【依存症】自助グループは、人生の敗者の集まり?

なぜか、学生の頃から高杉晋作にあこがれてきた。

「おもしろきこともなき世をおもしろく、すみなしものは心なりけり」

高杉晋作が詠んだとされる(下の句は幕末の女流歌人である野村望東尼が詠んだとされているが)この歌は、実に味わい深い。

上の句のみが取り沙汰され「このつまらない世の中を俺が面白くしてやるぜ!」といった意味で誤解されてることが多く、本来の意味は「心のありようで世界は面白くもなるしつまらなくもなる」という意味だ。

事実は厳然とそこにあり、事象はあるがままでしかなく、それをとらえる心にこそ、喜びや悲しみや幸せや不幸せがあり、心で思ったことや感じたことが世界を創っている、というのである。まさに前回書いた、阿頼耶識である。

 

鬼のように強かった奇兵隊の組織構造

そんな歌を残した高杉晋作が組織した、「奇兵隊」という戦闘部隊がある。正確には、「長州藩奇兵隊」と呼ばれる。

長州藩の奇兵隊は長州藩諸隊と呼ばれる常備軍の1つである。

奇兵隊などの諸隊は文久3年(1863年)の下関戦争の後に藩に起用された高杉晋作らの発案によって組織された戦闘部隊である。この諸隊の編制や訓練には高杉らが学んだ松下村塾の塾主・吉田松陰の『西洋歩兵論』などの影響があると指摘されている。当初は外国艦隊からの防備が主目的で、本拠地は廻船問屋白石正一郎邸に置かれた。本拠地はのちに赤間神宮へ移る。奇兵隊が結成されると数多くの藩士以外の者からなる部隊が編制され、長州藩諸隊と総称される。

出所:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%87%E5%85%B5%E9%9A%8A

奇兵隊は志願制であり、武士だけでなく農民・漁師・猟師・力士など、身分を問わず徴用した。そうした半数が武士以外のごちゃまぜの部隊だったと言われている。

長州藩には100以上の部隊があったにもかかわらず、奇兵隊が有名だったのは、その「強さ」が桁違いだったからだ。

奇兵隊は西洋式の散兵戦術を用いることが最も特徴で、これは西洋との戦争で敗れた敗因をもとに構築されている。

今まで戦国時代における日本の戦い方は、密集して陣形を組み、後方から指揮官が指揮する戦術をとっていたが、一ヶ所に密集している兵は鉄砲や大砲のいい的であり、攻撃を受けると一気に不利になるという欠点があった。

なぜそんなに密集させて目の届く範囲で指揮していたか?それは、兵士を信用しておらず、指揮官は兵の逃亡を防止する役割も兼ねていたからである。

兵を信じず、管理しようとするがゆえに密集し、それが弱点になっていた。動きは遅く、刻一刻と状況が変わる戦況に対応できず、不信の差配は、あたら貴重な兵を無為に失う結果を招いたのである。

 

そんなわけで西洋の軍隊にコテンパンにされた下関での反省を糧に、高杉晋作が組織した奇兵隊は、一味違う運営方法になった。

兵をひとりひとり信用したうえで、指揮官の指示が無くとも、独りで判断して戦えるように鍛え上げたのである。

基本的には装備を軽くして機動性を高め、走り回って散開できるよう、50kmを8時間で走るなど厳しい訓練を積んだ。

また、戦術を理解し司令官が倒れても別の人間が命令書を書けるよう、勉学を必須とした。

奨励した者は出身がどうであれ本隊に組み入れられる「出世制度」を導入しており、怠けていれば武士出身であろうとも昇格できなかった。

 

ホラクラシーとヒエラルキーと自助グループ

こうした自律型の組織構造を現代では「ホラクラシー」と呼ぶ。

ホラクラシーとは、上司・部下の関係性や肩書きのない、組織構造のことです。ホラクラシーの下では、社員全員が対等な立場となり、個人やチーム単位で意思決定を行うことができます。従来のトップダウン式の組織体制とは異なり、効率的な組織マネジメントが可能です。

