月別アーカイブ: 2020年1月

【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑧(抑圧された怒り)

今回は、抑圧された怒り について棚卸ししていきます。

 

抑圧された怒り とはどんなもの?

■抑圧された怒り■

怒りは、アダルト・チルドレンの生き方の上での多くの問題の主要な源泉です。それは、認めると自分が安全でなく感じるので、わたしたちはしばしば抑圧する感情です。混沌とした家庭で自分を守るために、わたしたちは怒りを否認するか、または不適切に表現しました。どちらにせよ、自分の感情を全く押しやってしまうことによって自分を守るほうが安全でした。抑圧された怒りは重大な恨みや抑欝につながりかねないことを、そしてそれらは身体的な症状や、ストレスに関係のある病気を引き起こしかねないことを、わたしたちはそのときには気づいていませんでした。今の時点で、怒りを否認したり不適切な方法で表現したりすることは、わたしたちの人間関係で問題を引き起こします。もし怒りを表現したらとんでもないことが起きるのではないかと恐れて、わたしたちは幸福であるふりをしているかもしれません。

怒りを抑圧すると、わたしたちは次のような感情を経験するかもしれません:

●恨み
●自己憐憫
●ストレス・緊張
●不安
●抑欝
●悲しみ
●集中力を欠くこと
●身体的な不快

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
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怒りは、制御できないので感じてはいけないと思ってきた

これ全部あるんですよね。

怒りを抑圧すると、わたしたちは次のような感情を経験するかもしれません:

●恨み
●自己憐憫
●ストレス・緊張
●不安
●抑欝
●悲しみ
●集中力を欠くこと
●身体的な不快

私はとっても根に持つタイプです。自分も他人も簡単には許すことができません。幸せそうな人間すべてが憎いと感じる日もあります。

自分を持たざる者として嫌いで哀れんでいて、常にストレスや緊張がつきまとう日常を過ごし、不安や抑うつ気分でうつ病を患っています。

悲しい思い出が幾度となく頭のなかに蘇り、リフレインする悲しみを繰り返し味わいながら暮らしています。

周囲の物音や声に怯え、やるべきことに集中することができない日の方が多く、だるく重い身体を朝起こすのは至難の業ですし、長らくアルコール依存症で常に酔っ払ってたので、嘔気・悪心・振戦などの身体症状がありました。毎日ストレスでネクタイを締めると嘔吐していました。一回吐いてから出勤、がデフォでした。

まさに、絵に描いたような抑圧された怒りを抱えて不具合を起こしている、という意味で、ステレオタイプのACだと言えます。

 

なぜ怒りを抑圧したのか?

私は怒りたくない、と思ってきたように思います。

それは、怒りというのは全く制御できない、苛烈で犯罪も厭わないほどの強烈な感情で、持て余す感じがすごくあったからです。

ひとたびこの怒りをストレートに感じてしまったら、私は怒りの対象の人を殺してしまうかもしれない。

殺さないまでも、暴行を加えて犯罪者になってしまうかもしれない。

そういう恐怖がありました。

極めて冷静でいなくては、私はこの社会で生活できなくなってしまうような「社会不適合者」なのだ、と自分を認定していたと思います。

だから、人を嫌いになることが、恐怖でした。特に人に対して、怒りを向けることが怖かったのです。

だから、人と必要以上に距離を縮めることを良しとしませんでした。近づいたら、嫌いになる可能性が高くなります。それは、安全ではない、と考えていたのです。

だからどんどん人とは一定の距離を置いた関係しか築けなくなっていきました。

もしもその人を嫌いになってしまったら。

その人が地球上に存在しないことを願ってしまう。

同じ空気を共有したくないほどに、憎み恨み激しい焦燥感にかられます。胸を掻きむしりたいような不快感。もどかしくて叫びだしたくなるような、血が逆流して頭が冷たくなり背筋がゾクゾクするような感覚。

 

これらは、社会から迫害されていた幼少期に特に感じてきたと思います。

いじめっ子の主犯格を特定して報復したことがあります。

彼は足が早かったので、行動力を削ぐ必要がありました。

だから、ランドセルに大切なもの(その子の母親が作ったその子がお気に入りの給食袋)が入っていることを確認して、そのランドセルを足で叩き潰した後、池に投げ入れ、取りに行かせて、戻ってきて岸に上がろうとするところを足で何度も蹴り落とし、報復しました。

先生が来て止められてしまいましたが、私はそのとき、殺し損ねたな、と思いました。

目障りなその子をほんとうにこの世から消してしまいたかったです。残念でならず、その日は泣いたように思います。彼に報復するチャンス(命)を与えてしまった、せっかく絶好の機会だったのに、逃してしまった、と。

しかし翌日彼は怯えたような顔で私を一瞥して、その後はイジメはなくなりました。拍子抜けしましたが、面倒ごとがなくなってスッとしました。

 

 

 

私の怒りは何に対するものなのか?

本当にずっとずっと我慢していきてきました。

親から要求されることをこなすのも、日々の生活を送るのも、刑務所で服役しているような気持ちでした。

生きるのが義務だから、いい子でいるのが義務だから、そういきていかなくてはいけない。すべてが義務でした。

だから、本当は全てに「嫌だ」と言いたかったのでしょう。

でも言えなかった。

最も大きな要因は、両親から愛されるために「嫌だ」というのを諦めて、友達をつくりたい、好かれたい、という気持ちから「嫌だ」というのを諦めたからでしょう。

好かれ愛され生きていることを許されるためには、嫌だということを諦めなくてはならない、と思っていたのです。

なんというさびしい思考でしょう。

生きていくことは我慢でした。それがとんでもなくストレスで、そのストレスに対する怒りがどんどん蓄積されていったのです。

つまり、私にとって生きていくことは怒りをどんどん貯蔵していく行為であり、貯まりに溜まった「怒り」という不良債権に怯えて、存在してはならないとひた隠しにするようになりました。

自分が生きていくためには、大きすぎる怒りを認めてしまっては、とても平静ではいられないと恐れ、抑圧しました。

それは、無理がありました。

事あるごとに怒りは、私の心を蝕み、楽しい気持ちを萎えさせ、悲しい辛い記憶を繰り返し再生して、その存在を認めろ、と訴えてきます。

どんどん生きづらくなり、人に本心を告げられなくなり、不良債権がどんどん大きくなるにつれて、エチルアルコールという薬物の力を借りなくては、立っていることすら困難になりました。

それが、アルコール依存症になり、うつ病を患い、いま生きている私という人間の正体です。

 

 

抑圧された怒りからの回復 ってどんなもの?

□抑圧された怒りからの回復□

怒りの適切な表現方法を学ぶことは、わたしたちの回復の大きな段階の一つです。そうすることで他の隠された感情を解放することが早まるかもしれないし、わたしたちの傷や失望を他の人にもっと早く分かってもらえるようになるかもしれないのです。わたしたちは自分に限界を定め始め、正直になり始めます。怒りをより適切なやり方で表現するようになるにつれて、わたしたちは他人の敵意だけでなく、自分の敵意とも、それまでよりは上手に付き合えるようになります。自分を表現する事で気持ち良さを味わい始めるにつれて、わたしたちの人間関係は改善され始めます。ストレスに関係した問題は減少していき、体が健康になったように感じさえします。

抑圧された怒りから回復するにつれて、わたしたちは次のようになり始めます:

○怒りを適切な仕方で表現する
○怒りの底にある気づいた感情を見定める
○自分自身に限界を置く
○内的な平和を楽しむ
○ストレスと不安を減らす

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今まで、抱えた怒りを表現しても認めてくれる場所があるということを感じられなかったことが、とても不幸なことだったな、と思います。

それは私にはどうしようもないことでした。環境に対して、私は今も昔も無力です。

だから、怒りを溜め込み二進も三進も行かなくなった自分を、自己責任だと責めることはもうやめようと思うのです。

私の怒りは、ごく当たり前で正当なものだった。

否定しなくても良い、自然な感情だった。たとえそれが殺人につながるほど禍々しく大きく醜いものだったとしても、それを育てたこの数十年、私は生きるために一生懸命やってきた。

怒りの根本にあるのは、寂しさです。

私は寂しかったのだと思います。

私はそのままでいたかった。ありのまま生きていくことを、せめて両親にだけは理解して欲しかった。数人でいいから、理解し合える「友達」に「わかるよ」って言ってほしかった。

それすら叶わない自分が嫌いで、消してしまいたかった。

でも消すことも理解してもらうこともできなかった。

だから、その寂しさは怒りになり、私の中に残ったのでした。寂しさのままで蓄積したら自分が壊れてしまうから、攻撃性としてある意味人生を生きるエネルギーに変換しようとしたのかな、と思うと健気なところもあるじゃないか、と思えます。

『私の怒りを、誰よりも私自身が肯定する』ということが、私をもう一度再構築するうえで最も重要なことだと自覚しています。

私は他人が憎いです。どいつもこいつも嫌いで、いっそのことみんな死んでしまえと思っているときもあります。道に出ればだいたいイライラするし、夜は眠れないほど頭にきて叫ぶときもあります。仕事中に営業車のなかで喉から血が出るほど叫んだり、手に青アザができるほど車を打ち付けて内装が壊れたりします。メールに血の気が引くほど頭にきて、攻撃的な返信をしたりします。

そんな私を否定しない、ということはとても勇気がいります。

こんな自分はとても堪え性がなくて、DVをしそうな、社会的に見るととても危険な人間に見えるからです。

つまり「外から見ておかしいかどうか」で感じていいかどうか判別して、都合の悪い自分は見ないようにしてきたのは、他でもない自分だった、ということです。

他の誰でもない、自分自身が一番自分を否定しているから、抑圧していたのではないかしら。抑圧した怒りは無尽蔵にどんどん巨大化していったのはなかったかしら。

私は結局怒りを認めたとき、自分自身の認知の歪みにたどり着くのです。

「上述したようなイカれた人間が自分だ」と認めたくないのは私だったのであり、つまりこの私が認めさえすれば、抑圧してきた怒りは許され、抑圧する必要がなくなる、ということです。

だから、今こそ私はこの醜いどうしようもない劇しい怒りでドロドロの自分も、私という人間の一つの形なのだということを認めます。

 

まとめ:人間は醜い

そんなに、綺麗なだけではいられませんよ。みなさん。

人間はとても醜いです。

とても浅ましくて、愚かで、救いようのないカスみたいな存在です。

大好きなアニメに

落ち着け?落ち着いていた結果がこれだろうが。

疲れてる?みりゃわかんだろうが。

というセリフがありますが、まさに私は今これを仕事で感じています。

世にはびこる薄っぺらいアドバイスが如実に表している通り、所詮、他人は自分のことしか大事じゃありません。私も、私しか大事じゃない。それをうまく笑顔と嘘のオブラートに包んで隠して皆暮らしているのです。

嘘ばっかり。

私は自分にも他人にも期待しすぎていたようです。

もっと良いものであるはずだ、と。そんな淡い期待は持っているだけ無駄だということを、そろそろ認めたいと思います。

自分の限界、つまり人間の限界を認める、ということは、つまりそういう醜さを内包している『人であることの限界』を認めることなのかな、と思います。

それでも、生きていく。人間という情けない醜い生き物として、泥を啜りながら生きていく。

それは、それだけで尊く、悪ではないと確信することができたなら、私は怒りから解放されます。そうあれかし。

 

【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑦(孤立)

今回は、孤立 について棚卸ししていきます。

孤立とはどんなこと?

