【メンタル】妻に学ぶ「人生を楽しむ」

こんにちは、ちあき です。

わりとSNSで人気がある、私の妻。

 

 

 

 

ありがとうございます。嬉しい。

なので、今日は、妻のこれまでの人生に対して敬意を表する意味で、勝手にまとめてみた。

(怒られませんように)

 

妻は『そのまま』を生きている

そこがすごいところだ。
私は妻を、心から尊敬している。
初めて出会った時の衝撃は忘れられない。
私はそれまで『人は本当のことは言わない』と思って生きてきた。
だから、思った事を、思ったように、
打算や駆け引き無しに放ってくる妻に
心底「まいった」と思った。
友情や正義なんてのは、漫画や本の世界だけで、欺瞞や嘘や欲に塗れて自分も含めた皆、
醜く這いずる罪悪のようだと信じてきたのに、180度覆された。
会ってすぐ感じた違和感は
話すうちに好意に変わった。
本当に、こんなに真っ直ぐに生きてる人いるんだ、と。心境としては、天然記念物を見ているようだった。
(この間、妻にそのまま話したら、キレられた)
この人になら、こんな俺も、
受け入れてもらえるかもしれない。
そのままで居られるかもしれない。
そう思った。
それは希望に溢れていたので、
つまり、すごく惹かれた。
出会って、いろいろな話をして、妻は決して楽に生きてきた人ではないと知った。
お父様は百貨店の外商、
お母様はその百貨店のパートをしていて、
その間の3番目に生まれたのが妻だった。
妻が生まれて数年経ったとき、
お父様が脱サラした。
長い間中間管理職として積もり積もったストレスで脱サラを決意して退職金で飲食店を始めたが失敗し、家計は火の車だったそうだ。
お母様は苦しい生活に耐えきれなくなり、
小学生の妻を置いて失踪してしまった。
泣きながら
「お母ちゃん行かないで」
と言った記憶が幼いながらにあるらしい。
父と姉と兄との生活が始まったが、
お金が無かったから中学生時代から年齢を偽ってアルバイトして家計を支えた。
高校は卒業したが、
大学に行く余裕もなく(選択肢にすら本人の中にはなく)迷わず雇ってくれた自動車販売会社に就職。
その頃にはお母様も戻ってきてくれたそうだ。
父母の喧嘩は絶えず不仲だったが、妻が鎹となり、今までやってきたという。
しかし、仕事は多忙を極め、出会った当初は食べても嘔吐してしまうためやせ細っていた。
生理も不定期で、体はおそらくボロボロだった。

 

妻にとって人生は楽しむもの

 

私はうめくように言った。
「辛い人生だったんだね…」
妻はさも不思議そうに答えた。
「え、そう?なんで?」
「確かに大変だったけど、みんなそれぞれ大変だろうし、私は私の出来ること、やるしかなかったから、後悔してないし、誰も悪いと思ってないよ?
だから、辛い人生だとは思ってない、ていうか、私は結構楽しいよ!」
私は二の句が継げなかった。
この人は、なんなんだ。
なんなんだ、この人は。
俺の今までの生き方って、なんだったんだ。
親の顔色うかがいながら
「こうしてほしいんだろう」
とうがった捉え方をして、
小賢しく先回りしては、責任感もなくやりたいとも思わないことをやってきた。
学歴や部活の成績が周りよりよければいいのでは、とメンツや外見ばかりを飾り立てて、人からはチヤホヤしてもらおうと必死になって。
だがその実はどうだ。
心から話せる友人も、血縁者すらなく、
『人生なんて所詮こんなもんだろう』とタカを括って浪費した時間。
仕事で壁にぶち当たったくらいで
今までのプライドをへし折られて踞り、
生きていていいと他人に言われないと立ってもいられず、
言い知れない無力感と苛立ちを酒に溺れてごまかし続けてきた、今の、俺の。
今までの。
このなんと、下らないことよ。

貴方みたいに生きてみたい

貴方のように強く美しく生きてみたい。
貴方は本当のことを話すから、
本当の友人がたくさんいる。
貴方は本当のことを知っているから、
人に優しい。
妻は私を「優しい」と言ってくれる。
私のは『優しく見える』だけだ。
私のは擬態だ。模倣だ。
こうすればこうなるはずだと、
「友達らしく」あるための、
「優しく見える自分」であるための。
観察と推測に基づいてただ嫌われないために、身を守る為に身につけた技術だ。
何にもない。
俺は、本当は、何にもない。
全部皮を剥いでいったら、
真ん中には何もない。
それは妻のように、本当の意味で、
自分の足で、頭で、生きてこなかったからだ。
それに気づかせてくれた妻がいなかったら、
俺はここでこうして踏ん張れてはいなかった。
確実に、途中で投げ出していた。
何にもないまま、土に還っていた。
妻がいたから、生きている。
本当に感謝しても仕切れない。
一生分の運はもう使い切った。
妻に会うことで使い切った。
俺自身の欲しいものは、
元から何もなかった。
妻に出会った日から、
俺が欲しいものは、妻の笑顔になった。
そんな出会いから、もう4年が経つのか。
早いなぁ。

 

私は私以外にはなれない

 

だから「楽しむ」ためには、周りばかり気にして比較するんではなくて、「私は私でしかない」ことを受け容れることが大切。

自分のそのままど真ん中を生きて、笑って泣いて悔しがって喜んで。

そういう『生々しい実感』が人生を彩り、それが「楽しめる」ようになっていく。

辛いことはたくさんある。

楽しいこともたくさんあるかもしれない。

 

私はやっぱり「オランダへようこそ」という、この素晴らしい詩に救われるのだけれど、今回はその最後の一節を引用して、結びとしたい。

 

心の痛みは決して、決して、消えることはありません。
だって、失った夢はあまりに大きすぎるから。

でも、イタリアに行けなかったことをいつまでも嘆いていたら、
オランダならではの素晴らしさ、オランダにこそある愛しいものを、
心から楽しむことはなかったでしょう。

みんなとは違う土地だけど、
私はオランダを思い切り楽しんで、そして大好きになりました。

オランダへようこそ!

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