私は結構、他人に言われたことにショックを受ける。
なぜか、いつもマウントを取られているような気持ちになる。
それにイラっとして攻撃的な反応をしてしまうと、相手も戦闘態勢に入ってしまい、最終的に味方であったはずなのに対峙する形になることがある。
「正しさ」に囚われていないか?
自分の行動が正しくないと分かっているとき、人は疑心暗鬼になる。
「他人に受け入れられていないのではないか?」
「間違っててダメな人間だと思われるのではないか?」
そう感じる己の心が、出会うひと全てを敵にする。
正しくなくていい。
己が道を誇れ。
他人は関係ない。
覚悟した道を進め。— ちあき🏳️A4C (@8ZYrA2k21DgF4c7) May 19, 2020
私はそうしたとき、自分の心が不安定であることが多い。
落ち着いて振り返ってみれば、相手は好意的に接してくれていたのに、受け取る私の心がざわついていて歪んで受け取っていることがある。
なぜだろうか?
それは私が「正しくないことをしている」という心の引っ掛かりがあるからだ。
「あなたは正しくない」とその人に責められるのではないか?と思うと、ついつい身を固くしがちだ。攻撃されるのではないか、と身構えてしまうからだ。
それは何よりも、私自身が正しさに縛られていることに起因している。
今まで、我々ACは正しくないと他人に、親にすら認めてもらえなかったのではないだろうか。
成果が出なくては意味がないと教えられ、素直な気持ちを話せば言い訳と言われて受け取ってもらえなかったのではないだろうか。
あらゆる人からジャッジされることは地獄だ。その地獄を生きてきて、私たちはすっかり親が押し付けてきた、ある意味憎んですらいるライフスキルを獲得してしまったように思う。
そのライフスキルこそが、「正しさでジャッジする」ということである。
イライラするのは、傷つかないために想像しているから
ひとは見たいものを、選んで見ている。
今見えている世界は「そのまま」ではなくて、私が見たいカタチに歪んで、心に映し出されている景色だということを忘れないようにしたい。
それが『謙虚』ということなのだと思う。
— ちあき🏳️A4C (@8ZYrA2k21DgF4c7) May 19, 2020
傲慢になっている。偏見を持っている。見ている景色が歪んでいる。
私が疑心暗鬼に陥っているとき、端的に言えばそのような状態だといえるだろう。
私は見たいものを見ているのだろうか?
いやいや、他人が攻撃してくることなんて想像したくないし見たくないはずだ、と思っていた。
が、実際は、私は恐れていて、積極的に想像している。
予行演習しなくては心の痛みに耐えられないので、予め最悪を想定しているのだ。
それを私が選んで、望んでいるのである。
その想像上の、他でもない自分自身で創り上げた「常に攻撃してくる他人像」との攻防を四六時中想定して理論武装している。頭のなかはいつも絶賛交戦中になる。
いつも頭のなかでは、誰かが私を責めていて、「私は悪くない」「私は間違ってない」と正しさで応戦しなくてはならない精神世界に自ら飛び込んでいっているのだ。
現実には、誰も責めていないし、何も起こっていないのに。
傷つかないために自分を守るつもりが、自分が最も自分を傷つけている。
そのことに、私たちは気づかなければならない。
そして、そのライフスキルはACとして苦しい時期を生き抜くには必要であったが、今はすでに必要がなくなり、手放してもいいものなんだ、ということを認識しなくてはならない。
まとめ:他人の言葉が気になるときは、事実を確認してみよう
私はこうした疑心暗鬼に陥っている感覚があるときは、落ち着いて事実を確認することが重要だと思う。
・実際に相手に言われた言葉
・実際に相手がした行動
これらをひとつひとつ書き出してみる。
そのまま書き出すことが重要である。「~という意味で言ったのではないか?」などの自分の憶測を一切省いて、事実だけを書きだす。
そしてすべて書き出した後、1日以上置いて、全く関係のない第三者と一緒に客観的に紙に書いてある内容を改めて眺めてみる。
自分が「何に対して」傷ついたのか?を確認する。
私が思い込んでいることなのか、実際に尊厳を傷つける言葉や行動だったのか。
思い込んでいることに起因するなら、何か「自分が正しくないかもしれない」という引っ掛かりをその人に関連して持っていないか点検する。
そうやって認知の歪みを解きほぐしていくと、ふと視界が拓けることがある。
私たちはACとして生きてきて、頼りたかった他人に攻撃されてきたので、その痛みに備えないといけない哀しい状況があった。
その状況について、当時の私たちは悪くなかったと思う。精一杯やっていたと思う。
そうして当時の私たちを自分自身が許してあげて、正しさから解放してあげたい。
それが他人とアサーティブな関係を築くために重要な土台になると感じている。