■孤立■

多くの場合わたしたちは、自分にとって快適でない状況から引きこもることで安全だと感じます。自分を孤立させることによって、私たちは、他の人が私たちの本当の姿を見ないようにします。自分は価値がない者であって、従って愛されること、注意を引くこと、受け入れてもらうことに値しない者なのだ、とわたしたちは自分自身に対して告げています。さらに、自分の感情を表現しなければ罰せられたり傷つけられたりしないのだ、とも言い聞かせています。わたしたちは危険を冒すよりも隠れることを選び、そうすることで不確実な成り行きに直面しなくて済むことを選びます。

自分を孤立させていることは、わたしたちは次のような問題を引き起こしているかもしれません:

●拒絶を恐れる
●孤独感を経験する
●自分を裁く
●負け犬のように感じる
●自己憐憫に陥る
●自分が他の人と違っているように思う

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常に感じてきた孤独感と疎外感

私は、本当の自分のことを知られると、嫌われると思い込んできたように思います。

自分がありのままの感情や気持ちを表現してぶつけてしまったら、今周りにいる人は皆呆れた顔をして、あるいはガッカリした顔をして、離れていってしまうのではないかしら、といつも恐怖していました。

だから、人と必要以上に長くいることを好みませんでした。

なぜなら、長くいればいるほど、本当の自分の気持ちを押し殺して『外側の顔』を維持することに、疲れ果ててしまうからです。

人といるよりも、独りでいることが好きです。

しかし、比較して好きというだけで、孤独が好きなわけではありません。寂しいのは好きではありません。

皆が集まるのを楽しげに過ごしているのを見るにつけ、『なぜ私は楽しめないのだろう?』と自己嫌悪に陥ります。

私だけが皆とは見えている景色が違うんじゃないか?と思うほどの感覚の違いに愕然とします。

それでもなかに入れたら入りたいし、社会生活上『馴染まなければならない』と無理してはしゃいでみたり、出かけてみたりしました。

そうやって無理をして人と会った後は、しばらく独りにならなくては平静ではいられませんでした。

それだけ、私にとって人と会う、というのは『巣穴から出てきて外敵がウヨウヨしているジャングルを練り歩く』くらい恐怖をともなう行為だと思います。

なぜ外敵だと思ったのか?

それは、本当の私は嫌われるに違いないから、嫌ったら危害を加えようとしてくるはずで、他人とはすべからく警戒すべき存在だと認識していたからです。

なぜ、そんなに「本当の自分」に自信がないのでしょうか。

 

そのままの自分を受け入れてもらえなかった哀しい経験

私は、いじめられていました。

時期は幼稚園から小学校4年生くらいまで。

私は、私らしく過ごしていたと思います。友人はいませんでした。

皆、私が何かに集中している時にちょっかいを出してきたり、私が大切にしているものを壊したり、邪魔しかしてきませんでした。

他人の存在は、酷く不愉快でした。

私が話をしても皆笑ったり呆れたり馬鹿にしたりして、信じてくれませんでした。

私も彼らのいうことを信じるのをやめました。

そんな私に、両親は「お友達と仲良くしなさい」「お友達と遊んできなさい」と哀しげな切羽詰った顔でいいます。

私は本当は「あんなやつらと一緒に居たくない!独りでいる方がずっといい!なんで仲良くしなきゃいけないの?」と叫びたかったのですが、彼らの哀しい顔をみると、そうは言えずに、憎き外敵である『お友達』に頭を下げて遊びに混ぜてもらわざるを得ませんでした。

次第に私は、こいつら『お友達』は、うまくコントロールして手なづけないと厄介だ、と思うようになりました。

表面上でもいいから、仲良く振る舞わなくてはならない。そのためには、嫌われてはならない。私はそのままでいたら『お友達』に嫌われる。それはまずい。だから、本心は見せないようにうまく隠して、「上手に生きなくてはいけない」。

こうして、私は心を一切通わさない『お友達』との距離感を獲得していきました。

しかし、それは人生を過ごすうちに見せかけのメッキとしてボロを出し始めます。

 

自分も他人も騙しきれなくなった負け犬

寂しかったです。

私は、どうしようもなく寂しくて虚しい気持ちから、逃れられないことに気づき始めました。

警戒し欺いて距離をとって他人と接して、自らの内面に引きこもって生きていくスタイルは、己の孤独感が膨張するに従い、限界を感じさせるようになりました。

仕事が始まり、未知の世界を自ら切り拓かなくてはならない重責に耐えかね、私はエチルアルコール(酒)という薬物に精神的に頼り始めます。

おそらく、健全な他人との関係を築いてきた人にとって、酒とは交流を楽しむための補助的役割でしょう。

私にとっての酒は、エチルアルコールであり、外敵に囲まれながらも笑顔を絶やさず、さも楽しく過ごしているかのように道化をやるためのドラッグでした。

楽しい交流など、ありません。

ひたすらストレスをエチルアルコールで誤魔化すうち、エチルアルコールでドーピングしないと不安になるようになりました。

酔っていない時の世界は、未来への恐怖と周りの人間への恐怖でいっぱいでした。

そこから逃げるために、どんどん量が増え、飲み方も激しくなっていったように思います。

見せかけのメッキは自らの問題飲酒により、どんどん剥がれ落ち、酒に頼ってまで守ろうとした『お友達』との関係は、酒の問題でズタズタになり、終いには本当の自分以上に蔑まれ嫌われていました。

後に残ったのは、自分も他人も騙しきれなくなった寂しい負け犬の私でした。

やっと私はそこから、「自分も他人も欺かず生きていきたい、だから酒をやめたい」と思うようになりました。

 

孤立からの回復ってどんなこと?

□孤立からの回復□

自分についてより良く感じるようになり始めるにつれて、わたしたちは以前よりは積極的に、たとえ危険を冒しても新しい人々や環境に自分をさらけ出していくようになります。わたしたちは、過去のものよりは育んでくれるような、安全な、支えてくれるような友人や人間関係を求めます。わたしたちはグループとしての行動に参加し、それを楽しむやり方を学びます。人々が、あるがままの私たちを受け入れてくれることが分かってきたとき、自分の感情を、もっと楽に表現できるようになってきます。それと同時に、自分を受け入れられるようになり、自己評価が高まってきたことの結果として、さらに快適に落ち着いて生活するという、貴重な贈物を楽しむことができるようになってきます。

自分を孤立させることがより少なくなってくるにつれて、わたしたちは次のようになっていきます:

○自分自身と他の人たちを受け入れる
○支えてくれるような人間関係を造り育てていく
○自分の情緒を表現する
○自己中心的な度合いが小さくなる
○積極的に他の人と関わる

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自助グループに参加して、本当に私は大きく変化してきました。

閉じて独りで立て籠もっていた精神の巣穴から、やっと這い出てきた私は、言いっぱなし聞きっぱなしの、心の安全が守られる場所で自分が感じてきたことをありのままに話す勇気を出しました。

何も言わずに、ただ聞いてくれる。

これが、どれほど嬉しかったことでしょう。私は心の底から、あぁずっとずっと私は私が大切だと思ってきた人たちに、こうして聞いて欲しかっただけだったのに、ときづいて泣きました。

その後は、言いにくい本心や、対立する意見を持っていることや、傷ついた事実など、以前の私には到底話すことができなかった自分の中の本物を、私は他人に差し出していく勇気を持ち始めました。

そしてその行いは、ことごとく美しい結末を見せてくれました。人と人とが言葉を交わし、心を通わせ、お互いを尊重することは、こんなに美しく、心が洗われる尊いことなのだな、と思いました。

だから、みんな、他人と関わるのがあんなに好きだったのか。

だから、みんなあんなに楽しそうに笑っていたのか。

それがはっきり実感をともなった時、わたしの中でやっと『お友達』は、憎くて恐ろしい存在ではなく、ありがたい仲間に見え方が変わりました。

 

まとめ:独りぼっちではなくなったから

わたしは今、随分と生きるのが楽になったと実感しています。

それは私が強くなったからでしょうか?それとも、本当の私が変化したからでしょうか?

どちらも正解ではありません。

本当の私を認め、愛してくれる仲間がいると分かったからだ、と私は思っています。

わたしは、自分から引きこもり、独りが一番安全だと思っていました。

また、本心さえ話さなければ、気に入られる言葉さえ話していれば、傷つけられたり責められたりしない、と思っていました。

それはしかたがなかったのだ、と私はわたしの当時の辛さを認めます。

わたしは私のそのままを話して拒絶された痛みに耐えられなかったし、幼い私が命を繋ぐためには、心の殻に篭るのは自己防衛で、生きるために必要なことでした。

その幼い私が考えた生き延びる術が、次第にうまくいかなくなり、エチルアルコールに中り様々なものを失いました。

しかし、今までの『お友達』に対するやり方が破綻している、という事実に気づくために、必要なエピソードだったと、今わたしは自分を許したいと思います。

独りぼっちでは生きていけなかった、ということを認めます。

わたしは、独りぼっちではなくなったから、今、生きていてよかったな、と思っています。

 

 

【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑥(過剰に発達した責任感)

今日は、過剰に発達した責任感 について棚卸ししていきます。

 

過剰に発達した責任感 とはどんなもの?

