【AC】「権威ある人を恐れること」を受け容れて見えてきたこと

以前棚卸ししたこちら↓のテーマである「権威ある人を恐れること」について考えていて、ふとむかしのパワハラ上司を思い出しました。

【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑪(権威ある人を恐れること)

 

前職の上司「Sさん」

私の前職の上司のSさんは、私にとって『権威ある人』でした。

社会人になりたてホヤホヤで右も左もわからない新人の私から見れば、Sさんは大企業での仕事も経験しているし、当時発足した東京営業所の所長を任されており、ビジネスや社会人の常識という面で「正しさの象徴」のような存在でした。

だから、Sさんに言われることをひとつひとつ真面目に受け取りすぎ、また、評価されないことをとても恐れていたと思います。

 

「こんなに使えないなんて裏口入学なんじゃないの?w 本当にその大学卒業したの?w」

「社会人になったら信号が三色なのも全部自分のせいだと思えよ、言い訳すんなお前。」

「誰もお前になんて興味ないからw 自意識過剰だっつーのw」

「なあ、今、俺がしゃべってんだよ、聞け。しゃべるな。」

「大企業だったらとっくに終わってるよ、お前。」

 

こういう物言いをする人でした。

言い方も伝えていることも、完全にパワハラでありモラハラなのですが、彼はホリエモンがバリバリだったころのIT業界にいたので、業界的に教えられたルールがブラックだったのでしょう。それが当たり前だと思っている節がありました。

こういう接し方をされて私はひどく傷つきました。アルコール依存症はもちろんのこと、うつ病も併発していたと思います。

当時は毎日が死にたいほど暗く重く、食事をしても味がしないし酒量はどんどん増えていきました。

 

彼も人なり我も人なり

彼がしたことは、私に謝罪するべきことです。

なぜなら、私の尊厳や自尊心を深く傷つけたからです。冗談だったとしても、傷つけたことをなかったことにはできません。私にとって、その点において彼を許すことは、彼からの謝罪なしには難しいことです。だから、許す必要はない。

 

それとは別に、「ああ、もう今更怒ってもしかたないことだったのかもな」とも思います。

つまり、『怒りを手放す準備』ができたのだな、と感じます。

 

というのも、彼は当時私と同じくらい、つまり30代でした。(彼は外見が老けていたので、記憶ではもっと年上の印象ですが)当時の彼は、私と同じく、何も知らないただの若造だったのです。

私がいかにいろいろなことを知らないかということを鑑みるに、彼もまた私と同じように、「自分の見てきた世界が全てで、何でも知っている」と考えていたのでしょう。

それでいて、自分が知らないことに恐れを抱いていて、正しさで誰かをマウントして押さえつけることに躍起になってしまったのだろうな、と思います。

まさしく私が陥っていた姿です。

恐れていた彼は、とても大きく強大に見えましたが、実は私と同じくらいの大きさだった、ということです。

 

 

何となく気になって彼の名前を久々に思い出し、Googleで検索してみました。

彼は、いわゆる大企業と呼ばれる会社(売上6000億くらい)で成果を出しながら、ビジネススクールに通ったそうです。

そこで出会った人々と異業種で起業する夢を追いかけてフリーランスになって、私たちがいた中小零細企業に、雇われ所長で来ていました。

ネットでみる限りでは、今はフリーランスの状態から会社を立ち上げて、自分でつくった小さい会社のCEOをしているようです。

 

彼にはビジネスで成功したい!自分のビジネスをやりたい!というベンチャービジネスへの夢がありました。ビジネスを立ち上げて儲けよう!ということが、彼の成し遂げたいことだったのだと思います。

寝食を忘れて仕事に取り組む姿は、そういう熱意から来ていて、だからこそ尊敬できる面があることを、今なら素直に思えます。当時は、こんな奴死ねばいいのに、と思っていました。

 

しかし、私も「そこまで言うなら大企業で仕事してみたい」と思い、こっそり転職活動をして、彼の2倍ぐらい売り上げがある会社に転職しました。

転職が決まったときは気分爽快でした。

「ざまあみろ!お前なんかより大きい会社に移ってやったぞ!どうだコノヤロウ!!」と思いました。

「このしょぼい会社で、しょぼいことでも一生やってろ!」と心のなかでバカにして後ろ足で砂をかけて会社を去りました。

 

その後。

大企業に勤めてみて、大きい会社だからって何でも優れているわけではないし、むしろやっていることはほぼ同じなんだな、と気づきました。

依存症になって尊敬する人に出会って、フリーランスで生計を立てることのすごさを知りました。

 

その経験を経て、自分のしたことはすごく失礼で浅くて小さいことだったな、と思います。

彼は彼なりに、フリーランスとして妻子を食べさせていくこと、夢を追いかけることに必死に走っている状態だったのだな、と思いました。

彼は完璧では決してなかったし、人材育成には向いていない刺々しさを持っていて、世の中のことを知っているつもりでその実全く知らなかったのでした。

Sさんは、一皮むいてみれば私と同じ弱く浅い無知な人間だったのだな、と気づくことができました。

 

恐れるべき人などいないということ

そう考えると、「私は誰も恐れなくていいのではないか」と思うのです。

社会人として生きてきて、彼が大事だと言っていた「常識」は、それが天の理というわけでは全くなくて、ビジネスの上で良しとされている、というだけのことでした。

つまり価値観の一つであり、Sさんはそれだけしか価値観を知らなかったから、あんなに断定的にしか物事をとらえられなかった。

当時は、Sさんにとって、それが限界だった。今はどうか知りませんが。

みんな弱さを抱えて生きているのに、強いふりをして他人より上だの下だのと言って、安心したい。Sさんが当時無自覚にもやっていたことは「強くありたい弱い者」のすることです。そして、その意味ではみな平等に弱い存在であると言えます。

私はビジネスにおいて成功したいというよりは、お金がもうからなくったって、本当に世の中のためになることがしたい。

その方向性が違っていたから、かけられる熱量とベクトルが違った。

Sさんと私との違いは、そこでした。そして、どちらも好きなように生きればよかったのです。どちらが正解でも間違いでもない。尊重し合うには、お互いに未熟だったね、と思うのです。

 

彼が今何を考え、どうしているかは知らないし、もう今や関係のないことですが、Sさんとの出会いは、「権威ある人を恐れること」の課題について気づきを与えてくれました。

そのことに、今は感謝したいと思います。

そして、恐れる必要などなかった人なのだという爽やかな薫風と一緒に、怒りを手放してしまおうと思います。

 

この世には、絶対的に正しい人も居なければ、絶対的に正しいこともない。

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