【雑談】最近心が落ち着いてきた話

最近ブログに触るようになって、なんだかちょっと心が息を吹き返してきたように感じる。

自分の気持ちとか感情をアウトプットするのって、私にとっては睡眠のようなもので、生きるために必要な行動なのかもしれない。

本を読むのも動画で勉強するのも好きだけど、そればっかりだとだんだん疲れてくる。入れた情報や価値観は、新鮮な驚きをもって吸収したのちに、消化して自分の表現に反映させないと、なんだか気持ちが悪い。息を吸ってばっかりで吐かないみたいに、どんどん息が詰まる感じがしてくる。

不思議だ。

わざわざWordpressでブログ作ってサーバー代を払って書き込まなくても、スマホのメモ書きにでも書けばいいし、Twitterで呟いてもいいだろうし、誰かにチャットや通話で話せばいいんじゃないの?と思うひともいるだろう。

それではダメなんだ。

なんというか、ちゃんと落ち着いて、自分自身に向き合わないとダメだ。一種の瞑想のようなものだ。文字制限も何も制約がない状況で、好きなように好きなことを、皆が見られる場所に形にしておくことが、私にとってとても重要だ。

なんでなのかはわからない。そうでないと嫌だ、という感覚。

 

私は縛られるのが嫌だ。

文字数の話ではないが、勝手にルールを決められたり、競わされたりすると、萎える。

もう辞めるからどうでもいいが、今やっている仕事にしてもルールが厳格すぎるし、勝手に目標決められるし、他人と競わされるので、とてもつまらなかった。

ああ、本当に心底つまらなかった。

他人に勝ったって、何にもうれしくない。

社内の売上ランキングで上位だから、なんだというのだ。そんなのはたまたまだ。地域が違えば市場規模も違う。たまたま運よく私が担当だっただけだ。たまたま扱っている製品がポテンシャルを発揮しただけだ。

自分のおかげで売れた、自分たちの努力で売れた、自分たちが影響を及ぼした、なんて勘違いも甚だしい。傲慢不遜な考えだ。

「売れる営業」などというハウツー本が嫌いだ。営業の仕事とは、一定のセオリーがあるように見えるけれど、実際にはそんなものはない、というのが私の経験則だ。

必要なら売れるし、必要ないなら売れない。

必要ないものを売りつけるか、より高くより多く売るために営業がいる。

営業は存在意義を示すために、自分がどう影響したかをアピールしないといけない。

たまたまだ、なんて本当のことを言ったらクビになる。

自分には売上をコントロールする力がある、だから雇う価値がある、と会社に営業しているのである。

「株式会社自分」という会社の社長として、派遣先に派遣元として「私」を派遣する。

「私」の雇用契約を継続のために、社内アピールがある。

最初は社内アピールだと理解していても、繰り返し蓋然性に至らない成功を誇張して社内に示し続けていると、だんだんと自己洗脳が起こっていく。本当に自分には影響力があって、他人をコントロールする力があって、他人とは違う優秀な人間なんだ、と思い込み始める。

そんなわけなかろうが。人間なんて、どいつもこいつも団栗の背比べだよ。

大した差なんてない。できることも限られている。違って当然で、大差なくて当然。

他人に想いを伝えたり愛を届けることはできても、他人を変えたりコントロールしたりすることはできない。それが真理。

権力勾配や損得でコントロールできているように見えたとしても、それは一時的なズルであって、持続可能な成功法ではない。最終的には破綻する。

と思うけど、人間は私も含めて信じたいようにしか世の中を信じないし、見たいようにしか世の中を見ない。

だから分かり合えないことのほうが多いと思う。それも仕方ないと思う。それぞれが思いたいように思えばいい。私が正解とも思わない。世界の見え方は違う。どちらが正しいのでも、間違っているのでもない。

 

私はとにかく本心から納得して生きていたいのだと思う。

「『納得』は全てに優先するぜッ!! でないとオレは『前』へ進めねえッ!」

ジャイロツェペリ

『ジョジョの奇妙な冒険 第7部 スティール・ボール・ラン』の登場人物、ジャイロツェペリのこのセリフが、いつも胸にこだまする。

誰だって、自分が納得できる選択なら、うまくいってもそうでなくても前に進めるはずなんだ。

誰かに勝手に決められて、納得できないままに行動を選択していった結果、自分事ではなくなって、どこか空虚でつまらない現実に足を踏み入れていくのだ。

アダルトチルドレンの人生にリアリティと充足感がないのは、そうして行動選択の権利を誰かに奪われてきたからだと思う。

私もその一人だった。でも、気づいて勇気を振り絞って踏み出した。

嫌なことは嫌だと言っていい。その許可を自分に出すのは、当時の私にとって断崖絶壁で命綱をつけず飛び込むのと同じくらい恐ろしかったが、必要なことだった。

ほんとうに、よく頑張ったと思う。自分をほめちぎりたい。

しかし、アダルトチルドレン特有というか、今までのトラウマからくる発作というか、権威や権力勾配に対して過剰にアレルギー反応があり、組織に楯突きまくるというヘマをした。

このヘマは、特に大企業においては最もとってはならない態度だった。しかし私はやっとヨチヨチ歩きで歩き出した自我をもう二度と殺すまいと必死で、そんなことにかまっていられなかった。そんな余裕がなかった。

今振り返ると、ずいぶん損なことをしたなぁと思うけど、自分を見つめ冷静になるために必要な過程だったから仕方ない。

会社にも構造的な問題や至らない点があったが、私自身の未成熟さにも問題があった。

 

これからは少し冷静に、3歩ほど距離を置いて、自分の心の居場所と組織内での立ち位置を客観視しつつ歩んでいきたい。

私には私の人生がある。人生のハンドルは私以外に握らせない。

組織には組織の在り方とミッションがある。どこにいて、何を求められていて、どの程度やるかを、清濁併せ吞んで粘り強く折り合いをつけていく。

決して感情的にならず、決して期待せず、決して全否定しない。

「株式会社自分」として「この派遣先に居続けるメリットがあるな」「価値を評価してくれているな」と思えば、派遣契約を続ければいいし、そうでないならまた変えればいい。

どんな会社もそんなに大差はないが、自分の心の声がNOと強く叫んだなら、その叫びを信じて行動するべきだ。それが自分を一番優先するということだ。そしてそれが、最も己にとっても周囲にとっても喜ばしい結果につながる。

 

心持ちは決まった。

もはや、仕事が嫌すぎてハゲることも、毎晩寝るのが恐ろしく毎朝憂鬱な気分で目覚めることも、ないだろう。

ない、と思う。ないと…いいな。

まあ、未来はわからない。今までいろいろなことがあったけど、なんとかなってきた。

なんとかしてきた私だ。なんとかなるだろう。

生きてさえいれば、なんとかなる。なるようになる。

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