私には親友と呼べる同性の人間がいない。
今まではこんなことを書いても、
「そんなもんは自分のせいだろ甘えるな」とか
「弱音吐いてないで探す努力でもしたらどうだ」とか
「だいたいみんなそんなもんなんだから泣き言を言うな」とか
己の中の私がとてもうるさいので書き起こしたことがなかった。
読んだ人も同じような感想を抱くかもしれない。
なんのために書いているのかも定かではないが、とりあえず書いてみようと思う。もはや知ったことではない。
親友ってなんなんだろう、と思う。
辞書によれば、『互いに心を許し合っている友。特に親しい友。』だそうだ。
そんな人、みんないるのだろうか?
いないっしょ。
お互いに心を許しあっているかどうかなんて、わからないよ。こっちが許していても、あっちは許していないことなんてしょっちゅうだし。
特に親しいって言うのも曖昧だ。
親しいってなんなんだろう。
辞書によれば、『 互いに打ちとけて仲がよい。懇意だ。』と言う意味だそうだ。
打ち解けているかどうかって、何で判断するんだろう。
敬語を使っていないかどうかとか?下の名前で呼び合っていかどうかとか?
それは形式上いくらでも偽装可能ではないか。
仲が良い、というのも、どういう基準なのだろう。
どうなれば仲が良いと言えるのだろう。
基本的には不利益を被りたくないから仲は良く保ちたい。それは社会不適合者ではない限りみなそうではないだろうか。誰に対してもそうではないか。
ああ、一緒にご飯に行くくらいとか?
大事なものを貸したりできるくらいに、とか?
危害を加える可能性が低い、安心できる存在だってことかな。
共有する時間や空間に対して、信頼できるってことかな。
なるほど、それは知り合いや顔見知りよりも、たしかに上位互換の関係性な気がしてきたぞ。
まず、仲が良い=親しい、からハードルが高くないか?
それが特に、だと? レベルが違う。
ありえん。
私は親しい人をつくるのにも一苦労だぞ。
だいたいの人間は信用できない。皆自分の利益のために他人を食い物にする連中だ。隙を見せたら喰われる。
その中から、安全安心を担保してくれる関係を構築できるだけで十分難易度が高い。
難易度が高いのはこちらに問題があるんだろう。
警戒心を解くのに時間がかかる。私はもうずっと敬語の方が心地いいので敬語で話し続けるタイプだが、向こうからしびれを切らしたのか、「何でいつまでもよそよそしいんですか?敬語じゃなくていいよ」と言われることがある。
敬語でなくていいとは言われていないし、私はそのままそうしていただけなのになんだか責められてまごつく。
どこからが敬語でなくて良いくらい仲良くなった、というラインなのだろうか。
インフォで知らせてほしい。RPGみたいにピコーンてアラート鳴らして、「今からタメ口がきけるようになりました」とかテロップでお知らせしてほしい。
こちら側に踏み込ませても大丈夫な人間かどうか、というのはとても難しい判断を求められる。
基本的には性悪説を採用しているので、懐に呼び込むからには斬られる準備をしておかなくてはならない。
そんなリスクはできる限り避けたいのが正常ではないだろうか。
懐に呼び込むのは、それだけメリットがあるからだと思う。
「では妻はどうなんだ?」といえば、これは不思議なことに信頼している。
妻はそのまま話す。疑問はすぐ聞く。どんな人も尊重する。そういう生き様を見ていると、たとえ斬られても、私の方に斬られる理由があったんだな、と思う。
そういうことの、同性Verなのかな。
たしかにそこまで深く同性の他人と自分の考えや意見を議論したことがない。
自分の考えを話していると、だいたい疲れられるか呆れられるか、なんとなく上から目線のクソバイスをもらうくらいで、なんの収穫もなかった。冒頭でもうすでに破綻していた。
こちらとしてもそれでは話していてもおもしろくない。
そして、とても残念なことに、話していても楽しくない話しかしない同性が多い。
〇〇人の女と寝たことがある、とか。
俺はケンカで負けなしだ、とか。
こんなに仕事で成果を出している、とか。
いいカバンやいい車やいい靴を履いている、とか。
クッソどうでもいい。
だいたい金か女か権力の話しかしない。
つまらん。
あとはスポ根的なやつね。
努力して成功した話とか、こういうこだわりで天下取ったとか、はー、書いてるだけでアクビが出る。
努力・友情・勝利みたいなのは、もうひとしきり噛んで一晩おいておいたガムみたいなもんだと思う。
じゃあどんな話がしたいんだよ、と言われれば、人生とか、人が生きていることの価値とか、世の中の摂理とか、そうしたものについての気づきや哀愁について語り合える人がいたら、とてもいいと思う。
女性はなかには、そういう深い洞察で物事を見ている人がいる。そういう人はとても好きだ。仲良くなれると思う。
でも、重要なのは、同性でそういう人がいるということだ。
異性というのはやはり異性なので、同性で親友がいる人を見ると、羨ましいなぁと思う。
それだけ相手にも踏み込ませて、自分も踏み込んで、勇気を持ったことによる産物なんだろうな。
その点、私は同性と接するに当たって、今まで親友をつくるに足る勇気を持てていなかった、ということだ。
すみませんね、ヘタレで。
こちとら警戒心を解くことだけで精一杯なんだよ。
まずはそのAC的な認知の歪みと非効率的な生き方を見直さなくてはな、と思う。
親友なんてのはその後だ。
他人に対するATフィールドを展開せずに踏み込み踏み込ませる度量を持てて、親友なる存在が死ぬまでにひとりでいいから、できていたらいいなと思う。