「見返りを求める」
現代社会においてだいたいの人間関係はそんな感じだよな、と思うことがあります。
何でもギブアンドテイク。
だから、人と接するとイガイガ・イライラするんだなと思います。
心が荒むっていうかね。
「やってあげたのに」とか
「してもらったのに」とか
他人がやることは他人の自由だし
自分がしたことは自分の選択だし
別に何かを返す義務などない。
だけど、求めたり求められたりする。
そして「その程度の関係だったのか」とガッカリする。
なんで人は、他人に期待し、自分に報いることを求めるのか。
それは自分のなかの「当たり前」を押しつけているから。
他人の行動や態度が、自分の「当たり前」
つまり勝手にルールを設定して勝手にキレている。
そういうことなんだよな、と思います。
が、ついつい忘れます。
「自分が正しい」と無意識に思い込んでいるから、自分の勝手な「
だから他人にイラつき、他人に自分の当たり前をさせようとする。
それは、傲慢なことです。
相手の尊厳と権利を侵害し、境界線を踏み越えている。
だから傷つけ、傷つく。
「したことに見返りを求めるなら、
また、他人が私にその人の当たり前を押しつけてきても、私は落ち着いて毅然とした態度で要望をお断りし、その人を許したいと思う。
だって私も「もっと感謝してくれたっていいじゃん」
それも私。
私だってそうじゃん、と。
だから他人は私のように、愛嬌がある憎めないもののようにも感じる。
やったことに返してくれたら嬉しいって思うし、どうしても期待するし、なんでやってくんないのさ?!ってムカつくときもあるし、そんな素直な気持ちすべてをひっくるめて自分。
親が機能不全家庭でやってきたことに傷ついた私がいるのも、哀しい気持ちや苦しい気持ちに苛まれているのも、本心。
それらを「正しくない」とかレッテルを貼って、無かったことにしようとか、しちゃいけない。全部ちゃんと自分なんだから。全部大事なこと。
いずれ蓋をしたそれらの本心は、形を変えて必ず顔を出す。もっと歪んだ醜さを纏って。
人はそんなに強くない。だから、間違ったり傷つけたりするのも、お互い様。
そんなもんなんだから、他人だってそういうときもあるよな、と思う。
だから、自分を受け入れるためにも、他人の弱さと過ちを赦す、
それが「優しさ」なんかな、と思います。
そんなことを最近思ってます。