■過剰に発達した責任感■

機能不全家族の子どもとして、私たちは自分が親の問題であること、または親の問題を作り出していることに対して責任を感じていました。わたしたちは「見本になる子ども」になり、問題をなくそうと努力しました。私たちは親が感じ、行動する仕方、さらにはその結果に対してさえ責任があると信じ込みました。今もってわたしたちは、他の人たちの感情や必要に対して、とてつもなく過敏であり、彼らの感情を生み出すことや、彼らの必要を満たすことに当然責任があると思い込んでいます。わたしたちにとっては、自分の仕事を「完全に」やることが重要です。わたしたちは他人の生活がより容易になり、ストレスがより少なくなるように物事をやってあげようと志願します。この大げさな責任感のおかげで、わたしたちは、とても捌き切れないくらいたくさんのことを引き受けようとします。わたしたちはしばしば、結局のところ犠牲になったように、利用されたように、認めてもらえなかったように感じ、恨みがましくなります。

責任過剰であると、わたしたちは次のようであるかもしれません:

●人生を重大にとりすぎる
●融通が利かない
●完全主義者である
●他人の責任を当然自分のものと思う
●高い業績を上げることにこだわる人である
●偽りのプライドを持っている
●他人を操る

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「見本になる子ども」

私はしばしば、親が不仲だったり不機嫌であることも、自分のせいだと思っていました。

私がちゃんとしていないから。

私が満足いくような結果が出せていないから。

私が両親にとって完璧ではないから。

私が他の子より優れていないから。

だから親は不満足で、父は不倫をするし、母はいつも父の愚痴を言うし、見せかけのような「幸せ」を維持するために離婚を選ぶことすらできないのだ、と。

だから、「子供がいるから離婚できない」と私たちを言い訳をするのも、自分が不完全だからだ、と思っていました。

しかし、それは間違いでした。

父や母の気持ちの機嫌まで私は気にする必要はなかったのでした。

なぜなら、父や母の人生は、それぞれ父や母のもので、私の責任の範囲外だったのだから。

私がどんな子供で、どう生きていたとしても、私は私の人生にのみ責任があるだけで、親の人生に対する影響まで考えて、そのために自分の気持ちを押し殺したり無理に笑ったりする必要はなかったのだ、と気づいたとき、「無駄なことをさせやがって俺の人生を返せ!」という強い怒りが湧き上がりました。

しかし、そのあとはスッキリしました。

私はもうこれ以上、『他人が見て完璧である必要がなくなった』んだな、と思いました。

 

 

完璧主義で献身的な偽善者

今もってわたしたちは、他の人たちの感情や必要に対して、とてつもなく過敏であり、彼らの感情を生み出すことや、彼らの必要を満たすことに当然責任があると思い込んでいます。

わたしたちにとっては、自分の仕事を「完全に」やることが重要です。

この部分は本当に耳が痛くて、耳がちぎれ飛びそうなぐらいです。

とにかく周りの人の機嫌が悪いと、私が何かやってしまったから機嫌を損ねているのではないか?という疑念が頭から離れません。

ぐるぐる考えてしまい、不機嫌な人の近くにいるだけで疲れてしまいます。

私がその人を怒らせたわけでもないのに、何かhappyなニュースを伝えたり機嫌が良くなるような手助けをしたくなります。

相手の反応が気になるあまり、行動心理学に手を出したのがいよいよ被害妄想を悪化させました。

「今腕を組んでいるからNoなんだな」とか

「利き腕と反対の方向に視線が泳いでいるから今は嘘をついているな」とか

「頰を触ったり手を揉んだりしているから不安に感じているな」とか

「拳を手で丸め込んでいるから、顔は笑っているけど内心ムカついていて戦闘態勢だな」とか

言い出したらきりがありませんが、つまりそういう一挙手一投足に注目して、悪く取られないようにいちいち反応や対応を変えていました。

それはとても疲れることでした。

嫌われるリスクを極限まで削るのと同時に、自分のメンタルもどんどん削れていきました。

なんで私はこんなにまでなって、他人の気持ちや要求に応えようとしてしまうのだろう?

なんで私は結局逆恨みするくせに、他人に献身的であろうとするのだろう?

他人に卑屈に関わり、こちらからお願いすることはできず、消費されているような気がして滅入っては恨み言をいう割に、他人に対する気苦労を一向にやめられない。

そんな自分がとても嫌いでした。

その根本には、「見本になる子ども」になって、親の人生の責任の肩代わりをしようとした、健気な幼少期の自分がいたのでした。

父や母を思うからこそ、そういった不安定な家庭が少しでも明るくなりますように、と道化を演じていたくせが、そのまま残っていて、それは今は必要のない技術にもかかわらず、他人に対していまも発揮されていたことに気づきました。

そう、今は必要がないのです。

そして、実は昔も必要がなかったのに、親が親として機能してなかったので、そうせざるを得なかっただけ。

私は悪くなかったし、いまも悪くはなく、いま必要がないことをやめればいいだけ。

そう気づくと、え?本当にそんなことできるのかな?と半信半疑ながらも、それっていいよなーと思いますよね。

 

過剰に発達した責任感 からの回復とはどんなもの?

□過剰に発達した責任感からの回復□

わたしたちは他人の行為や感情に責任はない、という事実を受け容れると、自分自身に目を向けざるを得なくなります。他の人の生き方をコントロールしないこと、人は自分に対して責任があることをわたしたちは理解します。自分の考え方、感情、行為に責任を持つようになると、余計な責任を引き受けがちな私たちの性向ではなくて、ハイヤー・パワー(回復の力)こそが、わたしたちの導きの源泉であることに気づくようになります。このようにわたしたちは、まず第一に自分を支え養う時間とエネルギーを取り、その後に他の人に適切に与えるようになります。

余計な責任取りを止めるにつれて、わたしたちは次のようになり始めます:

〇自分を気遣う
〇仕事と余暇を楽しむ
〇自分の限界(弱さ)を受け容れる
〇責任を委譲する

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76Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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あらゆることは、それぞれの主体性により具現化しています。

親は親の決断で人生を形作っているし、他人も生きたいように生き、死にたいように死ぬ。

そこに私は私らしく人生を生きている限り、全く責任がありません。

まず第一に自分を支え養う時間とエネルギーを取るべきなのです。その後に他の人に適切に与えるようにすればいいのです。

最も大切な自分のために、きちんとリソースを割り振ることが実は自然で、それこそが最も他人に対して責任ある行動だったのだ、と気づきます。

 

今こそ、人生を取り返せ

私はずっと気づかないふりをしてきました。

『偽りのプライドを持っている』とは、つまりそういうことです。

私の「他人のために動ける徳が高い心優しい人だ」というプライドは、偽りです。

それは本当の私ではありません。

『他人に目を向けているうちは自分の問題を見なくて済む』という都合の良さを、他ならぬ自分のために利用していた、臆病な人が、私という人です。

自分が被害者のように思っていれば、居心地よく自分の問題に取り組まず先送りにできるから。

『完璧を強要されている風を装いながら周囲の機嫌をとることを無意識とはいえ積極的に選択していた』という事実を認めるのは都合が悪かったから。

 

ごめんなさい。私は自分で選んで、そうしてきたことを、ここに認めざるを得ません。

やりたくないと言いながら、やろうとしたのは、私の恐怖をみたくなかったからです。

自分の人生に向き合うのが怖くてたまらなかった。

なぜなら、それは今まで親のものだったから。自分の手で運用できたことがなかったから、自信がない。全部親が代わりにやろうとして取り上げてしまったから、経験もない。

うまくやれるわけがない!と思います。

しかし、それは私のせいではない、しかたがないことです。

機能不全家族のなかで一生懸命に生きようとして、私は他人に気を遣い、過度に責任を負わざるを得なかったのだから、身についたその過度な責任感のおかげで、今まで命を繋いできたことに感謝して、ついに私は手放します。

私が責任を持つのは、私の人生だけでいい。

そう生きるならば、私は私を最も重要だと考えていいし、自分が悪いから皆が悪くなる、というような呪いをもう信じなくていいのです。

それはとても楽です。心が軽いです。

私以外の人も同様です。

その人がしたいように、今を生きて、将来を決めていくのだから、どう取るか、どう思うかは、完全に私の範疇を離れています。変えられないものです。私にはそれに影響を及ぼす力はありません。あっても、少し背中を押す程度のものです。

他人や状況に対して、私は圧倒的に無力であることを受け入れます。他人に対して感じ方や機嫌をコントロールしようなんていうことは、土台不可能なことで、私の能力の範囲外だったのだ、ともうこの際、あっさり認めてしまいましょう。

そう考えると、とても自由だと思いませんか?

あれこれ考える必要はもうないのです。

だって、自分のこと、それひとつだけで良いのだから!

私が何をしても、どこにいっても、誰といても、私が生きたいように生きてよく、それがどう影響するかは他人の問題なのです。

つまり、私は私が自由に思い描く通りに、生きていていい、ということです。

私は今まで本当に楽しくなかったです。それは、人生を他人(親)に奪われていたからです。

今こそ、奪われていたハンドルを奪い返しましょう。

取り返して、自分でハンドルを握りましょう。

私は、外部のあらゆる状況に無力でありながら、自分が生きたい自分である限り、無限で自由自在なのです。

【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑤(コントロール)

今回は、コントロールについて棚卸ししていきます。

 

コントロールとはどんなこと?

■コントロール■

子どもの頃わたしたちは犠牲者でした。自分の環境や起こってくる出来事を、殆どあるいは全くコントロールできませんでした。その結果、成人に達したわたしたちは、安全さと予測可能性を異常なほどに必要とするようになって、ついには他人のと同様に自分の感情と行動をもコントロールするようになりました。わたしたちの恐れは固さを生み出し、自発的になることを妨げます。何かの課題をやり遂げるとき、あるいは何かの事態を取り扱うとき、私たちは自分しか信用しません。わたしたちは、他人が自分たちを承認するように操縦し、人々や状況を厳しいコントロールの下に置いて、初めて安心できるのです。わたしたちは、管理する立場を捨てると、自分の生き方が滅茶苦茶になってしまうのではないかと恐れ、また自分の権威が脅かされた時ストレスを感じ、不安になります。

わたしたちの、コントロール下にあることの必要・欲求は、結果として、次のようなことを生み出しているかもしれません:

●変化に対して過剰に反応する
●他人が信用できない
●失敗を恐れる
●人を裁く傾向があり、硬直している
●寛容ではない
●他人を操る

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
63Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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他人が信用できない

これが特に突き刺さります。

私は他人が信用できません。

弱みを見せたら騙されるのではないか?

今はいい顔をしているが、私が失敗してメリットを生み出せなくなったら容易にはなれてく薄い関係なのではないか?

そう思うと、本当に困っていることほど相談なんてできないし、常に役に立たなければ捨てられるという恐怖があります。

だから、相手に嫌われていないかどうか細心の注意を払い、嫌われる可能性のある選択肢を極力排除し、自分がよく見えているように常に他人の評価をコントロールしようとしていたと思います。

それが、常に他人の前で気を緩められない悪循環を生み、さらに他人との距離を開かせます。このように、真の信頼関係とは程遠い関係しか構築できないゆえんは、自分自身のコントロールしようとする心だったのだと思います。

 

自分の気持ちに蓋をした

他人だけではない、と書いてあるところが実に示唆に富んでいて、私は確かに感じ方をコントロールしようとしてきました。

別の構成要素である『凍りついた感情』にも関連すると思いますが、『感じてもいい』と思う感情や社会的に正しいと確信できる感情しか自分に許さなくなって、私は私が感じていることがわからなくなったのだ、と実感しています。

たとえば、『結婚しているのに他の異性を魅力的だと思ってはいけない』とか『仕事をしなくては生きていけないのだから、仕事をしたくないということは感じてはいけない』とか『育ててもらった恩があるのだから、親を大切にしなければいけない、嫌いになってはいけないし敬わなくてはならない』という風なことです。

賛否両論あると思いますが私は、結婚していても他の異性を魅力的に感じることはあるし、仕事がしたくなくて1日放心状態になるときもあるし、親なんて早くいなくなれと思っています。

常識的に、そして倫理的に見れば、もしかするとこれらは非常識だ、甘えだ、間違っている、と糾弾され裁かれることなのかもしれません。

でも、実際に湧き上がってきた感情や気持ちは、そのまま受け取っていいもののはずです。だって、そう感じている自分は確かにいるのだから。

それを歪めてなかったことにして蓋をすると、感情や気持ちは腐臭を放ちながら別の形で体現されます。

それが、『他人に対する異常な厳しさ』です。

 

とにかく自分にも他人にも厳しかった自分

●人を裁く傾向があり、硬直している
●寛容ではない

という項目がありますが、まさにその通りです。自分の気持ちを封じ込める代償に、他人にもそれを求めたのです。

『自分がこんなに我慢しているのに、お前がそれを許されるなんて不公平を、俺は絶対に許さない』という、青く揺れる炎のような憎しみを燃やしながら、目を血走らせて間違いを見つければ「ほらやはり正しくない」と相手をジャッジしていました。

間違っていることが許せず、徹底的に糾弾して、周囲を萎縮させ、自分自身も間違いができないようになって、どんどん気苦しくなっていきました。

自分の本当の気持ちが見えていないから、正しさが唯一の物差しになっていたんですね。

出発点は自分が自分の感情をないがしろにしたこと。それを他人にまで強要するなんて、嫌なやつだったなぁ、と呆れます。

私は他人が人生を謳歌しているのがとにかく憎くてたまりませんでした。

楽しそうにしている姿も、前向きに頑張る姿も、私がしてはいけない(と思い込んでいる)からできないことを、反則で自由にやっている、と思うと気が狂いそうなほど嫌いでした。全部燃え尽きて滅びればいい、目の前から消え失せてほしい、とすら思っていました。

今思えば、自分らしく振る舞い楽しそうに生きている姿が、羨ましかったのです。自分の感情のままに、生きていきたいと本当は思っていたから。

なぜそれができなかったのか?

それはやっぱり両親との不健全な関係からだったように思います。

 

何も決めさせてもらえなかった

私は小さい頃、自分では何も決めさせてもらえなかったように思います。

習い事も、行く学校も、目標とする将来ですら、自分で思い描くことを諦めるほど、両親から無言の圧力を感じていました。

どうせこの人達がむかってほしい方向にレールが敷かれて私はその通りに進まなくてはならなくなるのだから、考えたって無駄だ、いう通りにだけしていよう、と思っていました。

だから、何の喜びもありませんでした。

全ては義務でした。

子どもの頃わたしたちは犠牲者でした。自分の環境や起こってくる出来事を、殆どあるいは全くコントロールできませんでした。

上記の内容にある通り、それは「コントロール」だったと思います。

こうしなくてはならない、あれをしてはならない、なぜならそれが正しいことだから。

呪いのように正しさだけが私の周りを占拠して、世界がどんどん高くなる壁に覆い尽くされて見えなくなるような感覚。

足元の靴やそれより下にいる人だけを見ていれば、見えていたはずの空を思わなくて済むので、私は見上げるのをやめたのでした。

自分が行きたい方向なんてない。ここで言われた通りに生きるしかない。だから、下に人がいないと「これでいいんだ」と思えないし、不安になるのです。

だから、人より優れていようと必死になり、わかりやすい偏差値やランキングにこだわり、持っているもので必死に他人をジャッジして安心しようとしました。

それは、本当にその人そのものを見ていない、見ようともしない、失礼で浅ましい思考だったと思います。

安全さと予測可能性を異常なほどに必要とするようになって、社会的評価が高く、経済的に安定した何者かになろう、またはそういった組織の一員になろうとしました。

それが今ある程度叶っているのに、なぜこんなにも不満足なのか?

それは、本当に求めていることではないからです。

コントロールされたことにより、コントロールしようとして、安全さや予測可能性を異常に欲した結果、今の場所にたどり着いたものの、本当にしたいことや本当に好きなことや、本当に得意なこととは違う場所にたどり着いているから、こんなに違和感があるのだと思います。

たしかにこれで正しいのだろう。そう納得できるし、そう生きてきて間違いはないはず。

なのになぜかイライラするし、毎日憂鬱で、なぜか悲しく虚しい気持ちになるのです。

正しさがほしかったのではないのでしょう。

では、何が欲しかったのか?あるいは欲しいのか?

それは、『楽しむ』ということではないかと最近思うのです。

コントロールからの回復とはどんなこと?

□コントロールからの回復□

自分が安全であると感じ、安心するために、人々や物事をコントロールしようとしてきたやり方に、私たちはもっと良く気がつくようになります。わたしたちの努力は無益だったこと -わたしたちのコントロールにもかかわらず、他人はその人のやり方で物事をやっていき、状況はそれ自身の成り行きを持っていること- が分かります。ハイヤー・パワー(回復の力)を自分の安全の源泉として受け入れ始めるとき、私たちの必要を満たすための、最も有効なやり方を発見します。わたしたちが降伏して、意志といのちをハイヤー・パワー(回復の力)の配慮に委ね始めると、ストレスや不安を経験する度合いは小さくなります。自分の安全にばかり気を取られることなしに、いろいろな活動に参加することが、前より良くできるようになります。平和の祈りを口に出してみることは、コントロールに対する欲求・必要がまた起こっていることに気がついた時なら、いつでも役に立ちます。

コントロールを捨てるようになるにつれて、わたしたちは次のようになり始めます:

〇変化を受け容れる
〇自分を信じる
〇他の人に権限を与える
〇ストレスが減る
〇楽しむ方法を見つける
〇他の人たちをそのまま受け入れる

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
64Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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何も楽しくなかったのはコントロールしようとしたから

私が今一度認識し直さなくてはいけないのは、両親がそうしようとして無駄であったように、物事や、特に他人などは『コントロールできないものなのだ』ということです。

それぞれがそれぞれの行きたい方向があり、実現したい未来がある。それが叶うか叶わないかによらず、それを目指す自由があるし、失敗する権利がある。

そもそも、出発点はそうであるはずでした。

しかし私は両親に邪魔されました。いろいろな失敗する権利を奪われて、目指す自由を見失いました。

結構、楽しくなかったと思います。ワクワク心踊る!みたいな人生ではありませんでした。それは、自分の人生ではなかったから。

今は、経済的にも自立しました。年齢も成人と認められる歳になりました。今もなお親からの呪いを引き継ぐ必要はなくなりました。

私は、私がコントロールしようとしてきたことを手放します。

自分のこと、他人のこと、そして、常に正しくあること。

人は、常に正しくあることなんてできないのだから。

こうではないかな?と思ってやってみて、そうでなかった、なんてことは日常茶飯事です。

失敗の経験を積み重ねることで、私たちは成功の確率を上げてきました。それが正しさと言われるものです。

つまり、正しさこそ失敗から生まれたものであり、自分がきちんと正しくあろうとするなら、むしろ失敗を知らなければならない。生身で本気の失敗をしていない人が、真に正しいことを肌感覚で知りようがなく、知識として知っていてもその人の正しさは本物とは言えない、と思うのです。

そして、だからこそ、『正しい』なんてことは常に変化していてとらえどころがなく、陽炎のような存在であって、他の人の正しさに囚われて、右往左往したり、あるがままに感じることをやめてしまった途端、私たちは健全ではなくなってしまうのでしょう。

正しさも人生も、フル・オーダーメイドです。

それぞれがオーダーメイドの人生を楽しむために生まれてきました。

だから、比べる必要がない。羨む必要もない。妬む必要もない。見下したり蔑んだりジャッジしたりする必要もない。

どれひとつとして同じではないからです。

なるようになっていきます。状況はそれ自身の成り行きを持っていて、私がヤキモキしなくても勝手にあるべき姿に収束していくと信じることができます。

だから、私は、私が何をしたいか、何をして楽しみたいか、に全身全霊をかけていいと、全てを手放して、自分に許可を出してもいいのです。

正しくなくてもいい、社会的に価値がなくてもいい。私たち一人ひとりの自分らしさとは、常に自分だけのオーダーで形作られる「オーダーメイド」だからこそ、それだけで価値があります。

だからみんな、好きなように、生きていいんだよ。

誰に何を言われるかなんて気にしなくていい。みんな外野で脇役。親ですら登場人物のなかのひとりでしかない。

主人公は私たち自身。自由にオーダーが出せるそれぞれの世界の主役は、自分自身以外にいない。

自分の夢は、自分にしか見つけられないし、自分にしか叶えられない。

私は、コントロールされてきた私の人生を、今度こそ取り戻そうと思います。

そして、精一杯楽しんで胸を張って死んでやるぞ!とワクワクした気持ちでいます。

 

【依存症】断酒しててもやっぱつまんないなと思う話

なんか、どいつもこいつもイラっとする。

誰も彼もがわかったようなことを言ったり、私を内心非難したり馬鹿にしたりしているように感じる。

何かを一生懸命話していて、相手に反応されてもされなくても、マイナスに受け取られている気持ちになり不安と苛立ちを感じる自分がいる。

誰にも必要とされておらず、なんの影響力もなく、生きていても死んでいても大した差などない些末な存在だと思うと、このまま煙のように消えてなくなりたいと思う。

 

断酒して2年半経ったにも関わらず、いったいこの希死念慮といい自己肯定感の低さといい、何が変わったというのか。

飲んでないこと以外に私の世界はあまり変わったように感じない。

 

私は、生きていく自信を今失っているのだろう。

失うほどの自信など持ち合わせてなかったはずだが、いったいどうしてこれほど疑心暗鬼になっているのだろうか。

 

 

まず一つには、疲労だ。

私は人が大勢いる場所に行くと疲れる。

そうした機会が最近は特にたくさんあった。

私には結局そういうのは向いていない。

仕事は最近忙しくなった。

担当エリアが拡がり、期待されている疾患領域だからと上からの圧力や干渉が増えた。

成功させなくてはいけないというプレッシャーを感じながら精一杯やってきたが、意味のない指示が多すぎて辟易している。

成功させるためにやりたいと思っていることに集中させてもらえない。その苛立ちから、うつ状態が悪化している。

 

 

もう一つは、気付いてしまったからだ。

自分の本当の気持ちを抑えなくてもいいことに。

ありのまま感じていいということに。

私は今まで、正しいことしかしてはいけないし、倫理的に間違った感情を持つこと自体が罪だと思っていた。

なぜなら、教師だった両親はいつも正しく、私は正論に叩き潰されていたからか、ある種諦めていたからだ。

私が何か一生懸命感じたり考えたりしたって、どうせ正しい何かが、絶対的に君臨していて否定される、と思ってきた。

だから、感じたり考えたりして発言することは無意味で、正解を探して、ただ当てはめて生きていけばいいんだと思っていた節がある。

社会人になって、地頭力がどうとか言われ出したときはひどく困惑した。

自分で考えるって言っても、「常識」や「普通」というなんらかの正解があるんじゃないのか?

