私は、いわゆる陰キャにばかり感情移入してきた。
祭りに行けば、他の出店がにぎわいのなかで、全然売れなくて途方に暮れている屋台のオヤジの哀しげな背中ばかり目に入って、すぐに疲れて帰りたくなる子どもだった。
「楽しさ」や「幸せ」は、どれもどこか作り物じみていて、歓迎できないものだった。良いものとされているそれらを、好きにはなれなかった。
私は、人が集まる空間に対して拭えない嫌悪感がある。
楽しそうに騒いでいるのを見ると、ぶち壊しにしたくなる。
煩くて癪に触るおどけた連中を一発殴って静かにさせたくなる。
楽しい気持ちに冷や水がかかって、一転鎮痛な顔になる瞬間を見たくなる。
「楽しそうにしてずるい」「私はこんなにも毎日楽しくないのに」
私はそう思って人々を見てきた。
あるいは、楽しそうにしている人々が必死に「楽しさ」を取り繕うのを見てると、ひどく疲れると感じてきた。
「楽しさ」に置いていかれた者たちが、うつろな瞳の色を、暗く拡がっていく己のうちの闇を悟られないよう必死に目を細めている。無理して笑うから表情筋の引き攣る、その痛みがこちらにも伝播してきそうで、眉をひそめる。やめろ、胸がズキズキする。
そもそもこんなふうに集まって楽しげにしようと無理をするから、光と影ができるんじゃないか。
皆真っ黒さを認めてただ静まり返っていれば、影は生まれない。
みんな本当は世の中真っ暗だって思っているくせに、なんでこんな無理をしようとするのだろう?
人は、楽しくないのになぜ楽しい振りをし続けなくてはならないのだろうか?
生きるのが楽しいことだなんて馬鹿げた妄想を、まだ捨てられないからだろうか?
そんなふうに世の中をいぶかしんで、陽キャたちを「物事の道理に暗い、哀れな生き物」と下に見て生きてきた。
何もかも偽物だったのは、私だった。
影だと思ってみてきたものは、私そのものだった。
私が世の中に「私」を見つけていただけだった。
本当は楽しく生きたかったのに、そうできなかった。
私が与えられた環境は「幸せ」なはずで「恵まれている」はず。
それなのに、このような暗澹たる気持ちで過ごさざるを得ない、つまらない時間の連続が、私の人生の認識だった。
それはなぜか?
本当の私で生きていないからだ。
本当の私で、受け容れてもらっていないからだ。
そこで私はようやく「寂しかった」のだと気づく。
楽しくないのに楽しい振りをしてきたのは、自分だ。
屋台のオヤジはそんなに暗い気持ちではなかったかもしれない。売れなくても、祭りに参加できるだけで楽しかったかもしれない。
もう、うんざりしていた。
それを誰にも言えなかった。親にも兄弟にも。
それは当時の私にはさらけ出す勇気が持てなかった。
だから誰とも仲間になれなかった。心が分かち合えなかった。
だからいつも誰といても私は能動的に「仲間外れ」だった。
「仲間に入れないことが悲しかった」。
このことに蓋をしてきて、悲しいことを忘れていた。
この悲しみが形を変えて、怒りや憎しみとして表出していた。
だから、人が楽しそうに集まるのを、苦々しく感じてきたのだ。
私は本当に友達というのか、続いている繋がりが全くない。幼稚園、小学校、中学校、高校、大学で知り合って、今まで付き合いが続いている人はゼロだ。同窓会なんて、やってるかどうかすら知らない。だから友達とか幼なじみとかいう感覚は正直あまり意味がわからない。地元など滅びればいいと思っている。
— ちあき🏳️A4C (@chiakiA4C) January 1, 2021
これを書きながら、そんなことを思っていた。
私は圧倒的にサボってきたと言わざるを得ない。
他の人がそのままの自分で他人と真剣な鍔迫り合いをしているのに、試合には参加せず遠巻きに見ていただけだった。
それもそれとして仕方がないとも思える。
彼らにはホームがあった。
打ちのめされて帰ってきても、存在を全肯定してくれる心の安全基地があった。
心の安全基地が確かにある安心感があるならば、真剣の立ち合いを挑む気力も生まれよう。
一方私は、刀傷を負って帰っても誰も手当てしてくれない。
彼らのようにそのままの自分を受け容れてくれるお手本の「家族」がいない。
それはまるでピットインせずに走り続けるF1のようだ。焼け焦げていくタイヤよろしく、日々摩耗する己の心との闘いだった。日々セルフサービスでタイヤ交換するだけで、精一杯だった。
機能不全家族をベースに持つということはそういうことだ。
共依存・依存症・AC(アダルトチルドレン)に向き合わずに子供をもつというのは、そういうことだ。タールのように黒くこびりついてなかなか取れない「呪い」を、赤ん坊の綺麗な体に、穢れのない心に、べっとりと塗りたくる行為だ。
だから、私の性根が腐っているわけではない。私は悪くない。私は私なりに頑張って生きた。
努力次第でどうにかなるなら、私は結構日々努力してきたほうだと思うから、どうにかなっているはずだ。なんせ小さい頃からずっと死にたい気持ちを引きずりながらも、なんとかかんとかおじさんと呼ばれる歳になるまで懸命に生きてきたのだ。結構しぶといよな、と我ながら思っている。
そして今は、このタールまみれの体と心も結構気に入っていて、人とは違うから好きになってきた。長年慣れ親しんだこの臭いのおかげで、同類をすぐに見分けることができる。
そして、私の体臭として悪くない落ち着きを与えてくれる。
塗りたくってきた両親に対する憎しみもだんだんと薄れてきて、やっと自分の一部に馴染んできたような心地がする。とはいえ苦しみの記憶は色あせず、到底許せるわけでは無いのも事実だが。
私はm我が子に意図せずタールを塗りたくって自覚がなく謝罪すらできないような両親のような親にはなりたくないし、そもそもそんな汚いものを塗りたくりたくはない。
そのままで、のびのびと失敗と成功を繰り返し経験し、すくすくと己の世界を拡げてほしい。その神聖な営みの邪魔だけはしたくない。
それに死にたい気持ちを抱えながら生きるのはしんどい。私には必要な痛みだったのかもしれないが、同じ思いをさせたいとは思わない。
私は人を憎み人をうらやみ、自分の陰ばかりを追いかけてきたのは、今、親としてそういう風に思えるように、与えられたものなのかもしれない。