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【共依存】パワーゲームを降りるための10のステップ:Prologue

他人をコントロールし、自分をコントロールし、自分の運命をコントロールしようと努力しつづけた人間は、必ずその限界にぶちあたります。

(中略)

嗜癖者は、「意志の力」を信じています。自分の困った事態を、自分の力でなんとか治せると思っています。けれども、意志の力を信仰すればするほど、自分でコントロールできない部分が多くなっていき、自分の中から自分への反乱が始まります。川の流れを、あちこちせきとめて、思い通りにコントロールしようとしても、ひと雨降ったら氾濫してしまうようなものです。

出典:『「自分のために生きていける」ということ 寂しくて、退屈な人たちへ』著者:斎藤学(だいわ文庫)P201〜203より引用

 

 

パワーゲームを生きてきた私たち

パワーゲームとは、支配する・支配されるというコントロールの関係性のことだ。

私たちは無意識のうちに、親子関係に始まり人間関係のパワーゲームに否応なく巻き込まれてきた。

人間関係のパワーゲームは、お互いのコントロール合戦である。

他人の思い通りにしなかれば生きていけないと感じ、他人のいうまま・されるままになるとき、人間は自分の無力さを感じ、自尊心を失います。

そうはなりたくないので、逆に相手を支配し、自分の思うままにコントロールしようとします。誰かをコントロールできている間は、自分の無力を感じずにすむからです。親の思うままにコントロールされていた無力な自分を忘れることができ、自分が他人をコントロールできるほどに力をつけたと感じることができるからです。

出典:『「自分のために生きていける」ということ 寂しくて、退屈な人たちへ』著者:斎藤学(だいわ文庫)P125より引用

 

つまり、自分の無力さをみたくない、そんな怖いことは認めたくないので、他人や自分をコントロールしたいのだ。

どうせなら、コントロールされるよりコントロールする側に回ろうとする。

この上下関係のコントロール合戦に参戦している限り、どちら側に属していても苦しいままだ。

なぜなら、冒頭にあるように、他人はおろか自分すらコントロールできないのが、この世の理だからだ。

意志の力=理性を崇拝する『理性教』の信者として懸命にコントロールできるようにあれやこれやと試行錯誤をしてきただろう。私たちはその試行錯誤について飽き飽きするほど繰り返しやってきたはずだ。

それを突き詰めれば突き詰めるほど、極めようとした人ほど悟る。そんなことは土台無理な話だったのだ、という真実に気づける。そして気づいて、愕然とする。

 

子供の世界に不法侵入する親

私を育てた両親や、周囲にいた大人たちは、その真実にたどり着けずにいた人たちだった。

自分や他人をコントロールできる、という信仰にすがり、ついぞその邪教を捨てられなかった悲しい人たちだったとも言える。

子供は親に見捨てられては生きていけないので、簡単に支配できる。

そして、「あなたのため」という都合のいい言葉で自分の世間体を守りながら子供の人生をコントロールすることができる。

親には、それができる。そして、それは親が最もしてはならないことだ。

子供の人生は、親の生き直しのためにあるのではない。

その子の人生は、その子が思い描いた人生を描き出すためにある、その子専用のキャンバスだ。

それなのに、親は、あれやこれやと転ばぬ先の杖を無理やり持たせる。「今の時代英語はしておかないと後悔するから」「ある程度の学歴がないと将来苦労するから」「間違った道にいかないようにしっかり躾けないと」などと、自分の価値観を押し付けて、勝手に他人のキャンバスに色を塗り始めてしまう。

そういう横からの妨害を受けて、子供は人生観を歪ませていく。

「こうでなければならない」「お母さんのいうとおりにしなくてはならない」で何も自分では描き出すことができずに、親が勝手にペインティングしていく様子を眺めるほかない。

なぜか?

そうでないと愛してもらえないと思うからだ。

本当はいやだけれど、そうすることが愛だと信じたい。私のためにやってくれているはずだ、なぜなら私は両親に愛されているはずなのだから、と必死に思おうとする。

親は「ほら、あなたのためにやってあげたのよ」「こんなに綺麗な絵になって幸せでしょ」という。

子供は、それが愛情だと信じたいから、感謝しなくてはならないと思い、引きつった作り笑いで必死に「ありがとう、お母さん」という。

そんなのが、昨今の母と子の麗しき地獄絵図であり、いわゆる「幸せな一般家庭」で行われている精神的虐待である。

 

眼を醒すべき親のひとりとして

親が、寂しいからだ。

自分が必要とされたい。自分を絶対的に必要とする存在が欲しかったから、子供をコントロールして自分が安心するために都合よく利用したのだ。

「あなたのためだから」という建前を盾にして、子供の人生を勝手に無茶苦茶にした。

それは、親が、親自身の人生を責任を持って生きていないからだ。

 

 

いい加減、私たちは降りなくてはならない。このパワーゲームという無限螺旋を。

この不毛なマウント合戦をやっている限り、負の世代連鎖は止まらないのだから。

 

ここまでの話を読んで、以下のような感想を持った人はいないだろうか。

「でもそれが親の役目でしょ?」「それが親の愛情というものだ」「子供は判断がつかないんだから親が導いてあげるのが当然でしょ」

 

これこそが、まさしく『否認』している人の反応である。

何を否認しているかというと、自分がしていることが「自分のためである」という本人にとっては認めがたい、耳が痛い真実を、否認している。

あなたがしたいからしている。

それは、子供のためではない。あなたのためだ。あなたの寂しさを埋めるためだ。あなたの人生の寂しさを埋めるために、子供を利用しているのと同じなのだ。

親が親として最もするべきことは、2つだ。

「子供にとって掛け値無しに存在を肯定してくれる安全基地であること」と「自分自身をハッピーにすること」つまり、自分自身のセルフケアを行い、人生を謳歌していることだ。

人生の先輩として、この世で生きていくことは素晴らしい楽しいことなんだと、背中で語ることは、最も手本となる大人の姿だ。

「私はあなたが残す結果がどんな結果だろうと、どんなに失敗しようと、あなたがあなたである限り愛しているわ」

こういってくれる安全基地があるからこそ、人は冒険ができる。親元を巣立って外の世界に飛び込むことができる。子供がいつまでも家や家族から離れられず巣立っていかないのは、その子にとって家庭が安全基地ではないからだ。

