【依存症】ギャンブル依存症について最近思ったこと

まずはこちらをご覧いただきたい。

おわかりいただけただろうか…。

これがギャンブルの怖さだ。

兎田ぺこら は 素晴らしい VTuber

とても真面目。

配信者としてプロ意識が高く、実際に結果も出している(2021年3月現在:YOUTUBEチャンネル登録者数130万人!!)。

決して人としてダメではない。むしろデキるタイプだ。

そんな優秀な人が、これだけ狂わされるのが、ギャンブルなんだな、と思う。

私はギャンブルはやらない。

まずASDで聴覚過敏なので、うるさい音が苦手。

だからパチンコやパチスロはそれで、したくてもできない。

内容に集中できないストレスでイライラするからだ。

そして、ギャンブルは基本的に損をする娯楽だと思っている。

なぜなら、長期的かつ平均的に見れば負けるようにできているからだ。

賭場を開く胴元だけが儲かる。そういうふうにできているシステムだからだ。

世の中のパチンコ・パチスロの店は、営業を続けられるどころか明らかに儲けている。

なぜか?客から金を巻き上げているからだ。勝つ客と負ける客で等価交換をしているなら、店はつぶれてしまう。必ず間を抜いている。そしてそうなれば負ける人間は必然的に多くなる。

負ける額が大きいから、店は儲かっていると言える。

そもそも設定をいじれる時点で店のほうが圧倒的に有利。勝てるとしても勝ち目が薄い。

私は勝てない勝負はしたくない。

負けたら何とかしてルールを破ってでも損害の借りを返さないと気が済まなくなるからだ。

もしもパチンコパチスロにハマって損害を被ったりしてしまったら、店にも同程度の損害を被らせるべく、系列店をすべて放火したりしかねない。連続放火魔として数年臭い飯を食うことになる。とてもリスクが高い。

そして負ける確率が高いということは、実現可能性が高いリスクである。

だからやらないほうが総合的に良い、と思い近づかない。

やればやるほど負けるなら、気分が悪くなるだけだから最初からやらないほうがいい。

パチンコパチスロだけではない。

カジノ・競馬・競輪・宝くじ。それらが運営できているのはなぜか?

多くの人間が損をしているからだ。賭けて失うからだ。運営側が潤っているからだ。

つまり商業的なギャンブルは、損をするのが当たり前なのだ。

ギャンブラーに対する誤解

だから、ギャンブルなんてするのは合理的に物事が判断できないバカだからだ、と思っていた。

「自分なら勝てる」とか「今日はツイてるからイケる」とか聞くたびに「馬鹿にもほどがあるんじゃないか」と思って呆れていた。

自分が勝てるという根拠のない自信、不確定要素にカネをつぎ込める楽天的な発想。

それいったいどこからくるんだよ…ネガティブでしかない俺に少し分けてほしいわ、と思っていた。

でもさー。

「そんなに後悔するなら酒なんて飲まなきゃいいじゃん」

「なんでそんなに飲むのか意味が分からない、バカなんじゃないの?」

って言われて、そうだってわかってるのにやめられなかった、この私だ。

同じだろう。

冷静な頭で考えれば勝つ可能性が低いってわかってても、病気だからもうわからなくなる。

どんなに優秀な人でも。

最初はこんなにすべてを一極集中する気なんてなかったはずなんだけど、いつの間にかもう抜け出せなくなっていた。

それには、理由があった。生きづらさという理由が。

少し話を戻す。

ぺこーらの動画を観ていると、ビギナーズラックというか、たまたま当たったときの快感が、そりゃーもう凄まじいんだな、と思う。

このつまらない世の中で、クソみたいな商業ギャンブルが、とても魅力的で夢のある娯楽に見えてしまう気持ちは、なんとなく分かる。

私も、酒に酔っているときだけは、このくだらない命も、くそみたいな人生も、忘れることができた。

「あの快感をもう一度味わいたい」から通い続ける。

どれだけ損をしても「当たれば取り返せるんだから問題ない」と思う。

ここからすでに思考が毒されている。

そうやって、通い詰める。通えば通うほど損をするシステムに通い詰める。

そして定説通りに損をする。

その損が加速度的に膨れ上がっていく。

やめたくてもやめられなくなっていく。損失が大きすぎて諦められなくなる。

カネに底がついて、大切なものを換金してでも大金をつぎ込むようになる。

そして大きすぎる損を返すために、ハイリスクハイリターンに賭け始める。

より当たる可能性が低い(勝てる確率が低い)勝負を挑み、確率通り負けがこむ。

そして、ひとりではどうにもできないほど大きな負債を抱える。

そういうギャンブラーの思考回路と末路が、冒頭のぺこらの動画で実に分かりやすくあらわされている。

本当に、病気なのだ。

しかも、優秀でデキる人でありたい人ほど「自分ならできる」ということを信じたいので、ストイックに結果を求める。

他人が簡単に勝てないからこそ、そのなかで自分が勝てることを証明することに価値がある。

『「自分は特別だ、優れている」ということを裏付けてくれる』という意味では、ハイリスクハイリターンの賭場は、最も効率が良い環境だからだ。

確率的に負けるのが当たり前だから、他の現実での勝負のように負けを恥じなくてもよい。

勝算が低い分「負け」がプライドを傷つけにくい。負けることの現実感が麻痺していく。

ギャンブラーは、馬鹿なのではない。ちゃんと計算してギャンブルを選択している。

自分の存在を裏付ける(見せかけの)勝ち=価値を得るために、ギャンブルを選択する。

無自覚に内的欲求(承認欲求・不安・恐れ)に忠実であるがゆえに、ギャンブルにのめり込むのは必然だったと言える。

まとめ:ギャンブラーに親近感がわいてきた

今まで正直、少し誤解していた。

アルコール依存症の仲間よりは、どっちかっていうとリア充寄りだなーというか。

何かで成功したことがある(自分たちより恵まれた人生を送ってきた)から、成功するって信じられるんだし、自分らよりマシそうだな、とか。多少希望がある人生だったからそんなに楽天的になれるんじゃね?と思っていた。

少し人種が違うな、と敬遠していたところがあった。

「ギャンブラーって経営者だったりして優秀な人が多いんです」と回復を自称してもなお、資本主義社会や社会的地位を切り口にしている当事者の話を聞くと辟易とした。

「他と比較して相対的に優秀であること」を重視している傾向を垣間見るに、「まだまだ根本的な自己の問題に対する思慮が足りていないな」なとど思って聴いていた。

「パワーゲームや承認欲求に振り回されている点で、そもそもまだ回復していないのでは?」とすら思っていた。

が、ようやくなんとなくわかってきた。

同じ人種なんだ、ということが。

依存症の核に 不安・恐れ が根本に巣食っているところは、どんな成育歴であろうと、多少成功していようと、全く同じだったんだな、ということ。

私にとって最も合理的な逃避先が酒だったのと同じように、彼らにとっての最も合理的な逃避先はギャンブルだったんだな、ということ。

カネというものにすべての人が振り回される。そんな資本主義社会というクソゲーのなかで生きるプレーヤーである限り、限りなく逃れがたい社会的な負の側面でもあったのだということ。

つまり、依存先を選定するときの、感性(センス)の多様性なのだ。

感性の違いであって、病んでいる部分の違いや質の違いや、抱えている闇の大きさの違いではなかったのだ。

まだこのクソゲーをかろうじて頑張る気がある人がギャンブルに依存して、もうできればログアウトしたい人が薬物・アルコールにハマるのかなぁ。

同じ依存症でも、まだまだわからないことばかりだ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする