【社会福祉士】戦後~現代社会における社会福祉の位置づけの変化をまとめてみた

日本における戦後社会と現代社会における社会福祉の位置づけは、時代の変遷の過程で、例えるなら「セーフティネット」から「トランポリン」に役割を変容してきた。

 

戦後社会における社会福祉

戦後社会において、被援助国として援助を受けつつGHQの福祉改革による旧生活保護法に始まり、日本国憲法が公布・施行されて、特に幸福追求権や生存権を規定した第13条・第25条がしめす民主主義的な機運が本格化され、社会福祉の出発点となった。

戦後社会の制度は、「措置制度」として徐々に拡充されていく。

生活保護法・児童福祉法・身体障害者福祉法の福祉三法が成立した。社会福祉事業全分野の共通事項の規定のため、社会福祉事業法(現・社会福祉法)が成立した。その後、精神薄弱者福祉法・老人福祉法・母子福祉法の立法により、前三法と合わせて福祉六法体制が確立した。

国家としての責任は、日本国内において「日本型福祉社会」を確立することであった。

それはつまり、「個人の自助努力」と「家族や近隣・地域社会等の連携」を基礎に、「効率の良い政府が適正な公的福祉を重点的に保障」することで「わが国独自の道」を目指すことであった。

まだ国際化が進んでいない戦後社会において、復興のために汗を流す製造業の工業労働者の都市生活や農民の生活を送る国民たちは、伝統的家族制度と近代的家族制度に根ざした家族による家族介護等のケアを頼りに、家族・近隣・地域社会との協力関係の下、基本的には社会福祉を当てにせず自助努力で生活するよう促す、形成途上の福祉国家として歩みを進めてきた。国としては、個人の自由を抑制しながら国民生活全般の支援を国家自らの任務ととらえていた。

それゆえに、公的福祉の位置づけが「選別主義」的であったことは否めない。実際に展開される公的部門の支援は限定的なものであり、自立できない者への対応は厳しいもので、道徳的に低位なものに対する差別が存在した。

まとめると、戦後社会の社会福祉の姿は、措置制度に象徴される行政主導のパターナリスティックな福祉供給システムであり、供給されるサービスは施設収容を中心とした非民主的で非対称的な処遇によって特徴付けられる「旧構造」であり、実質自立できない者への「セーフティネット」だったのである。

 

現代社会における社会福祉

そのような戦後社会から現代社会に時代が流れ、グローバル化と少子高齢化が進み、今まで当てにしてきた家族制度は崩壊し、終身雇用制度も終焉を迎え、旧態依然とした地域社会システムを前提としてきた社会福祉は再構築する必要に迫られた。

つまり、国民の産業が第一次産業から第三次産業(サービス業や知識産業)にシフトし、生活スタイルも「個別化」が進んだ現代において、個人を低としつつ社会的連帯によって成立する社会保障の役割が重要になっていったのだ。

そのような時代背景に呼応する形で制度も拡充・見直しが進められてきた。

1973年は福祉元年と称され、低水準の社会保障から脱却し西欧の社会福祉に近づこうと試行錯誤を開始した年である。特に、戦後差別され隔離されてきた社会福祉の対象者に愛して、1980年代からノーマライゼーションが認知され、今日の社会福祉全般にわたる理念として定着している。

その発展形態である「社会的包摂」は、多様な異質性をそのままに社会に包摂する、という、移民や少数民族のみならず、貧困者・障害者・高齢者・女性・非正規雇用者などのマイノリティに向けられた社会的な関係性からの排除=社会的排除と理解する重要な基本理念である。その基本理念のもと、老人保健法の改正による医療コストの見直し・福祉関係八法の改正を経て、介護保険法が施行された。

そして、今日の社会システムとしての社会福祉の制度的基盤、到達点である2000年の社会福祉法制度が確立した。貧困者にはホームレス自立支援法が制定され、障害者には障害者雇用促進法の改正が行われ、高齢者には高齢者雇用安定法が制定され、女性の社会進出の支援や非正規雇用者の待遇是正など、企業の取り組みも活発化している。多くの福祉分野において就労支援を含む自立支援政策が導入されていった。

 

セーフティネットではなく、自立支援(トランポリン)へ

戦後の「措置制度」「セーフティネット」としての社会福祉とは対照的に、現代の社会福祉の理念は「自立支援」であり、「トランポリン」である。多様な異質性をそのまま受け容れ、ダイバーシティ&インクルージョンを前提とし、自立と連帯のなか誰もが尊厳を持って国民が主体的に福祉サービスを受給して暮らせる社会を共に作り上げることが、現代のおける国家の責任であり国民の役割でもある。

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