 

「私はあなたを尊敬しているしいつも愛している。でも、私は私の人生を楽しむことで、手一杯なの。あなたはあなたが生きたい人生を自分で選んで楽しんで頂戴」

そういう、親が精一杯誠実に人生を生きている姿を見て、子供は自分の人生を選び取っていく。

なりたい自分を、親に褒められるかどうか、社会的に褒められるかどうか、などというものと関係なく決めて責任を持つことができる。

 

そうなるために、私は私のために、これから『パワーゲームを降りるための10のステップ』を進めていきたいと思う。

興味がある人は、私と一緒にやってみてほしいと思う。

【子育て】親の陰口が子供の心を騙すという話(アダルトチルドレン)

こんにちは、ちあき です。

 

最近になって、母親から呪いを受けていたことに気づく機会がありました。

 

ふとしたときに思い出された、活き活きした父の姿

あるデザイナー兼イラストレーターの先生と話をしていたときのことです。

 

「漫画書く仕事をしているときって、最初は話の構想を練ってネームを描いて、登場人物の心の動きとか設定とか考えながら作業してるんだけど、下書きしたりペン入れしたりして何回も何回も同じシーンを描いては修正し描いては修正しを繰り返しているときには、作業で精いっぱいになって、何を描いてたのかわけわかんなくなるんですよねー。だから、読んでくれた感想ってとってもありがたいんですよー。自分だともう作品をそのままフレッシュに見られないので。」

 

という、狂気が滲み出るエピソードとを聞き深く戦慄したわけですが、なぜか懐かしさがありました。

 

私の父は書道家で、よく自宅で籠って字を書いていました。

 

展覧会の前などは作品が仕上がらない、と言って何時間も部屋で独りでうんうん言いながら書いていました。

 

たまに、「あー!もうわからんくなった!!」と言いながら、リビングにきて

「ちょっとこっちきて」と私と妹を呼び寄せるのでした。

 

何かな?と思って作業部屋に行くと、2つの書が並べて壁にかけてあり、

「どっちをどう思う?」という謎の問いかけをされます。

楷書でなく行書なので、何と書いてあるかすらわからないのですが、特に説明はなく、「感じたままを教えてくれ」というので、ほとほと困り果て、

「うーん、右のほうが白いところが多いから寂しい感じがする」

などと感じたままのふわっふわな感想を話すと、目を輝かせて

「そうか、そうかー、なるほどなー、ふんふん」などと言いつつ、私たちを読んだことはすっかり忘れてまた作品に没頭してしまうのでした。

 

こうしたことが何度もあったことを唐突に思い出したのです。

父もまた、書道家としてずっと作品に向き合ってきて、たまによくわからなくなるのか、こうしたことがあるたびに当惑した思い出がよみがえり、爽やかな感じがしたのです。

 

なぜか?

自分の父が生身の人間として、心に還ってきたような、息づいてる感じがしたのでしょう。

(もうお亡くなりになったような書き方ですが、父はまだ存命しています。)

 

 

母親から授けられた、父を嫌わなくては、という呪い

母親は、ずっと、父の愚痴をいっていました。

繰り返し繰り返し、私は父の悪いところを母親から聞き続けてきました。

 

「仕事ばっかりして帰ってこないなんて、ひどいでしょう」

「なぜなら、私たち家族よりも仕事のほうが私たちより大事なのよ」

 

そんな話をずーっと聞かされてきて。

母は父に帰ってきてほしい、っていうだけだったんだろうけど、

私は父を「嫌わなきゃいけない」と思ったのだと思います。

 

私は母といる時間が圧倒的に長かったので、父と話すのはもっぱら休日で、情報量では母親サイドの話が圧倒的に暴露率が高く、父をどんどん心の中で悪者にしていきました。

 

そうしなければ、嫌われるのは私になるからです。

父が嫌われ者をやってくれているうちは、母から嫌われずに済む。

母に嫌われたら子供の私は生きていけないし、何より母に嫌われることを考えたらとても心が耐えられないだろうと感じていました。

 

それに、父がちゃんと仕事だけじゃなく家庭にリソースを割いてくれれば、母からこんな聞きたくもない話を延々聞かされたりしなくていいし、私が聞いてほしい話ができたのに、と、父を恨む気持ちは日に日に強くなりました。

この記憶は、今も「仕事をしているからといって家事や子育てに手を抜くことは許されない」という、ひとつのクサビになって、私を休ませてくれません。

 

ある研究によれば、父親が家に帰ってくる数が少なくても、母親が、父親に対する愛情をもっていることを、子供たちに伝えている場合と伝えていない場合とでは、父親に対する子供の好感度が異なるといわれています。

 

それを考えるにつけ、私は、やはり父を本当は嫌いになりたくなかったのだと思います。

 

私だって父との時間が欲しかった。

本当は嫌いになりたくなかった。

父の話をもっとしてほしかったし、もっと私も自分の話したかった。

 

しかし、それは叶わなかった。

母が父を遠ざけ、意図せず悪者に仕立て上げてきたから。

父を嫌わなくては、逆に母に嫌われる恐怖を植え付けてきたから。

 

呪いを子供に授けないために、どうすればいいのか?

ずっと探していた生身の父。

たしかにそこにいて、感情をもって懸命に生きていた父。

私は、漫画を執筆した先生のエピソードに、父とのかすかな思い出を重ねて、なんだか嬉しくなってしまったのでした。

 

そんな風にならないように、私はパートナーの悪口を子供に吹き込むようなことをしない親でありたい、と思います。

 

私も子育てを積極的にやっている父親の一人として、世の中のお母さんが辛い気持ちは少しはわかるつもりです。

帰ってきてほしい気持ちも、心細い気持ちも、家から出られずふさぐ気持ちも。

それは、感じても仕方がないことですし、その気持ちを否定するつもりもありません。

依存しないで生きていくなんて、人間にはできないと思います。

人は、そんなに強くない。

しかし、つらい気持ちを子供だけにぶつけることは、子供を共依存の犠牲にすることに繋がってしまいます…。それは本意ではないですよね?

