【仕事】仕事で他人にマウントを取るの、もうやめました。

今日、私が今まで担当していた仕事を引き継いだ同僚Aさんから電話があったんですよね。

 

Aさん「B(私が担当していた取引先)って、訪問してました?」

私「あー、手紙を出したり訪問したりはしていましたが、ついぞ会えませんでしたね。」

Aさん「あー(笑)私、運がよかったのか、アポイントもらえたんですよ」

私「おおおおー!!マジですか!!よかったですねー!!(*^-^*)」

Aさん「・・・」

私「すごいですねー!!私は会えなかったから何もお伝え出来ることがなくて申し訳ないですが、アポイントぜひがんばってくださいね!」

Aさん「ええ、まあ、・・・はい」

 

「?…なんか歯切れ悪いな」と思いながら電話を切りました。

なんか私が一緒に喜んでいることが意に反しているというか、若干不服そうだったような…なんなんだろう…この違和感。

 

後で考えてみて「ああそうか」と分かり少し寂しくなりました。

彼は、私と一緒に喜びたかったのではなかったのです。

彼は、「ちあきが今までできなかったことをできた俺はすごい」と私に思ってほしくてマウントを取ろうと考えた。

不安に揺れるろうそくの灯のような自尊心を少しでも守りたかったのでしょう。

私は、私の力には限界があること、他人には私にない可能性があることを知っています。いや、理解しようとしています。

だから、当然私には出来ることと出来ないことがあり、私が出来ないことを彼が出来たとして何の不思議もない。

そして、それは喜ばしいことなのです。

得意先に良い影響がもたらされればいいわけだから、私に出来ないことをかれがやってくれたなら、それは私にとって嬉しい報告でしかない。

彼は、私が悔しがり、彼を「すごい」と仰ぎ見ることを期待したのだろうけど、あるがままであれば、私に対してはただそれだけで「尊重されるという目的」はすでに達成されている。わざわざマウントを取る意味はないのです。

 

・権力がほしい

・お金がほしい

・ほめてほしい

・居場所がほしい

 

そういう切なる願いで、一生懸命仕事で認めてもらおうとする事も、また人の営みなんですよね。

最近は「私にもそういうときがあったんだもんな」と、そういうマウント合戦を仕掛ける人を、一歩引いて温かい目で眺めていられるようになってきました。

私をみくびり「俺の方が優秀だ」という気持ちをチらつかせずにはいられないのです。

自分だけで何かを成し遂げることなどほとんどない。

それなのに、他人にやってもらったことの有難みに気付けずにいるのです。

それは、己のなかの不安と焦りを見ないようにしているからです。

それは、かつての私そのものです。

 

「相手に勝ってやろう」

「己の力を、強さを、存在を誇示したい」

「俺を見ろ」と。

そんなことのために剣は、武はあるのかね?

我々が命と見立てた剣は、そんな小さなものかね?

 

出典:『バガボンド』第7巻

 

誰かより上か下か。

そんなことは、どうでもいいことです。

 

私が目指している状態=真理に近い状態 に近づけるかどうか。

それだけが重要なことです。

 

真理に近い状態とは、もともとのありのままの姿に戻ること。

それでいいと思えるようになること。

これこそが、最も重要で難しいこと。

この世のすべて事象は、私の肉体や精神すらもその到達のための道具です。

そう捉えると、道具に良し悪しなど無く、較べることなどできない。

だから、他人と比較する必要が全くないことに気づけるのです。

 

「体を使えと……もらったこの体を使って知れと……何を? その前のもともとの俺をーー体がそういうものだとしたら 俺だけじゃなくてこの世のもんすべてが それを知るためにあって いやものだけじゃなくて人も 出会う人も 父も母も すべてそのために出会うのなら……ほんとは誰も恨まなくていいーーそういうことなのか……?」

出典:『バガボンド』第32巻

 

「誰かを恨まず、誰かのせいにもせず、あるがままを生きる」

 

どうやれば売上が上がるか、そのためにやればいい事は何か、は限られていて、もう大体分かりました。

だけど、それよりも大事な事があります。

だから、私は残りの限られた人生をそっちに割きたい。

たとえば、家族と過ごす時間とか、売上に直接インパクトはなくても、自分が世の中にとっていいと思う活動とか。

 

それは、私が全身全霊で私であることの裡に在るということ。

それが最も自然で、最も価値があり、最も生産性が高いのです。

今のど真ん中にいるために、己であることを徹底する。

それが、最も良いことだと悟りました。

 

だから、会社の人たちと話が合わなくて今まで悩んできましたが、唐突に「もう合わなくていいんだ」と思えるようになりました。

忙しなく己の立ち位置を気にして戦々恐々とする同僚たち。

彼らにマウントを取ろうとされても取り合わず「焦らずとも大丈夫ですよ」というくらいで、心を揺らすことなく終えることができるようになった自分に、確かな手ごたえを感じます。

 

彼らもまた、彼らが好きなようにやればいいのです。

その過程で、大事なことに気づける人は気付くだろうし、気づかない人は気づかないのだから。その人にとっての最適なタイミングが、きっとくる。

それは私には変えられないし、関わる必要もないことです。

「がんばって。お互い、いいことあるといいね。」と思っています。

それしかもうかける言葉がない。

 

親が子供の独り立ちを見守る気持ちは、こんな感じなのかもしれません。

己が己を見失わない限り、与えられるすべてのことは、必要なことにたどり着くために用意されたものです。

だから、もう自然に任せていい。いや、むしろ任せるしかないのです。

コントロールすることなどできない。

やりたいようにやってみて、その結果を受け容れる。

私たちがやれることは、ただただ、それだけなのです。

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