思い出が幾度となく頭のなかに蘇り、リフレインする悲しみを繰り返し味わいながら暮らしています。

周囲の物音や声に怯え、やるべきことに集中することができない日の方が多く、だるく重い身体を朝起こすのは至難の業ですし、長らくアルコール依存症で常に酔っ払ってたので、嘔気・悪心・振戦などの身体症状がありました。毎日ストレスでネクタイを締めると嘔吐していました。一回吐いてから出勤、がデフォでした。

まさに、絵に描いたような抑圧された怒りを抱えて不具合を起こしている、という意味で、ステレオタイプのACだと言えます。

 

なぜ怒りを抑圧したのか?

私は怒りたくない、と思ってきたように思います。

それは、怒りというのは全く制御できない、苛烈で犯罪も厭わないほどの強烈な感情で、持て余す感じがすごくあったからです。

ひとたびこの怒りをストレートに感じてしまったら、私は怒りの対象の人を殺してしまうかもしれない。

殺さないまでも、暴行を加えて犯罪者になってしまうかもしれない。

そういう恐怖がありました。

極めて冷静でいなくては、私はこの社会で生活できなくなってしまうような「社会不適合者」なのだ、と自分を認定していたと思います。

だから、人を嫌いになることが、恐怖でした。特に人に対して、怒りを向けることが怖かったのです。

だから、人と必要以上に距離を縮めることを良しとしませんでした。近づいたら、嫌いになる可能性が高くなります。それは、安全ではない、と考えていたのです。

だからどんどん人とは一定の距離を置いた関係しか築けなくなっていきました。

もしもその人を嫌いになってしまったら。

その人が地球上に存在しないことを願ってしまう。

同じ空気を共有したくないほどに、憎み恨み激しい焦燥感にかられます。胸を掻きむしりたいような不快感。もどかしくて叫びだしたくなるような、血が逆流して頭が冷たくなり背筋がゾクゾクするような感覚。

 

これらは、社会から迫害されていた幼少期に特に感じてきたと思います。

いじめっ子の主犯格を特定して報復したことがあります。

彼は足が早かったので、行動力を削ぐ必要がありました。

だから、ランドセルに大切なもの(その子の母親が作ったその子がお気に入りの給食袋)が入っていることを確認して、そのランドセルを足で叩き潰した後、池に投げ入れ、取りに行かせて、戻ってきて岸に上がろうとするところを足で何度も蹴り落とし、報復しました。

先生が来て止められてしまいましたが、私はそのとき、殺し損ねたな、と思いました。

目障りなその子をほんとうにこの世から消してしまいたかったです。残念でならず、その日は泣いたように思います。彼に報復するチャンス(命)を与えてしまった、せっかく絶好の機会だったのに、逃してしまった、と。

しかし翌日彼は怯えたような顔で私を一瞥して、その後はイジメはなくなりました。拍子抜けしましたが、面倒ごとがなくなってスッとしました。

 

 

 

私の怒りは何に対するものなのか?

本当にずっとずっと我慢していきてきました。

親から要求されることをこなすのも、日々の生活を送るのも、刑務所で服役しているような気持ちでした。

生きるのが義務だから、いい子でいるのが義務だから、そういきていかなくてはいけない。すべてが義務でした。

だから、本当は全てに「嫌だ」と言いたかったのでしょう。

でも言えなかった。

最も大きな要因は、両親から愛されるために「嫌だ」というのを諦めて、友達をつくりたい、好かれたい、という気持ちから「嫌だ」というのを諦めたからでしょう。

好かれ愛され生きていることを許されるためには、嫌だということを諦めなくてはならない、と思っていたのです。

なんというさびしい思考でしょう。

生きていくことは我慢でした。それがとんでもなくストレスで、そのストレスに対する怒りがどんどん蓄積されていったのです。

つまり、私にとって生きていくことは怒りをどんどん貯蔵していく行為であり、貯まりに溜まった「怒り」という不良債権に怯えて、存在してはならないとひた隠しにするようになりました。

自分が生きていくためには、大きすぎる怒りを認めてしまっては、とても平静ではいられないと恐れ、抑圧しました。

それは、無理がありました。

事あるごとに怒りは、私の心を蝕み、楽しい気持ちを萎えさせ、悲しい辛い記憶を繰り返し再生して、その存在を認めろ、と訴えてきます。

どんどん生きづらくなり、人に本心を告げられなくなり、不良債権がどんどん大きくなるにつれて、エチルアルコールという薬物の力を借りなくては、立っていることすら困難になりました。

それが、アルコール依存症になり、うつ病を患い、いま生きている私という人間の正体です。

 

 

抑圧された怒りからの回復 ってどんなもの?