他にも複数の健全な依存先を増やし、子供を自分が立っているために杖として使わないようにしていきたいですね。

【子育て】買ってよかった!神経質パパ(妻談)が選んだベビー用品ベストアイテム①~産前に買っておくべき物:前編~

こんにちは、妻と協力して絶賛子育て中の ちあき です。

この3月末で娘は3ヶ月になります。

4月頭にはお食い初め…早いものです。

 

産前産後の時期を思い返すと

産まれてくる我が子が楽しみで

いろいろ雑誌をみたり、アカチャンホンポに遊びに行ったり

準備を進めている気でいましたが、

「何をいつまでに買えばいいのか」

正直なところ分かりませんでした。

結局バタバタしてすごく忙しくなってしまい、

「これもっと早く買っておけばよかった…」

「これは特に必要なかったのになぁ…」

という思いをしました。

 

「産前に買っておくべきもの」が正直な意見で全部まとまっていれば、

みんな同じ後悔をしなくてもいいのではないか…!?

 

そう思ったので、ちょっとまとめてみました。

我が家で買ってよかったものだけを、なぜ必要か?という理由と合わせて

正直に厳選して紹介していきます。

 

①チャイルドシート

まず買うべきものとして着手したのが、チャイルドシート。必需品です。

チャイルドシートに関連する法律は道路交通法第71条3項に記載されていて、

チャイルドシートの着用義務を怠ると、

ドライバーは「幼児用補助装置使用義務違反」で1点の加算となります。

例え交通違反点数の加点が1点でも、チャイルドシートを着用していないと、子どもの命を危険にさらすことになります。

必ずチャイルドシートを着用させるようにしましょう。

 

 

・1万円以下と安価なのに、実際使ってみると造りがしっかりしていて申し分ない。

・ベビーシートで寝てしまっても、シートベルトを外せば簡単に子供を起こさずに移動でき、出先ではバウンサーとして使える。

・新生児から使える。

結果的に、高いベビーシートを買わなくてよかったです。

 

病院から帰るのと、日ごろちょっと車で移動するくらいならコレで十分でした。

 

 

②スキンケア

赤ちゃんのお肌のケアもそうですが、意外にお母さんのケアも重要でした。

 

〇乳首ケア:ピュアレーン100(メデラ)

 

購入した理由と選んだポイント

授乳に慣れていない赤ちゃんだと、乳首だけを一生懸命吸ってしまい、うまく母乳が飲めないそうです。その結果、乳首がすごく痛くなるそうです。

「これ、最初っから買っておけばよかった~!!」と妻が最も後悔した必需品です。

・これを塗っておけば、授乳のたびに痛みに苦しむことがなくなります

 

 

〇保湿ケア:ワセリン(ピジョン)

 

購入した理由と選んだポイント

・ワセリン100%で無着色・無香料・パラベンフリーで最も信頼できます。

・保湿が必要な乳児。乳児湿疹が一度は出ると思いますが、これで一発で治りました。

「特に乾燥しやすい冬場、最初から使っていればよかった」と妻は後悔しています。

・60gで量は充分。

 

 

〇ベビーローション(アロベビー) & ベビーオイル(ジョンソン&ジョンソン)

 

購入した理由と選んだポイント

・ローションは、鼻や耳などデリケートな部分をケアするのに最も優れています。

・ローションは、日ごろ赤ちゃんのスキンケアでサラッとケアするのに非常に便利です。

・冬場はお風呂あがった後、まずはベビーローションを塗り、ワセリンをオンします。

夏場はローションだけでOK。

 

・オイルは、ベビーマッサージをする場合にも使います。

・オイルは、ウンチを出すために綿棒でお尻をぐりぐりするときに重宝します。

・オイルは乳児湿疹が出ているときには使えないので注意。

 

 

 

〇おしりふきウォーマー(コンビ)

 

購入した理由と選んだポイント

・冬はおしり拭きが冷たくて赤ちゃんがびっくりしてしまうので、重宝しました。

・すぐ暖かくなるので使いやすい。意外にコンパクトで、赤ちゃんの近くにおいてました。

・コンセントが必要なのが残念。ハンディータイプがあれば一番いいかも。

 

 

〇コラージュふるふる(持田製薬株式会社)

 

購入した理由と選んだポイント

・製薬会社が製造元だからか、これにしてから汗疹がなくなりました。

・お母さんも赤ちゃんも使えるので一石二鳥で経済的。

・沐浴で早速活躍するので、買っておいたほうが1日目から困りません。

 

 

いかがでしたか?

意外にたくさんありますし、種類もものすごく多いのでとても悩みました。

妻が口コミやネットの評価を見てくれて、友達にも聞いてみて、

実際に使ってみたよかったものだけを紹介したくて記事を書きましたが、

まとめていて正直疲れてきました。笑

なので、前編後編に分けます。

とりあえず、必要な順に書いていきますね。

後編も近日UPします。

後編は、

授乳に関するグッズ・子供服・マザーズバッグ・消耗品・

買ったけど正直いらなかったもの を特集します。

お楽しみに!

【子育て】発達障害持ちの私が親にしてほしかったこと(自閉症スペクトラム障害:ASDの場合)

こんにちは、 ちあき です。

 

さて、私はASD(自閉症スペクトラム障害)ですが、この事実に気づいたのは32歳になってからでした。

 

私の母は、私が ASD(自閉症スペクトラム)の傾向があることを、知識がないばかりに理解できず、上手に対応できなかったのだろう、と思います。

 

それは、仕方のないことです。

 

私も自分の違和感に向き合い続けてようやく、ASD.ADHDの知識を持つことができたぐらいです。当事者でもわからなかったことを理解するのは難しいことです。

 

母を責めるつもりはありません。しかし、苦しんだのは事実でした。

 

今日は私の子供時代を振り返りながら、もしも同じようなお子さんがいらっしゃるなら、その子が「自分らしく」生きられるように見守ってあげてほしい、という願いを込めて話をつづりたいと思います。

 

私が子供心に「諦める」までの軌跡

 

母はよく怒りました。

ヒステリックに怒鳴り散らして。

 

「なんで普通のことができないの?!」

「なんで約束を守れないの?!」

「なんで嘘つくの?!」

 

私だって、普通にしたかった。約束を守りたかった。嘘をつきたくなかった。

 

したくてもできないから困っている私に、

「なんでできないか?」を問うことは、まさに愚問であり、

その問いからは沈黙しかうまれないことが想像できない母ではないはずなのですが、

 

