【社会福祉士】民主主義というファンタジーを信じる日本人

みなさん、日本は民主主義国家だと思いますか?

選挙によって、我々の民意が政治に反映されると思いますか?

 

残念ながら、この国はそんな国ではありません。

 

選挙はプロレス

自民党も民主党も共産党も社民党も、みんなお友達です。

どの政治家も、ある特定の財閥に繋がる血筋です。

争っているように見えるだけで、親戚同士裏では繋がりながら、プロレスをしているだけ。

参政党とかれいわ新選組とか、それらの親戚とは違うと思われている政党ですら、残念ながらあまり大差ないと思います。

すべては結果有りきで行われている茶番。

 

そもそも選挙結果は自由に操作できます。ご存知でしたか?

株式会社ムサシという会社が投票用紙の自動集計機を納品しています。

この会社の株主はペーパーカンパニーで、そのペーパーカンパニーを調べていくと、最終的には実質の支配権はロックフェラー系列の外資です。

我々の国の選挙に使われる機械は、ユダヤ系外資がつくっているということ。

これは、彼らの都合がいいように、得票結果を自由にコントロールすることができる、ということです。

最近よく単語が出てくるようになった「統一教会」の創立者文鮮明氏は、グローバリズムでロックフェラー財閥と意気投合して資金提供を受けてきました。

つまり、お仲間です。

その「統一教会」と親交の深い自民党が与党となり、ユダヤ系資本がパックにいる選挙用の機械を使って選挙をすれば、結果がどうなるか。

想像に難くないですね。

こうして、選挙は「国民の投票により政治家を決定している」という体を取りつつ、実際は権力を持つ「財閥」の都合のいいように動かされています。

だから、自民党が勝つのは当たり前だし、ぶっちゃけどこが勝ってもいい。

なぜなら、どこかがまかり間違って勝ったとしても、金でその政党を買えばいいだけだからです。

それが、資本主義社会です。

政教分離?そんなの名ばかりです。そもそも政治を牛耳っている経済的な力を持っているのが「統一教会」であり「ユダヤ系財閥」なんですから。一心同体です。

票が取れれば、選挙で勝って政権を維持できればそれでいい。そのためならどんな手も使う。金さえあれば飛ぶ鳥も落ちる。

それがこの現代社会の、この国の姿です。

民主主義なんて幻想(ファンタジー)です。

だから、公約で掲げた政策なんて一向に実現されないでしょう?

選挙のときに耳障りの良いことを言っているだけで実行する気なんてさらさらないですから、そりゃ実現するわけないですよね。

国民の意見なんて死ぬほどどうでもいいと思っていて、お金を出してくれる海外の権力者の言うことを聞くために存在している。それが今存在する政党であり政治家たちです。

そんな人たちが、税金から何千万も給料をもらっているんです。仕事中には腕組みをして居眠りしているんです。

だから、私は政治には何も期待していません。

この腐りきった国の政府を最大限利用して、仲間を集め自分たちの手で人生を切り開いていくしかない、と思っています。

 

日本のエリートたちはみんなゴマすり

日本では、大企業も、政治家も、官僚も、大手マスコミも、みんなそれらの権力にゴマをすって生きています。

よく名前が出る大企業のCEOをはじめ、経済界・政界・マスメディアの重要ポストにいる人間は、だいたい世界経済フォーラムに参加しています。

ヤンググローバルリーダーに選ばれている人は、特に傀儡として利用しやすいので持ち上げられている人たちですね。

大手製薬会社もだいたい世界経済フォーラムの系譜です。

新自由主義とは、金持ちがより金持ちになり、彼らにとって都合がいいように世の中を作り変えるための社会の在り方です。

自由競争?これは強いものが弱いものを食い散らかす「自由」を与える競争社会です。

誰もにチャンスがある、なんてとんでもない。むしろチャンスなんて根こそぎ金で刈り取るための、肥大化したコントロール欲求が支配するディストピアです。

共産主義がいいとは言いません。でも、資本主義は共産主義同様、システムとして破綻しています。

その証拠に、自殺者は増加しているし、貧困は拡大しています。一部のエリートたちがもっとお金を集めるために、それに類さない大半の人々の命と人生は、これからもますます奪われていきます。

平等を装った超格差社会。それが日本の社会です。

 

そりゃあ依存症にもなりますよ

この日本は、まさに地獄です。

先進国どころか、後退国です。

雇用は不安定で賃金は一向に上がらないのに、税金と物価はどんどん上がります。

他人を裏切り蹴落としてでも権力者に媚びへつらえる人間が、扱いやすい奴隷として認められ、おこぼれをもらって「成功者」として台頭し、マシな生活を手にします。

人間性を削ぎ落した操り人形になることが「昇進」「出世」であり、人間をやめられない人間が「負け組」として辛酸をなめる。

そんな世の中で、まともな精神を保てるほうがイカレていると思いませんか?