引用:ホラクラシーとは?メリットやデメリット・よく見られる誤解も解説(手放す経営ラボラトリー)

ホラクラシーでは、マネジメントするのは人ではない。

仕事や役割をマネジメントするのである。

統治方法もルール(法律)であり、権力分配ではない。

日本においては、ヒエラルキー型の組織構造が一般的である。ヒエラルキーという単語は聞きなれている人も多いと思う。

例えば会社。社長や課長など、役職にあるものが決定権を持ち、トップダウン型のマネジメントをしている組織のほうが、想像しやすいだろう。

 

このヒエラルキーと対照的なホラクラシーによる組織運営は、まさに自助グループの運営方法に酷似している。

特に緊急事態宣言が発令されて集会ができず自助グループはオンライン化が急速に進みつつある。

その先駆けである『三森自助グループの森(@mimori333mori』(主宰:三森みさ

@mimorimisa)では、まさにこうした「ホラクラシー」のノウハウがフル活用されたフラットな組織運営がなされている。

 

「目的に向かって、組織の全メンバーがそれぞれ自己決定を行う自律的組織」であり、常に人も組織も進化していく。

なぜなら、自助グループの運営に携わる人々もまたピアカウンセラー的で、いわゆる同列の仲間であり、先輩後輩や上下関係などは存在しないのである。

各々が自身の回復に熱心に取り組み、利用者目線で(つまり当事者目線で)より良いグループの在り方について実践と検証を繰り返していく、自立型の組織である。

なればこそ、創始者や主宰者がいなくなってしまったのしても、組織は永続的に新たな英知を取り入れつつ、時代に応じた進化を経て存在し続けられるのである。

 

まとめ:自助グループは未来への希望

会社勤めをしていると、ヒエラルキー組織からの脱却を切に願わずにはいられない。本当に、自助グループの爪の垢を煎じて飲んでほしい。

「兵(構成メンバー・社員など)を信頼する」という基本的な、ただそれだけのことなのである。

それは、とても難しいことなのだ、と実感する。

リスクを抱えることを恐れて、管理にはしると、活動はどんどん委縮していく。事なかれ主義になり、人は育たず、責任を押し付け合う、この世の人の醜さをまざまざと見せつけられることになる。会社の現状が、まさにそれである。

自助グループは、それぞれが問題を抱えているいっこの人間であると自覚している。だからこそ、他人の弱さや至らなさを含めて、仲間として認め、信じることができる。自分だって完ぺきではないからだ。それを、心から認めて知っているから、完璧でなくても許せるし、損得勘定など無く助け合える。それこそ、理想の組織ではないだろうか。

謙虚でひたむきな未完成の人間の集まりが、最も高い完成度と可能性を備えた組織を創り、その運営を可能にしていく。

人生の敗者の集まり?

とんでもない。未来への輝ける可能性こそが、自助グループである。

人生に勝ち組負け組などとレッテルを貼って一喜一憂している、遅れた人たちにとやかく言われる筋合いなどない、素晴らしい組織だと私は思っている。

この世には、分かりやすい幸せと、分かりにくい幸せがある。

「おもしろきこともなき世をおもしろく、すみなしものは心なりけり」

それぞれに個性があり、成功か失敗かは最後までわからないし、簡単に比べられるものではない。だからこそ人生はおもしろく、心次第でおもしろくもつまらなくもなるのである。

他人と比べて勝った負けたで分かる幸せは実にわかりやすい。そして、いつまでも満たされない儚いものである。

そんなに簡単ではないからこそ、私たち依存症者やマイノリティは、「一般的な人生」よりもたくさんの物を得ることができるのだ。それは、「フツーの人生」なんかより遙かに豊かで幸せな一生ではないだろうか。

 

だから、三森自助グループの森の運営に携われることをとても誇りに思っているし、いつもたくさん学ばせてもらっている。この場を借りて、自助グループに関わる全ての人に深く感謝申し上げる。

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