終ぞ「どうやったらできるか一緒に考えよう」と寄り添ってくれることはありませんでした。

 

その姿勢を見ていて、幼いながらに、子供だった私も本能的に理解したのです。

 

「あぁ、この人には理解してもらえない」

「この人には何をいってもダメだ」

 

ということに。

 

 

諦めの先にある自由意志の喪失と生きにくさ

 

頭ごなしに怒鳴られ続けて、分からないできない理由を問われ続けて、やがて、子供は、意志を諦めてしまいます。

 

だから、嘘をつくしかなくなってしまいます。

自分がやることや、やりたいと思うことは、悪いことだと思うからです。

 

美味しくないものは、美味しいといいました。

欲しいものは、欲しくないといいました。

好きじゃないものを、好きだといいました。

幸せが何かわからないのに、幸せだといいました。

1ミリも楽しくないのに、楽しいといいました。

辞めたくて仕方ないのに、続けたいという。

 

自分の意志を殺して、他人の意思を最優先にするようになりました。

 

母を、この人を怒らせないために、今何をすべきか。

 

パターン化して原因を分析して、叱責を回避することと褒められる行動を当てて実行することのみを追求するようになります。

結果として、ふと気づいたら自分が何をしたいか、完全に見失ってしまいます。

 

そんな私のような人間が「大人」になれないまま「成人」になって抱くのは、世の中や他人に対する言い表しようの無い怒りと純粋な興味です。

 

「なんでみんな普通にできるんだろう」

「それ、どうやってやるんだ?」

 

普通、と表現されることが理解できないのです。

皆がなんの気なしにできていることがさっぱりできない、これはとてつもない恐怖です。

 

 

「空っぽの子供」を育てる親の特徴

 

今振り返れば、父は当初約束を守れなくてよく母に怒られたと言っていました。

仕事のスケジュールに穴を開けることもあったといいます。

しかし、書の才能を開花させ腕一本で家族を食べさせた一点突破の鬼才だった父。

典型的な高機能型 ADHD ASD の特徴です。おそらくその遺伝子を受け継いで私が生まれたのでしょう。

 

そして母は、AC(アダルトチルドレン)でした。

祖父がアルコール依存症から荒れ、祖母は長女の母に辛く当たったそうです。

親の期待に応えるために進学し、なりたくもない教師になりなさいと言われたから地方大学の教育学部に入学した母。

 

彼女は、人とうまく話せません。

友人が作れず、長続きしません。

 

自己肯定感が低いため、形にこだわる完璧主義です。

社会的ステータスや、他人の評価に執着します。

こうした承認欲求の強さからくる思考の偏りは、自分に自信がない人に顕著です。

自分で自分にOKを出せないので、他人が与えてくれる価値や評価にすがりやすいと言われています。

 

よって、母が私に求めたことは以下のことでした。

 

「良い大学を出て、良い会社に就職して、良い家柄の人と結婚して、安定した生活をしてくれ」

自分が歩きたかったレールの上を代行して歩ませる事に大いなる期待を寄せ、熱量を費やし、転ばぬ先の杖を用意し続け、自発性や個性を重視して傾聴することなど一切せずに私を調教することが、彼女の唯一の生き甲斐になってしまったのです。

 

彼女自身の人生をほったらかしにして。

 

そんな彼女がもし正しい発達障害の知識を得ていたとしても、自分の宝物である我が子(私)が「発達障害」という「欠陥品」だと勘違いして、普通のレールから外れる恐怖に勝てず決して認めようとはしなかったでしょうから、やはり、この承認欲求に囚われている限り彼女の生き方は変わらなかった可能性が高いと言わざるを得ません。

 

発達障害は、欠陥ではなく、個性である、という見地に立つには、フィルターが多すぎるので、残念ながら期待できなかったでしょう。

 

そんな親でも子供は信じてついていく

 

私はといえば、必死でした。

 

親は、子にとってある意味世界そのものですから、当時は「親にまで嫌われたら私の存在は世界の中で一番完全に無価値なものになる」と恐怖していました。

 

だから全力でその期待に応えようとしました。生きるために。

 

結果はこのとおり、強迫性障害と不安障害を抱え、アルコール依存症になった立派なAC(アダルトチルドレン)に成長したわけです。笑

 

機能不全家族のゴールデンスタンダードを見事に体現した我が一家は、家族内にしか信頼を見出せない共依存にドップリとハマっていました。

他の家族の在りようとは、どんどん離れていって孤立しました。

それがさらに多様な価値観との交流を妨げ、コミュニケーション能力を欠落させる原因になったと思われます。

 

 

私が親になるにあたって思うことと切なる願い

 

そんな私も来月に長女が生まれ、親になります。

 

私は、この呪われた負の連鎖を私の代で、断ち切りたい。

願わくば、当時の私のような子らの不可解に今まさに直面している保護者が、ADHD ASD などの発達障害の正確な知識を持ち、人と違ったり理解に苦しむ行動をしたりする我が子を、ありのまま信じてあげてほしいです。

 

「なんでできないの⁈」系の答えられない質問 や

「そんな悪い子は知らない」系の存在否定 で

頭ごなしに子供の気持ちを叩き伏せる前によく耳を澄まし、

本心を話しているうちに、その声に耳を傾けてあげてほしいと思います。

 

親も人間だから、完璧じゃ無い、ミスもします。

それは仕方のないことだと思います。

同じように、子供達には、人生の選択権があり、ミスの練習をする権利があります。

彼ら彼女らが、自分の人生や気持ちに向き合い決定する権利を唯一有しているのです。

 

親は、水槽の金魚を見守るが如く、ただ、見守ることが、できる唯一のこと。

彼らの生き方をコントロールすることなどできないのです。

 

私も妻も自分がしてほしくなかったことを、我が子には絶対にしないように、お互い失敗を繰り返しながらも、子供と一緒に「自分らしく」楽しく生きていきたいと願っています。

では、また!

