こんにちは、ちあき です。
この時期はスリップ(再飲酒)が多くなりやすいですね。
社会人では、異動という環境変化に伴い、送別会や歓迎会があります。
今回は、私がやらかしてきたしくじり(再飲酒)と
専門病院や断酒会に繋がるまでを赤裸々に書き綴りたいと思います。
○2015年3月1日 運命の日
断酒に真剣に取り組み始めた日。
泥酔して仕事現場に来たことが上層部の人間の逆鱗に触れる。
酒による失敗の積み重ねから、
「もうこいつはダメだ」と懲戒解雇すべく上司や会社が動く。
数週間、自宅謹慎。出社停止。
仕事を干されてやる事がなく、
ただただ謝り続ける日々が続く。
その後、懲戒処分「戒告」を受ける。
罵詈雑言を浴びつつも粛々と仕事に励む。
○2015年 9月 入籍
○2015年11月 挙式
○2016年4月 転勤
○2016年6月 再飲酒(スリップ)1回目
懲戒処分事情を噂で知った同期に、
同期会でバカにされ飲酒をしつこく勧められたことに耐えかね、再飲酒。
その日からたびたび、体裁上口をつけ、
後で喉に手を入れて嘔吐する悪癖がつくようになる。
同期会を皮切りに、宴会やゴルフ接待でも勧められたら断ることができなくなる。
自宅に飲酒運転でたびたび帰宅していた。
妻は、匂いで気づいていたが、
まだ当時はアルコール依存症だとは想像していなかったという。
○2016年7月 アルコールに対する意識が低下
自分の実家に帰省した際、出先で妻の慰労をしたとき、旅館で飲酒。
私も妻も病識がまだ甘かった。節酒できるのではないか、という驕りがあった。
そこから、たびたび機会飲酒状態となる。
○2017年1月1日 大スリップ(2回目)
「正月なんだし1日くらいいいんじゃないんか?」
そう勧められて、
ストレスがピークに達していたことを口実に完全に自分から乗り、
妻の実家でビールを1ケース(24本)開けた。
ブラックアウト。
止まらなかった。
記憶が飛んだ間に、我慢してきた怒りが爆発。
罵詈雑言を撒き散らした。醜態。
○2017年4月末 スリップ(3回目)
スコアに煩い得意先とのゴルフコンペが嫌でたまらなく、
プレッシャーに押し潰されそうになり、
それを口実にアルコールに手をつけ、嫌悪感から目を背けようとした。
気づけば酒量はハイボール3リットルに及び、
帰宅時にも呼気に残り、体からも臭っていた。
完全に飲酒運転。
帰ってきて、妻に即バレする。
捕まっていたら懲戒解雇。
「次飲んだら離婚」と言われていたのに飲んだことは、
妻にとって途轍もなくショックな出来事であったため、
この時初めて、妻が泣きながら調べてくれた。
アルコール依存症専門病院があることを知った私たち夫婦は、病院の門を叩いた。
○2017年7月末 隠れ酒してスリップ(4回目)
妻が友人の結婚式で地元に旅立ち、1人になり、
虚無感に襲われ、妻がいない隙にちょっとだけなら、と鎌首をもたげ、スリップ。
飲酒欲求を鎮めるため、当時ストレス解消方法だったスポーツジムに行き、
瞑想にも取り組んだが、スリップした。
この1人では抗えなかった事実から、通院、薬物治療、断酒会。
この三本柱が要だと理解した。
断酒会から遠ざかり、薬物治療も継続していなかったことを反省した。
同時に、断酒3ヶ月から1年にかけて、
『ドライドランク』という症状が発現しやすく、
激しい焦燥感やイライラ、不安、抑鬱、過信に目を眩まされやすいことを学んだ。
それ以来、毎週土曜に開催される断酒会に妻と毎回出席。(仕事で行けない日以外)
シアナマイドを毎朝服薬。
月に1回、アルコール依存症専門病院と心療内科に通院している。
ドライドランクから来る精神症状である
「不安感」「焦燥感」「イライラ」「希死想念」に
薬剤による対症療法を行いながら断酒を継続。
現在に至る。
いかがでしたか?
なかなか一筋縄ではいかないのが、この病気の難しいところですよね。
スリップしてしまって落ち込み、恥ずかしくて情けなくてもう消えてしまいたい、
とスリップするたびに何回も思いました。
その度に「こういう時スリップしやすいな」という経験値を重ねられたので、
今、スリップを回避できています。
そう。
スリップという失敗は、失敗じゃない。
活かせば今までの止めた時間は無駄ではない。
そう言い聞かせて、一日一日、やっていけたらな、と思います。
では、また!