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【AC】他人の言葉が気になりイライラする人の深層心理

私は結構、他人に言われたことにショックを受ける。

なぜか、いつもマウントを取られているような気持ちになる。

それにイラっとして攻撃的な反応をしてしまうと、相手も戦闘態勢に入ってしまい、最終的に味方であったはずなのに対峙する形になることがある。

 

「正しさ」に囚われていないか?

 

私はそうしたとき、自分の心が不安定であることが多い。

落ち着いて振り返ってみれば、相手は好意的に接してくれていたのに、受け取る私の心がざわついていて歪んで受け取っていることがある。

なぜだろうか?

それは私が「正しくないことをしている」という心の引っ掛かりがあるからだ。

「あなたは正しくない」とその人に責められるのではないか?と思うと、ついつい身を固くしがちだ。攻撃されるのではないか、と身構えてしまうからだ。

 

それは何よりも、私自身が正しさに縛られていることに起因している。

 

今まで、我々ACは正しくないと他人に、親にすら認めてもらえなかったのではないだろうか。

成果が出なくては意味がないと教えられ、素直な気持ちを話せば言い訳と言われて受け取ってもらえなかったのではないだろうか。

あらゆる人からジャッジされることは地獄だ。その地獄を生きてきて、私たちはすっかり親が押し付けてきた、ある意味憎んですらいるライフスキルを獲得してしまったように思う。

そのライフスキルこそが、「正しさでジャッジする」ということである。

 

 

イライラするのは、傷つかないために想像しているから

 

傲慢になっている。偏見を持っている。見ている景色が歪んでいる。

私が疑心暗鬼に陥っているとき、端的に言えばそのような状態だといえるだろう。

 

私は見たいものを見ているのだろうか?

いやいや、他人が攻撃してくることなんて想像したくないし見たくないはずだ、と思っていた。

が、実際は、私は恐れていて、積極的に想像している。

予行演習しなくては心の痛みに耐えられないので、予め最悪を想定しているのだ。

それを私が選んで、望んでいるのである。

 

その想像上の、他でもない自分自身で創り上げた「常に攻撃してくる他人像」との攻防を四六時中想定して理論武装している。頭のなかはいつも絶賛交戦中になる。

いつも頭のなかでは、誰かが私を責めていて、「私は悪くない」「私は間違ってない」と正しさで応戦しなくてはならない精神世界に自ら飛び込んでいっているのだ。

現実には、誰も責めていないし、何も起こっていないのに。

 

傷つかないために自分を守るつもりが、自分が最も自分を傷つけている。

そのことに、私たちは気づかなければならない。

そして、そのライフスキルはACとして苦しい時期を生き抜くには必要であったが、今はすでに必要がなくなり、手放してもいいものなんだ、ということを認識しなくてはならない。

 

まとめ:他人の言葉が気になるときは、事実を確認してみよう

私はこうした疑心暗鬼に陥っている感覚があるときは、落ち着いて事実を確認することが重要だと思う。

・実際に相手に言われた言葉

・実際に相手がした行動

これらをひとつひとつ書き出してみる。

そのまま書き出すことが重要である。「~という意味で言ったのではないか?」などの自分の憶測を一切省いて、事実だけを書きだす。

そしてすべて書き出した後、1日以上置いて、全く関係のない第三者と一緒に客観的に紙に書いてある内容を改めて眺めてみる。

自分が「何に対して」傷ついたのか?を確認する。

私が思い込んでいることなのか、実際に尊厳を傷つける言葉や行動だったのか。

思い込んでいることに起因するなら、何か「自分が正しくないかもしれない」という引っ掛かりをその人に関連して持っていないか点検する。

そうやって認知の歪みを解きほぐしていくと、ふと視界が拓けることがある。

私たちはACとして生きてきて、頼りたかった他人に攻撃されてきたので、その痛みに備えないといけない哀しい状況があった。

その状況について、当時の私たちは悪くなかったと思う。精一杯やっていたと思う。

そうして当時の私たちを自分自身が許してあげて、正しさから解放してあげたい。

それが他人とアサーティブな関係を築くために重要な土台になると感じている。

【AC】Step8「傷つけた人」その⑤『会社の上層部の人々』

step8.傷つけた人の棚卸しです。

 

頭の中の厳しい自分の声

私は自分に厳しい。

強迫性障害の診断が下ったこともある。強迫的に自分を追い詰める性質がある。

たとえば、仕事。

私は何かやるべきことが生まれると、頭のなかでもう1人の自分が私を罵倒し始める。

「さあ早くやれ!まだ終わらないのか?本気でやる気あるなら徹夜でもなんでも仕上げられるだろ?やる気ないだけじゃん、口だけならやめちまえよ」

「お前に能力がないから、時間がかかって、救える人も救えなくなるんだよ。代わって貰えば?役立たず」

などという言葉が頭の中をグルグル回る。

焦り、苛立ち、半ば狂気に駆られるように仕事を終わらせる。

私はとにかく仕事を、早く質が高い状態でやらなければならない、と思い込んでいたし、今もその思考の歪みからパニック状態に陥りやすい。

 

なぜ追い詰められるのか?

なぜ、そのように強迫的に自分を追い詰めるのだろうか?

誰にも何も急かされていないのに、どうして焦るのか?

それは、私の新人時代を振り返ると少し紐解ける。

私はベンチャー企業に就職した。

当時新人の私は手探りで仕事をしていた。

上司は厳しい人だった。

頭のなかで響いている自分の声の発言は、ほぼそのときに上司から言われたセリフそのままだ。

見積の作りが甘いとクシャクシャにして投げつけられた。報告が要領を得ないときは「何語喋ってんだよ?日本語勉強してきたら?」と半笑いで馬鹿にされた。

仕事がうまくできない。やり方がわからない。自分より学歴が低い、よくわからない中年のおじさんに馬鹿にされる。「偏差値もスポーツも他人より優秀でなくてはならない」と両親によって洗脳されてきた私にとって、社会人になりたての頃は砂を噛むような毎日だった。

こんな自分でいたくない。屈辱で噛んだ唇から血が滲む。しかしこんな自分をなんとかしなくてはならない。

ルールだ。社会人には社会人のルールがある。それを守ればまたちゃんとできるはずだ。

私は社会人としての基本動作を徹底的に上司から学ぶことに専念した。どれだけ馬鹿にされても黙って行動で示し続けた。

ダメな自分から生まれ変わるにはそれしかないと思った。

こうして、私は社会人とはちゃんと仕事のルールに沿って動けない奴はゴミどころか寄生虫であり、いてはいけない人間だと思い込んでいった。

同時に、飲んだ煮え湯を胃に蓄え、内腑にグツグツと燃え滾る憎しみを溜め込んでいった。

歪んだ憎悪に支配される

そんな上司を見返したくて、仕事は即日やれるところまで何があろうとやった。

疲れたとかやる気がないなんて全てできない言い訳と自分の気持ちを切り捨てた。

やれるかどうかじゃない、やるか、やらないかだ。

そうやって、私は自分にどんどん厳しくなった。

やれることを最速でやるので成果がみるみる上がるようになり、当時いたベンチャー企業に見切りをつけて異業種の企業に転職した。

転職した異業種では、今までとはやり方が全然違い、一からやらなくてはならなかった。

しかし、即戦力として期待され入社した私は、分からないというのがすごく怖かった。

また、新人時代みたいにコケにされたくない。

そんな思いをしたくなくて頑張ってきたのに。

そうやって殻にこもり、気がついたら取り返しのつかない失敗をして、アルコール依存症とうつを併発していた。

再び叩きのめされ、地に落ちた。新人以下に降格され、また煮え湯を飲む日々が始まった。這いつくばって耐えた。

再び這い上がってきたとき、「会社」や「上司」や「仕事」に対する憎しみは深く重く私の精神にのしかかり、私を支配していた。

 

正しさに囚われた怒り

「私を2度も精神的に殺したのだ。

お前たちは正しくなければ嘘だ。

なぜなら、正しくないのに私をコケにしたり寄生虫扱いするのは、道理が通らないからだ。

打っていいのは、打たれる覚悟のある奴だけだ。

つまり、お前らは覚悟しているはずだ。私に打たれて死んで、同じ煮え湯を飲むことになっても、それを覚悟の上で私を打ったのだから、よもや恨むまい。

さあ、力の限り復讐してやる。

私をコケにしてきたことを泣いて詫びるがいい。私はミスしない。お前にもミスさせない。今までと同じ煮え湯を浴びるほど飲ませてやる。」

 

こんな気持ちで仕事をしていた。

当然、上層部の理屈に合わない話は全て理論武装して叩き潰しにかかった。

会議で意気揚々と発表しようものなら、質問という名の糾弾で、二の句を告げなくさせようと躍起になった。

上司も上層部も、私が攻撃していない同僚すら、私を警戒する様になっていった。

私が参加する会議はいつも嫌な緊張がはしり、私が口を開くと皆が黙った。

 

私はこんなことがしたかったのだろうか。

今まで正しさを押し付けてきた階層の人たちを正しさで黙らせるのは、何とも言えない快感があった。私は怒りに耽溺していた。怒ることを嗜癖にしていた。

それは、私がなりたかった姿だろうか。

違う。

それは、やられて嫌だったことを、やり返しているだけだ。やられて嫌だったことをやりたいわけじゃない。

だって私はあのとき怒りで覆い隠して見ないようにしていたけれど、本当はすごく悲しかったのだ。

一生懸命やろうとしていることを馬鹿にされて、辛かった。

相手が自分だったら、その気持ちを味わせたいだろうか?