正解はないって、設問が間違っているからそんなことが起こるんだろう、と。

しかし、実際は世の中には正解などなく、「常識」や「普通」をはじめとする「正論」はこの上なく薄っぺらい概念で、実はただの陽炎だった。私は自分が感じるように感じて良かったのに、勝手に諦めていただけだった。

両親がひたすら水戸黄門の印籠のように振りかざしていた「正論」の正体を知った。

正しいことしか許容しない家庭=私の家庭がしていたのは、愛情という隠れ蓑を用いた真綿で首を絞めるような虐待だったと知った。

暴力や暴言ではなかっただけで、見えない虐待だったとは知らなかった。

ある意味、支えにしていたものたちは、その本性を顕すと、ものの見事に砕け散った。

 

私は心底、頭にきているのだろう。

 

今まで信じてきたルールが偽物だった、その偽のルールを強いてきた両親への怒り。

納得いかないがルールなら、と従ってきた自分の愚かさへの怒り。

未だにそのような馬鹿げたルールを重視する世界への怒り。

やりたくないことをやらないでよかったのに、無理してやらざるを得なかったことへの誰に対してなのかわからない怒り。

 

今まで無為に過ごした30数年の人生全てに、私は頭にきている。

なぜか?

 

それは、認めたくないからだ。

自分の無力さを、愚かさを、至らなさを。

愚かな両親に翻弄されて無駄にした時間を。

 

しかし、私は無力だったし、今も無力だ。

それは、しかたがない。当たり前のことだ。

 

私は当時子どもで親しか見本になる人間がいなかったし、他の家庭とは隔絶された共依存家族の檻の中から、いくら他人を見ても客観的には見られなかったので、ヒントを得がたかった。

今も、無力な出来損ないの人間だ。

一生治らないアルコール依存症という病を患い、今でも人が好きにはなれそうにない。

意味のないことはとりあえずやるなんてできないから、損ばかりして煙たがられている。

何か特別なことができるわけでもなく、文章を書けばご覧の通り大したことは書けないし文才を磨いてきたわけでもないから、たくさんの人に何かを届けられるわけでもない。

お世辞にも頭が良いとは言えない。回転は鈍いし記憶力は良いとは思えない。

こんな粗大ゴミのような生肉と血と糞の塊として、まだまだ生きていかなくてはならないのか、という鉛のような疲労感が、見聞きする全てを色褪せさせていて、いちいち癪に触る。

 

恨み言を言ってもしかたがない。

私以外の個体も、欠けた部分がある出来損ないなのには変わりはない。

それなのに楽しくないのは、私の感じる感覚や捉え方の問題だ。

私は、私以外を変えられないし、私以外に問題はない。

 

糞のような世界だと感じているなら、感じ方を変えるしか、道はない。

あるいは、感じること自体を終わらせるしかない。

ふたつにひとつ。

 

感じ方を変えるために、そのまま感じて歪みなく自分の感情を捉えられるように、AC(アダルトチルドレン )の12ステップに沿って棚卸しをしていく。

それに取り組みながら、同時に深い深い洞を覗き込み、その暗く陰鬱な空気にうんざりしてきている。

今率直に感じているのは、人に接するのは疲れるからやはり好きじゃないということと、生きるのはやはり、とても大変なわりには、とてもつまらないということ。

私は感じていいと思って感じてみたら、存外につまらない人間で、やっぱりどっちかって言えばあまり生きていたくないのかな、とがっかりしている。

感じてもよかった感情を感じているはずなのに、やっぱシラフの世界なんてこんなもんで、阿鼻叫喚の地獄から賽の河原に来たくらいにしか変わりなく、やはり疲れる。

酒は飲まない。

しかし、酩酊状態の頭のなかより世界がキラキラしているとは思えない。

 

蓋を開けて「やっぱり何もありませんでした。」になるのが怖いし認めたくないのだろう。

棚卸しをして、ひどくつまらない生きるに値しないような自分が出てきたとき私は絶望するから、それが怖いのだ。

しかし、見に行くしかない。

疲れをとったら、覗き込みに行こう。

そんならいっそ消えちゃえば?というのはそれを覗き込んでからでも、遅くはない。

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【AC】無理して親孝行なんてしなくていい、という話

親孝行なんてしなくていい。

こんなことを言うと必ずといっていいほど

「育ててもらった恩を忘れてなんて薄情なんだ?!」とか

「そういって親孝行しないと、親が死んでから後悔するんだよ」とか

もっともらしいことを言って否定される。そんな経験はないだろうか。私はある。腐るほど。

しかし、真実は「無理してやるくらいなら親孝行なんてしなくていい」なのだ。

 

親になり子育てをするのは、たしかに大変

私には1歳になる娘がいる。

親になってみて想うことは、私の親も大変だったのだろう、ということだ。

予測不可能な動きをするし、ちょっと目を離したすきにすぐどこかに行ってしまう。

夜は3時間おきに起きて泣きわめくが、なんで泣いているのかはすぐにはわからない。

仕事をしてヘトヘトになって帰ってきて、今まで独りで世話をしていた妻に代わって面倒をみたりしていたら、あっという間に1年経っていた、というのが素直な実感だ。

 

私はASDとADHDという発達障害を持っている。

簡単に言えば、集団行動が嫌いで、他の子と遊ぶのが好きでなくて、変な遊びをずっとやっているような子だったと思う。興味のないことにはとことん興味がなく、忘れ物は多く衝動的にどこかに行ってしまうようなタイプで、泣いているときは夜通しぶっ続けで泣いていたこともあったという。

そんな私を育てるのは、根気のいる、とても神経が磨り減る仕事だったに違いない。

事実、私の母親は周囲に馴染めずうまくいかない我が子(私)のことを、いつも眉間にしわを寄せて悲しそうな目で視ることが多かった。ため息をついて、いつもしんどそうにしていた。

私は、私が自分らしく私のままでいると、この女の人を悲しませることになるのだな、といつも思っていた。

そんな風に、私の実家はいつも灰色の空気が流れているイメージで、それだけ私という子供を育てることは両親にとってストレスフルだったということはよく理解している。

 

それでも子供は恩を売られる筋合いはない

それでも、子供がこどもであることに、罪はない。

泣きわめき、泥んこになって遊びまわり、結構なケガをして痛みを知るのも、成長するうえではどうしても必要だ。

彼ら彼女らにとっての『仕事』は、元気に失敗しまくって自分らしく生きることだ。

そもそも、生まれてきたのは両親のおかげ、というが、両親が勝手につくったのだ。

父と母、セックスがしたいからしたのか、あるいは子供が欲しいからセックスしたのか、いずれにしても主体的に父と母がセックスすることを選んだからこそ、卵子と精子が受精し私がいる。

それで負荷がかかる責任は、父と母にある。

私は生まれる時点で、「人間として生きてみたいので、生まれた暁にはどうぞ世話してください何卒よろしくお願いします。この世に産まれて楽しく生きてみたいんです。」なんて要望は出した覚えがないし、現時点でどっちかっていうとそんなに生まれたくもなかったな、と思っているので、逆に言えば勝手に生みやがって本当にいい迷惑である。

それを勝手に「育ててもらった恩を忘れて」と言われても困る。

それでは、要りもしないのに押し売りしておいて、多額の請求書をまわしてくるどこかの悪徳セールスと変わりないではないか。勝手に生んでおいて何をこっちに責任を押し付けようとしているんだ、ふざけるな、と言いたい。

そんなこと言うなら、私に対する「生ませてもらった恩」を忘れていませんか?と言いたい。

さんざん愛玩動物のようにあれやこれやと自分の人生の飾りのように好き勝手しておいて、自分が弱ってきたら恩を返せだなんて、自分たち専用の扱いやすい奴隷でも育てたつもりなのだろうか。いい加減にしてほしい。

つまり、育ててもらった恩=生ませてもらった恩なのであり、事実上相殺されるため、子供は育ててもらった恩を返す必要はない。

 

自分の面倒を自分でみる気がない人はまともな親ではない

よく、老後は娘にみてもらおうとか、長男家族の世話になろうとか、それで介護うつに悩まされたりノイローゼになったり、認知症になった義母を虐待してしまったり、死に至らしめてしまうということもニュースに取り沙汰されている。

人間は、結局は独りである。

どれだけ理解しあえると思っていても、自分と全く同じで、自分の肩代わりをしてくれる、ということはない。

助け合い、つながりあい、お互いに支えあうことはできても、結局は自分の力で生き抜くしかない。その根本がないと、助け合いやつながりのつもりがいつの間にか、健全ではない依存関係になってしまう。共依存やイネイブリングが、まさにそれである。

助け合いもつながりを持つのも、お互いに心理的に自立し自由に選択できている状態で「やりたい」と思うからするものではないか。

「やるべきものだから」「必要とされているから」という外的要因で、着手することではないのではないか。それはいずれ破綻する。なぜなら、本心では「やりたくない」ことかもしれないのに、無理にやることになるからだ。

 

そんなわけで、育てた見返りに子供に介護をしてもらおうなど親側が期待することは、言語道断だと思う。

親からしたら、それはそれはありがたいだろうと思う。頑張って育てた子供が、最後まで面倒を見てくれて、「お父さん、お母さん、ありがとう」と言われて手を握られながら生涯をとじる、なんとも吐き気のするくらい甘ったるい、都合のいい最後ではないか。

それは親からみた子供の理想像であり、それが世間の「常識」として君臨しているからタチが悪い。

「常識」はいつも大人の立場で語られる。だから子供の気持ちは盛り込まれていない。

そんな親側の常識を押し付けられて、納得いかないままに皆がそうしているからと従い、歪んだ軋轢を代々引き継いているのが、日本の伝統的な「家」という制度である。

 

親は、「子どもの幸せ」が望みではなかったのか。

「子どもの幸せ」は、子ども自身にしか決められない。

子どもが自由に幸せを見つけられるように、独り立ちしたら、それまでの自分の教育を信じて、できるだけ干渉せず、意志決定の邪魔にならないように、自分のことは自分でするのが、最も親として徹底するべきことなのではないだろうか。

 

「自分のことは自分でできるから、あんたたちにはもうあんたたちの生活があるんだから、私なんかにいつまでも構ってないで楽しく生きてちょうだい」

こう、本心から言う親になりたい。

それは死の心細さはあるかもしれない。生涯をとじる前に自由にならなくなった体や頭に不安を覚えて、誰か親しみを覚えている人にそばにいてほしくなるかもしれない。

そうなったとき、思い浮かぶのが娘や息子だけのような、脆弱な人間関係のつながりや助け合いでは、やはり健全ではないのだ。

父母と言えど、結婚したら子どもは別の家庭を創るのであり、子供だった頃とは違い、「元・家族」と言っても過言ではない。

つまり「他の家にお世話になる」という意味では、近所を頼るのと何ら変わりない。それぐらいの遠慮があってしかるべきである。

それなのに、子供だから、育てた恩を着せているから、親孝行はするものだから、と「やるのが当たり前」と思っているほうこそ間違っているのだ。

「親孝行」という世間的に響きの良い言葉でごまかして、やってもらうのが当たり前と勘違いするだけでは飽きたらず「あんたたちもこれだけお世話になった大好きなパパやママのお世話やりたいでしょう?」と言わんばかりに居直っているその厚顔無恥な態度が、いよいよ気に食わないのである。

