【子育て】発達障害持ちの私が親にしてほしかったこと(自閉症スペクトラム障害:ASDの場合)

こんにちは、 ちあき です。

 

さて、私はASD(自閉症スペクトラム障害)ですが、この事実に気づいたのは32歳になってからでした。

 

私の母は、私が ASD(自閉症スペクトラム)の傾向があることを、知識がないばかりに理解できず、上手に対応できなかったのだろう、と思います。

 

それは、仕方のないことです。

 

私も自分の違和感に向き合い続けてようやく、ASD.ADHDの知識を持つことができたぐらいです。当事者でもわからなかったことを理解するのは難しいことです。

 

母を責めるつもりはありません。しかし、苦しんだのは事実でした。

 

今日は私の子供時代を振り返りながら、もしも同じようなお子さんがいらっしゃるなら、その子が「自分らしく」生きられるように見守ってあげてほしい、という願いを込めて話をつづりたいと思います。

 

私が子供心に「諦める」までの軌跡

 

母はよく怒りました。

ヒステリックに怒鳴り散らして。

 

「なんで普通のことができないの?!」

「なんで約束を守れないの?!」

「なんで嘘つくの?!」

 

私だって、普通にしたかった。約束を守りたかった。嘘をつきたくなかった。

 

したくてもできないから困っている私に、

「なんでできないか?」を問うことは、まさに愚問であり、

その問いからは沈黙しかうまれないことが想像できない母ではないはずなのですが、

 

終ぞ「どうやったらできるか一緒に考えよう」と寄り添ってくれることはありませんでした。

 

その姿勢を見ていて、幼いながらに、子供だった私も本能的に理解したのです。

 

「あぁ、この人には理解してもらえない」

「この人には何をいってもダメだ」

 

ということに。

 

 

諦めの先にある自由意志の喪失と生きにくさ

 

頭ごなしに怒鳴られ続けて、分からないできない理由を問われ続けて、やがて、子供は、意志を諦めてしまいます。

 

だから、嘘をつくしかなくなってしまいます。

自分がやることや、やりたいと思うことは、悪いことだと思うからです。

 

美味しくないものは、美味しいといいました。

欲しいものは、欲しくないといいました。

好きじゃないものを、好きだといいました。

幸せが何かわからないのに、幸せだといいました。

1ミリも楽しくないのに、楽しいといいました。

辞めたくて仕方ないのに、続けたいという。

 

自分の意志を殺して、他人の意思を最優先にするようになりました。

 

母を、この人を怒らせないために、今何をすべきか。

 

パターン化して原因を分析して、叱責を回避することと褒められる行動を当てて実行することのみを追求するようになります。

結果として、ふと気づいたら自分が何をしたいか、完全に見失ってしまいます。

 

そんな私のような人間が「大人」になれないまま「成人」になって抱くのは、世の中や他人に対する言い表しようの無い怒りと純粋な興味です。

 

「なんでみんな普通にできるんだろう」

「それ、どうやってやるんだ?」

 

普通、と表現されることが理解できないのです。

皆がなんの気なしにできていることがさっぱりできない、これはとてつもない恐怖です。

 

 

「空っぽの子供」を育てる親の特徴

 

今振り返れば、父は当初約束を守れなくてよく母に怒られたと言っていました。

仕事のスケジュールに穴を開けることもあったといいます。

しかし、書の才能を開花させ腕一本で家族を食べさせた一点突破の鬼才だった父。

典型的な高機能型 ADHD ASD の特徴です。おそらくその遺伝子を受け継いで私が生まれたのでしょう。

 

そして母は、AC(アダルトチルドレン)でした。

祖父がアルコール依存症から荒れ、祖母は長女の母に辛く当たったそうです。

親の期待に応えるために進学し、なりたくもない教師になりなさいと言われたから地方大学の教育学部に入学した母。

 

彼女は、人とうまく話せません。

友人が作れず、長続きしません。

 

自己肯定感が低いため、形にこだわる完璧主義です。

社会的ステータスや、他人の評価に執着します。

こうした承認欲求の強さからくる思考の偏りは、自分に自信がない人に顕著です。

自分で自分にOKを出せないので、他人が与えてくれる価値や評価にすがりやすいと言われています。

 

よって、母が私に求めたことは以下のことでした。

 

「良い大学を出て、良い会社に就職して、良い家柄の人と結婚して、安定した生活をしてくれ」

自分が歩きたかったレールの上を代行して歩ませる事に大いなる期待を寄せ、熱量を費やし、転ばぬ先の杖を用意し続け、自発性や個性を重視して傾聴することなど一切せずに私を調教することが、彼女の唯一の生き甲斐になってしまったのです。

 

彼女自身の人生をほったらかしにして。

 

そんな彼女がもし正しい発達障害の知識を得ていたとしても、自分の宝物である我が子(私)が「発達障害」という「欠陥品」だと勘違いして、普通のレールから外れる恐怖に勝てず決して認めようとはしなかったでしょうから、やはり、この承認欲求に囚われている限り彼女の生き方は変わらなかった可能性が高いと言わざるを得ません。

 

発達障害は、欠陥ではなく、個性である、という見地に立つには、フィルターが多すぎるので、残念ながら期待できなかったでしょう。

 

そんな親でも子供は信じてついていく

 

私はといえば、必死でした。

 

親は、子にとってある意味世界そのものですから、当時は「親にまで嫌われたら私の存在は世界の中で一番完全に無価値なものになる」と恐怖していました。

 

だから全力でその期待に応えようとしました。生きるために。

 

結果はこのとおり、強迫性障害と不安障害を抱え、アルコール依存症になった立派なAC(アダルトチルドレン)に成長したわけです。笑

 

機能不全家族のゴールデンスタンダードを見事に体現した我が一家は、家族内にしか信頼を見出せない共依存にドップリとハマっていました。

他の家族の在りようとは、どんどん離れていって孤立しました。

それがさらに多様な価値観との交流を妨げ、コミュニケーション能力を欠落させる原因になったと思われます。

 

 

私が親になるにあたって思うことと切なる願い

 

そんな私も来月に長女が生まれ、親になります。

 

私は、この呪われた負の連鎖を私の代で、断ち切りたい。

願わくば、当時の私のような子らの不可解に今まさに直面している保護者が、ADHD ASD などの発達障害の正確な知識を持ち、人と違ったり理解に苦しむ行動をしたりする我が子を、ありのまま信じてあげてほしいです。

 

「なんでできないの⁈」系の答えられない質問 や

「そんな悪い子は知らない」系の存在否定 で

頭ごなしに子供の気持ちを叩き伏せる前によく耳を澄まし、

本心を話しているうちに、その声に耳を傾けてあげてほしいと思います。

 

親も人間だから、完璧じゃ無い、ミスもします。

それは仕方のないことだと思います。

同じように、子供達には、人生の選択権があり、ミスの練習をする権利があります。

彼ら彼女らが、自分の人生や気持ちに向き合い決定する権利を唯一有しているのです。

 

親は、水槽の金魚を見守るが如く、ただ、見守ることが、できる唯一のこと。

彼らの生き方をコントロールすることなどできないのです。

 

私も妻も自分がしてほしくなかったことを、我が子には絶対にしないように、お互い失敗を繰り返しながらも、子供と一緒に「自分らしく」楽しく生きていきたいと願っています。

では、また!

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