そうではない。私はそんな非道い人間でいたくない。

 

彼らを私だとして罪を振り返る(謝罪の言葉)

私は、自分の悲しみや怒りを抱えきれなくなっていたことを認める。

悲しい、つらい、腹が立つ、と言えなかった環境で、吐き出せなかった思いを溜め込んだ。当事者ではない、新たに出逢った罪のない人たちを、その人そのものを見ずに、上司や会社という立場に反応して、私は自発的に彼らを傷つけることをたくさん言った。

彼らもまた完璧ではなく、精一杯やっている人間のひとりであり、新人だった当時の私のように純粋にやっていたかもしれないのに、うがった見方をして彼らのやることや語る夢を馬鹿にした。

その行為により、どれだけ傷つくか痛いほど分かっていたはずなのに、自分の憎悪を八つ当たりで吐き出す道具のように扱い、尊厳を傷つけた。

私がやったことは、彼らにとって不当な暴力だった。

大変、申し訳なかった。

私がどんな人生を歩んでいたとしても、彼らには関係がないし、彼らを傷つけていい理由にはならない。

私が相手なら、そう思う。自分が傷ついた事実は変わらないから、謝ってほしいと感じる。私が彼らに怒りを与えた事実に私の過去は関係ないから、謝罪するべきだと考えるだろう。

私は渋々ではなく、謙虚に、正直に、そして心から自分の過ちを認める。

私は後悔している。行いを悔いている。

同じ痛みを味わせたいと嗜虐心に駆られて彼らを傷つける振る舞いをしたことを恥じている。

本当に、申し訳なかった。

 

まとめ:繰り返さないために

私は彼らを傷つけた罪を心から認め、再び同じ過ちを繰り返さぬよう、自分自身を点検し続け、自分の認知の歪みに常に素直に向き合い、ライフスキルを得て誠実に生きていきたい。

私は、自分自身の至らなさ・無力さを認め、私を「回復に向かう力」が導いてくれるのに任せよう。

そのためにできること(棚卸しを通じて自分自身に向き合うこと)を、無理なく弛みなく限りなく謙虚に続けていく。

 

全ての源は、私のなかにある。

他人のなかには、もう探さない。

憎しみや悲しみに塗れることに固執せず、手離して、この歌のように、爽やかで鮮やかな生を全うしたい。

 

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう

かなしみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっと歌おう

閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される

はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充(み)たされてゆけ

海の彼方(かなた)には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから

「いつも何度でも」──『千と千尋の神隠し』より──

覚和歌子作詞・木村弓作曲

【AC】憎しみの裏には自分自身の苦しみがある

さて、唐突だが、私は京都がどうも苦手である。

「よろしいなぁ」が「いいですねー(^^)」ではなく「そんな話はどうでもいい」という意味だったり、「おおきに」が「ありがとう」ではなく「お断りです」という意味だったり。

そういう言葉の裏を読ませ、真っすぐに表現せず嫌味に意図をにじませるやり方が気に食わない。

 

同族嫌悪

しかし、この憎しみは同族嫌悪だった、ということに最近気づいた。

こういう京都的な態度は、憎き母親に似ていて、他ならぬ自分に似ているから嫌なんだな、と思い至った。

自分の嫌な部分を見せられているから、イライラするのだ。

つまり自分の性質を受け容れられていないので、代替的に嫌悪していたということなのだろう。

私は、遠回しに言って、相手に気づいてもらおう、相手に自分のこの不愉快な気分の責任を押し付けよう、とする卑しい気持ちを持っている。また、一人で勝手に諦め、相手に真偽を確認する勇気を持てない弱さから、すれ違いを起こす。

認めたくなかったが、私はこのような姑息なところがある。

それは、他人の発言や、相手の回答をそのまま受け取れないからだ。

なぜ受け取れなくなったのだろう?

両親は、私の質問や要望に対して、そのまま返してくれなかった。

サンタクロースについて、バレるまで私に嘘をついていた両親。些細なことだが、結構私は両親に対して信頼を失った。こいつらは平気で私を騙すんだな、と思ってショックだった。

また、私が何かを要求すると、決まって両親は「なんでそんなこと言うの?」と言ってすごく悲しそうにした。私はなぜなのかを説明する語彙力を当時持ち合わせておらず、口籠った。両親はそうして私の要求を封殺するやり口をよく使った。

私はしばしば納得できないまま閉口せざるを得なかった。なぜダメなのか?なぜ要求は却下されたのか?がわからないままなんとなく「まずいことを言ったのだ」ということで引っ込めざるを得ない『空気』で圧殺された。

私は家庭においていつも言葉の裏の真意を深読みする必要があった。これはとても疲れることだった。家庭がそうだったから、他人は言わずもがな。人と深い関係を築けないまま、ただいたずらに年月が過ぎた。こうして、言葉をそのまま受け取らない癖がついて、30を越えた今でも同じように歪んだままだ。

 

裏表のない会話が安心感を育てる

・言いにくいことも真っ直ぐ伝えてくれる
・わからないときは確認してくれる
・素直に気持ちを語ってくれる

そういう安心感というのは、とても大事だと実感する。

私の両親が構成する核家族、つまり実家では、夫婦間の会話でさえ、はたから見ていて本心がどこにあるのかわからないやり取りがデフォルトだった。なぜ相手を傷つけたのかわからなかったり、その時は言われないで後から本音を知ったり。私にとっては、会話は恐怖であり、安心感がまるでなかったと思う。

地雷だらけの戦場を踏み歩くようなのが、家庭の会話であり、私にとっての会話だった。

コレは今も気心が知れていない相手とのコミュニケーションの場合は変わっていない。だから私にとって新しく人に会うことは、とてつもないストレスだ。新しい地雷だらけのフロアを開拓するようなイメージだ。

いつも暗号を読み解くように、言葉の裏を読み、真意を推し量り、正解か間違いか確認できないまま、ずっと生きてきてしまった。

私のコミュニケーションは、醜く歪み捻じ曲がっている。私は獲得してしまったこの性質を、醜くともそのまままずは受け容れ、これからの生き方や接し方を考えていく必要があると思う。

子どもが素直に生きている姿を見ていて、しみじみと哀しく思う。

生まれた時には、私もちゃんと真っ直ぐ意思表示していたはずだ、ということがよくわかる。

嬉しいときは笑い、悲しいときは泣き、欲しいものを欲しいと言い、嫌なものは嫌と伝え、いつも全力で素直に生きていたはずだ。私もそうだったはずなのにな、と思わずにはいられない。

なぜそのままの私を生かしてくれなかったのだろう。

インナーチャイルドを窒息させた両親を恨むなという方が無理な話である。

境界線(バウンダリー)

さて、ACではない人は、前述した私とは違って、会話において安心感を育みながら成長しているはずである。(実に忌々しい。)

たとえば私は、「他人が何も言わないこと」に対してもあれこれ勘ぐってしまうのだが、
「ACではない健全な人」が何も言わないということは、本当に何も感じていないか、話す必要がないと積極的に判断しているということである。