【出産】転勤族の永遠の悩み「里不帰出産」vs「里帰り出産」のメリット・デメリットまとめ

こんにちは、 ちあき です。

転勤族は自宅から遠く離れて勤務している人が大半です。 そこで必ず問題になるのが、「出産をどこでするか?」です。

正直、結論から申し上げれば、どちらがいい、ということは言えません。

最も重要視すべきことは、妻がどちらが安心してお産に臨めるか、という一点だけです。あとはすべてオプションです。

人生において選択は、「損得」ではなく「納得」です。どちらの道にも、良い面と悪い面が半分ずつあり、いばらの道であることには変わりなく、どちらの道なら苦しみに「納得」できるか、という2択であると言っても過言ではないでしょう。

では、私たちが最終的に「里不帰(さとがえらず)出産」と「里帰り(さとがえり)出産」をどういった点で吟味して最終的に決定し、結果どうだったか、を振り返ってみましょう。

夫婦の譲れない条件を話し合う

まずは、妻と、よく話し合います。どんな出産をしたいか、は「夫婦で」決めましょう。私たちの譲れない条件は、下記の通りでした。

  • 安心して出産できる産院がある場所で産みたい
  • 立会い出産したい・してほしい
  • アルコール依存症の夫(私)が再飲酒しにくい状況にしたい
  • 産前産後の大変な時期に妻を姑にできるだけ近づかせたくない
  • ひとりでは心配で洗濯や炊事などを任せられるサポートを受けたい

この5つを満たす状況をつくるために、最終的には「里不帰出産」を選びました。

妻の実家付近は冬は積雪がひどく、すぐに産院に移動できない可能性がありました。また、充分なスタッフと設備を兼ね備えており安心して出産できる病院が県立中央病院くらいで、飛行機で国内乗り継ぎしなくては私も駆け付けられない距離であり、1番目・2番目の条件に里帰り出産が適合しませんでした。

また、私は以前妻が実家に帰省したタイミングでスリップ(再飲酒)した前科があり、安心して里帰り出産できない、という妻の私に対する不信・心配もありました。

4番目・5番目を満たすためには、産前産後にサポートを頼むとすれば選択肢はひとつ、「義母の旅費を負担して私たちの自宅にお越しいただく」でした。

このように選択すれば、両者にとって納得感のある決定ができます。無論、私にとっては1ヶ月以上他人である義母が家にいるわけですから、強いストレスがかかる状況ではありますが、妻にとって最もConfortableであることが最優先なので、今振り返ってもこれで最適解でした。

「里不帰出産」のメリット・デメリット

メリット

  • 夫がほぼ確実に出産に立ち会える
  • 妻が心細いとき、夫がいつもそばで支えられる
  • 夫が新生児の我が子のケアに関われる
  • 出産という命を懸けた一大イベントを夫婦で乗り越えることで、夫婦間の絆が深まり、夫は父親になったという実感を持ちやすい
  • 義母がきてくれれば、生活もろもろのサポートをしてくれるので、家事の負担が激減し、妻は産前産後リラックスすべきときにリラックスできる。
  • 出生届や行政での手続きなど夫に依頼すればタイムリーに実施できる。
  • 夫がおむつ替え、沐浴、ミルクを作る、着替え、あやす、など一通りの技術を一緒のタイミングで学び習得できるので、その後夫に子供を任せて外出するなど産後比較的フレキシブルな対応が可能になる。

デメリット

  • お金がかかる。(帰れないほどの距離の旅費を往復分負担するのは結構痛手)
  • 生活リズムが乱れる。
  • 夫の仕事のパフォーマンスを下げ、支障をきたす。
  • 産後クライシスに陥る可能性がある。(妻はホルモンバランスの変化により感情的かつうつ傾向になりやすく、夫も育児参加をしていればいるほど負荷がかかりストレスをため込みやすくなるため)
  • 出産後、新生児の世話について、四半世紀前の知識で義母から口を出される。往々にして祖父母というものは自分の子供の教育と異なり、より過保護で神経質になりやすい。
  • 手伝いにきた人に対して、孫可愛さにだっこしたがる割には下の世話など汚れ仕事はせず、その都合のよさにイライラする可能性あり。
  • 長期間になると夫の精神が崩壊する可能性がある。(義母を含む他人との共同生活に強い耐性が有れば、あまり問題なし)
  • 夫がアルコール依存症の場合、義母が飲酒者だと地獄(これはかなり特殊)

旦那さんのデメリットが目立ちますが、覚悟するしかありません。私は覚悟してお呼びしたし義母のことはそれまでそんなに嫌いではなくむしろ好きなほうでしたが、今回の出産を機に死ぬほど大嫌いになりました。

一緒に生活をともにすれば、今まで見えていなかった部分が見えてきます。口を開けて食べるクチャラーだということとか、何度お願いしてもすぐ忘れるアホだということとか、「私はこういう性格だから慣れてください」と言ってしまうマイペース&気遣いができない図々しい性格だということとか。それらもろもろのストレスが積み重なると、本来お互いに喜ばしいはずの出産というイベントを経て関係が変化してしまう可能性があります。奥様は、万が一、私のように夫と自分の母親の関係が著しく悪化する可能性があることを、覚悟する必要があるかと思います。

「里帰り出産」のメリット・デメリット

メリット

  • 妻は自分の実家なので、勝手知ったる我が家であり、精神的に楽。
  • 妻は食事や洗濯などの家事を任せておけるので、肉体的にも楽。
  • 夫はいつも通り仕事ができる。(睡眠時間の確保・精神的負荷の軽減)
  • 第2子の場合、2番目の子の面倒も見てもらえることがある。
  • 産後のメンタルの不調により泣いて当たったりしても親なら多少大丈夫。

デメリット

  • 夫に家事を仕込んでから出発しないと帰ってみたら家がゴミ屋敷になっていることがある。
  • 飛行機に乗れるのは最低でも生後1ヶ月健診が終わってからなので、通算約3ヶ月近く夫と離れ離れになり、その間コミュニケーションがとりづらくなる。
  • 妻が里帰り先に移動する際、往路は身重で、復路は幼子を連れて、長時間の移動が必要になるので、大変。
  • 初産の場合、出産の大変さや新生児の夜泣きを経験できないため、父としての実感がわかない・実感を感じるのが遅くなる。
  • 夫がおむつ替えや沐浴などのやり方を全く知らないので、役に立たない。一から教えてもうまくいかず、育児スキルの向上に時間がかかるか、あきらめざるを得なくなる。
  • 夫が不摂生をしている場合、体調を崩す。
  • 妻は実家とはいえしばらく離れていた家であり、人によっては長期滞在するとそれなりにストレスが溜まり、お金の面で気がとがめることがある。