そりゃあ、依存症にもなりますよ。真面な人こそ、依存症になりますよ。何かに依存でもしなければ、とても命を繋いでいられない世の中です。

それなのに、依存症者は偏見に苦しみ、社会の隅っこに追いやられている。

こんな社会のほうこそ狂っているんじゃないでしょうか。

私はそう思います。

資本主義によって、世の中は物質的には豊かになったかもしれませんが、精神的にはどんどん貧相になっていると思います。

心にはどんどん空白ができて、巨大な穴がぽっかりと空いている。

そんな大きすぎる心の穴を埋めるために、何かに依存するのは、おかしなことではありません。

対人関係に依存したり、物質に依存したり、行為に依存したり、その表出の仕方は人によって様々ですが、根っこは同じです。

依存症の真の課題は、この国、社会のあり方にあると思っています。個人的な問題ではない。

対人関係に依存して、共依存になり、過干渉・イネイブリングなどが多くの人のベースにある。だから、親子関係を含めた人間関係は、当然不健全な形にならざるをえない。

その不健全で歪んだ関係性が、アダルトチルドレンの問題や虐待や家庭内暴力などに繋がっているのではないでしょうか。

医療や福祉では、問題を抱えている「個人」に焦点を当てがちですが、実際は「環境」の問題で、その人はむしろ健全だからこそ病んでいるのではないか、と私は思います。

だから、その人をどうこうしようとしても、意味がない。根本的な解決にはならない。そう思ってしまいます。

なので、これからも社会福祉士として私ができる事を、できる範囲でやっていきます。

 

この地獄を生き抜いていくための処方箋

ここまで読んで「夢も希望もないじゃないか、元気なくなるでしょうが、どうしてくれるんだよ、どうしたらいいんだよ!」とお思いのあなた。

 

たとえ国が腐っていて社会はゴミでも、私たちにはできる事があります。

それは、

①損得勘定抜きで付き合える人間関係を大切にすること

②お金になるかどうかではなく、優しさと思いやりを基準に行動を選択すること

ということです。

 

①損得勘定抜きで付き合える人間関係を大切にすること

ビジネスにおいての損得とか、権威やブランドへの憧れだとか、そういう自分の利益や世間の評価ではなく、あなた自身が「人として純粋に好き、尊敬できる」と思う他人と付き合うことです。

損得なしに助けあえる人との繋がりだけが、残っていくでしょう。

なぜなら、いずれこの社会は終わるからです。

資本主義・合理主義のもと損得で繋がる関係ではなく、愛と共感によって繋がっている関係だけが残る。そんな時代が来ると思います。

そうなったとき、損得で人間関係を選択していた人は、終わります。誰も助けてくれない「孤独」という地獄が待っています。

「人脈」という言葉が好きなビジネスマンは多いですが、ビジネスで繋がっている「人脈」をいくら広げても意味がありません。結局は金回りが悪くなれば離れていく。

見返りを求めない愛情を他人に与えることができる人は、それだけで豊かです。

愛情を受け取った人は、どんな大金をもらうよりも、それが生きていく力になることを、いずれ知るでしょう。

他人に分け与えた愛情は、巡り巡って自分のもとに還ってきます。だから損などするはずがない。他人を含めた世界は、自分と同一であり、世界を愛することは、自分自身を愛することだから。

それに気づいて愛を実践できる人同士は、深く共鳴するでしょう。

損得ではなく愛によって繋がった人間関係を大切にすることです。それが最も価値がある宝です。

この宝が、これから本当に豊かな人生を送ることができる鍵だと思います。

 

②お金になるかどうかではなく、優しさと思いやりを基準に行動を選択すること

①につながりますが、愛というのは行動です。

言葉ではいくら耳障りのよいことを言っていても、行動が伴わない。そんな人はすぐに化けの皮が剥がれるというもの。公約ではいいことを言っていても、当選したら手の平を返す、現代の政治家のようなものですね。

その人が信じるに足る人物かを見極めるときは、その人が何をしているかをよく見るとよいです。

行動が、その人を創り、人となりを表します。

決して、偽善をして気に入られようなどとはしないことです。それは損得です。気に入られることで何かを得よう、というのは、下賤な考えです。今すぐ捨てましょう。

愛とは、何かを与えるかわりに何かを得ようとすることではない。

何も見返りがなくても、与えずにはいられない。そういう行動のことです。

目の前で苦しんでいる人がいたら、自分に何ができるか定かでなくても、駆け寄って手を差し伸べずにはいられない。

目の前で悲しみに暮れる人がいたら、そっと寄り添って肩を抱かずにはいられない。

そういう行動のことです。

それを、日ごろの行動で実践すること。

「変に思われるんじゃないか」

「結局頑張ったって、1円にもならないんじゃないか」

そんな邪念に惑わされないでください。

あなたから生まれた優しさと思いやりを、殺さないでください。

迷うことなく、その人に惜しみなく与えてください。

その行動が、あなたの心を豊かにし、あなたそのものを形づくる。

毎日をそうやって生きていくと、自然とあなたの周りには愛があふれるようになる。

あなたを形づくる行動基準に見合った人々に囲まれて生きていけるようになる。

信頼は、お金では買えません。

信頼関係は、損得では成り立ちません。

その関係性こそ、資本主義の原理原則の外側にある、最も重要な宝です。

それを私たちは、目に見えるわかりやすいお金や権威よりも価値が低いと思っている。ひどい勘違いです。

 

いくら選挙に行っても、政治は良くならないでしょう。

いくら真面目に働いても、私たちは貧しいままでしょう。

人間をやめた人々が構築するこの社会は、崩壊するまで地獄のままでしょう。

 

現代社会の枠の外に、繋がりを求めましょう。

マックス・ヴェーバーのいう「鉄の檻」の外側に、経済とは全く関係のない繋がりと仲間を持つことです。

そのかたちのひとつが「自助グループ」。

だから私は自助グループに属し、利益にならなくても運営に携わっているのかもしれません。

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