私はその人の決断にヤキモキする必要はない。

それなのに、相手がなぜ話さないのか?とありもしない裏の理由が気になり、何時間もウダウダ悩んでしまったりする。これはとても不毛で疲れる。

私のなかで、自分と他人の境界線(バウンダリー)が不明瞭だから、こういうことになる。相手を把握してコントロール下に置かないと不安だから、気になっているのだ。

私は自他の境界線をしっかり引き直して、切り離して良いことを判別して理解し、行動を変容させていきたいと思っている。

他人が素直に話すか話さないかは、相手にしかどうすることもできない。

相手の発言を、私はどうすることもできない。

素直に気持ちを確認し、気持ちに寄り添い、その内容について自身の素直な気持ちを話す以外に、私ができることはない。

それを忘れないでいたい。

そして、それでよいと心から納得し安心したい。

それで良いという安心を与えてくれなかった家族が憎い。しかし、これはもうどうしようもない。過去は過去。受け容れる他ない。

重要なのは、「このように歪んだのは私だけのせいではない」「当時は私にはどうしようもないことだった」ということを理解しておくことである。

最もコミュニケーションを気軽に学べる場所であるはずの「家庭」というモデルケース。この基盤が歪んでいたので、私の認知がしっかり歪んだ。これはもう疑う余地がない。とんでもない呪いだと思う。私はこの呪いで自分自身を縛り、他人との関わりを一人で勝手に諦め、誰にも助けを求められないから、エチルアルコールに耽溺したんだな、と思う。

それをただ受け止める。

まとめ:憎しみをみつめ、裏にある自分を見つめる

憎しみの裏には自分自身の苦しみがある。

そういう視点で憎しみを見つめ直してみると、案外おもしろい。

私は愛媛も苦手で、夏目漱石の『坊つちやん』に描かれているような、愛媛の(一部の)人々の野蛮さや他人を気にかけられない粗野な性質に触れて、毎日いつもイライラしてきた。

これは、自分がそのように素直に生きられなかった恨みである。自分のことを第一に考えて生きてはこられなかったのに、好き勝手している人々の姿を見ると、なりたかった姿とは思わないけれど、そういう「可能性の自由」を奪われた憎しみが反映されて心がざわつく。自分のなかにある憎しみを見ているんだろうな、と最近思うようになった。

ギャンブルを憎んだり、酒を憎んだりするのも、やはり自分のなかにある何か不満や恨みがあるからなのだと思う。対象物を憎んでいるように思えてその実、自分のなかにある願望や悲哀が「他人という鏡」に映っているだけなのかもしれない。

私は、そういう自分のなかの、暗い怨み辛みをしっかり目を凝らして見つめ直していきたい。

その結果、それらから手を離して、もっと自由に生きていきたい。それこそが回復なんじゃないかなと思う。

身に着けてきた恨み辛み憎しみも、私の大切な一部だ。憎しみを愛で、身に着けてきたスタンスの悪い面ばかりでなく、良い面も客観的に評価して尊重していきたいと思う。

生き方のスタイルは、自分という媒体の使い方であり、自分次第なのだ。

私たちは、自分自身を媒体としてきちんと尊重していなかったり、大切に扱っていなかったりする。

私たちは「お互いに尊重する」というアサーティブネスに基づいた健全な関係を持ち直していく練習が必要なのだ。

そのためにはまず、歪んでいる使い方や思考のきっかけに気づくために、真摯に棚卸しをして己を見つめ直していくことが大切だ。

この「境界線(バウンダリー)」における認知の歪みに関して、まだまだ棚卸しが足りないと感じた。今後、特にこのテーマで棚卸ししていきたい。

【AC】謝罪が『裏返る』

格闘漫画『バキ』を読んだことがある人は、列海王さんを思い浮かべたことだろう。

「毒が…裏返るッッ」

なんじゃそりゃ?と全国の読者が思ったであろう、あの名場面は忘れようにも忘れられない。トンデモ理論で最高に笑える『バキ』のなかでも代表的なギャグシーンである。興味がある人はググってみてほしい。

さて、冗談はさておき、謝罪について今日は考えてみた。

 

謝罪したらもう『終わり』?

2つの本を紹介してもらったことがきっかけで、私は謝罪について深く考えるきっかけをいただいたと思っている。

 

私はとにかく謝ることが苦手だ。

今でも、いざ謝るとなると、動悸がするし嫌な汗が背中にジットリとにじむ。

 

私は親に謝ったとき、一度謝っただけでは許してもらえないことのほうが多かった。

執拗に、陰湿に、ネチネチと繰り返し同じようなことを言われて、謝っても謝っても苦しい時間が続いた。謝る意味はないのではないかとも思った。

クラスメイトにも受け取ってもらえなかった。謝罪をしても、一度やってしまった失敗は取り返しがつかないものだと感じた。だから、謝るときは、関係が終わりをつげ、今まで私が相手に対して感じてきた希望や愛情が死ぬとき、というイメージだった。

そう、まさに、謝罪は『終わり』『死』だった。

そういう暗く重い陰がつきまとう行為を、誰が積極的にしたいと思うだろうか。したい人はひとりもいないだろう。

こうして私は、謝罪を恐れ、謝罪をしなくてはならないような失敗を恐れ、完璧を求めるようになったのだと思う。

 

エチルアルコールによって完璧に叩き潰された私

そんな謝罪を恐れる私も、逃れることができない事態となる。

アルコール依存症になった私は、とにかく人でなしになった。

遅刻したり、約束を破ったり、不安定な精神で人々を傷つけたり。酒害はかかわるあらゆる人に害を与え、私は絶対的に悪くて、謝らなくてはならないことを抱えきれないくらい抱えることになる。

 

そもそも、エチルアルコールという薬物に依存して逃避していたことは、仕方のないことだったと言わざるを得ない。当時私が息をするためには、酒が必要な杖だった。己との向き合い方を間違えたために、使い方を間違い、道を誤った。それは、私にはどうしようもない、生育歴という要素もあったので、なるべくしてなったというか、生きるために必要で、私の人生には必要不可欠な洗礼だったように思う。

私自身、自分でも自覚できていなかった自分の苦しさを本当は認めてほしいと思ってきたようだ。

しかし、酒で道を踏み外した私は、人から見れば「だらしない人」で「甘えた人間」であり、ただの罪人でしかない。

私の言葉は何も拾ってもらえない。

アルコール依存症を罹患し、さまざまな人々に危害を加えた人の言葉は、この期に及んでは何を言っても言い訳扱いであった。

「俺だって辛かったんだ」って思ってる気持ちを抱えているけれども、誰にも受け止めてもらえないから、なかったことにしようとしていた。

でも、できなくて、苦しんでいた。

なぜできなかったかというと、圧倒的に自分の罪が重すぎて、自分の気持ちを受け止めてもらうなんて、おこがましいことだと思って封殺したのだ。

自分を理解してもらうことを、気持ちを表現した言葉を否定されてきた経験の積み重ねにより、学習性無力感に陥っていたと言ってもいいだろう。

学習性無力感(がくしゅうせいむりょくかん、Learned helplessness[1])とは、長期にわたってストレスの回避困難な環境に置かれた人や動物は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという現象である。他の訳語に学習性絶望感[2]獲得された無力感[3]学習性無気力[4]がある。

出所:Wikipedia「学習性無力感」

「どうせ私はもう終わった人間なのだから」

「生かしてもらっているだけでもありがたいのだから」

という卑屈なセリフの裏に、『認めてほしい』『理解してほしい』『話を聞いてほしい』『諦められたくない』という、切実な叫びが隠されてる。

しかし、本人ですら深い深い心の奥底にしまいこんで、見ないようにするのだ。

 

それにより問題が発生する。

私たちは、そうやって気持ちを見ないようにしていると、他人にもその生き苦しさを強要しがちだ。

「なぜ俺が認められないのに、あんなテキトーにやってるやつが認められるんだ」

「私のほうがもっとがんばっているのになぜ」

と、『他人の不完全さ』が許しがたい感情に支配される。

私を否定するお前らが、なぜそんなに不完全なんだ、という怒り。

それは、自分自身の心や思いを他人に受け取ってもらえていない悲しみが、他人に対する怒りという別の形で表出しているのである。

 

こうして、私は謝る準備ができないまま、とにかくひたすら頭を下げなければならない場面にさらされて、卑屈に歪んだ。

1億%こっちが悪いし、ほぼ許してくれない。

「二度と顔見せるなカスが!」とか言われるのデフォである。

だから、当時の謝罪のイメージはもう「なますに切り刻まれる覚悟で焼き土下座」って感じだった。

そうやって私の心は謝罪に叩き潰されていった。

当時の私にとって、謝罪は毒そのものだった。

 

