こんにちは、ちあき です。
最近になって、母親から呪いを受けていたことに気づく機会がありました。
ふとしたときに思い出された、活き活きした父の姿
あるデザイナー兼イラストレーターの先生と話をしていたときのことです。
「漫画書く仕事をしているときって、最初は話の構想を練ってネームを描いて、登場人物の心の動きとか設定とか考えながら作業してるんだけど、下書きしたりペン入れしたりして何回も何回も同じシーンを描いては修正し描いては修正しを繰り返しているときには、作業で精いっぱいになって、何を描いてたのかわけわかんなくなるんですよねー。だから、読んでくれた感想ってとってもありがたいんですよー。自分だともう作品をそのままフレッシュに見られないので。」
という、狂気が滲み出るエピソードとを聞き深く戦慄したわけですが、なぜか懐かしさがありました。
私の父は書道家で、よく自宅で籠って字を書いていました。
展覧会の前などは作品が仕上がらない、と言って何時間も部屋で独りでうんうん言いながら書いていました。
たまに、「あー!もうわからんくなった!!」と言いながら、リビングにきて
「ちょっとこっちきて」と私と妹を呼び寄せるのでした。
何かな?と思って作業部屋に行くと、2つの書が並べて壁にかけてあり、
「どっちをどう思う?」という謎の問いかけをされます。
楷書でなく行書なので、何と書いてあるかすらわからないのですが、特に説明はなく、「感じたままを教えてくれ」というので、ほとほと困り果て、
「うーん、右のほうが白いところが多いから寂しい感じがする」
などと感じたままのふわっふわな感想を話すと、目を輝かせて
「そうか、そうかー、なるほどなー、ふんふん」などと言いつつ、私たちを読んだことはすっかり忘れてまた作品に没頭してしまうのでした。
こうしたことが何度もあったことを唐突に思い出したのです。
父もまた、書道家としてずっと作品に向き合ってきて、たまによくわからなくなるのか、こうしたことがあるたびに当惑した思い出がよみがえり、爽やかな感じがしたのです。
なぜか?
自分の父が生身の人間として、心に還ってきたような、息づいてる感じがしたのでしょう。
(もうお亡くなりになったような書き方ですが、父はまだ存命しています。)
母親から授けられた、父を嫌わなくては、という呪い
母親は、ずっと、父の愚痴をいっていました。
繰り返し繰り返し、私は父の悪いところを母親から聞き続けてきました。
「仕事ばっかりして帰ってこないなんて、ひどいでしょう」
「なぜなら、私たち家族よりも仕事のほうが私たちより大事なのよ」
そんな話をずーっと聞かされてきて。
母は父に帰ってきてほしい、っていうだけだったんだろうけど、
私は父を「嫌わなきゃいけない」と思ったのだと思います。
私は母といる時間が圧倒的に長かったので、父と話すのはもっぱら休日で、情報量では母親サイドの話が圧倒的に暴露率が高く、父をどんどん心の中で悪者にしていきました。
そうしなければ、嫌われるのは私になるからです。
父が嫌われ者をやってくれているうちは、母から嫌われずに済む。
母に嫌われたら子供の私は生きていけないし、何より母に嫌われることを考えたらとても心が耐えられないだろうと感じていました。
それに、父がちゃんと仕事だけじゃなく家庭にリソースを割いてくれれば、母からこんな聞きたくもない話を延々聞かされたりしなくていいし、私が聞いてほしい話ができたのに、と、父を恨む気持ちは日に日に強くなりました。
この記憶は、今も「仕事をしているからといって家事や子育てに手を抜くことは許されない」という、ひとつのクサビになって、私を休ませてくれません。
ある研究によれば、父親が家に帰ってくる数が少なくても、母親が、父親に対する愛情をもっていることを、子供たちに伝えている場合と伝えていない場合とでは、父親に対する子供の好感度が異なるといわれています。
それを考えるにつけ、私は、やはり父を本当は嫌いになりたくなかったのだと思います。
私だって父との時間が欲しかった。
本当は嫌いになりたくなかった。
父の話をもっとしてほしかったし、もっと私も自分の話したかった。
しかし、それは叶わなかった。
母が父を遠ざけ、意図せず悪者に仕立て上げてきたから。
父を嫌わなくては、逆に母に嫌われる恐怖を植え付けてきたから。
呪いを子供に授けないために、どうすればいいのか?
ずっと探していた生身の父。
たしかにそこにいて、感情をもって懸命に生きていた父。
私は、漫画を執筆した先生のエピソードに、父とのかすかな思い出を重ねて、なんだか嬉しくなってしまったのでした。
そんな風にならないように、私はパートナーの悪口を子供に吹き込むようなことをしない親でありたい、と思います。
私も子育てを積極的にやっている父親の一人として、世の中のお母さんが辛い気持ちは少しはわかるつもりです。
帰ってきてほしい気持ちも、心細い気持ちも、家から出られずふさぐ気持ちも。
それは、感じても仕方がないことですし、その気持ちを否定するつもりもありません。
依存しないで生きていくなんて、人間にはできないと思います。
人は、そんなに強くない。
しかし、つらい気持ちを子供だけにぶつけることは、子供を共依存の犠牲にすることに繋がってしまいます…。それは本意ではないですよね?
他にも複数の健全な依存先を増やし、子供を自分が立っているために杖として使わないようにしていきたいですね。