いくら一時期とても世話になっていても、基本的に年老いた老人のお世話がしたいわけがない。

 

まとめ:私は親孝行はやらないし、子供にも要求しない

私は、やりたくない。

だからやらなくていいと思っている。

むしろ、「普通の素敵な家族」というオママゴトに付き合わせるために勝手に配役してこの世に産まれさせられて、どれだけ苦しかったことだろう。その負担分で育ててもらった恩を超過しているので、差額を請求したいぐらいである。

あくまで子供は望んでもいなかったのに、親が勝手に生んで勝手に育てたのだ。恩があったとしても、子供のほうも育つうえで苦しかったのだということを勘案するべきだ。

 

親孝行をしない、というだけで済ませてもらえて、むしろ感謝してもらいたいくらいだ。

親孝行は「この両親にならしたいな」と子供が思うからする、ラッキーボーナスみたいなものだ。勘違いされては困る。そもそも、無くて当然なのだ。

だから私はパートナーとこの生きづらい世の中を生き抜くために、一生懸命、自分の人生を生きるつもりだ。

私のその後ろ姿が楽しそうなら、子供は生まれてきたことを希望に思うだろうし、勝手に楽しいことを見つけていくだろう。その背中をそっと押してあげることぐらいだ、親にできる事は。

まずは、自分が主人公の、自分の人生を、ちゃんと生きるのが先です。

 

 

【発達障害】ASD・ADHDに会議が向いてない理由

こんにちは、ちあき です。

私はADHD合併の自閉症スペクトラム(ASD)です。

うつで低下した集中力や注意力に効果があるから働く人に良い、と先生が言っていた最新の抗うつ薬トリンテリックスを飲みながらなんとか働いていますが、日々発達障害の側面で辛さを抱えています。

 

会議が苦手なわたし

会議がとても嫌いです。

まず意味があまりないのがイヤ。

みんなで集まってアジェンダに沿って話をしますが、だいたい結論は決まっています。

なら、わざわざ集まる意味はないじゃないか?と虚しい気持ちになります。

意見を述べたとしても、大枠で決まった結論から逸れるような意見は却下されます。

それが論理的に正しい話だったとしても。

まるで『空気を読む』という忖度のスキルを競うために集まったかのようです。

 

そして、ずっと座って人の話を何時間も聞いているのが苦手です。

イライラしてきます。貧乏揺すりをしたり、上半身がゆらゆらしたりします。

話にはなかなか集中するのが難しくなります。

やるべきことを伝えるだけなら5分で済むような話を、長々と30分以上話す輩が多すぎます。

 

人との距離が近いのも苦痛です。

人にはパーソナルスペース(他人に近付かれると不快に感じる空間)がありますが、隣に人が座っていると、それを常に侵害されているような感じがします。

逃げ場のない会議室で常に他人が隣にいる、前後左右にいる、という状態は限りなくストレスフルです。

特に後ろに立たれるとツラい。

自分が感知できない近い距離に他人がいて、しかも動向をあちらには把握されているのですから、正気でいる方が無理です。

 

関係する発達障害の特性

ADHDの多動性・衝動性が当てはまります。

多動性

そわそわと手足を動かす

子どもでは机や椅子をがたがた動かしたり、何かを常に触ったりしてしまいます。大人では体を小刻みに揺らしたり、貧乏ゆすりをしたりしてしまいます。

じっと座っていられない

子どもでは日々の宿題や長期休暇の課題、大人では重要な書類などを期限内に仕上げることができず、「育ちが悪い」「仕事ができない」などのレッテルを貼られてしまうことがあります。

 

衝動性

しゃべりすぎることが多い

思ったことをすぐに口にしてしまったり、相手が話の途中であるのに話始めてしまったりしてしまいます。

衝動買いが多い

欲しいと思ったものは後先考えず思いのまま買ってしまうなど、自身の欲求をコントロールできなくなります。

すぐにイライラする

自分の思い通りにならなかったり、欲求が満たされなかったりするとすぐにイライラしてしまい大声を出したり、モノにあたったりしてしまいます。

出所:注意欠陥・多動性障害(ADHD) | 医療法人東横会 心療内科 精神科 たわらクリニック

 

上記は主に児童期に関する描写です。

大人になるにしたがい、周囲の親や教師から、

「大人しくいい子にしてなさい」

「ちゃんと社会人として規範を守りなさい」

「イライラしたりしないで自制しなさい」

と理性でなんとか押さえつけるようになります。

なんとか平静を装っていたとしても、元々は上記のように抑制が効きにくい性質にもかかわらず尋常じゃない努力で押さえつけていますので、ストレスはどんどん溜まります。

特に脳の部分として特性上ストレスがかかりやすい前頭前野は、どんどん疲弊していきます。

意欲ややる気に関わる前頭前野が疲弊するわけなので、休めたいとBZP系薬剤やエチルアルコールに嗜好性を示す、つまり依存症になりやすいのはうなづけます。(私はアルコール依存症です。)

さらに前頭前野でドパミンが低下すれば、抑うつ気分になり、それが続けばうつ状態にもなりやすくなります。

生理学的にはこのような状態です。

かなりハードな状態で会議に出席していることがご理解いただけるでしょうか。

 

 自己肯定感の低さによるストレス

他人を警戒するのは、自己肯定感が低く、他人が危害を加える存在なのではないか、と恐怖しているからだと考えられます。

つまり、評価を気にしているから他人が怖いのです。

ADHD・ASDの特性から、集団に馴染めず、何か失敗をすれば、すぐさま叱られてきた私にとって、他人は『なぜかわからないことでいきなり怒る』という、不可解で恐ろしい生き物として認識されてきました。

何が落し穴になるかわからない。私にはわからない謎のルール『常識』にしたがい生きる自分とは違う生き物。

今でもそんな感じです。

しかも、その『常識』というルールは皆特に学習していないのに、なんとなく、という曖昧な状態のままシェアされ、しかもうまく運用されているのです。

これは恐怖でしかなく、世界のルールが私だけに知らされていないような疎外感を感じたものでした。

 

まとめ:私たちは働いているだけでよくがんばっている

これだけハードな前提条件のなか、働いているだけですごいと思いませんか。

同じようにイライラや疎外感を感じながら生きてきた、そこのあなた。

あなたは、偉いです。

もはや、働かなくたって、生きてきただけで偉い。

驚くべきことに、定型発達のみんなは、もっと楽に生きているのです。私もにわかには信じられませんでしたが。笑

私は、あなたの苦しみがとんでもないことを知っています。だから、あなたの凄さがわかります。

自信を持って「私はがんばってるんだな」とご自身を褒めてあげてください。

あなたも、ひとりきりじゃ、ないですよ。

【AC】息子は母親が生きるためのおもちゃじゃない(ムスコンの闇)

こんにちは、ちあき です。

マザコンとムスコンについてちょっと考えてみました。

母親の親としての愛情と異性としての愛情は紙一重のように感じています。

機能不全家族において、子供は母親の求めに応じてしまい、無意識に夫の役割をさせられているのではないでしょうか。

 

「マザコン」とは?

言わずもがなかもしれませんが、マザーコンプレックスのことです。

マザーコンプレックスとは、母親に対して子供が強い愛着執着を持つ状態を指す。なお、これは正確な心理学用語ではなく和製英語の俗語である。俗にマザコンとも略され、この場合、母親に強い愛着・執着を持つ子のことも指すことがある。

出典:Wikipedia「マザーコンプレックス」

 

これは、正式な概念としては「エディプスコンプレックス」と呼ばれます。

エディプスコンプレックス(独語:Oedipuskomplex,英語:Oedipus complex)は、ジークムント・フロイトが提示した概念である。男根期に生じ始める無意識葛藤として提示された。日本では訳語としてエディプス複合と呼ばれることもある。フロイト派では男女ともに適用される用語であり、心的発達の重要な転換点として、また神経症の発症段階として注目されている。

出典:Wikipedia「エディプスコンプレックス」

 

 

「ムスコン」とは

ムスコンは「息子コンプレックス」の造語です。

ムスコンとは、母親が息子のことに対して執着したり依存したりするということです。

母親なら、自分の息子だから可愛くて仕方ないのは誰でもそうですが、それが行き過ぎてしまうと近親相姦や虐待につながるということのようです。

心理学では、「イオカステーコンプレックス」という名前で定義されています。

イオカステーコンプレックス(英:Jocasta complex)は、母親の息子に対する近親相姦的、性的欲求である。エディプスコンプレックスに類似した概念として、スイスの精神分析家により、1920年に提示された。実の息子エディプスと結婚したイオカステーに因んで命名されている。エディプス的な近親相姦願望は母親の願望でもあるという。映画『怪人カリガリ博士』に登場するジェーンの、息子に対する愛着が、イオカステーコンプレックスとも言えると指摘されている。

出典:Wikipedia「イオカステーコンプレックス」

 

気持ちが悪いわたしの母親の話

さて、それぞれのコンプレックスの定義を整理したうえで、私の母親の話をしましょう。

一言でいえば、私の母親はムスコンだと思われます。

そして私は結婚するまでマザコンだったと思います。

 

両方とも、共依存の産物だと思います。

「マザコン」は、お母さんのことが大好きだったり、母親ばかりを大事にする、というよりも、「母親の言うことに逆らえない人」ではないかと考えてみると、私は小さい頃から長い間、母親に逆らえませんでした。

 

いつも母親が正しくて、私が自分で考えたり試したりしたいことは「危ないからダメ」でした。

転ばないように目の前の道を整備され続けている感覚。

自分で人生を突き進んでいるのではなく、歩かされている感覚。

いくら一生懸命歩いても、歩けたのは歩きやすいように整備してくれている母親の手柄で、私の頑張りではない。

そういう空虚な過保護のなかで生活していると、感覚が狂ってきます。

母親が育てたいように育たなくてはいけない。期待を裏切るダメな自分のままでは生きていてはいけない。

私は何不自由なく愛情をかけられて幸せなはずなのだから、明るく楽しい様子で家族には振る舞わなくてはいけない。

愛情を与えられているのだから母親を好きでなくてはならない。

この人を理想の母親で素晴らしいと思わなくてはならない。

そんな風に思っていました。

そう思うようにコントロールされて生きてきたと言っても過言ではないなと思います。

父が不倫をした後はより一層、父の代わりに私を褒め称え好きだ好きだと言ってきました。

中学になっているのにおやすみのキスをしようとしてきたり、筋肉を触ろうとしてきたりして、今思い出すと吐き気がします。

まるで理想の彼氏であるかのように、息子を自慢して、他の男性よりもかっこいいだとか、やたらと持ち上げました。

私も、母親に嫌われるのを恐れ、気に入られなくてはならないと思っていて、母親に対して「美人だ」と言ってみたり、隣人たちとうまくいかなくて凹んでいるときには「他の人はやっかみであなた(母親)を邪険にするのだろう」などとフォローしたりしました。

今思い出すと自分に怖気がします。

結婚することになり、明らかに妻に対して対抗心を燃やし、若さに対して嫉妬する母親を見て、妻は「女を出してきて気持ちが悪い」と言いました。

私は今なら、それがどれだけ的確だったか分かりますが、当時は生みの親を気持ち悪いと言われた衝撃で悲しみを感じ凹んだりしました。

私が結婚するということで情緒不安定になり、実家に帰ったときにはさめざめと泣いたり、手を握ってきたりしました。

これが、気持ち悪いムスコンとそのマザコン息子の生態です。

 

「ムスコン」は、何が病巣なのか?