実は、転勤族の女性は里帰り出産をする人の割合のほうが高く、知り合いもおらず慣れない転勤先よりも、なじみのある地元に帰って出産することが多いようです。

転勤族の妻たちは、いきなり1か月前に通達される夫の辞令に振り回されて、転勤先で鬱になる人も少なくありません。同僚にヒアリングしたところ、転勤先での仲間のいない子育てや出産で鬱状態になり、夫との関係を悪くした、という事例は数多く確認できました。これまでに築き上げてきた友人とのコミュニティーから引きがはされ、単独で知り合いのいないエリアにぶち込まれる辛さは想像するに余りあります。しかも、子供を初めて出産する、となればなおのこと不安ですし、夫にあたりたくもなります。

奥様のタイプがもし、ナイーブで人付き合いが上手ではなく内気な性格であれば、里帰り出産がベストだと思います。

まとめ:妻と子供にとって何が最も快適か、がカギ

結局、妻と子供が健やかに安心して過ごせる環境を創るにはどうすればいいのか?だけが、選択する唯一の基準になります。夫はどちらを選んだとしても違う問題に苦しみます。奥様もどちらを選んだとしても違う問題に苦しみます。

私はいまとても苦しいです。しかし「里帰り出産にすべきだったか?」と聞かれれば、「そうではない、やはり選択は正しかった」と考えます。

夫や妻が、自分のことだけ考えてConfortableな選択肢に誘導し、それが叶ったとしても、いずれしっぺ返しを食らうことになります。ひずみは確実に夫婦関係やお互いの実家への人間関係に残ります。それは自然なことであり、仕方のないことです。

だから、私は妻を最優先する選択肢を選ぶことに「納得」して選択したので、想定外のきつさではありますが、なんとか耐えていられます。

これから一緒に一生を過ごしていくのは、それぞれの父母ではありません。妻であり、夫です。夫婦で育てていくのです。夫婦で家族を創り生きていくのです。それをはき違えて、形式に囚われたり、他人(親含む)の意見に翻弄されて、よく考え二人で話し合わないまま決定すると、後で必ず後悔することだけは間違いありません。

夫婦二人で、この難局を乗り切り、喜ばしい我が子の誕生を素直に祝福できるよう願っています。

では、また!

【出産】妻の壮絶出産レポ② 本陣痛から出産を迎えるまで~無力な夫には何ができるのか~

こんにちは、ちあき です。

出産から早いもので8日が経ちました。妻の体調は落ち着き、脱腸していた肛門も治癒して切開した会陰も出血が止まりつつあります。食欲も戻ってきて、一安心です。

さて、前回、前駆陣痛で妻がどれだけの痛みを味わったかを時系列でまとめさせていただきましたが、今回は本陣痛から出産までの戦いについてまとめてみたいと思います。

12/24の朝9時、妻、ついに入院

本陣痛の70%くらいの痛みが10分ごとに襲ってくる悪夢のような一夜が明け、「もっと痛くなってきた、耐えられそうにない」と妻が言い始めました。

トイレに行くと、お印(出血)が確認できました。出血するか破水した場合は速やかに病院に連絡するように、と前回の電話で告げられていた妻は、「電話できる!」と携帯を秒で手に取りました。

妻本人が電話しないといけないので、息も絶え絶えになりながら病院に電話をかける妻。

「急いで病院に来てください!」

おいおい、さっき追い返しといて急げなどとよく言えたもんだぜ、と思いながら、車を走らせました。

妻はすぐに内診にまわされ、子宮口は40%くらい開いているとのこと。

「100%まで開かないとダメですからね、でもこの分なら早そうなので、分娩台で待機していてください。旦那さんもそばについていてあげてくださいね!」

おお!いよいよか!妻とそう話しながら分娩室に待機する私たち。

分娩室にて、12時間経過

朝9時にきて、夜9時。あれー?早そうってのはどうなったんだ?

その間もずっと10分おきに本陣痛の80%くらいの痛みが訪れます。この頃「お尻のあたりを押すほうが腰をさするよりも楽になるから頼む」と言われて、ひたすら10分おきに肛門と尾てい骨の間を押し続けました。

分娩室に通されてから、赤ちゃんの心拍と陣痛の強さを測定する医療機器をおなかに巻いている妻。別室でもモニタリングできる機器のようで、ナースステーションに実況中継されているようなのですが、この機械、ちょっと寝がえりを打つとすぐズレる。あまり様子を見に来ないくせにナースがその機械がずれて測定できなくなった時だけ現われて「あまり動かないで」という無理な注文を言い残して去っていくのでした。

ネットには楽な体勢で本陣痛を待つように書いてあるにもかかわらず、横向きに寝ることを強要されながら固い分娩台で痛みに耐え続けて、夜9時の段階で妻はもうすでに虫の息でした。

夜になってからは肛門付近のいきみ逃しよりも、背中の痛みが強く、しばらくさすっていましたが、最後のほうは両手を握って一緒に息を吐いては吸っての繰り返し。

そんな妻に「生まれるのは明け方かなー」などと死刑宣告に近い内容を笑顔で言い、全く気遣うそぶりもないナースに殺意を覚えました。

間隔を置かない本陣痛到来!

11:20頃、「ずっと痛い、もうヤダ、もう無理!」と叫びだしました。

この痛がり方は今までと違う、と思い、すぐさまナースコール。

のんきで空気の読めないナースがやってきて、「痛みの感じ方は人それぞれ」などとパブロンのCMみたいなどうでもいい話をしようとしだすので、

「至急Drを呼んで子宮口を内診してください。あなたは見ていないから知らないでしょうが、今までと痛がり方が明らかに違います。子宮口が開いたので痛みが変わったはずです。感じ方人それぞれはいまどうでもいいです。急いでください。」

と強く指示し退室しました。

案の定、Drが内診後「100%開いています。もう生まれます!」と言いに来ました。

オラ言った通りだろうが!何が痛みの感じ方は人それぞれじゃ!隣でお前らが爆笑しながら談話している間ずっと分娩室で妻の腰さすっとったんじゃ、わかるわ!お前らプロだろ!しっかりしろや、このボケ!

