【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑦(孤立)

今回は、孤立 について棚卸ししていきます。

孤立とはどんなこと?

■孤立■

多くの場合わたしたちは、自分にとって快適でない状況から引きこもることで安全だと感じます。自分を孤立させることによって、私たちは、他の人が私たちの本当の姿を見ないようにします。自分は価値がない者であって、従って愛されること、注意を引くこと、受け入れてもらうことに値しない者なのだ、とわたしたちは自分自身に対して告げています。さらに、自分の感情を表現しなければ罰せられたり傷つけられたりしないのだ、とも言い聞かせています。わたしたちは危険を冒すよりも隠れることを選び、そうすることで不確実な成り行きに直面しなくて済むことを選びます。

自分を孤立させていることは、わたしたちは次のような問題を引き起こしているかもしれません:

●拒絶を恐れる
●孤独感を経験する
●自分を裁く
●負け犬のように感じる
●自己憐憫に陥る
●自分が他の人と違っているように思う

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
71Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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常に感じてきた孤独感と疎外感

私は、本当の自分のことを知られると、嫌われると思い込んできたように思います。

自分がありのままの感情や気持ちを表現してぶつけてしまったら、今周りにいる人は皆呆れた顔をして、あるいはガッカリした顔をして、離れていってしまうのではないかしら、といつも恐怖していました。

だから、人と必要以上に長くいることを好みませんでした。

なぜなら、長くいればいるほど、本当の自分の気持ちを押し殺して『外側の顔』を維持することに、疲れ果ててしまうからです。

人といるよりも、独りでいることが好きです。

しかし、比較して好きというだけで、孤独が好きなわけではありません。寂しいのは好きではありません。

皆が集まるのを楽しげに過ごしているのを見るにつけ、『なぜ私は楽しめないのだろう?』と自己嫌悪に陥ります。

私だけが皆とは見えている景色が違うんじゃないか?と思うほどの感覚の違いに愕然とします。

それでもなかに入れたら入りたいし、社会生活上『馴染まなければならない』と無理してはしゃいでみたり、出かけてみたりしました。

そうやって無理をして人と会った後は、しばらく独りにならなくては平静ではいられませんでした。

それだけ、私にとって人と会う、というのは『巣穴から出てきて外敵がウヨウヨしているジャングルを練り歩く』くらい恐怖をともなう行為だと思います。

なぜ外敵だと思ったのか?

それは、本当の私は嫌われるに違いないから、嫌ったら危害を加えようとしてくるはずで、他人とはすべからく警戒すべき存在だと認識していたからです。

なぜ、そんなに「本当の自分」に自信がないのでしょうか。

 

そのままの自分を受け入れてもらえなかった哀しい経験

私は、いじめられていました。

時期は幼稚園から小学校4年生くらいまで。

私は、私らしく過ごしていたと思います。友人はいませんでした。

皆、私が何かに集中している時にちょっかいを出してきたり、私が大切にしているものを壊したり、邪魔しかしてきませんでした。

他人の存在は、酷く不愉快でした。

私が話をしても皆笑ったり呆れたり馬鹿にしたりして、信じてくれませんでした。

私も彼らのいうことを信じるのをやめました。

そんな私に、両親は「お友達と仲良くしなさい」「お友達と遊んできなさい」と哀しげな切羽詰った顔でいいます。

私は本当は「あんなやつらと一緒に居たくない!独りでいる方がずっといい!なんで仲良くしなきゃいけないの?」と叫びたかったのですが、彼らの哀しい顔をみると、そうは言えずに、憎き外敵である『お友達』に頭を下げて遊びに混ぜてもらわざるを得ませんでした。

次第に私は、こいつら『お友達』は、うまくコントロールして手なづけないと厄介だ、と思うようになりました。

表面上でもいいから、仲良く振る舞わなくてはならない。そのためには、嫌われてはならない。私はそのままでいたら『お友達』に嫌われる。それはまずい。だから、本心は見せないようにうまく隠して、「上手に生きなくてはいけない」。

こうして、私は心を一切通わさない『お友達』との距離感を獲得していきました。

しかし、それは人生を過ごすうちに見せかけのメッキとしてボロを出し始めます。

 