謝罪が裏返る

そんな毒である謝罪が『裏返る』ということを、私はのちに経験する。

 

私は長らく、素直に謝るのは難しい時間が続いた。

まずは受け入れられることが重要だった。

「自分のことを話していいんだ」「あ、俺って辛いと思ってたんだ」

話を聞いてもらえてから、そういう気持ちに気づく。

 

その土台があって初めて、やっと罪そのものにようやく向き合えるのだ。

初めてやったことの取り返しのつかなさがわかる。

謝ることが心底恐ろしいと感じる。謝ったりしたら、それで受け取ってもらえなかったら、もう自分は生きてちゃいけないんじゃないかと思う。

謝罪をする、本当の恐ろしさをまだ知らなかったと言える。

自分のために謝るよりも、相手のことや心情を真剣に考えて謝るほうが、よほど恐ろしいことに気づく。

これがとても重要である。

『自分がこれだけ相手の気持ちに寄り添えるなら、相手だって、自分の気持ちを大事にしてくれる可能性があるかもしれない』

ということに気づくからだ。

同じくらい大事にできるという可逆性に気づくと、他人を大事に考え行動することが、自分をも大事にする行動なのだと気づく。

裏返る。そうなると裏返る。

謝ると救われた気持ちになるのは、利己的な思考を捨てて他人のことを純粋に考えた謝罪を行うことにより、結果的に自分自身の尊厳を重んじることができるからだ。

「自分も大切にしてもらえる」という可能性は、私がそう思い行動できる限り消えないからだ。何よりも知覚しやすい生きる証明になるからだ。

つまり、自分の生き方そのものが、自分が大切にされるべき存在だという、確固たるエビデンスになる。

だから自尊心を取り戻せるし、謝ることが、恐ろしいだけのことじゃなくて、尊いものに変わっていく。

自分のなかで、毒ではなく、清い美しいものに変わっていく。

謝ることって、相手に寄り添えば寄り添うほど、相手も自分も救われる、尊いことなんだな、と今は思う。

教えてくれた尊敬すべき仲間に、心から感謝したいと思う。

 

【AC】「権威ある人を恐れること」を受け容れて見えてきたこと

以前棚卸ししたこちら↓のテーマである「権威ある人を恐れること」について考えていて、ふとむかしのパワハラ上司を思い出しました。

【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑪(権威ある人を恐れること)

 

前職の上司「Sさん」

私の前職の上司のSさんは、私にとって『権威ある人』でした。

社会人になりたてホヤホヤで右も左もわからない新人の私から見れば、Sさんは大企業での仕事も経験しているし、当時発足した東京営業所の所長を任されており、ビジネスや社会人の常識という面で「正しさの象徴」のような存在でした。

だから、Sさんに言われることをひとつひとつ真面目に受け取りすぎ、また、評価されないことをとても恐れていたと思います。

 

「こんなに使えないなんて裏口入学なんじゃないの?w 本当にその大学卒業したの?w」

「社会人になったら信号が三色なのも全部自分のせいだと思えよ、言い訳すんなお前。」

「誰もお前になんて興味ないからw 自意識過剰だっつーのw」

「なあ、今、俺がしゃべってんだよ、聞け。しゃべるな。」

「大企業だったらとっくに終わってるよ、お前。」

 

こういう物言いをする人でした。

言い方も伝えていることも、完全にパワハラでありモラハラなのですが、彼はホリエモンがバリバリだったころのIT業界にいたので、業界的に教えられたルールがブラックだったのでしょう。それが当たり前だと思っている節がありました。

こういう接し方をされて私はひどく傷つきました。アルコール依存症はもちろんのこと、うつ病も併発していたと思います。

当時は毎日が死にたいほど暗く重く、食事をしても味がしないし酒量はどんどん増えていきました。

 

彼も人なり我も人なり

彼がしたことは、私に謝罪するべきことです。

なぜなら、私の尊厳や自尊心を深く傷つけたからです。冗談だったとしても、傷つけたことをなかったことにはできません。私にとって、その点において彼を許すことは、彼からの謝罪なしには難しいことです。だから、許す必要はない。

 

それとは別に、「ああ、もう今更怒ってもしかたないことだったのかもな」とも思います。

つまり、『怒りを手放す準備』ができたのだな、と感じます。

 

というのも、彼は当時私と同じくらい、つまり30代でした。(彼は外見が老けていたので、記憶ではもっと年上の印象ですが)当時の彼は、私と同じく、何も知らないただの若造だったのです。

私がいかにいろいろなことを知らないかということを鑑みるに、彼もまた私と同じように、「自分の見てきた世界が全てで、何でも知っている」と考えていたのでしょう。

それでいて、自分が知らないことに恐れを抱いていて、正しさで誰かをマウントして押さえつけることに躍起になってしまったのだろうな、と思います。

まさしく私が陥っていた姿です。

恐れていた彼は、とても大きく強大に見えましたが、実は私と同じくらいの大きさだった、ということです。

 

 

何となく気になって彼の名前を久々に思い出し、Googleで検索してみました。

彼は、いわゆる大企業と呼ばれる会社(売上6000億くらい)で成果を出しながら、ビジネススクールに通ったそうです。

そこで出会った人々と異業種で起業する夢を追いかけてフリーランスになって、私たちがいた中小零細企業に、雇われ所長で来ていました。

ネットでみる限りでは、今はフリーランスの状態から会社を立ち上げて、自分でつくった小さい会社のCEOをしているようです。

 

彼にはビジネスで成功したい!自分のビジネスをやりたい!というベンチャービジネスへの夢がありました。ビジネスを立ち上げて儲けよう!ということが、彼の成し遂げたいことだったのだと思います。

寝食を忘れて仕事に取り組む姿は、そういう熱意から来ていて、だからこそ尊敬できる面があることを、今なら素直に思えます。当時は、こんな奴死ねばいいのに、と思っていました。

 

しかし、私も「そこまで言うなら大企業で仕事してみたい」と思い、こっそり転職活動をして、彼の2倍ぐらい売り上げがある会社に転職しました。

転職が決まったときは気分爽快でした。

「ざまあみろ!お前なんかより大きい会社に移ってやったぞ!どうだコノヤロウ!!」と思いました。

「このしょぼい会社で、しょぼいことでも一生やってろ!」と心のなかでバカにして後ろ足で砂をかけて会社を去りました。

 

その後。

大企業に勤めてみて、大きい会社だからって何でも優れているわけではないし、むしろやっていることはほぼ同じなんだな、と気づきました。

依存症になって尊敬する人に出会って、フリーランスで生計を立てることのすごさを知りました。

 

その経験を経て、自分のしたことはすごく失礼で浅くて小さいことだったな、と思います。

彼は彼なりに、フリーランスとして妻子を食べさせていくこと、夢を追いかけることに必死に走っている状態だったのだな、と思いました。

彼は完璧では決してなかったし、人材育成には向いていない刺々しさを持っていて、世の中のことを知っているつもりでその実全く知らなかったのでした。

Sさんは、一皮むいてみれば私と同じ弱く浅い無知な人間だったのだな、と気づくことができました。

 

恐れるべき人などいないということ

そう考えると、「私は誰も恐れなくていいのではないか」と思うのです。

社会人として生きてきて、彼が大事だと言っていた「常識」は、それが天の理というわけでは全くなくて、ビジネスの上で良しとされている、というだけのことでした。

つまり価値観の一つであり、Sさんはそれだけしか価値観を知らなかったから、あんなに断定的にしか物事をとらえられなかった。

当時は、Sさんにとって、それが限界だった。今はどうか知りませんが。

みんな弱さを抱えて生きているのに、強いふりをして他人より上だの下だのと言って、安心したい。Sさんが当時無自覚にもやっていたことは「強くありたい弱い者」のすることです。そして、その意味ではみな平等に弱い存在であると言えます。

私はビジネスにおいて成功したいというよりは、お金がもうからなくったって、本当に世の中のためになることがしたい。

その方向性が違っていたから、かけられる熱量とベクトルが違った。

Sさんと私との違いは、そこでした。そして、どちらも好きなように生きればよかったのです。どちらが正解でも間違いでもない。尊重し合うには、お互いに未熟だったね、と思うのです。

