【メンタル】「自分には価値がない」と嘆いている人へ(ひきこもり・不登校・貧困)

資本主義の世の中では、身の回りにある全てのものは商品になっている。

資本主義社会は本当に良い社会か?

カール・マルクスは『資本論』において、商品は「使用価値」と「交換価値」によって成立するといいました。

そして、スライムが集まってキングスライムになるように、商品が寄せ集まって富が形成されている、として、商品の価値は労働の量だとする「労働価値説」を提唱しました。

交換に便利なものとして、貨幣が生まれました。

商品に付加価値をつけて売ることで利益(剰余価値)を生みます。

価値をどんどん増殖させていくと、資本がどんどん膨らんでいき、資本家が生まれます。

マルクスは「資本家」を「人格化された資本」=お金が人の形を取ったものと定義しました。つまりお金さえ稼ぐことができれば使用価値なんてどうでもいい人たち。とにかくカネのため。

とにかく稼げればなんでもいい資本家は「労働力」を商品化しました。

労働力を仕入れる行為は「雇用」であり、資本家(企業)にとって就職活動・転職活動は、この「労働力」の仕入れです。そして、研修や社員教育で付加価値をつけて、利益を生むために「商品」である私たちを働かせて、仕入れ以上の価値を生ませます。そしてさらに「労働力」を仕入れて得られる利益を増やそうとします。

「労働力」を仮想通貨の運用に例えましょう。

仮想通貨を仕入れて、仕入れより仮想通貨の価値が上がれば儲けが出て、余剰資金が生まれますよね。その余剰資金で、さらに仮想通貨を買う。そうすると、価値が上がり続ける限り、このサイクルで余剰資金はどんどん増えます。

これを人間でやっている、というのが、営利企業です。

つまり、営利企業に雇われているサラリーマンは「労働力」という商品として資本家(企業)に買われているので、私たちの労働力は私たちから切り離されています。

だからサラリーマンはイエスマンが出世するし、結果を出すことと同時に従順であることが求められるのです。「労働力」という商品としての価値を評価されているのが、人事評価です。

人事評価はその人そのものの価値とは関係ありません。その人の一部分「労働力」を商品として切り取ったときの、商品としての評価です。だから、収入が上がろうと人としての価値が上がるわけではありません。

法律的には雇用契約は対等ですが、実質イーブンではありません。

給料とは、再生産費です。

つまり、雇われている我々は「再生産費」分だけ働けばいいのですが、それ以上に働かせれば、資本家(企業)にとっては働かせた分だけ利益になります。

だから、やりがいや目標を示して、勝手に設定して、「再生産費」分より余分に頑張らせようとするんですね。

そしてチームを組ませるのは、協業させることで生産性が上がるからです。

あくまでも、労働力としての運用を最適化しているのであって、社員が快適に働けるとか、充実した人生を送れるとか、そんなことには企業は一切興味がない、というのが本音です。

私たち労働者にもメリットがないわけではなく、企業で働くことで「経験」という付加価値を得ているので、悪い側面ばかりではありません。

しかし基本的に人間は「モノ」として扱われています。それが企業であり、資本家であり、資本主義の世界です。それは人を惨めな気持ちにさせます。

その、人をモノのように扱う資本主義が蔓延し、世界中に広げようと際限なく膨張したのが、今のグローバリズムです。

富める人はさらに富み、際限ない欲望で人間性を失い、人々の健康を害してでも富を拡大しようとする世界。

貧しいものはより貧しくなり、最終的に過労死や自殺をするか、無敵の人になり殺戮事件起こすほど追い詰められる世界。

資本主義社会である以上、この世界観・貧富の格差はどんどん広がります。

共産主義国家は計画経済を導入してしまったのでソ連は崩壊したけど、マルクスの社会主義は、資本主義が限界まで行きついた先にあるものと考えられていました。

つまり資本主義が限界を迎えているまさに今、ようやく条件がそろったといえるでしょう。

 

経済学者トマ・ピケティの『21世紀の資本』は、このような資本主義の限界に問題提起した本です。

 

 

このままさらに格差が拡大するとどうなるでしょうか。

さらなる地獄と化すのではないか、と思います。

 

r(資本収益率=資本家の不労所得の割合)>g(経済成長率=労働による価値創造の割合)

 

このrとgが逆転するのは、戦争により既存の資本が破壊され価値が暴落したとき。そのあとは資本を再形成する必要があるため、労働力の価値が相対的に高まるからです。

そういう異常な状態以外は、この資本主義社会はr>gであるといえます。

そしてその状態が加速すると、世襲資本主義社会になるといいます。

世襲資本主義社会とは、相続による経済格差が努力やチャンスでは裏返らない無理ゲー社会のことです。

つまり、貧乏人は頑張っても報われない世界です。生まれた家が資本家であれば勝ち続けられる、何もしなくてもお金が増える、生まれが全てを決める不平等な世界です。

実際、そうなりましたよね。

シェルバーン伯爵家に連なるロックフェラー・ロスチャイルド。財閥が世界経済を動かし、政治を含めた社会全体を実質的に支配しています。

世界の富の大部分を上位1%の金持ちが占有し、残りの99%の貧乏人は奴隷のような生活で、体を壊すような商品を食べさせられ、マスメディアの洗脳で考える力を弱らせられ、毒に等しい注射で人体実験に使われています。

