こんにちは、ちあき です。
マザコンとムスコンについてちょっと考えてみました。
母親の親としての愛情と異性としての愛情は紙一重のように感じています。
機能不全家族において、子供は母親の求めに応じてしまい、無意識に夫の役割をさせられているのではないでしょうか。
「マザコン」とは?
言わずもがなかもしれませんが、マザーコンプレックスのことです。
マザーコンプレックスとは、母親に対して子供が強い愛着・執着を持つ状態を指す。なお、これは正確な心理学用語ではなく和製英語の俗語である。俗にマザコンとも略され、この場合、母親に強い愛着・執着を持つ子のことも指すことがある。
出典:Wikipedia「マザーコンプレックス」
これは、正式な概念としては「エディプスコンプレックス」と呼ばれます。
エディプスコンプレックス(独語:Oedipuskomplex,英語:Oedipus complex)は、ジークムント・フロイトが提示した概念である。男根期に生じ始める無意識的葛藤として提示された。日本では訳語としてエディプス複合と呼ばれることもある。フロイト派では男女ともに適用される用語であり、心的発達の重要な転換点として、また神経症の発症段階として注目されている。
「ムスコン」とは
ムスコンは「息子コンプレックス」の造語です。
ムスコンとは、母親が息子のことに対して執着したり依存したりするということです。
母親なら、自分の息子だから可愛くて仕方ないのは誰でもそうですが、それが行き過ぎてしまうと近親相姦や虐待につながるということのようです。
心理学では、「イオカステーコンプレックス」という名前で定義されています。
イオカステーコンプレックス(英:Jocasta complex)は、母親の息子に対する近親相姦的、性的欲求である。エディプスコンプレックスに類似した概念として、スイスの精神分析家により、1920年に提示された。実の息子エディプスと結婚したイオカステーに因んで命名されている。エディプス的な近親相姦願望は母親の願望でもあるという。映画『怪人カリガリ博士』に登場するジェーンの、息子に対する愛着が、イオカステーコンプレックスとも言えると指摘されている。
気持ちが悪いわたしの母親の話
さて、それぞれのコンプレックスの定義を整理したうえで、私の母親の話をしましょう。
一言でいえば、私の母親はムスコンだと思われます。
そして私は結婚するまでマザコンだったと思います。
両方とも、共依存の産物だと思います。
「マザコン」は、お母さんのことが大好きだったり、母親ばかりを大事にする、というよりも、「母親の言うことに逆らえない人」ではないかと考えてみると、私は小さい頃から長い間、母親に逆らえませんでした。
いつも母親が正しくて、私が自分で考えたり試したりしたいことは「危ないからダメ」でした。
転ばないように目の前の道を整備され続けている感覚。
自分で人生を突き進んでいるのではなく、歩かされている感覚。
いくら一生懸命歩いても、歩けたのは歩きやすいように整備してくれている母親の手柄で、私の頑張りではない。
そういう空虚な過保護のなかで生活していると、感覚が狂ってきます。
母親が育てたいように育たなくてはいけない。期待を裏切るダメな自分のままでは生きていてはいけない。
私は何不自由なく愛情をかけられて幸せなはずなのだから、明るく楽しい様子で家族には振る舞わなくてはいけない。
愛情を与えられているのだから母親を好きでなくてはならない。
この人を理想の母親で素晴らしいと思わなくてはならない。
そんな風に思っていました。
そう思うようにコントロールされて生きてきたと言っても過言ではないなと思います。
父が不倫をした後はより一層、父の代わりに私を褒め称え好きだ好きだと言ってきました。
中学になっているのにおやすみのキスをしようとしてきたり、筋肉を触ろうとしてきたりして、今思い出すと吐き気がします。
まるで理想の彼氏であるかのように、息子を自慢して、他の男性よりもかっこいいだとか、やたらと持ち上げました。
私も、母親に嫌われるのを恐れ、気に入られなくてはならないと思っていて、母親に対して「美人だ」と言ってみたり、隣人たちとうまくいかなくて凹んでいるときには「他の人はやっかみであなた(母親)を邪険にするのだろう」などとフォローしたりしました。
今思い出すと自分に怖気がします。
結婚することになり、明らかに妻に対して対抗心を燃やし、若さに対して嫉妬する母親を見て、妻は「女を出してきて気持ちが悪い」と言いました。
私は今なら、それがどれだけ的確だったか分かりますが、当時は生みの親を気持ち悪いと言われた衝撃で悲しみを感じ凹んだりしました。
私が結婚するということで情緒不安定になり、実家に帰ったときにはさめざめと泣いたり、手を握ってきたりしました。
これが、気持ち悪いムスコンとそのマザコン息子の生態です。
「ムスコン」は、何が病巣なのか?