 

彼が今何を考え、どうしているかは知らないし、もう今や関係のないことですが、Sさんとの出会いは、「権威ある人を恐れること」の課題について気づきを与えてくれました。

そのことに、今は感謝したいと思います。

そして、恐れる必要などなかった人なのだという爽やかな薫風と一緒に、怒りを手放してしまおうと思います。

 

この世には、絶対的に正しい人も居なければ、絶対的に正しいこともない。

【AC】Step8「傷つけた人」その④『高校からの同級生Sさん』

step8.傷つけた人の棚卸しです。

 

Sさんとの関係

Sさんは、高校時代からクラスメイトでした。

小さい頃からピアノを習っていたそうでショパンやラフマニノフやリストが弾ける子でした。学校の成績は良く、顔も良かったので、リア充寄りのキャラクターでした。

私みたいな根暗は本来なら縁遠いタイプの人でしたが、高校時代はテニスで県内ベスト4で「スポーツができる人」と一目置かれていたことと、共通の特徴として、教師に非常に反抗的な性質を持っていたことから、よくつるんでいました。

彼との関係が一変したのは、大学受験からです。

私はある程度の私立大学に合格し、彼は上を狙って全て落ちました。

彼は正直、学力の面では自分の方が上だという優越感を、私に対して抱いていたようにみえました。私より偏差値の低い大学に行くのは、プライドが許さなかったのか、留年して大阪にある河合塾の予備校に通い始めました。

私が大学で狂ったようにエチルアルコールを摂取し始めたのと同じように、彼もまた酒を飲み、あまり真剣でない予備校仲間に唆されて、夜遊びが中心の生活を送るようになりました。

当然学力の向上は見込めず、彼は現役のときに合格できた実力よりも偏差値の低い大学に、行かざるを得なくなりました。

それから彼は私に対してコンプレックスを抱くようになりました。会っても私より優れているところ、つまり容姿や女性ウケの良さを自慢するようになりました。

かつて教師という共通の敵を持っていたころの関係の心地よさは消え失せ、徐々に居心地の悪い間柄になっていきました。

そして、私が4年の大学生活を終えて最初の会社に就職するころ、彼は統合失調症を発症しました。

 

自分の自尊心を保つために彼を利用した

私の反省は、ここから深いものになります。

なぜなら、私は彼を自分の自尊心を保つために利用したからです。

私は就職はしたものの、ブラックすぎるベンチャー企業の実態に「失敗した」という忸怩たる思いを抱えていました。

酒に逃げたのと同様に、私を安心させてくれる「下」を探していました。

それがSさんでした。

彼が連絡してきて、「今中学生と付き合っている」とか「オタサーに入って一番モテている」というような自慢話をしました。大して興味もないくせに彼の話を聞いたのは、自らの欲求を満たすためでした。

すなわち、彼を下にみて「こいつは俺より何もない」と確認し、安心したがったのです。「まだ女の話なんかして、バカじゃないのか、それしか話すことがないのか」と馬鹿にして腹の中では嗤っていました。

とてつもなく醜い心でした。

「彼がさびしいだろうから」などと優しさを取り繕った吐き気を催す建前に隠して、こんなにも利己的な本心を持っていると認めたくなかったので、私は無意識に目を背け続け、努めて認識しないようにしました。

私は彼が、自分が働けていないことを気にすると容易に想像できていたのにあえて「仕事がいかに大変か」「どれだけやりがいがあるか」というような話をしました。

彼が目をピクピクさせながら聞くのを見て日頃の溜飲を下げました。

 

対人依存が決定的になった借金

彼の統合失調症は悪化しました。

あるとき、「治療費が払えなくなった」「金を貸してくれ」と彼から言われました。

それは甘美な申し出でした。

頼られる、養う、そういう扶養側の立場にいることで、もはや朧げだった存在意義を繋ぎ止めるのに、彼を利用できるからです。

渋るふりをして、私は内心いそいそと、30万を用意したのでした。

完全な対人関係依存だったといま振り返ると、思います。

金を貸した側という正しさを振りかざして、自分が彼を利用したくせに、なかなか返ってこないばかりかさらに上乗せで借金を申し出てきた彼を罵倒しました。

人を正しさで攻撃することは、気持ちの良いことでした。

彼を責めている私は正しい、彼が間違っているのだから、相対的に私が正しい、なぜなら是正する側なのだから、という考え。

下を捕まえて叩きのめすことで自分の自尊心を回復させようという下卑た意図がありました。

彼の病気を理解しようとせず、「働こう、返そうと思えば返せるはずだ、それがないのは、返す気がないからだ」と言いました。

「絶交だ、そんなようだとこれからも友人をなくすよ」と言いました。

自分が精神疾患に罹り、それがどれほど酷い言葉かよく分かりました。働きたくても働けない、そんな状態だったかもしれないのに。そんなとき、こんな言葉をかけられたら、私はとても辛い気持ちだったでしょう。

 

謝罪のことば

彼がどうしているかは、今はわかりません。

Sさん、私は自分のために、あなたを下に居させて利用しようとし傷つけたことを、心から謝ります。

本当に申し訳ありませんでした。

金を返す返さない、そんな問題より先に、私はあなたを傷つけ、追い詰めるような接し方をしました。自分のことしか考えていませんでした。

あなたにも尊敬するべき個性があり、目に見える物差しで推し量ることなどできない尊厳があったのに、それを当時わからずに貶めました。

私なら許さないでしょう。

そういうことをしたと、ここに改めて認めて、謝罪させてください。

本当にごめんなさい。

【AC】Step8「傷つけた人」その③ 『前任地の同僚Yさん』

今回の傷つけた人は、前任地の同僚Yさんという女性です。

私がまだ酒を飲んで狂っていた頃の同僚で、最終的にはお互いに会話もしたくないということでメールでしかやり取りしなくなり、関係は完全に壊滅しました。

私は長らくこの人を、私を迫害した人として恨んできました。しかし、決してそれだけではなかったことに最近気づいたので、棚卸したいと思えるようになりました。

尊敬する人の棚卸しを聞いていて、気づきをいただいたのがきっかけです。

相手の、私に対する接し方は、アサーティブではなかったし私を傷つけるものでした。

しかし、それと同様に私も彼女を傷つけたことをここに認めます。

 

当時の状況

私は、酒害をまき散らしていました。

特に当時2人一組で得意先を担当していたため、私と仕事をしなくてはいけなかったYさんに、迷惑を掛けました。

朝ストゼロがキマりまくった状態で出社(Yさんとの約束に遅刻なうえに飲酒運転)し約束を蔑ろにしたりしました。とにかく時間に遅れることが多く、一切信用されていなかったと思います。そんな人を信用することは難しいことだと思います。反対の立場ならできません。

つまり、私のYさんに対する態度は、非常に不誠実な態度だったことを認めます。

Yさんの夫は、当時いた会社のパワハラ上司とその金魚の糞にいじめられていました。旦那が精神的に抑うつ状態だったことや、Yさんの実母が脳卒中で下半身に麻痺が残るなど個人的に大変なことが重なり、Yさんは余裕がなかった状況でした。

そんな状況を私は知りませんでした。自分のことしか見えていなかったのです。

Yさんが弱っていることを喜ばしいことだと感じました。

家庭内で抱えている問題を人伝に知った後は、「そんなプライベートの事情で仕事に穴をあけたり仕事を蔑ろにするのは、私に対して要求してきた正しさと整合性が取れない」と厳しく非難し追及し、彼女を追い詰めました。

そんな私に対してYさんは「あなたとは他の所員と同じようには接することはできない」と言っていました。私は「それは仕事をするうえで許容できることではない」「必要なことは伝達してもらわなければ困るし、同僚である以上平等に接するべきだ」と訴えを認めず責めました。

今考えれば、無理のないことでした。

私はまさに私がYさんにされて嫌だったことをしていました。私は彼女にやられたことをそのままし返すことで復讐するという嗜癖に耽溺して、執拗に大義名分を盾にして攻撃し続けました。

 

Yさんは、私と同じでした。

自分を世の中に認めてもらいたくて、世の中の物差しに支配されている、実は他人に怯えていて弱い人でした。だから正しさにこだわったし、正しくない行いをする私を攻撃したのだと思います。