怒り狂いながら、分娩台が開脚している分娩室に再入室しました。

速攻終わった出産、我が子誕生

分娩室に入ると、開脚してDrにオマタを向けた状態で妻が死にそうな顔で座っています。

「ああ、こういうのドラマで見るな」という光景。

おそらくいきめないだろう、と判断されたのか、吸引機器を準備されていました。

「はい、いきんでいいよ~」

妻の頭を支えて力が入りやすいようにサポートします。

1回目のいきみで、先生がポツリと「あ、これ自力でいけるな」と言いました。

2回目のいきみで、妻曰く「お尻が爆発した」そうですが、もう出てきました。笑

あまりにもあっけなく出てきました。妻はさんざん我慢したいきみをこれでもかと渾身の力を込めてやりすぎ、直腸が裏返り脱肛しました。

胎盤もきれいに出てきて、グロに耐性がある私はとてもきれいだなと思いました。

最後は、あれ、もう終わり?というくらいあっさりしていました。妻はすべての力を出し切り、矢吹丈の「燃えたよ…真っ白に…燃えつきた…真っ白な灰に…」というテロップがはいりそうな穏やかな顔で目を閉じていました。マジでそのまま死ぬんじゃないかと思いました。

無力な私がやって妻から喜ばれたことまとめ

①手を握る

これがなくては耐えられなかった、独りではない、と安心できたといいます。力を込めて握り返しすぎると、妻が力を入れられないので、少し負けるくらいの強さで男性陣は妻の手を熱く握り返しましょう。

②そばにずっとついている

なんか文字にすると幽霊かストーカーのようですが、独りきりにされるのではなく、つらいとき常にそばにいてくれたということが、とても心の支えになった、と言います。我々の効能としては、できることは全然なく役立たずであろうとも、同じ苦しみの時間を放っておかれるのではなく共感していたかどうか、という心情的な作用が強いと思われます。

③「しんどいね」「あともう少しだよ」「ちゃんとそばにいるからね」

この三つを声かけ続けました。つい、「がんばれ」と言いたくなるところですが、鬱を患っている私からすると、死ぬほど頑張っているのに「がんばれ」と言われることと、痛みも知らないくせに「がんばれ」といわれるのはとても気分が悪いし発言した相手を敵視させる言葉だと認識していたので、言わないようにしました。事実、この3つで、特に「しんどいね」と共感する言葉が最も高評価でした。

④妻の変調をいち早く医療関係者に伝える

本陣痛の痛みは尋常ではないそうで、事実妻は叫ぶことしかできませんでした。とても「Drを呼んで」などという指示は出せる状況ではありません。半狂乱です。痛みの感じ方や、妻の必死の訴えを聞いてナースコールをできるのはそばにいる夫だけです。私が内診を指示せず放置されていたらと思うとぞっとする、と妻は言います。妻が頼れるのはそばにいる一番頼りになる夫=あなたです。

⑤そばにいるために予定日周辺は必ず休暇を取る

有給とはこのような有事のためにあります。迷わず取得しましょう。会社によっては育児休暇や配偶者の分娩に伴う特別休暇なるものがあります。事前に会社の制度をチェックして、予定日周辺1週間を休み、いつでも妻を病院に搬送したり、必要なものを買いそろえて持って行ったりできる時間を確保しましょう。飲み会などもってのほかです。飲み歩いていて、酒臭いままタクシーで駆け付けたら、もう生まれてた、なんてことになったら、妻から「くそやろう」という永久背番号をいただくことになるでしょう。

 

いかがでしたか?大変でしたが、結果として妻はとても満足してくれました。私としてはそのあとも大変で、いずれまた書きたいと思いますが、この記事が出産を控えた旦那さんたちの役に立ったらいいなと思います。

では、また!

【出産】妻の壮絶出産レポ① ~前駆陣痛はどのくらい痛いのか~

こんにちは、ちあき です。

12月25日のクリスマス、妻が長女を産んでくれました。

同僚や先輩の赤ちゃんの写真を見ても、正直「サルみたい」と思っていましたが社交辞令で「かわいいですね」と言っていました。

が、

我が子を見た瞬間、価値観が変わりました。

動きといい、表情といい、かわいいですね、本当に。今までみんなが他人の赤ちゃんを見て「かわいいね」と言っているのが本心だとわかりました。赤ちゃんは自分では生きていけない分、面倒を見てもらえるように接するものをメロメロにさせる力を持っているんだな、と今なら思います。

そんな我が子でしたが、妻は前駆陣痛がとても長く、出産まで3日間寝られず、苦しみました。その過程を振り返り、レポートすることで、初産に臨む妊婦さんとその旦那さんの皆さんの参考になれば、と思います。

12/21~22 生理痛のチョイ痛くらいの「前駆陣痛」

妻が、「陣痛きたかも」と言い出したのは、21日の夜9時くらいのことでした。

夜から朝にかけて、おなかの中でもよく動く子でしたが、痛みも同じ時間帯に発生しやすいようです。

妻によると、今振り返れば「本陣痛の40%くらいの痛み」で、生理痛が「ちょっといつもより痛いなこれ」くらいの痛さだったそうです。なんとなく痛いけど、本陣痛は腰が砕けるくらい痛い、と聞いていた私たちは、「まだこれは本陣痛ではないだろう」と思い、その日は病院にもいかずそのまま過ごしました。

12/22~23 寝れないぐらいの「前駆陣痛」を本陣痛と勘違い

しかし、翌22日の夜の痛さは一味違いました。

妻は元々痛みに強く、「痛い」いう単語を発しないタイプで、私が呻いて痛がるような関節痛を伴う高熱でも全然弱音を吐きません。

その妻が、夜9時ごろ一緒に横になっていると、10分に1回1分程度の「結構痛い」痛みの波がくるというのです。痛みのレベルとしては、本陣痛の60%くらい。

最近は痛みのカウントをスマホのアプリで計測できます。

しかし、これが意外に曲者で、「カウントしてしまうと意識してしまう」という落とし穴に二人でハマってしまいました。カウント始めたことにより、そろそろ来るかも、と痛みに集中してしまったと妻はいいます。それにより痛みが気になり満足に寝られず、翌23日の朝9時ごろに一度耐えきれず病院に行きました。

