【依存症】ありのままの自分

ありのままの自分でいるのは楽じゃない。

そもそも、ありのままの自分がわからなくなっている人のほうが一般的だろう。

この現代社会では。

 

周りに合わせてヘラヘラしながらなんとなく過ごしているほうが、楽だと思っていた。

でも、これも結構楽じゃない。

自分の本当の気持ちを裏切って生きていると、どこかで必ずそのツケは己に返ってくる。

心身の不調をきたしたり、他人に些細なことであたってしまって、関係が悪化したり。

自分への裏切りは、必ず自分に返ってくる。そして苦しくなる。

 

どちらにしても楽じゃないと考えると、自分らしく生きるほうがマシだ。

他人と違っても、損をしても、他人に何かを言われたとしても、自分の本心に従って決めたことなら、結果がどうであれ受け入れられる。納得できる。

 

「これを言わなきゃ嫌われなかったかも」

「態度に出さなければ気を遣わせずに済んだかも」

などと思って他人の顔色をうかがいながらビクビク生きてきたが、いいことはなかった。

そうやって自分の判断や決定を他人軸で考えるとき、結果を他人のせいにしている自分がいた。

「私は本当はこうしたくなかったけど、○○さんがさせてくれないから」と誰かに責任転嫁して、自分で決断することから逃げる癖がつく。

だから、なんだか自分の人生なのに、どこか他人事になり、空虚で飢えやすくなる。

余計なものを買ったり、余計なものを摂取したり、自分を安売りして求められようとしたり、何かでその虚しさを紛らわせようとして、さらに孤独の色が濃くなる。

 

私は小さい頃から「自分そのままで生きていては社会に受け入れられない」という思い込みを続けてきた。

それは親から「周りの子みたいにおとなしく良い子でいなさい」と比較されながら育てられたことや、クラスメートから「お前は変だ」と言われていじめられてきたことに起因している。

うまく擬態して、うまく周りのように空気を読んで、異質だと認識されないように、隠れるように生きる。それが「ちゃんとした社会人」であり、賢い生き方だと思って必死に頑張った。

けれども、得られたのはアルコール依存症という病名だけで、最終的にはにっちもさっちも行かなくなった。

毎日が「消えていなくなってしまいたい」であふれていた。いつも死にたかった。

生きることは苦しいことだった。こんな苦しいこと、80年も継続するのは不可能だと思った。

 

親の接し方はまずかった。親を許す必要はないし、クラスメートにも恵まれなかったと思う。

それはそれで私の中の事実。

しかし、その不運を引きずって生きるか、受け容れて生きるか、は選べる。

もう親の扶養のうちにいるのではないし、クラスメートはもういない。

これからの生き方は、今ここからの自分が決められることだ。

今は、自分で決められる。自分で決めていい。

それを「過去にこうだったから」「親に言われたから」と放棄するのは、ありのままの自分を生きたいという本心を裏切っている。

誰のせいでもなく、自分で自分を裏切っている。誰かのせいにして、怖いから逃げているだけ。

 

私の場合はアルコールが唯一の逃げ道だった。

アルコール依存症になって、まともに出社できなくなり、問題を起こして懲戒解雇になりかけた。

親に電話してそのことを恐る恐る伝えたとき、親は「そんなふうに育てた覚えはない、そんなのは私たちの子供じゃない」と言った。

そのあたりから「自分の人生は自分で決めないとダメなんだ」と悟ったように思う。

 

この人たちが求めるように、指し示すとおりに、歩んできたつもりだった。

いい学校に行き、いい会社に行き、良い子でいようと無理をし自分を殺して生きて。

その結果、報いていたはずの親から拒絶されるのなら、私が良いと教えられてやってきた何もかもは、実はとことん間違っていたんじゃないかしら。

そう思った。

この人たちは親だけど所詮は他人だ、私の人生の責任を取ってくれるわけじゃない。

あれこれ口は出すし手も出すけど、結局望むカタチにならなかったらポイっと捨てる。

それなら、言うことを聞く必要なんてなかったんじゃないか。

口を出されても手を出されても、その邪魔をはねのけて、したいようにやればよかったんじゃないか。信じるようにやればよかったんじゃないか。

そう思った。

 

どうせ生きるなら、自分で思うように生きよう。

それで選択を間違って途中で死んだとしても、自分で決断して選んだ道なら納得できる。

むしろ、自分で選んで間違うことが重要なんだ。それが血となり肉となる。

いつでも正しく在れるわけではないこと。

いつでも正解が用意されているわけではないこと。

自分にはどうしようもないことのほうが、世の中には多いこと。

そういうことを実感してはじめて、人は本当の意味で他人を尊重し、よく見聞きすることができるようになる。

自分でやって初めて、他人がやっていることにも共感できるし、間違いを許せる。

自分らしく生きることは楽ではないが、楽しい。

他人の言いなりになって、呪縛に縛られたままで生きるより、段違いに楽しい。

どうせ楽ではないのだ。楽しいほうを選ぼう。

楽しむために生まれてきたのだ。生まれた意味などないが、せっかく生まれたのだから楽しむべきだ。人生は仕事ではない。

 

同じように生きてきた、まじめで不器用な「いい子ちゃん」に届くといい。

不良で構わない。不器用ならなお結構。人生はもっと面白くできる。あなたの手で。

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