日本も例外ではなく、政治は政教分離を謳いながらも完全に癒着しており、その政治をハンドリングしている宗教団体は、世界的な財閥の下部組織です。

冒頭に人は「労働力」というモノとして扱われているといいましたが、最終的に人は「奴隷」と等しい扱いをされているといえます。存在そのものをモノとして扱われているということです。

 

「自分たちさえよければいい」社会で人は愛に飢えていく

歴史を振り返ると、戦争が起こると、戦争中の税金は圧倒的に高くなり、個人の財産は凍結されます。

それによって、とくに高所得者からお金を搾り取ることができます。

ウクライナで戦争が起こり、これから台湾・日本で戦争が起こると思いますが、これは軍需産業を握っている1%の財閥が、さらに中途半端な高所得者から金を吸い上げるためです。

実際、軍需産業の株価はどんどん上がっていますよね。

総本山はアメリカでもなくイギリスでも中国でもありません。

財閥とは、地縁主義ではないからです。

「契約の民」と呼ばれるユダヤの血縁です。

血縁により繋がっているので、国はただの枠組みです。商売の道具です。貨幣は価値変換のためのおもちゃです。

だから最近は新しく「仮想通貨というおもちゃ」を使って儲けを生もうと画策しています。

通貨をつくる側・ルールを決める側が、儲かるようにできています。ルールを作る側ではない一般の投資家が損をするのはそのためです。

STEPNなどのM2E(Move to Earn)で大損した人がたくさんいますよね。それは、もともとそういうメカニズムになっている、ということです。多少庶民に利益が渡るケースが生まれてしまうのも、ユダヤにとっては想定済みの必要経費。いずれ回収しようと考えています。

 

ユダヤ人は歴史的に「美味しいものを心ゆくまで食べること」を人生の第一に掲げています。

そのための金銭であり資本なわけです。つまりお金を手段として割り切っている。

思考は、教育で子どもの頃から徹底される能力主義・実力主義に基づいています。迫害されてきた防衛本能から、他民族に対する警戒心が強い。その警戒心から納得するまで他者を調べ尽くす知的好奇心をもちます。

一言でよければ「自分たちさえよければいい」

世界経済を動かしている人たちがその原理で動いているので、現代社会がそうなるのは、考えてみると当たり前ですよね。

 

 

ここまで読んでみて、どうでしょうか。

お金や資本主義に「愛」という要素が全くないことに気づきますよね。

モノとして扱われる世界で愛を感じられるはずがありません。

「自分たちさえよければいい」という民族の思想が蔓延している状態で、他人に無償の愛を注ぐ人が現れるはずがありません。

でも「愛」がなくては人は生きていけません。

その、生きていくために最も重要なエッセンスが欠落している。

それが資本主義社会であり、現代社会です。

だから、みんな精神を病んでいくのだと思います。

精神疾患も依存症もACも差別も、何もかもの本質はここにあります。

私が最近、精神疾患も依存症もACも個人の課題ではなく、社会そのものの課題だと考えているのは、そういう背景です。

 

お金から距離を取ること、資本主義であるこの社会から距離を取ること。

この「離脱」こそが、これから人間らしく生きていくために必要なことになってきたなぁ、と実感しています。

これからは、できるだけそれらの要素を削ぎ落していく「離脱」の生き方を実践していきたいと思っています。

まさにそれを人生を賭して体現したのが、マハトマ・ガンディーだと思っています。本当にすごい人です。

彼は「欲望を削減する」ということを説いています。

経済社会そのものは否定しないけれども、人は本来必要なものを必要な分だけ得ればそれでよく、欲望を最小化することによって真に幸福な人生が送れると考えました。

ユダヤ民族の人生観とは、真逆ですよね。

私はガンディーの教えにこそ人としての「生の実感」、人としての本質があると考えています。真に感じるべき感覚は生死と欲望を越えた「存在の絶対感」だと思います。

お金を集めても、仕事を頑張っても、いくら物質的に豊かになっても、幸せではありませんでしたよね。それを経験的に証明するためにユダヤに連なる資本主義全盛時代を人類は経験する必要があったのではないかと思っています。

もう、お金や社会に踊らされるのは、やめましょう。

目の前にある花や木や草や、触れ合える世界が全てです。自分自身を含めた現実世界を愛で、好意を伝えること・肯定することに、全力で集中しましょう。

貨幣が創り出す仮想の世界に生き、命を消耗するのは、もう終わりにしましょう。

バーチャルの世界に幸せはありません。ネットは使うモノです。大切な自己を道具に没入させてはいけません。

最も価値あるものすべては、もうすでに全員の、現実の肉体と精神にある。他に求めなくてもいいし、客観的に証明する必要もない。あると思えばある。ないと思うからない。

これ以上、安心のために「形ある何か」を求めるのはやめにしましょう。それらは全て虚構であり虚空です。

楽しいと思えること、美しいと思えるもの、それを感じる時間と感性を大切にしましょう。

生きることは、それだけで100点満点だといえるでしょう。そのほかはオマケです。

 

そう考えると、とても気楽になりませんか?

経済社会に参加できるかどうか、なんて、人間本来の価値には微塵も影響しないのです。

引きこもりだろうが、不登校だろうが、社会不適合者だろうが、障害が有ろうがなかろうが、ただ存在するだけで、存在価値があります。お金に変換しようとするから、無いように錯覚するだけです。

みんながそのことに気づけば、世の中はもっとまともになるんだろうなぁ、と思います。

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