しかし、病院を追い返されました。

「まだ子宮口が1cmしか開いていませんが。先週の妊婦健診のときと全然変わらなんで、帰ってください。ていうか本当に痛いん?」

とムカつく物言いをする不愛想な女医さんに鼻で笑われ、夫婦で怒りにめらめらと燃えました。

「痛いか?だと?こっちは寝れないほど痛いから来とんねんボケ」と思いましたね。笑

その出来事でキレた私たちは、「おう、そんなら気絶するほど痛くなってからいってやらぁコノヤロウ!!」と腹を括りました。(笑)

12/23~24 2日目の寝られない「前駆陣痛」の夜

しかし、その夜もめっちゃ痛かったそうで、本陣痛の70%くらいの痛みが10分ごとに襲ってきてしまい、ろくに寝られませんでした。

旦那の私もそのたびに背中をさすり、二人して寝たんだか寝てないんだかわからない2回目の夜を過ごしました。結構この時点でふたりとも疲労感満載でした。

これを見ている妊娠中の奥様の旦那さん、横で痛みに苦しんでいる妻の横では寝られないことを覚悟しましょう。妻が横で痛みに苦しんでいるのに自分だけ寝るのは結構難しいです。安心できるように手を握っていたのですが「妻にこんなに握力あったんだ」っていうくらい本気の腕力を体感します。

基本的に私たちは何もできません。超・無力です。痛みを代わってあげられない男ができることは、背中をさすることと、手を握ることと、「つらいね」「しんどいね」などと共感する言葉をかけること、の3つくらいです。

でも、それを産まれるまで全力でやることが、妻が安心して出産でき、出産後も「あのときは一緒に戦ってくれてありがとう」と言ってもらえる唯一の道かもしれません。

気合の入れどころです。

まとめ:前駆陣痛は人によっては本陣痛の60~70%くらいの痛さである

というわけで、私たち夫婦は強烈な「前駆陣痛」に翻弄されました。

前駆陣痛は意外に痛くて、眠れないくらいで「相当痛いな」と思っても、そこからさらに3~4割増しで痛くなるのが本陣痛だと言えるでしょう。

ただ、痛みの感じ方には個人差がありますので、耐えられないと思ったら迷わず病院に連絡しましょう。

また、早めに陣痛間隔を測りすぎると、そればかり気になってしまい、睡眠不足になりやすいということがわかりました。睡眠不足になって体力を消耗してしまうと、いざ出産というときに本陣痛がきてから陣痛が長引き苦しむことになります。

次回、本陣痛と出産編です。

では、また!

【出産】多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)に悩む妻との不妊治療あれこれ

こんにちは、ちあき です。

夫婦で不妊治療を続けて2年。念願の第1子が妻のお腹の中にいます。もう臨月になり、出産を待つばかりです。ドキドキしています。

多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)とは?

妻は、多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)を患っていました。

多嚢胞性卵巣症候群(PCOS:polycystic ovarian syndrome)とは、若い女性の排卵障害では多くみられる疾患で、卵胞が発育するのに時間がかかってなかなか排卵しない疾患です。

自覚症状としては、
(1)月経周期が35日以上
(2)月経が以前は順調だったのに現在は不規則
(3)にきびが多い
(4)やや毛深い
(5)肥満             などです。

PCOSでは、超音波で卵巣をみると10mmくらいの同じような大きさの卵胞がたくさんできて卵巣の外側に1列に並び、なかなかそれ以上大きくならないことが特徴で、ネックレスサインと呼ばれます。

聖マリアンナ医科大学病院 生殖医療センター ホームページ より https://www.marianna-u.ac.jp/hospital/reproduction/feature/case/case03.html

 

忙しい仕事だったので生活リズムが乱れており、昼頃に起きて明け方近くに寝る生活だったので、なかなか生理が定期的に来ない、という状況が続いていても妻は、「疲れてるのかな」と単純に思っていたそうです。

タイミングをとろうにも生理が不規則なのでは対策しようがないので、医療機関にかかることにしました。

最初の産婦人科クリニックでは、原因がわかりませんでした。特に画像診断もせず、「とりあえず様子をみましょう」というような診察でした。

これではダメだな、と思った私たちは、病院を変えました。

次のクリニックは、きちんと画像診断し、ホルモンの数値を調べて、PCOSについて詳しく教えてくれました。

 

治療は3段階で試していきました。

 

①クロミッド

最初、クロミッドによる不妊治療を試しましたが、全く反応を示しませんでした。

軽症の場合には、クロミッド(クロミフェン)療法が有効ですが、重度のPCOSだと効果を示しません。15%程度がクロミッド抵抗性のPCOSとされています。

 

②ホルモン療法(FSH製剤治療)

次に、注射によるホルモン療法(FSH製剤治療)を試しました。

排卵誘発注射剤で卵胞刺激ホルモンと黄体化ホルモン(ゴナドトロンビン)を補充して排卵をサポートします。皮下注射を頑張り排卵を促しましたが、なかなかちゃんとした卵子が育ちませんでした。卵巣が腫れかけて、中止することもしばしばでした。

 

③ラパロドリリング(腹腔鏡手術)

最後に踏み切ったのは、ラパロドリリング(腹腔鏡手術)でした。

これは、直接卵巣を腹腔鏡経由で焼灼することで、卵巣内に溜まっている卵胞を一つ一つつぶしていき、一時的にすべての卵胞をなくする手術です。

この手術が奏効しました。

お腹に小さな傷は残りますが、生理が定期的に来るようになり、今まで効果がなかったクロミッドや排卵誘発注射剤で卵胞・卵子が育つようになりました。

薬剤治療を続けながら地道にタイミングをとり、2回の流産を経て、4回目のトライで今の我が子がいます。

 

まとめ

さまざま治療を先生と相談しながら、積極的にトライしてきた結果、比較的順調に治療を進めることができました。

しかし、流産で経験した悲しみは忘れられません。いつも明るい妻が沈んでしまうほど、妻にとってもすごくつらいことでした。

出産は命がけ、出産後の育児も、つらさをバネにふたりで乗り越えていきたいと思います。

私は痛みを変わってあげることはできないけれど、できる限りのサポートと、妻が心安らかに出産とその後の育児に安心して取り組めるように、最大限の努力をしていきたいと思います。

では、また!