私も全く同じでした。

「俺を認めろ」

「俺をバカにするな」

「俺のほうが優れていることを見せつけてやろう」

頭のなかは俺ばっかりで、大切なことは何も見えていませんでした。

自分の存在を誇示するために他人を使い捨てのように扱われて傷ついてきたのに、私は彼女に対して同じことをしました。そのことをとても恥じていて、また後悔しています。

 

鏡に映し出された自分の姿

これに気づけたのは、回復した状態で、また攻撃される立場になるチャンスにめぐりあったからです。

「評価を求める」

「承認を求める」

「他人に怯えて監視する」

「同情でコントロールしようとする」

「見捨てられ不安を感じると他人を責めて問題から目を背ける」

「己の過ちを認められない」

これらは他でもない、エチルアルコールでおかしくなった状態でYさんを執拗に憎んでいた、かつての私自身の姿でした。

これは私の母の姿に重なります。幼いころから、このような姿で私を圧迫してきた母親の弱さ。私は母と同じように境界線を侵害して他人を傷つけてきたのでした。

本当の自分の問題に目を向けていなくて、それゆえによくわかっていなくて、相手が嫌がっているのに自分の気持ちを解消するために謝罪をしました。

口先だけでした。相手に許してほしいという自分のことだけしか考えていませんでした。
そんな自分勝手な謝罪を受け取らない相手を、責める気持ちを持ちました。

私は当時、きちんと謝ることができる状態ではなかったことを認めます。

自分自身の心を守ることに必死で、私は自分の真の問題に気づけていませんでした。それなのに、相手に自分の存在を認めさせようと、境界線を侵害しました。そうしてYさんを傷つけたことについて、本当に申し訳ないと思います。

仕事の実績で助けて自分の罪を清算しようとしたり、卑屈にへりくだり攻撃させないようにコントロールしようとしたりしました。

必死で平気なふりをして虚勢を張りました

しかし内心は、だれも見向きをしてくれなった懲戒解雇検討中の孤独な経験について思い出し、ものすごく怯えていました。

誰にも相談できない状態で、当時は自分を保つためにはそれしかなかったことも事実でした。

しかし、それにより他人を傷つけてきたことも、また動かぬ事実なのでした。

人を傷つけている自分
失敗している自分
弱い自分
情けない自分
自分の過ちに気づけない自分
醜い自分

そんな自分を見たくなくて、受け容れられなかった。

最も必要なのは、そんな自分も自分自身の一部だと許してあげることだということに、まだ気づいていませんでした。

エチルアルコールををやめて、そろそろ3年になります。今になってようやく、そのことについて認めることができそうです。

長く依存物質をやめて、己の罪と行いや自分を許すことについて深く考え続け、それを聞いてくれる仲間に巡り合わなければ、今もまだ認めることはできず、憎んだままだったことでしょう。

まだあまり会いたくないし、直接会ってこのことを伝えることはかなりハードルが高い。なぜなら、私は相手に受け取られないことをまだ恐れているし、攻撃された記憶は今なお痛みを伴っているからです。

Yさんに伝えた場合受け取ってもらえないこともあるだろうし、追撃されることもあるだろうと思います。その可能性のほうが高いと思います。

それを含めて謝罪することに至るには、本当に時間を要することで、日々棚卸ししていくなかで、自己肯定感を高めていなければ実現不可能なんだなと実感します。

ただ、希望だと思える事には、私は、もし今回気づきを与えてくれた人が、真摯に謝ってくれたなら、それを受け取ると思います。

つまり、心から相手のことを考えた謝罪は、受け取る準備ができた人には、しっかり受け取ってもらえるものだと思います。ということは、受け取るか受け取らないかは、相手の課題であって、私にはどうすることもできないことなのだと思うのです。

それは相手の準備の問題だから。

かつての私がきちんと謝罪することができなかったように。人を傷つけ憎んだことの根本は、自分自身の課題であったのに気づいたように。

相手にとってベストな気づくべきタイミングが、来るときには必ず来るのだと思います。

自分が受け取る準備ができることで、私はそれが己の問題ではないこと、私にできる事は、自分の意志で真摯に受け容れ、謝罪すべきを謝り、他人の謝罪に誠実に耳を傾ける事だけなんだなとわかりました。

だから私は、勇気をもって、かつて人を傷つけた自分自身の弱さを許そうと思います。それと同時に、傷つけられたことについて、納得したいと思います。

当時、私には、謝罪する準備ができていませんでした。それにより、相手の心をひどく傷つけることをしました。

とても、反省しています。

同じことをしないために、私は棚卸をし続けて、己の生き方を点検し続けていきたいと思います。

【AC】アサーティブであることは、強さであり優しさであるという話

ACの12ステップ・プログラムと切っても切り離せないのが、『アサーティブ』であることだと思う。

自分の気持ちを率直に伝えたり、自分の考えをきちんと伝えることは難しい、しんどい、と感じることはありませんか。また言いすぎてしまった、もっとはっきりものが言えたらいいのに、上手に断れるようになりたい、攻撃的な言い方をやめたい、自信をもって人と接することができるようになりたい…。
でも、どうやったらそんなふうにコミュニケーションすることができるのでしょうか。その道しるべとなってくれるのが「アサーティブ」です。

 

アサーティブネス(Assertiveness)の訳語は、「自己主張すること」。でも、アサーティブであることは、自分の意見を押し通すことではありません。自分の気持ちや意見を、相手の気持ちも尊重しながら、誠実に、率直に、そして対等に表現することを意味します。

 

しかし、長年身についた言い方の癖や態度はなかなか変えられません。それには練習が必要です。自分のコミュニケーションパターンに気づき、それをアサーティブなものに変えていく学びと練習が、アサーティブ・トレーニングなのです。

引用:アサーティブジャパンHP「はじめに」より

 

私には、自分の要望がもし受け容れられなかったらとても傷つくから、なんとか言わずに相手をコントロールしようとする悪癖がある。

それは私の母親がやっていたことを無意識に模倣しているのだ。ずっとそのやり方でコントロールされてきたから、気が付いたら同じことをしている。それでさんざん苦しんできたのにもかかわらず、である。

自分が悪くならないように、言葉には出さず、疲れた様子やイライラした様子を見せてやるように仕向ける、という卑怯なやり方。そのやり方を私はよくしがちであることを認める。

この悪い習慣を手放し、アサーティブな自分であること。そのためにも、12ステッププログラムに真摯に取り組み続けること。

それによって、私の生きづらさは改善されていくのだと、信じている。

ちゃんとした「謝罪」の難しさ

相手に対して素直に謝れることが増えてきた。

まだまだ難しいが、悪いと感じたことを、言葉にして、心から謝ることを今、頑張っている。

 

なんとなく、気兼ねしている人が、みなさんにもいるのではないだろうか?

 

なんとなく嫌われているような気がしたり、なんとなく見下されているような気がして警戒したり。そういうときは、自分のなかに『何か認めたくないもの』があるときなのかもしれない。

私は、ある人を傷つけるようなことを言ってしまった。そのことに、今まで気づいていなかった。

しかし、最近傷ついた経験から、同じようなことをして傷つけたのではないか、という罪悪感を無意識に持っていたのだろう。

その人から何か言われるたびに、「私のなかの罪悪感」が心の壁となり、発言に対して警戒したり、気にしたりしていたように思う。

そこで、罪悪感について己の気持ちを突き止め、勇気を出してちゃんと心から謝罪した。

結果として、自分の行いがその人の心の安全を脅かしていないということに気づけた。

すると不思議なことに、それからは、「バカにされているのではないか」という不安感や、その人のことがわからない状況に対するイライラが起こらなくなったのだ。

他人が何も語らない場合、それはその人の自由であり、私がコントロールできるものでも、コントロールしていいものでもない。

たとえばある人が何も話していないにもかかわらず攻撃されているような気がするときは、己の心の中にいる自分が、自分自身を責めているのだと思う。自分がみる他人というのは、限りなく己の心が映し出す幻影であり妄想である。

そういうときは、事実を確認するようにしたい。

特に批判しているないようではないのに、批判されているような気がしたときは、自分の心に聞いてみよう。おのずと、答えが返ってくるはずだ。

 

ちゃんとした「謝罪」と同じくらい私にとって難しいこと

謝罪と同様に、私が他人に言えない難しいことがある。

それは『強く出る人に対してきっぱり断ること』だ。

強く言われると、自分が100%正しくないと断りづらくてたまらない。自分が断る正当性をついつい探し求めてしまう。

仕事で、こんなことがあった。

私はA社で働いている。

協力会社のB社が仲介をしているイベントがあってC社からの依頼を取りまとめしているのだが、B社には日頃からお世話になっているので、C社が定期的に開いている講演会を請け負ってくれないかと言われた。