□抑圧された怒りからの回復□

怒りの適切な表現方法を学ぶことは、わたしたちの回復の大きな段階の一つです。そうすることで他の隠された感情を解放することが早まるかもしれないし、わたしたちの傷や失望を他の人にもっと早く分かってもらえるようになるかもしれないのです。わたしたちは自分に限界を定め始め、正直になり始めます。怒りをより適切なやり方で表現するようになるにつれて、わたしたちは他人の敵意だけでなく、自分の敵意とも、それまでよりは上手に付き合えるようになります。自分を表現する事で気持ち良さを味わい始めるにつれて、わたしたちの人間関係は改善され始めます。ストレスに関係した問題は減少していき、体が健康になったように感じさえします。

抑圧された怒りから回復するにつれて、わたしたちは次のようになり始めます:

○怒りを適切な仕方で表現する
○怒りの底にある気づいた感情を見定める
○自分自身に限界を置く
○内的な平和を楽しむ
○ストレスと不安を減らす

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
58Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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ACAに繋がってなくても、欲しいと言えば送ってもらえます。
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今まで、抱えた怒りを表現しても認めてくれる場所があるということを感じられなかったことが、とても不幸なことだったな、と思います。

それは私にはどうしようもないことでした。環境に対して、私は今も昔も無力です。

だから、怒りを溜め込み二進も三進も行かなくなった自分を、自己責任だと責めることはもうやめようと思うのです。

私の怒りは、ごく当たり前で正当なものだった。

否定しなくても良い、自然な感情だった。たとえそれが殺人につながるほど禍々しく大きく醜いものだったとしても、それを育てたこの数十年、私は生きるために一生懸命やってきた。

怒りの根本にあるのは、寂しさです。

私は寂しかったのだと思います。

私はそのままでいたかった。ありのまま生きていくことを、せめて両親にだけは理解して欲しかった。数人でいいから、理解し合える「友達」に「わかるよ」って言ってほしかった。

それすら叶わない自分が嫌いで、消してしまいたかった。

でも消すことも理解してもらうこともできなかった。

だから、その寂しさは怒りになり、私の中に残ったのでした。寂しさのままで蓄積したら自分が壊れてしまうから、攻撃性としてある意味人生を生きるエネルギーに変換しようとしたのかな、と思うと健気なところもあるじゃないか、と思えます。

『私の怒りを、誰よりも私自身が肯定する』ということが、私をもう一度再構築するうえで最も重要なことだと自覚しています。

私は他人が憎いです。どいつもこいつも嫌いで、いっそのことみんな死んでしまえと思っているときもあります。道に出ればだいたいイライラするし、夜は眠れないほど頭にきて叫ぶときもあります。仕事中に営業車のなかで喉から血が出るほど叫んだり、手に青アザができるほど車を打ち付けて内装が壊れたりします。メールに血の気が引くほど頭にきて、攻撃的な返信をしたりします。

そんな私を否定しない、ということはとても勇気がいります。

こんな自分はとても堪え性がなくて、DVをしそうな、社会的に見るととても危険な人間に見えるからです。

つまり「外から見ておかしいかどうか」で感じていいかどうか判別して、都合の悪い自分は見ないようにしてきたのは、他でもない自分だった、ということです。

他の誰でもない、自分自身が一番自分を否定しているから、抑圧していたのではないかしら。抑圧した怒りは無尽蔵にどんどん巨大化していったのはなかったかしら。

私は結局怒りを認めたとき、自分自身の認知の歪みにたどり着くのです。

「上述したようなイカれた人間が自分だ」と認めたくないのは私だったのであり、つまりこの私が認めさえすれば、抑圧してきた怒りは許され、抑圧する必要がなくなる、ということです。

だから、今こそ私はこの醜いどうしようもない劇しい怒りでドロドロの自分も、私という人間の一つの形なのだということを認めます。

 

まとめ:人間は醜い

そんなに、綺麗なだけではいられませんよ。みなさん。

人間はとても醜いです。

とても浅ましくて、愚かで、救いようのないカスみたいな存在です。

大好きなアニメに

落ち着け?落ち着いていた結果がこれだろうが。

疲れてる?みりゃわかんだろうが。

というセリフがありますが、まさに私は今これを仕事で感じています。

世にはびこる薄っぺらいアドバイスが如実に表している通り、所詮、他人は自分のことしか大事じゃありません。私も、私しか大事じゃない。それをうまく笑顔と嘘のオブラートに包んで隠して皆暮らしているのです。

嘘ばっかり。

私は自分にも他人にも期待しすぎていたようです。

もっと良いものであるはずだ、と。そんな淡い期待は持っているだけ無駄だということを、そろそろ認めたいと思います。

自分の限界、つまり人間の限界を認める、ということは、つまりそういう醜さを内包している『人であることの限界』を認めることなのかな、と思います。

それでも、生きていく。人間という情けない醜い生き物として、泥を啜りながら生きていく。

それは、それだけで尊く、悪ではないと確信することができたなら、私は怒りから解放されます。そうあれかし。