マザコンもムスコンも共依存で原点は一緒です。

まさに、このブログに書いてあるので、要点を抜粋します。↓

出典:家庭に潜む「共依存」 マザコンの正体

 

以下、参照。

子どもが生まれた頃から夫は仕事が忙しく、場合によっては愛人がいたりして、帰ってこない。帰ってきても、関わろうとしない。

すると、母親は「夫は、もはや自分を必要としていない」と感じ始めます。

そうなると、子どもに夫の役割を求めます。

子どもは、唯一自分を必要としてくれる存在だからです。

しかし、子どもが思春期になって、秘密が増えたり彼女ができると、まるで失恋したかのような気分になります。

その痛みを乗り越えると、精神的にも母子分離ができて健全な親子関係になるのですが、母親の方が、自己肯定感が低く、依存的な場合、子どもを離そうとしません。

子どもが独立してしまったら、自分の存在価値がなくなるからです。

人は、本来、何がなくても、ありのままで価値があるのに、それが自分で認められないので、「よい母親」になることでここまで、自尊心を保ってきたのです。

なので、子どもが自立すると、自分の存在価値がなくなるような気がして、手放せないのです。

 

子供に夫の代わりをさせ、子供が自立されると存在意義を見失う、自己肯定感の低い母親が、ムスコンです。

必要とされないと、自分の人生を見失うから、息子を利用して、夫で埋められなくなった自尊心の穴埋めをします。

しかし、世間的には母が息子に愛情を注ぐことや、息子を思い世話をすることは美徳とされているので、基本的に咎められにくく、家庭という閉鎖空間で展開される愛情という名の支配と権利搾取の実態は、表に出てきません。

出てきたとしても、自分たちが必死で注いでいる愛情を否定されるような気がして、女性は母親の味方をします。洗脳済みのマザコンも母親の味方です。

洗脳された息子は、結婚というイベントに直面したとき、はじめて自分が育ってきた家庭の異常さに気づくチャンスを得ますが、妻にマザコン呼ばわりされて人間性を否定され、母親の支配にすごすごと戻るケースがほとんどだと思います。

マザコンになった息子が悪く、ムスコンの姑は異常者扱いですが、「母親」は悪者にはされません。

なぜなら母親や父親、つまり大人がこの世の常識を司り、常識という呪いは、子供の視点では考えられていないからです。

例えば。。
子どもが失敗したとき、

「ほら、ママの言う通りにしないからこうなったでしょ」

「ママの言う通りしておけば、間違いないのよ」

などのようなことを言います。

多分、言い回しはもっと穏やかでしょう。
強い口調には反発できまが、優しい口調だとその反発ができないので、受け入れます。

子どもは、失敗したとき、自信を喪失している状態ですので、

「そうか、ぼくは自分の意志でやると、ろくなことないな。ママの言う通りにしておこう」

となります。

そして子どもに出来上がるのが≪成長してはいけない≫というビリーフです。

子どもでいるから、母親は自分を愛してくれている。だから愛されるためには≪成長してはいけない≫のです。

しかし、人には元々、認められたいという欲求がありますので、いつまでも親から「あなたはできない子」と無能扱いされたり、親の自尊心を満たすために存在していると気づくと子どもの方では、ストレスが溜まります。

でも、外の世界は怖いから、親から離れられない。
そのジレンマが、自傷行為や家庭内暴力などに発展することもあります。

こうなると、親子間の共依存関係の出来上がりです。

強烈にカプセル化された関係は、強固で他人を寄せ付けません。

そして、カプセルの中では、
お互い満たされない思いを
ぶつけあっているのです。

生まれるタイミングを逃した卵は、腐ってしまう。

 

まとめ:息子は母親が生きるためのおもちゃじゃない

親も子育ては初心者だし、人として完璧ではないし、精一杯やったのでしょう。

しかし息子からしたらいい迷惑だということに変わりはないのです。

信じてきた母親に洗脳され、愛した人にマザコンと罵られ、誰とも心通わないなんて、地獄です。自分が悪いんだ、と思いながら誰に対してなのかもわからない恨みを抱えて、誰にも愛されないまま生涯を閉じるのです。

私は ACの概念に出会わなければ、それを教えてくれる仲間に出逢えていなければ、確実にそうなっていたことでしょう。

そのことを恨み憎む権利は、息子にはあります。子供にはあります。

親が自立していなかったばかりに共依存に巻き込まれた被害者だからです。

だから、親は、親だからこそ、自分を大事にして、最優先に満たし、自らの人生をど真ん中で生き抜く必要があります。

誤魔化さず、子供を言い訳にしたり拠り所にしたりせず、自分が生きたい人生を生きていなくては、子供が犠牲になり数十年単位で苦しみます。

そんなことにならないように、しっかり自分に向き合って生きていきたいと思います。

【AC】ACを生み出す親が帰省している子供にやりがちな6つのこと

こんにちは、ちあき です。
ACにとって年末年始は憂鬱な時期です。
なぜなら、実家に帰省することが世間一般では求められるからです。
私も例にもれず、今回もクッソ憂鬱でしたが、今回はがんばったと思います。
親の立場の人が読むと頭にくる記事かもしれません。
しかし、以下のような事例に当てはまるなら、もしかしたらお子さんはだいたいこんな気持ちかもしれません。

 

ACを生み出す親が帰省している子供にやりがちな6つのこと

今回の帰省のエピソードをもとに、ちょっとまとめてみました。

 

①やたらと子供を心配したがる

「8月から元気なさそうで心配しているのよ」と母親。
本当に心配しているのは「自分がいい母親でいられているかどうか」、だよね?
ACという課題に気づき、夏頃から気を遣って愛想笑いするのをやめたから、元気がなさそうに見えるんだろうけど、それが本来のあなたがたに対する私の態度なんだよ。
「息子を心配する素晴らしい優しい母親」という自己イメージを保ちたいから、息子には心配をかけてもらわないといけないし、心配な子でいてもらわなくてはいけない、と思っている。だから、心配したがる。
35にもなる息子(おじさん)を心配しなくていいから、自分の心配をしてほしい。
あなたは、自分の人生を生きていない。
「息子を立派に育てる」という世間的にも美しく素晴らしいとされている責務に寄りかかって、自分の心の穴を埋める作業から目を背けているだけ。
いい加減、子供を出汁にして人生を誤魔化すのはやめてくれ。

「ちゃんと仕事には行けてるのか?」
「本当は休んでいるんじゃないのか?」
「酒は本当に飲んでないのか?」
「体調が本当は悪いんじゃないのか?」

うるさい。

もしそうだったとしても、俺はもう成人して独り立ちしているんだから、「もう関係のない違う家の人」には答える義務がないんだよ。

頼むから自分の人生に集中してくれ。「心配な息子」の役をまだやらせようとするなよ。

その役割を押しつけて自分の人生から目を背けるのをいい加減やめろ。

60年も生きてきて何も学ばないのか。精神が未熟すぎる。

②核家族内だけの秘密を持とうとする(隠ぺいする)

妻がいなくなった隙を見計らい、父方の祖父が大腸癌で今年中に死ぬかもしれない、切除困難な部位に腫瘍ができたらしい、祖母は認知症だからこれから大変、などとコソコソ私だけに話そうとする母親が嫌いだ。
そういう隠蔽体質が嫌いなんだよなぁ。
なぜ妻に隠したがるのか。

それは、妻を外部の人間だと勘違いしているから。
身内の後ろ暗いことやあまり社会的に体裁が悪いことを隠そうとする。

妻はもう身内だろうが。

そんなふうに家族の中ですら隠し事をする家だから、俺はあんたらを信用できなくなったんだよ。

妹を含めまだ4人家族の気分でいる気持ちの悪いこの人たちと一緒に居たくない、というのが率直な気持ちだ。

仲間外れにされたら誰だって嫌なのに、妻を未だに外部の人間だと勘違いしているから、妻に嫌われる。

なぜそれが分からないのか?

だから自分たちのところに息子夫婦にあまり帰ってきてもらえないのだと、なぜ分からないのか?

自分たちがやったことを何もわかってないことに改めて絶望感しかない。

③子供の夫婦にアドバイスしたがる(過干渉)

「私がちあきを育てた時は、こうだったのよ」
「〇〇さん(妻)も、そろそろ子育てが落ち着いたから、働く時期なのではないかしら?」
ほんとうに余計なお世話でしかない。なぜこんなことを言うのか。
私が転勤族だし親元から遠いところで二人きりで頑張っているのだから、預けられないし働けないから、妻にはがんばってもらっているのだ。
公務員であるあなたがたには想像できないかもしれないが、想像が至らないのなら、せめて黙っていてくれ。
そして母親の古臭い子育て情報は聞かれていないのに披露することではない。
こちらが聞きたかったら、「こういうときはどうしてた?」と聞くだろう。
信頼してアドバイスをもらおうとする人に、人間は自発的に質問するものだ。
質問がないということは、信頼されていないのだ。
だからせめて黙っていればいいものを、口を出すのは、共依存的な過干渉が身に染みついているからだ。

④最近体調が悪いことを殊更にアピールする(か弱さアピール)

父方の祖父母はよく、体調悪いとか、もうすぐ死にそうとか、そういう話をしていた。

そういう無言の圧力みたいなのを、誰より私の母親は、一番嫌ってきた。

父方の祖父母宅への帰省のたびに悪態をついていたくせに、全く同じことをしているのが、全くわからないようだ。

父親ですら、最近咳が止まらない、などと言い出す始末。

母親は妻のほうの実家の義母と電話で話して聞いたことを持ち出して、「(妻の方の実家には)ご長女もご長男も帰ってきてるらしいわね、いいわねー」などと、しつこいくらい話題にしてくる。