講演をしてくれる演者の手配と会場費を負担するだけだったので、依頼をA社として受けることにした。だいたい2ヶ月前から動き、1ヶ月前には演者と演者のご略歴(経歴みたいなもん)を調整して、会場を運営するくらいのもので、予算もたいしてかからないし、と軽く受けた。

あくまで、これは対等な取引だ。我々A社としては開催費用を負担してあげてるわけで、B社から見たら依頼を受けてくれたありがたい存在なのだが…。

気に障ることには、やたらB社の担当が横柄なのであった。

「やって当たり前」「早く動け」「俺だってやりたくない」みたいな態度で、感謝の気持ちもない。新型コロナウイルスの影響ででA社の判断で延期が決まったのだが、

「(私は怒られたくないから)それはC社に直接行って詫び入れてくれる?」

と言ってきたのである。

「え?飛び越えて私が代わりに言っていいんですか?」

って思わず聞いてしまった。とりあえずして欲しいとのことなので、丁寧に電話で説明したら、

「そりゃあそうですよね、むしろこちらが目処を立てられず申し訳ない」

と逆に謝ってくれるC社。いいやつだ、C社。

お互い頑張って乗り切りましょう!とC社と爽やかな電話をした後、すぐにB社から電話かかってきた。

「どうやった?」

「どうやったって、何事もなく延期になりました。」

「怒ってなかった?」

「逆に謝られましたよ」

「そっか、ほんなら俺からも連絡しょーわい」

 

「しょーわいっていうか、もう私が連絡したんだからする意味なくないですか?」というのは飲み込んだものの、その後に続けられた「じゃあ、時期がきたらまた頼むわ」には流石に青筋が立った。

「状況が今までとは異なると思いますので、あらためて正式にご依頼いただいたときの状況で、可否を判断させていただきますね」と言うと、

「え、できんゆーこと?できるってゆーたやん。今からできんとか言われたら困るんやけど」と凄まれた。

 

こういう言われ方が、滅法苦手である。

たしかに一回できるって言ったよな…とか思いがちだし、正直頭にきすぎてなのか、母親に正論を言われ続けたせいなのか、心臓がバクバクして頭がクラクラする。

「だから、できるかどうかの判断が、コロナが落ち着いてからになる、ということですよ」

と伝えると、相手は

「わかりました」

と不服そうに電話を切ったのだが。

 

なんか、悔しい。

 

「は?もう二度と受けるか、バーカ!」と本当は言いたい。笑

しかし言えずにビクビクする自分がすごく嫌だと感じる。後に引きずって不機嫌になったり憂鬱になったりしたくないのに、なってしまう。気にしなければいいし、そのときに断ればいいだけなのに、本当に私に非はなかったか、点検してしまう自分がいる。

少しでも落ち度があったら「こっちも悪かったしな」とこちらから卑屈に謝りかねない。明らかに向こうが失礼なことが原因にもかかわらず、である。

12ステップ・プログラムを学び始めて、

「自分の気持ちは、正しくなくても認めていいこと」

「相手と同様に自分にも価値があり、尊重されるべき人間なのだということ」

「自分の気持ちはちゃんと感じて、そのまま素直に、自分の判断でやりたいようにやればいいこと」

そんなようなことを理解し始めている。

単純に私はB社とはもうお付き合いしたくない。そもそも、ビジネスとしても特に利益があるわけじゃないのにお世話になってるから『やってあげよう』とした私の判断は、歪んでいるように思う。

よく考えたら、B社をイネイブリングしてたんじゃないかな、ということに気づいた。

だから「新型コロナが落ち着いて依頼されても、やはり毅然と断ろう。」そう思った。

たぶん以前なら断る罪悪感でズルズルやりたくないことやってたから、これは大きな進歩である。

 

まとめ:なぜ、難しいと感じるのか?そこに理想の答えがある。

なぜ、私は正しくなければ断れないと思っているのだろうか。

謝罪のケースと同様に自分のなかに正しさを探すのは、『認めたくない何か』を見ないようにしているからだと思う。

謝らないことで、どんどん捉え方が自己防衛的に歪んでいって、そのままから遠ざかる。

 

常に真ん中にあるために、非を認めるのは、他ならぬ自分のためでもあるのだな、と思う。

自分の心がフラットなら、人と対峙していても安心できるし、心を揺らすことなくしっかりと受け答えできる。相手も自分も尊重できる。

つまり、毅然と自分の気持ちや要望を伝えることを躊躇わず、傷つけた時には勇気を持って謝り、傷ついた時には勇気をもって伝えることができるということが重要なのである。

このことにより、安心してお互いに自分を出すことができる環境が整う。

接する人が安心できる、真ん中でいられるような人になりたい。

それが、人としての優しさであり強さではないだろうか。

 

 

最も、私がありたい理想像だと認識している。

【AC】Step8「傷つけた人」その② 『会社・上司』

会社や上司を「傷つけたこと」について整理します。

 

2015年3月の行動についての謝罪

私は、2015年3月に会社から懲戒解雇をちらつかされたとき、仕事を失い生活が立ち行かなくなることをリアルに想像して恐怖しました。

彼らもそうだったでしょう。

今まで一生懸命真面目に生きていたのに、突然それを知りもしない部下が、自分ならありえないようなことをしでかして、自分の責任問題になろうとしているのですから。とんだとばっちりであり、彼らにも守りたい家族がいますから、激怒するのも無理はないと思います。

結局、所長Sさんは責任を取らされて窓際部署に飛ばされました。

お子さんがいない家庭をもつ人でした。奥様とふたり、さびしいけど全国を所長夫妻として飛び回り人生を謳歌しようという、所長Sさんが奥様のために描いていた夢は潰えました。

支店長Tさんは、所長Sさんに責任を取らせることで、マイナス評価になることを免れ、今ものうのうと本社勤務しています。この人はSさんに押し付けることで、自分に減点が付くことをうまく回避しました。しかし、同じように、私という「とんでもない部下」のおかげで冷や汗をかいたことでしょう。

この二人について、私の行動は、お二人が大切に考えていた社内評価を下げることをしてしまいました。一生懸命やってきたであろう彼らの顔に泥を塗ったことだと思います。

このことについて、私は、心から謝りたいと思います。

私の行動は彼らを傷つけ、人生に悪影響を及ぼしました。大変、申し訳ありませんでした。

 

もっと本質的な、現在にも続いている認知の歪みに関する謝罪

私は大変根に持つ性格なので、このことを1日たりとも忘れませんでした。毎日毎日、毎朝毎晩、夢に見ては思い出して、粛々と仕事をしながら着実に恨みと憎しみを深めていきました。

そうしていくうちに私は、同じように私の上に立つ社員(本社勤務)や直属の上司に対して、敵愾心を隠さないようになっていきました。

『権威ある人を恐れる』というACとしての生き方の問題を強めていきました。

その人そのものを見ず、権威を敵視することにより、歪んだ受け取り方をしていました。

その頑なで凝り固まった偏屈な態度は、せっかく私に歩み寄ろうとしてくれたり、手を差し伸べようとしてくれた人々を傷つけました。とても後悔し、反省しています。

もうほんとにとんでもなく嫌なやつだっただろうな、と思います。

たとえば社内会議で、問題の本質がまだ見えておらず、上から言われただけの企画を上司が気軽に出してきたとき。「それ見たことか!」というふうに意気揚々と「そもそもこの企画は意味がない」ということを理論立てて部下全員がいるなかで全否定したりしました。上司のメンツは丸潰れで、私は爽快な気分でした。

私は、正義を行っていると勘違いしていました。実は、怒りをぶつけるという嗜癖に耽っていることに気づいていませんでした。

基本的に組織や職位を馬鹿にした態度をとっていたことで、上司が仕事をしにくいように妨害していたと思います。

上司から直接「君は正しいことを考え抜いて話すから皆怖がっているんだと思うよ…」とおそるおそる言われたことがありました。

私は必要以上に気を遣わせていたと思います。それは、大変ストレスだったと思いますし、私がフラットに物事を考え、上司にきちんと人として接することができていれば、関係が歪むことはなかったと思います。

必要以上に恐れ、敵視し、敵意を剥き出しにしたのは、私の未熟さでした。もし至らない点が上司にあったと言えど、私も完璧な人間ではありませんから、そんな失礼な態度をとるべきではありませんでした。

単純に、私には私の価値観が、上司には上司の価値観があり、それは完全に対等で、もし違いがあろうとも『正しさ』で糾弾しようとするのは、2015年3月から2年間、自分がされてとても傷ついたことでした。

私は、自分がされてとてもつらかったことを、彼らにしてきたのでした。それをとても後悔しています。

 

まとめ:反省を活かし、これからをどう改善するか?