自分も他人も騙しきれなくなった負け犬

寂しかったです。

私は、どうしようもなく寂しくて虚しい気持ちから、逃れられないことに気づき始めました。

警戒し欺いて距離をとって他人と接して、自らの内面に引きこもって生きていくスタイルは、己の孤独感が膨張するに従い、限界を感じさせるようになりました。

仕事が始まり、未知の世界を自ら切り拓かなくてはならない重責に耐えかね、私はエチルアルコール(酒)という薬物に精神的に頼り始めます。

おそらく、健全な他人との関係を築いてきた人にとって、酒とは交流を楽しむための補助的役割でしょう。

私にとっての酒は、エチルアルコールであり、外敵に囲まれながらも笑顔を絶やさず、さも楽しく過ごしているかのように道化をやるためのドラッグでした。

楽しい交流など、ありません。

ひたすらストレスをエチルアルコールで誤魔化すうち、エチルアルコールでドーピングしないと不安になるようになりました。

酔っていない時の世界は、未来への恐怖と周りの人間への恐怖でいっぱいでした。

そこから逃げるために、どんどん量が増え、飲み方も激しくなっていったように思います。

見せかけのメッキは自らの問題飲酒により、どんどん剥がれ落ち、酒に頼ってまで守ろうとした『お友達』との関係は、酒の問題でズタズタになり、終いには本当の自分以上に蔑まれ嫌われていました。

後に残ったのは、自分も他人も騙しきれなくなった寂しい負け犬の私でした。

やっと私はそこから、「自分も他人も欺かず生きていきたい、だから酒をやめたい」と思うようになりました。

 

孤立からの回復ってどんなこと?

□孤立からの回復□

自分についてより良く感じるようになり始めるにつれて、わたしたちは以前よりは積極的に、たとえ危険を冒しても新しい人々や環境に自分をさらけ出していくようになります。わたしたちは、過去のものよりは育んでくれるような、安全な、支えてくれるような友人や人間関係を求めます。わたしたちはグループとしての行動に参加し、それを楽しむやり方を学びます。人々が、あるがままの私たちを受け入れてくれることが分かってきたとき、自分の感情を、もっと楽に表現できるようになってきます。それと同時に、自分を受け入れられるようになり、自己評価が高まってきたことの結果として、さらに快適に落ち着いて生活するという、貴重な贈物を楽しむことができるようになってきます。

自分を孤立させることがより少なくなってくるにつれて、わたしたちは次のようになっていきます:

○自分自身と他の人たちを受け入れる
○支えてくれるような人間関係を造り育てていく
○自分の情緒を表現する
○自己中心的な度合いが小さくなる
○積極的に他の人と関わる

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
72Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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ACAに繋がってなくても、欲しいと言えば送ってもらえます。
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自助グループに参加して、本当に私は大きく変化してきました。

閉じて独りで立て籠もっていた精神の巣穴から、やっと這い出てきた私は、言いっぱなし聞きっぱなしの、心の安全が守られる場所で自分が感じてきたことをありのままに話す勇気を出しました。

何も言わずに、ただ聞いてくれる。

これが、どれほど嬉しかったことでしょう。私は心の底から、あぁずっとずっと私は私が大切だと思ってきた人たちに、こうして聞いて欲しかっただけだったのに、ときづいて泣きました。

その後は、言いにくい本心や、対立する意見を持っていることや、傷ついた事実など、以前の私には到底話すことができなかった自分の中の本物を、私は他人に差し出していく勇気を持ち始めました。

そしてその行いは、ことごとく美しい結末を見せてくれました。人と人とが言葉を交わし、心を通わせ、お互いを尊重することは、こんなに美しく、心が洗われる尊いことなのだな、と思いました。

だから、みんな、他人と関わるのがあんなに好きだったのか。

だから、みんなあんなに楽しそうに笑っていたのか。

それがはっきり実感をともなった時、わたしの中でやっと『お友達』は、憎くて恐ろしい存在ではなく、ありがたい仲間に見え方が変わりました。

 

まとめ:独りぼっちではなくなったから

わたしは今、随分と生きるのが楽になったと実感しています。

それは私が強くなったからでしょうか?それとも、本当の私が変化したからでしょうか?

どちらも正解ではありません。

本当の私を認め、愛してくれる仲間がいると分かったからだ、と私は思っています。

わたしは、自分から引きこもり、独りが一番安全だと思っていました。

また、本心さえ話さなければ、気に入られる言葉さえ話していれば、傷つけられたり責められたりしない、と思っていました。

それはしかたがなかったのだ、と私はわたしの当時の辛さを認めます。

わたしは私のそのままを話して拒絶された痛みに耐えられなかったし、幼い私が命を繋ぐためには、心の殻に篭るのは自己防衛で、生きるために必要なことでした。

その幼い私が考えた生き延びる術が、次第にうまくいかなくなり、エチルアルコールに中り様々なものを失いました。

しかし、今までの『お友達』に対するやり方が破綻している、という事実に気づくために、必要なエピソードだったと、今わたしは自分を許したいと思います。

独りぼっちでは生きていけなかった、ということを認めます。

わたしは、独りぼっちではなくなったから、今、生きていてよかったな、と思っています。

 

 

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