反対の立場になったら真っ先に「将来的には実家に帰ってきてほしい」っていう圧力をかけてくる両親。

もはや怒りを通り越し諦観する。

⑤コントロールしようとする

直接言わずに、間接的に意図する答えを引き出そうとする。
両親は、この手法を用いて常に会話をするので、実に回りくどく、会話するだけで疲れる。

「子育ては親が近くにいたら、あなたたちも楽よね」

つまり、比較的距離が近い私たちが手伝いましょう、と言っているのだが、近いのが母方の実家ならまだしも、大嫌いな舅姑のいる家に頼るなんて逆に楽じゃないから。

自分たちが孫に会いたいだけ。それなのに、手伝ってもらえたら助かる、というこちら側からの要望があったから、いう形にしたいのだ。

 

「祖父が癌で亡くなりそう。年内には厳しいかも。私たちは2月に行くのよ」

言いたいことは、「ひ孫を見せに行かせたい」「2月に行くときに一緒にこい」のようだが、こちらも生活がある。そもそも遠いしいい思い出もないから、孫の私ですら行きたくないのに、妻や子供と行く理由がない。

こちらが、「それなら2月に一緒に行きたいな」と自らの意志で選択したように見せかけて期待を酌み返答するのを待っている。

そういうやり口が汚いのだ。

来てほしいなら言えばいい。

私は、そうやって放たれた意を酌み、今まで期待通りの返答をしてきた。

自分すら、本当に思っているのだと自らを騙して。

その結果、私はその行動に対する結果に責任を持てなかったし、達成感も持てなかった。ただ、決めさせられた事実だけが上滑りしていった。

不満を感じて親に文句を言おうものならこう言われるだろう。

「だってあなたが決めたことじゃないの」と。

いつだってその理論武装でうまい具合に動いてほしいように動かされてきた。

そのことに今は強い怒りを感じる。会社の活動方針やマインドコントロールに対して強い怒りを感じるのもこのためだろう。

 

 

⑥期待通りの反応でないと怒ったり悲しんだりする

期待していた通りにリアクションしないと悲しそうにされるのが、昔からすごくきつい。

今回もそう。

そんなとこまでご機嫌とりしてたんだなって思って愕然としたが、私はいつも「お母さんお料理おいしい!」と、別に食べたくないのに無理してお代わりしたりしてきた。

今回は何の気も遣わないと決めていたので、普通にお腹が満たされたら食べるのをやめた。

そうすると、もっと食べてほしいと言わんばかりに「え…?もう食べないの?まだあるよ?」と哀しげな顔をする。

その顔が大嫌いだ。

幾度となく、その哀しい顔をして俺の罪悪感を掻き立てて、思うように操ってきたことを、この人は無自覚にやっている。

習い事を辞めたいと言った時もそう。幼稚園に行きたくないと言った時もそう。これは食べたくないと言った時もそう。妹ができて寂しいと言った時もそう。

全部、その顔をするから言えなくなった。元気で頼りがいがあるお兄ちゃんをしないといけなくなった。自分の気持ちを言えなくなって、自分の気持ちがわからなくなって、母親の顔色ばかり窺うようになって、次第に何が欲しくて何がしたいのか、わからなくなっていった。

今もその手が通じると思っているのか。愚かな。

「いやいや、お前何被害者ヅラしとんねん」と思うけど、なんか引っかかる。

罪悪感を掻き立て、その手の圧をかけるプロだから、さすがだ。伊達に子供たちをその罪悪感でコントロールして、自分が思い描く「理想的な子供」に洗脳しようとしただけのことはある。

コントロールできないと分かり、不安げなうかがうような目で見てくる。

虫唾が走るほど気持ちが悪い。でも、私も妻に「うかがうような目で見てこないでよ、気を遣わないでよ」と言われるから似ている自分がいるような気がして、自分の存在を滅したいと思ったりする。

こんなくそみたいな人間の遺伝子が半分入ってしまっているこの自分が嫌いで仕方がない。

世帯連鎖させるぐらいなら、呪いのようなこの存在は消えた方がいいのではと思う気持ちがやっぱりある。

親に会うほど強くなるから、どんどん会いたくなくなっていく。

 

 

 

愛情という名の支配に対してNoと言おう

「本当のところ体調はどうなの?」
などと言いながらすり寄ってきたタイミングで
そうやってコソコソ話されると頭に来るんだよね、妻も子供もみんないるときに聞いてくれる?」
と、母親に言うことができた。
これは私にとって大きな変化である。
今までは、愛想を振りまいていた。
思ってもない誉め言葉を言ったりした。
この家族が最高なんだと思おうとしてきた。
でも、そうではなかった。
今でも、そうなのかもしれない、私の勘違いであればどれだけいいか、と思う。
しかし、明らかにそうではないのだ。
私はこの家族の中で生きていて、楽しいと思っていなかった。人生なんてしんどいばかりで早めに終わってしまえばいいのにと思っていたし、他人と健全な関係を持つことができなかったし、最終的にその寂しさの心の穴を埋めるためにアルコール依存症になった。
それはどれもこれも、AC(アダルトチルドレン)の問題を知れば知るほど、機能不全家族のなかで育ち認知の歪みと心の穴を抱えて苦しんでいたからだった、私は幸せなどではなかった、と気づかされた。
「愛情とは、与える側と受ける側の双方があって成り立つのです。受ける側がそれを苦痛や拘束と感じれば、愛情ではなくそれは支配なのです。」(信田さよ子氏)
というかの有名な信田さよ子先生の言葉にある通り、私が受けていたのは愛情ではなく、支配だったのだ。
今回の帰省はかなり自分なりに自分を持てたし、嫌なことは嫌と言えた気がする。
本音を言うたびに落ち込むような顔を見せ無言の圧力をかけてくるリアクションに負けず、
私はあまりこの実家に帰りたくないし、私のところに来てほしくもないし、口を出されるのはまっぴらごめんであるということをしっかり態度で示せたと思う。

では、親とは、子供とどう接していくものなのか?

一生懸命育ててくれた親なのに、冷たいのではないか?

「世間」という何も知らないフィルターを通せば、そうかもしれない。

 

が、私はこの両親に今までずっと、自分らしく生きる権利を奪われ続けてきた。

暴力も暴言もなかったし、ネグレクトでもない。

しかし、この支配は明らかに虐待と同等だ。

だから、私は、率直にこの父母と妹の、かつての家族が大嫌いだ。

健全な親は、相手の気持ちを傾聴するという形で対話し和解するから、そもそも子供をACにさせない。

現に、妻の母親は、妻の志望校がハイランクで担任が「ここは難しいが、本当に大丈夫ですか?」と三者面談で質問してきたとき、「この子が頑張るって言って決めたなら大丈夫です」と返したそうだ。

私は、そんな風に信頼されたかった。

干渉しなきゃ失敗するみたいに心配されて先回りされて、失敗できずに生きてきたこの人生は、空虚でしかなかった。

成功したら、何もかも親のおかげと言われているような気分だった。何の喜びもなかった。

私自身は何も掴めなかった。正直今は殺したいほど憎い。

 

親は、ここまで憎まれないためには、根本的に子供は違う一個の人間であることを自覚するべきだと思う。生きる力を信じて、人生の舵取りを任せるべきだと思う。

 

私は両親を許せそうにないし、それでいいと思っている。

両親に対して硬い表情してる俺を不思議そうに見てる娘が、俺と同じようにばあちゃんちにいくとき気を遣ったりするようになるのか、と思うと、暗くなる。

こんな暗澹たる気持ちにさせる楔を残した人間を許せというほうが無理だ。

そろそろ祖父母が死ぬということは、両親の年齢には私にとってのゴール。

60にもならなきゃ死なない(いなくならない)のか、と思うとちょっと気が遠くなる。

自由な時間は、実質10年もないではないか。
できることなら、早く病気か事故で早めに逝ってほしい。

施設探してきてぶち込むしかない。金はかかっても仕方ない。

晩年になり「頼れるのはちあきしかいない」とかすり寄ってこられたら、ストレスでほんとに刺しそうだから、絶対に言わないでほしい。

自力で頑張って生きてくれ、あるいは死んでくれ。

 

 

 

あとがき:これからを生きるために素直でありたい

自助グループで聞いてもらって、そのままの感覚を受け止めてもらえたこと、そのうえで明らかに異常だという客観的に感想もらったことが、大きかった。

仲間に出会えて、本当にありがたいと思う。

私が感じたそのままを、親は受け付けてくれなかった。

やはりどう考えても、期待通りの返答をするように求めてきた。それを感じ取れるようにして子供だった私をコントロールしてきた。感じたそのままを受け止める余裕がなかった。それは彼らにとっては「愛情」だったのかもしれないが、私にとっては「支配」だった。

 

私にはもう一つ解決しなくてはならないことがあった。

それは、私がこれから生きていくうえで「期待された役割」ではなく「自分が生きたい人生」を生きるために、妻に伝えるべき本音を話す、ということだ。

生きたい人生に対して素直であるということだ。

 

実家から帰るの車で、妻に以下のことを初めて打ち明けた。

「あまり実家にはもう帰りたくない」ということ、その背景には ACという概念があって、わかりにくいけど要は虐待されてきたようなものだ、という説明をした。

それぞれの家庭で、子供の頃の意見の受け止め方がどうであったか、その違いを再確認したあと、だからいつも私は「どうしたいとか、何が好きとか、いうのも気付くのも下手」で、「それを今一生懸命見つめ直していて、口に出したら否定せずにまずは聞いてほしい」し、「その上で、これは嫌だ、無理だ、ということは話してほしいし、俺も話すようにするから」と伝えることができた。

「それを踏まえて、一緒に暮らしていけるかどうかを再度考えていきたい、なぜなら、出会ったときに期待してくれた私とは違う私である可能性が高いし、それで嫌いになったり一緒に暮らしていけないということになっても仕方がないと思うから」と伝えられた。

それらを話し合ったうえで、「わかった、とりあえずやってみよう」という話になった。

 

私は、そのままの自分で生きてみたい。

素直にのびのびと、自分の言葉で話したい。

だから、ちゃんとアサーティブに説明して妻に伝えられてスッキリした。

離婚するという可能性も含めてリアリティをもって考えていくために、私はまず嫌なことは嫌だと言う必要がある。

気持ちが整理されて、思いを静かに話す覚悟ができたから、妻にも伝えてみることができた。

 

 

やりたくないことをやめる、というだけでも、存外に難しいものである。

結局、どんなに辛くても、人は自分が生きたいように生きるしかない。

生きたい方向が本当はあるのに分からなかったり、方向を曲げたり歪めたりしないために、「自分はこう感じてる」「自分はこっちがいい」って、はっきりと言えるようになりたい。

それでないと、ちゃんと生きてない気がする。
今までちゃんと生きてなかった。
断酒して拾った命。納得して生きていたい。どうせしんどいながらも生きるのなら。

ちゃんと生きることなんてできないなってのも結論の一つだとして、
諦めるにしても、やるだけやってから、諦めたい。

中途半端だった。だからイライラしてきた。

生きるなら気合入れて生きる。