私は、蓄積してきた恨みや憎しみを晴らそうと、怒りをぶつけるという嗜癖に耽り、むやみに他人を傷つけてきたことを認め、心から反省します。

これからは、上司や会社の人間にも私が見えていないバックグラウンドがあることを想像します。

私と同じように弱さを抱えて生きている人間なのだということを深く理解したうえで、どんなに違いがあろうとも、それぞれの生き方を尊重し、存在をリスペクトすることを誓います。

あくまでもアサーティブに対話するよう努力します。相手を攻撃するようなコミュニケーションを選択して、私の過去の恨みを当事者ではない人に不当にぶつけるべきではない、と繰り返し自分に言い聞かせながら、落ち着いて話をしていきたいと思います。

私の今までの歪んだ行動により、私に対して恨みをいただいているひともいるでしょう。私の過去の行動の結果は、様々な形で私の身に返ってくるでしょう。

そのときに、また同じ過ちを犯さないよう、違いを恐れず、権威を恐れず、対等性を心から信じること、対等であること、誠実であること、誰も攻撃しないことを守っていけるよう努力します。その大切なことを念頭に置いて、存在に対してではなく、行動に対して、アサーティブに向き合い、言葉を伝えます。

私は、過去を反省し、未来の行動を変えていきたいと思います。

【AC】Step8「傷つけやがった人」その② 『会社・上司』

まずは、会社や上司に「傷つけられたこと」について、整理します。

 

2015年3月のできごと

私は、アルコール依存症を自覚する前、お酒を飲んでは失敗を繰り返していました。医療関係の職場でありながら、職場の人たちには、依存症の知識はありませんでした。やはり、依存症については、当時の私も含め、社会的にはまだまだ浸透していませんよね。

 

そんななか、私は、2015年3月のある日、決定的に会社と上司を困らせることをしました。

泥酔して仕事現場である某一流ホテルに登場した私は、運営していた本部スタッフを激怒させました。とても悪目立ちしていたと言います。

前日に歌舞伎町に飲みに行き、後輩の話によると、飲み屋を2軒、キャバクラに1軒、そのキャバ嬢の子の知り合いのゲイバーに1軒と4軒はしごしたそうですが、最初の2軒まではしっかり覚えているものの、あとはうろ覚えです。

目が覚めたのは、朝方のタクシーのなか。かけていた眼鏡をなくして視界が悪く、時間を確認すると、9時から仕事なのに、8時。

私はふらふらになりながらホテルに一度戻りました。「仕事に行かなくては」その一心で荷物をまとめてヨレヨレのスーツのままシャワーも浴びずにホテルに向かい、会場周辺をふらふらしているところを、本部スタッフに保護されたかたちです。

直接取引先や顧客にご迷惑をおかけすることは幸いにもありませんでしたが、社内の風紀を乱したとして相当問題視され、全社に風紀の乱れに対する注意喚起としてアナウンスされました。

 

私を懲戒解雇すべく動き出す会社と上司

今までも遅刻やミスを繰り返していた私をかねてより迷惑に思っていた当時の直属の上司(所長Sさん)とその上司(支店長Tさん)は、私を組織として抱えることに限界を感じたのでしょう。私に懲戒解雇をちらつかせながら依願退職させよう、と本腰を入れて動き出しました。

数週間、自宅謹慎となりました。出勤が解禁されても、チリ紙を折るという明らかに何の役にも立たないことをやるように命じられました。

そして、これらの言葉を繰り返し繰り返し投げかけられる日々が数ヶ月続きました。

「もう仕事を任せることはできない」

「つまり残っていても仕事はないぞ」

「今お前がやっているのはなんだ?紙を折ることだろ?会社には何も貢献していない」

「これからも貢献するとは思えない」

「もう私たちはお前を必要としていない」

「このままだと懲戒解雇になって、退職金がもらえないぞ」

「お前が会社をやめてくれることが、私たちにできる最後の貢献だ」

結局、私は会社の労働組合が守ってくれて、解雇を免れ、戒告処分となりました。当初リーダーになるべく転職してきた私でしたが、新入社員よりも下の「半人前ですらない」というランクまで職務等級を降格されました。給料はぐんと落ちました。

当然、周囲からは馬鹿にされました。「失敗してもう終わった人間」として、指をさされて嗤われる日々が数年続きました。

その間、私は「死ぬなら全員見返してから死のう」と心に決めていたので、何も言わず、静かに屈辱を反芻しエネルギーにかえながら、臥薪嘗胆を座右の銘にして断酒しながら仕事に励みました。ちゃんと死ぬために生きました。

2年後、私は採用されたときの職務等級まで昇格することができ、周囲の人間より優秀な成績を収めることができるようになりました。

 

私は何に傷ついていたのか?

私は、この経験から、自分の行動に対する責任を問われて、いくら反省しいくら組織に貢献しても、所長Sさんと支店長Tさんに否定され続け、傷つきました。

もちろん私がアルコールを乱用して迷惑をかけたことが事実で、それに対していわゆる自業自得の扱いを受けたと思いますが、行動が改善され、己の罪を見つめ直した人間に対して、一度張ったレッテルをキープし続けて、思い込みから見たくない事実を見ようとしなかったことは、上長として適切な行動ではなかったし、私はそれを理不尽だと思いました。

私のほうが先に信頼を裏切りましたが、それを免罪符にして私の尊厳は踏みにじってもいいものだと言われているように感じました。私はいくら努力しても、しょせん失敗した人間なのだから、二度と日の目を見ることはないのだ、と繰り返し否定されていると感じました。

それは、当時は感じないようにしてきましたが、今思えば、とてもつらいことでした。

また、回復したのちも、アルコール依存症については口外しないように言われました。

アルコール依存症は「恥」であり、会社のイメージを損ねるから、やめてほしい、というのが、会社と上司から言われたことでした。

そんな身の上話に興味はない、みんなそんな話は聞きたくない、と言われました。

私は、人生を否定されたように感じました。

回復して生きていることが罪であるかのように感じました。

 

このことを棚卸するにあたり、とても抵抗がありました。

というのも、断酒会に参加していて、個人的な感想として抱いていたのが、アルコール依存症の当事者は犯罪者というか罪人であり罪人は罪人らしく陽が当たらないところを一生謝りながら生きていくものだ、というような感覚でした。

なので、酒害をまき散らした分際で、酒害を与えられた人に傷つけられた、なんて言うことは、タブーという印象で、許されざることだと思っていたのです。たとえるなら、殺人を犯したのに、私も傷ついていて苦しかったんだ、と法廷で弁明しているような感覚です。

人殺しが何を言っているのか?と言われたら口をつぐんでしまうもので、私も「酒害をまき散らしといて何言ってんの?」って言われたら、「まことにその通りです」としか言えないというのが正直な気持ちでした。

しかし、これで正しさで蓋をしてしまったので、私は私の本当の気持ちを感じることから離れて、長い間会社や上司という存在に対して怒りや憎しみを抱え続ける原因になったと今、振り返って考えています。

 

まとめ:傷ついていたことを認めることが、心からの謝罪につながる

私は、当時やはり傷ついていました。

自分が起こしたことや傷つけた人に対して、その行動を深く反省して謝罪し、償いをしていくということが大前提なのですが、先日のハートネットTVであったように依存症の当事者の傷は確実にあるわけで、依存症当事者だったとしても人としてリスペクトされるのは当然の人権なのだと思います。

その基本的人権の部分を軽視されたことに、傷ついたのだと思います。

正しさを振りかざして印象やイメージで私に対する偏見や差別を行ったことは、彼らの過失で在り、私の責任の範囲を超えたストレスだった、と改めて認識しておきたいと思います。

それを認められて初めて、私は、彼らを傷つけたことに真摯に目を向けることができるのではないか、と思います。