私は「ある出来事」があってから、お金は一切貸さなくなった。
貸すときは、あげるときだ。
返ってこないとしてももう構わないや、と思うときだけ、貸す。
「ある出来事」とは、高校からの知り合いに20万円を借りパクされたことだ。
S君
借りパクしたのは、S君という男の子だ。
彼は一人っ子だった。名犬ラッシーのようなフサフサの毛の犬を飼っていた。
ピアノがうまくて、ラフマニノフやショパンが弾けて、割とイケメンだったからモテていた。運動は少し苦手だった。
元いた中学校では成績がトップだったらしく、高校でもそこそこ成績が良く、同じ進学クラスにいたので徐々に話すようになった。
彼は、少し落ち着きがなく、どこか陰があった。
なので、高校生の当時、私は彼を少し面白いなと思った。
ピアノが弾けて勉強ができてイケメンなのに、アニメが好きでオタクだったし、先生や学校に従うのを嫌うので、完全な優等生タイプとは少し違っていた。
私は反抗挑戦性障害(ODD)なんじゃないかと今思い返せば疑うほど、先生や学校にたてついていた。学校の備品を破壊したり、高圧的な教師に徹底的に反抗して授業を妨害し職員室に呼ばれたりしていた。
教師をバカにして目をつけられていた。勉強をしなかったので成績が悪くなる一方だったが、スポーツでは表彰され続けていたので、一目置かれてはいた。
S君は、自分より下だったり、どこか欠けている人と付き合う傾向にあった。
私は見事にバランスを欠いていたので、彼にとってはとても興味がある存在だったのだろう。彼から話しかけてきたように思う。
なんとなく教師をバカにしているところが共鳴して、よく一緒にいた。
このままおそらくお互いにある程度の成績で関関同立程度以上の大学に進学し、エリートではないまでも、そこそこのステータスで社会に出るはずだった。
しかし、S君は受験に失敗した。
原因は、バカにしていじめていた中学時代の同級生に深く恨まれてストーキングされた挙句、復讐を誓うその子につきまとわれる恐怖で不登校になってしまったことだった。
受験どころではなくなり、彼は統合失調症を患った。
受験でそこそこのところに合格できなかったので、たしか大阪にある駿台か代ゼミか河合塾かなんかの寮に入って浪人していたと思う。
私は現役合格したので、大学生として関西にいた。
彼は私を友達だと思っていたので、よく連絡してきた。
学祭を一緒に回ったり、一緒に酒を飲んだりした。想像に難くないと思うが、そんなちょうしだったので勉強は全然していなかったようで、当然のように受験はその年もその次の年も全然うまくいかなかった。
そして、ゴミみたいな私立大学に入って、彼はもっと精神のバランスを崩していった。
学歴コンプレックスが極まっていた。
在学生たちをバカにして、自分より優秀な人はいないと言っていた。
私をおそらく高校時代は下に見ていたのだが、圧倒的に差をつけられて嫉妬と羨望が入り混じったような妙な絡み方をしてくるようになった。
何人もの中学生と同時に付き合って「彼女がたくさんいる」と紹介して自慢してきたり、私より優れているところを見せつけるのに必死だった。
タバコを持つ手は常に震え(おそらく統合失調症の治療薬等による錐体外路症状)、うわごとのように昔語りを繰り返すさまは、哀れだった。
私の共依存的な関わり
私は、彼が私より下にいることを安心材料にするようになった。
とても恥ずかしいことだが、私はうまくいっていない当時の自分の状況を見て見ぬふりをするために、彼を憐れみ、利用するために関係を続けていたのである。
最低のクズだと思う。
私は大学までは何とかギリギリ及第点だったものの、そのあとベンチャー企業に入ってあまりのブラックさに「これは失敗した」と思って焦っていた。
アルコールの問題も日に日に深刻になり、もともと小さい自尊心を毎日鑢でゴリゴリと削られるような毎日だった。私はみるみる摩耗していった。
そんな私にとって、さらに底辺に近いS君の惨状を見るのは、とても安心できたし、気分がよかった。