マザコンもムスコンも共依存で原点は一緒です。
まさに、このブログに書いてあるので、要点を抜粋します。↓
以下、参照。
子どもが生まれた頃から夫は仕事が忙しく、場合によっては愛人がいたりして、帰ってこない。帰ってきても、関わろうとしない。
すると、母親は「夫は、もはや自分を必要としていない」と感じ始めます。
そうなると、子どもに夫の役割を求めます。
子どもは、唯一自分を必要としてくれる存在だからです。
しかし、子どもが思春期になって、秘密が増えたり彼女ができると、まるで失恋したかのような気分になります。
その痛みを乗り越えると、精神的にも母子分離ができて健全な親子関係になるのですが、母親の方が、自己肯定感が低く、依存的な場合、子どもを離そうとしません。
子どもが独立してしまったら、自分の存在価値がなくなるからです。
人は、本来、何がなくても、ありのままで価値があるのに、それが自分で認められないので、「よい母親」になることでここまで、自尊心を保ってきたのです。
なので、子どもが自立すると、自分の存在価値がなくなるような気がして、手放せないのです。
子供に夫の代わりをさせ、子供が自立されると存在意義を見失う、自己肯定感の低い母親が、ムスコンです。
必要とされないと、自分の人生を見失うから、息子を利用して、夫で埋められなくなった自尊心の穴埋めをします。
しかし、世間的には母が息子に愛情を注ぐことや、息子を思い世話をすることは美徳とされているので、基本的に咎められにくく、家庭という閉鎖空間で展開される愛情という名の支配と権利搾取の実態は、表に出てきません。
出てきたとしても、自分たちが必死で注いでいる愛情を否定されるような気がして、女性は母親の味方をします。洗脳済みのマザコンも母親の味方です。
洗脳された息子は、結婚というイベントに直面したとき、はじめて自分が育ってきた家庭の異常さに気づくチャンスを得ますが、妻にマザコン呼ばわりされて人間性を否定され、母親の支配にすごすごと戻るケースがほとんどだと思います。
マザコンになった息子が悪く、ムスコンの姑は異常者扱いですが、「母親」は悪者にはされません。
なぜなら母親や父親、つまり大人がこの世の常識を司り、常識という呪いは、子供の視点では考えられていないからです。
例えば。。
子どもが失敗したとき、「ほら、ママの言う通りにしないからこうなったでしょ」
「ママの言う通りしておけば、間違いないのよ」
などのようなことを言います。
多分、言い回しはもっと穏やかでしょう。
強い口調には反発できまが、優しい口調だとその反発ができないので、受け入れます。子どもは、失敗したとき、自信を喪失している状態ですので、
「そうか、ぼくは自分の意志でやると、ろくなことないな。ママの言う通りにしておこう」
となります。
そして子どもに出来上がるのが≪成長してはいけない≫というビリーフです。
子どもでいるから、母親は自分を愛してくれている。だから愛されるためには≪成長してはいけない≫のです。
しかし、人には元々、認められたいという欲求がありますので、いつまでも親から「あなたはできない子」と無能扱いされたり、親の自尊心を満たすために存在していると気づくと子どもの方では、ストレスが溜まります。
でも、外の世界は怖いから、親から離れられない。
そのジレンマが、自傷行為や家庭内暴力などに発展することもあります。こうなると、親子間の共依存関係の出来上がりです。
強烈にカプセル化された関係は、強固で他人を寄せ付けません。
そして、カプセルの中では、
お互い満たされない思いを
ぶつけあっているのです。生まれるタイミングを逃した卵は、腐ってしまう。
まとめ:息子は母親が生きるためのおもちゃじゃない
親も子育ては初心者だし、人として完璧ではないし、精一杯やったのでしょう。
しかし息子からしたらいい迷惑だということに変わりはないのです。
信じてきた母親に洗脳され、愛した人にマザコンと罵られ、誰とも心通わないなんて、地獄です。自分が悪いんだ、と思いながら誰に対してなのかもわからない恨みを抱えて、誰にも愛されないまま生涯を閉じるのです。
私は ACの概念に出会わなければ、それを教えてくれる仲間に出逢えていなければ、確実にそうなっていたことでしょう。
そのことを恨み憎む権利は、息子にはあります。子供にはあります。
親が自立していなかったばかりに共依存に巻き込まれた被害者だからです。
だから、親は、親だからこそ、自分を大事にして、最優先に満たし、自らの人生をど真ん中で生き抜く必要があります。
誤魔化さず、子供を言い訳にしたり拠り所にしたりせず、自分が生きたい人生を生きていなくては、子供が犠牲になり数十年単位で苦しみます。
そんなことにならないように、しっかり自分に向き合って生きていきたいと思います。