「ああよかった、私もたいがいゴミだけど、さらに下でうごめいているやつもいる」
そんな気持ちで、彼が一生懸命女性関係をアピールして私にマウントを取ろうとしてくる様子を心配している優しい友人を装いながら、その実哀れな彼の姿を酒の肴に一杯やっていた。「彼よりはマシ」という優越感を味わうことで、毎日毎日上司にコケにされ馬鹿にされるしんどい日々を頭の外に追いやろうとしていた。
これは、明らかに共依存的な関わり方だったと思う。
共依存とは、自分自身に焦点があたっていない状態のこと。
私もS君も、お互いを見ることで自分の苦しさを見ないようにした。
まさに、自分の人生に焦点が当たっていない。むしろ意図的にずらそうとしている。
ついに、S君は金に困るようになり、金を無心してくるようになった。
私は、表向き「彼は大切な友人だから助けてあげなくちゃ、そしてまともに生きていけるように俺がしっかり言って聞かせなくちゃ」などと自分に言い聞かせて、なけなしの貯金から20万円を貸した。
私が望んでいたものは、それによって私が決定的にS君の上に立つことだったと言わざるを得ない。
当時の私の醜さは、今振り返るとみるに堪えない。
金を貸したのは、「俺のおかげで」問題を解決できた、という既成事実をつくりたかっただけだろう?彼の為でもなんでもない、自分の為じゃあないか。
「私は働いている。友人が困ったときに手を差し伸べられるくらい素晴らしいんだ」とブラック企業で死にそうになりながらこき使われている惨めな自分にも、少しは価値があると思い込みたかっただけ。自分の問題から目を逸らしたかっただけだろう?
何を「その人のためだ」などと偉そうなことを。
その後彼が結局借りた金を返せないことも計算ずくで、また息詰まるのを舌なめずりをして待っていたくせに。
そのときに「借りた金を返さないとはどういう料簡だ」と正論を振りかざして「そんなんだからダメなんだ」と彼を責めてサンドバックにするために。
「厳しいことを言うようだけど」などともっともらしく前置きをして神妙なふりをして、実際は相手の話や状況を想像するのをサボって自分が正しいと信じ込んでいるだけ。
言っていたことはひどい有様だった。
「統合失調症だと?病気を言い訳にすんなよ」
「返す気がないから働かないんだろ?俺は毎日終電逃しても働いてるよ」
偏見にも程がある。冷たいにも程がある。
自分が言われた傷つく言葉を、言う側になって溜飲を下げたいだけ。
自分の言いたいことを自分の言葉で素直に伝える勇気がないだけ。
弱さや不安を正しさで取り繕っているだけ。
自分を慰めるために金で囲ったようなものだ。
それは友人に対して、人間に対してすることでは無い。
S君に謝らなくてはならないこと
S君、私は、君のことを本当の意味で友人として大切にしていなかった。
友人として、とても恥ずかしいことをした。
君を尊重しているのなら、君が自分で人生を選び取ることを信じるべきだった。それが友達のすることだった。
だから、あのとき金を貸さないことが、君のために最もすべきことだった。
そして、同時に、私が私を大切にするためにすべき選択は、君の問題に首を突っ込んで共依存することではなくて、自分に向き合うことだった。
それから逃げるために君を使い、君をイネイブリングしたことを、心から謝罪したい。
君をバカにして、本当に申し訳なかった。
私は後悔している。
君に当時伝えたかったことは、本当は少なくて良かった。
「私も頑張る、君も頑張れ。信じている。」それだけでよかった。
変に上から目線で言ったことは、すべて私の弱さと醜さだった。
君は君で一生懸命に生きていたのに、私はとんでもなく失礼だった。
もう今はS君がどこにいて何をしているか分からないけど、彼が幸せでありますようにと思う。
20万ぽっち、安い授業料だったよ。私は私の問題に気づくために、S君と出会ったのだと思う。
お金はもう返さなくていいから、元気でいてくれたならうれしい。